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2011年9月

2011年9月30日 (金)

愛を読むひと~朗読者

Aiwo 「愛を読む人」を観た後で気になる部分が残ります。ハンナとマイケルのひと夏の恋……映画はそのように描き、観る方もそのように考えます。この映画に限ってひと夏の体験は違うのでは……それで原作「朗読者」を引き出します。

 

いわゆる映画を見た後に、恋は愛と同意語になって行きます。経験、個人教授、おもいでの夏……恋と愛は、たとえば情事とは違う。情事という言葉は肉体関係の意味合いが強いのです。

 

愛は深く長い人間関係を示し、恋は浅く短い男女関係を示します。どこからどこまでを情事といい、恋といい、愛というか。特定した定義はないが意味の違いはあります。

 

脱線しますが「おもいでの夏」は、どういう映画かト女性に聞かれた事があります。ミッシェル・ルグランの書いた映画音楽は間違いなく名曲で、これを聴いた人は映画を観たいと思います。

 

だが映画は名作とは言えない。男側にとっては都合のいいラブストーリーで、男が年少なので許されるが経験、個人教授と同列のソフトポルノに近い内容……女性が見て楽しいとは思えない。

 

愛を読む人でも前3分の1、マイケルのひと夏の恋までは、そう違わない内容になります。それが中間部で次第に重さを持ってきて、最後3分の1で大変な事になる。

 

あたかも情事で始まり苦い恋に育ち、やがて重い愛に終わる……映画の内容をバラさないでいうと、こういう表現にならざるえません。ああ、そうですね。ハンナは彼のことを坊やト呼んでいる。

 

情事での相手の名称はベイビィです。男が女性を、女性が男をどちらが呼んでも、そう呼ぶ方が関係や相手を仕切る事になる……双方でベイビィとは言わないでしょう。

 

私の友人で、二人の時はお互いを、とおちゃん、かあちゃんと呼びあおうと……そういう取決めをした恋人たちがありました。むろん取決めの前は、普通に何々さんト姓で呼び合っていました。

 

取決め後も、誰かいると姓で呼ぶのです。相手の事に関して責任を取る。少なくともある部分の責を負う……あるいは責任を任せる。愛とは本人に代わっても、自分が責任を取る、そういう関係を意味します。

 

原作「朗読者」で見ても、マイケルは結局、最後の所で腰を引いた。責任を拒否したと読むべきです。それは戦争や状況や社会の責任と言えない。その辺に作者の主張があります。

 本でもハンナは後年に至るまで、マイケルを坊やと呼んでいます。

2011年9月29日 (木)

うぬぼれる

Img_0589_6  私は元々、身障者に障害に関する事を聞いて、会報に出していました。当たり前ですが、読む人は会員、身障者であることが前提になっていました。そうしますと反応はありません。

 

良かったともマズかったとも、ひどい人になると読まなくなります。アイツが書くのは又、アアいう事だろう……とタカをくくられてしまう。反対するほどの表現力があれば自分でも書かれるが、大体、私の方が上手です。

 

何しろ私は毎号書いても書くことがなくならない。俗にいう口が減らない訳です。会報を毎回、出さなければならない、会や執行、内情にとっては便利な存在であります。

 

私はどうやって自信をつけたか。外部に見せるのです。一般の人に見てもらう。すると大抵、誉めるわけです。すると執行部は、本人を前にはケナセないから誉めるトこう言います。

 

それは一理ありますから、私もあまりウヌボれる訳には行きません。それ以上のことは私も出来ません……いえ、もう一つ手があります。会報を新聞社に見せに行きます。

 

新聞社がヒマだったのでしょう。コラム欄で取り上げました。内容は覚えてませんがコピーも取ってませんが、ほぼ絶賛しました。それを見た執行部は、悔しいもんだから何も言いません。

 

影でいうか、個人的な発言はあって、

 

「あなたの文才というか才能には勝てない……私だけでなく誰も勝てない」出るところに出て勝負したらどうですか。いうような言葉が少数ありました。

 

もし私に優れているモノがあるとするなら……それは文才でも才能でもない。考え方です。身障者のことは身障者が知っている。健常者には判らないトいうのは思い上がりでしょう。

 

身障者は身障者同士で仲良くすれば障害はなくなる。楽になる、そういう考え方は間違っています。どちらかいうと健常者に理解してもらわなければ解決がない。

 

会はつまり執行部はいう事ですが、会員を増やすための記事をトいいます。私は障害を、社会や健常者に理解してもらう記事をという。今ここで書くように自覚はまだしませんが、感覚的に方針を、すでに変えています。

 

私は市役所の担当に「ネットに書きたい。相談員の肩書きを出してもいいですか」と聞きます。

 

「それはいいが、何を書くのですか」ト聞かれます。具体的には書いてみないと判らないがト前置きして、身障者だけでなく健常者との間に立って書きたいのです」

 

市役所の担当はその時、ホォと言いました。

 ●うぬ‐ぼれ 【自惚れ/己惚れ】 うぬぼれること。おのぼれ。己に惚れる。映像は無関係な知らない犬

2011年9月28日 (水)

