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2011年9月23日 (金)

悪人2 映画

Akuninこの映画は妻夫木さんの物語に重点がかかる。それをバラすのはルール違反です。それで満島、柄本さんの家庭を話しましょう。柄本明(石橋佳男)は理髪店を営む普通の家庭に見えます。

 

 

 

ただ柄本さんには一ヶ所、映画の肝とも思われそうな重要な台詞があります。「あんた、大切な人はおるね……」から「そうじゃなかとよ」というに至る、全体を通しても突出した台詞で、突出し過ぎたみたい。

 

 

 

昔式が一番いいんだ……国文学的な、お約束に沿えばですが、古い人間関係が大切で、それを切り離してまで結ぶ関係は否定されてしまう。親子関係を否定して恋愛関係を重視する、出会い系の必要は全くない訳です。

 

 

 

4人の主人公は出会い系に行った事は否定できない。仮に出会い系は否定するにしても、セックスを通して人間関係を切り開こうとしている。その生き方自体は否定できない。

 

 

 

映画では十分とは言えないが、柄本は経済的に人生を諦める部分があって、こういう台詞があるのではないでしょうか? それに反発する娘、満島は経済的なサクセスに重点がある。

 

 

 

例えば学校で成績はよく、進学もしたかったが家庭の状況は許さず進学を諦めてセールスウーマンをやっているトカ。そういった事情が諦め切れなくなった事件があったトカ。

 

 

 

二人の女友達を置いて、なおかつ土木工妻夫木からボンボン岡田に乗り換える意味はそう思われる。映像としては描ききれていないだけ……満島は岡田にチャラチャラした女と嫌われます。

 

 

 

満島をチャラチャラした女ではなく、特に経済的に出世したい女性と捕らえないと、この映画は見えて来ない。貧乏理髪店だってイイじゃないかトいう柄本のプライドも見えません。

 

 

 

東京や関西ではなく、九州の佐賀長崎に設定された舞台の意味もないでしょう。熊本も東京に追いつきたい。出来るなら関西や博多を抜きたい……そう思うのです。そこは佐賀、長崎と一緒です。

 

 

 

関西はむろん博多を抜くことも出来ない……とするなら差が大きくなるか小さく出来るか? せめて差を小さく言うのが新幹線の意味だったりします。でも私自身は鈍行か、バスでもいいの!

 

 

 

身障者いうのは健常者に近くなりたい思っています。それは博多に近くなりたい熊本に似ています。しかし健常者に近くなりたいとは、健常者になる事では結局ない……ならもう、いいではないか。身障者を引き受けよう。

 

 

 

その辺の視点から映画を観ますから、突込みが鋭くなる。自分でいう事ではありあませんか? 話を映画に戻りましょう。つまり柄本親父が貧乏に自信を持った分、娘満島は金に執着してしまう。

 

 

 

満島が命をかけて執着した物は何だったか。金、豊かさ、自由の意味、何をどうする事だったか……それが問い切れていない。亡霊になって出て来る。その意味では、確かに国文学の時代ではない。

 

 

 

さらば泉鏡花、樋口一葉でしょう。かくして純文学と大衆小説の両面作家吉田修一さんの登場となった訳です。でも、

 

「そうじゃないとよ。 それじゃ駄目とよ」

 

 

 台詞ひとつの突出ではなく、自覚が甘く両者の書き分けが足りなかったのでは?

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