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2011年12月24日 (土)

神のささやき~養老訓 3

Spir 映画トワイライトゾーンの「第2 真夜中の遊戯」では老人ホームの人々が、缶蹴りをして一夜だけの子供にかえります。神の分身ともおぼしき男はそこで、老人たちに誘いをかけます。

 

 

 

「もう一度、子供に帰らならないか?」と。しかし老人たちは申し出を拒否、希望や、生きる喜びのないホームでの生活に帰って行く。それは「もう一度、苦労するのがイヤ」との理由によります。

 

勇気や決断力を振うのが大人であり、子供は成長して大人を身につける。成人式を上げたから、学校を出たから、あるいは時期が来たから大人になるものではなく、責任を取ったり実績を積んだり、また決断を振るえる大人になる。

 

つまり大人になって以降も、勇気を振るうには圧力を伴う。正直なところ、出来れば避けたい道ではないか?……好んで自分に圧力をかける人はいない。エピソードの意外な展開の、これが根拠にもなりそうです。

 

スピルバーグの映画は子供っぽいト言われた事がある。引用した映画だけでなく、どの映画でも主人公は判断や勇気で、状況を切り開く訳ではない……逃げて逃げて、逃げおおせる事で主人公は救われます。その辺の理由と思われます。

 

「還暦以後」はどう生きるか。缶蹴りをすればいいト私は思いつきます。子供になってもう一度、大人を目指さなければなりません……今までとは違う意味での大人、大人になる。そういう意味になります。

 

物事は終った。自分はやり終えたの認識は、逃げにつながり、新しいものは生まれません。130才とか孫からビールを注いでもらう未来はプレッシャーが足りない。そんな目標では自分への圧力に、ならない。

 

しかしこれは満足するか、しないかの問題でもあります。外側から強制は、どこからもない。あくまで自分の中の問題です。主観になります……自分の中にあって適当な高さの目標を掲げるのは難しい。

 

熊本年輪ピックのシンポジウムで、清水国明さんが言っていた目標は、新たに子供作って養育する事でした。同じく姜尚中さんの目標はバイクの免許を取って、若い頃に行けなかったツーリングに行くことです。

 

熊本県は年輪ピックが予想以上に儲かったト発表しています。人生は長く、還暦以後といえども実りある時期になるかもしれません。だが、そうするには苦労も伴う……

 

目標が高ければ喜びも大きいが、その前に圧力が高い。達成の喜びが人を育てるか? いえ圧力が人を育てる。たとえ目標が達成されなくとも自分を育てる事は出来るのです。

 

「もう一度、子供に帰らならないか?」私は神のささやきのように、この言葉を思い出します。最近は目標を立てるとは言わず、夢を持つう言い方が一般的ですが、この言い方がいいよう私は思います。

 ●参考記事 男女誕生死亡 11年10月24日

●養生訓 11・11・30
●若者と老人~養生訓2~11/12/12

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