除霊

Zyorei 熊本県内で「滝業」の末に女子中学生窒息死という事件が起きています。「中学1年の1~2学期は出席していたが、3学期の2月から、精神的に不安定となり登校できない状態になった」

 

 

 

……病院にも行ったが、はかばかしくなく滝行となります。精神的な不安定と限らず、身障者も進行性の病気は特に辛い。病気の進行に家族も滅入って、介護意欲を失う場合があります。

 

 

 

病院でダメならと宗教の力を仰ぎ、このような結末を迎える……ことがある。なぜか? ……家族いうのは、全員で共通の目標や、目指す方向を持っています。

 

 

 

お父さんが働いて、お母さんが家事をして……チト古い。父母が働いて兄妹を大学までやって、兄妹は父母より高い給料を取れるように頑張る……これも古いが、まあいいや。

 

 

 

これは家族の誰かの夢ではなく4人みんなの夢です。そうしますと妹の不登校は、妹だけの挫折に留まらず、家族4人の挫折に等しい。お父さんはお父さんで傷つき、お母さんはお母さんで傷つく。むろんお兄ちゃんも……

 

 

 

しかし、ご承知のように経済的発展は今の日本、これまた難しい。新聞紙面からは判りませんが、中学生一年も3学期になると小学生のように、無邪気な夢が持てなくなる。高校進学が具体的にどうなるか。まさか出来ない事はないでしょうが……

 

 

 

進学できない身体障害はあります。たとえば中学あたりから発病がはっきりします。高校が難しいとか、大学が怪しいとか。仕事に就けないとか……発病は本人だけでなく、家族にもこたえます。

 

 

 

無意識に本人の病気に向かって当たるようになる。つまり目障りなのです。発病の本人が家で治療したい思っているのに、介護意欲が持てない。むしろ一旦、入院した方がいい場合もあります。

 

 

 

障害の病気はお父さんの夢を崩し、お母さんの夢も崩しているのですが、発病の本人は知らない。仮に中学生だと知っても仕方がないのです……ここの場面は虐待にもつながりかねない。

 

 

 

事件の場合、お父さんが娘をイスに縛ったらしい。嫌がらなかった時もあったが、今回は嫌がる本人を無理に滝に打たせたらしい。除霊を、そのように指導した坊さんは経を読んでいたと言う。

 

 

 

虐待とは思わなかった。失望は霊の形でお父さんを縛ったのではないか。坊さんもそろそろ結果を見せたくて、止めるより経に力を入れたのではないか……私はこの手の宗教には近づきません。

 

 

 

宗教に凝っている友人が、そのまた友人を連れて私の部屋に来ると言った時、私は逃げました。身障者仲間の家に行き、

 

――今日は危ない。コレコレこういう訳だ。遅くには一度、帰るが、その状況によっては泊めてくれ。

 

 

 

……そういうと身障者仲間の彼は笑い出し、

 

「よし泊まれ。見に行かんでもいい。今夜は帰るな」

 

身障者は家族の夢付き合えません。だから家族、あるいは健常者の友人といえども怖い存在になります。

 

 

 いくぶんダラシがないように見えますか? 押さえつけられて滝行、私は除霊が怖いです。

2011年9月27日 (火)

電話会社

 電話会社から電話がかかります。また光回線に変えないかという話です。私はいまだにADSLを使っている。そして変えないという結論を伝えます。

 

 

ADSLは「伝送損失」によって、自宅や会社のインターネット接続場所が、基地局から遠くなるほど通信速度が遅くなる。また通話により、ノイズやその他家電製品の使用状況にもよる。影響を受けやすい関係で、時間帯や状況によって速度が落ちます。

 

 

回線は、おおむね光に変えた方が早くなる。ただし光回線はADSLに比べ1000~2000円ほど月額料金が高い。それが電話会社のメリットになり、会社としては変えて欲しい。電話でのお誘いの理由になります。

 

 

私は前に、お試しの光回線を使ったことがあります。ウチは基地局が近く、光回線による違いは出難い。今のままでいい……そう私が言うのです。

 

電話会社は「そういう事はありえない。いつドコの電話会社で試したのか」電話口でそういう意味の事をいい、しつこい。私はセキュリティ、ウイルスソフトの事を忘れていました。

 

ウイルスソフトをESETに変えてから、ネットは使いやすくなります。ESETはお試しは1ヶ月としてますが実際は2ヶ月で、継続価格も公称より安く、ESET側からメールで言って来ます。

 

なぜそんな事をするか? つまり「業界、消耗戦に陥る」と新聞の見出しがあります。これはauが次期スマフォを発売する見通しとなった事を伝えるニュースからです。電話会社の経営利益が難しくなった。

 

ウイルスソフトも電話会社と変らない。せっせと電話をかけ、メールでも言ってくる。消耗戦とは価格ダウンをも意味します。接続回線を上げるよりウイルスソフトを上げた方が、効果があった……私の場合も、そういう事です。

 

電話会社もそのうち価格を下げて来るカモ……かもしれません。あまりアテにはなりませんが、状況としてはそう読めます。遅くて毎日、難儀されてれば別ですが、電話やパソコンに関しては落ち着いた姿勢を保って下さい。

 ●7・28「ウィルスソフト2」でも同じ事を書いてます。

2011年9月26日 (月)

早春スケッチブック ドラマ

Sousyun 母や自分を捨てた父が会いたいト言って来る……どこかで聞いたような話です。昔、TVドラマにそういう話がありました。山田太一脚本で「早春スケッチブック」というのがそれ。

 

もっとも早春スケッチブックの方は、大学受験の男子で和彦(鶴見辰吾)といいます。今の母(岩下志麻)は結婚しており、主人公には養父という事になり、養父(河原崎長一郎)には前妻との間に娘が一人あって……

 

ガンで余命のない沢田(山崎務)が、ややこしい家族の一人ひとりに会うかたちで物語は進行します。沢田がなぜか豪邸に住んでいるが、無理な設定はメゾンでも受け継がれます。

 

沢田の今の恋人、明美(樋口可南子)は最初だけ出て来て、やがていなくなってしまう。メゾンでは春彦は狂言回し役で残っている点は違うが……メゾンはパクリ、失礼、オマージュといえます。

 

ゲイは言ってみれば身障者の一種、身障者がすんなり階段を上れないように、すんなりズボンがはけない……スカートはきたいんでしょ? 車椅子に乗らなければならないのト変らないです。性同一障害では身障者手帳が取れないだけカモ。

 

余命のない芸術家を通して見ると、世間は小さなことにこだわり、おかしなことを考えています。この早春の沢田はただのカメラマンのはずですが、台詞では岡本太郎みたいな事をいうのです。(youtubeにありました下部)

 

今日もいつもようにヤルなんて、詰まらないじゃないか。この日は今日だけなんだから、今日らしく生きよう。今日らしくヤロう……なんて即興で書きます。沢田っぽいですか? 私もドラマに影響された口かも知れません。

 

役者に存在感があって台詞がキラキラして、ドラマが映画に勝るとも劣らない時代があったのです。どこで見つけたか知りませんが、館はボロボロで部屋はセットで作った……まあ、ねえ。いいから加減な作り事ですよ。

 

今でこそ語り草になってますが「早春」も、低視聴率にあえいだそうです。

 ●早春スケッチブック http://www.youtube.com/watch?v=GiKnv2Kg_LQ&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=qU0gM--Mjt8&feature=related

2011年9月25日 (日)

メゾン・ド・ヒミコ 映画

Mezon メゾンとは辞書では館、住宅の意味だが「めぞん一刻」のメゾンにかけ、ここではコメディ内容を指す。犬童一心監督の「ジョゼと虎と魚たち」に続く、渡辺あや脚本といえば判る人には判るのか?

 

柴咲コウ演じる主人公サオリは最近、母を亡くし天涯孤独。父は母やサオリを捨て、ゲイの道に走ったと聞いている。サオリはむろん、その見も知らぬ父を許せない。父だけでなく男というモノが許せない。

 

サオリが会社で事務員をしてると、男(オダギリ・ジョー)がやってきて「父に会え」という。嫌だというと男は、何とサオリを金で釣る。余命少ない父はガンで寝そべっている。その家が「メゾン・ド・ヒミコ」年取ったゲイたちの館だった。

 

……映画の話はこれくらいにして、男が許せない女性は沢山おられる。映画のサオリがそうで、脚本の渡辺あやさんが昔、そうだったらしい。女性特有の問題かというと、男の身障者にもそういう人はいます。

 

具体的にどういう事か? 映画でサオリは金に困っています。母が死んだ時に何がしか借金が出来、その処理にバイトをしようと考えています。それで会いたくもない父、ヒミコに会う事になる。

 

映画では主な動機として使われる。映画としては借金は重要ではない。しかし借金はその人にとって重大な問題で、自己破産すべきか否か。専門弁護士、あるいは会計書士に相談すべき事です。

 

サオリはそういう風に考えない。サオリの勝手でしょト、そう思う人も沢山います。借金は返すのが当たり前ト、しかしその常識は違います。覚えてますか、TVで円ショップの武富士が、取りすぎた金額を返すト言っていました。

 

有名な金貸屋さんからして常識の外、処理を誤った訳です。そこまでなくとも借金を苦に、自殺や心中する人はいっぱいいます。かなりの人が法的な処理を違えている……

 

サオリの借金はいくらで、どう生じたか判らないので、あまりな事はいいませんが、男目線が足りない。処理の仕方が違う話は時々、あります。

 

杖は今や、どこにでも売ってあり市役所で補装具として取るのもおかしな事かもしれません。数百円の杖を1本1万円で商ってみたり紹介してみたり……市役所も誤っています。

 

同じように自己破産すればいい事を、自殺だ心中だいうのも誤ってましょ? 事故や病気で身障者になったら、私は生きていけない思うのも、あまり変らない。誤っています。広い視野や長い目で見ての判断が下せない状態です。

 

男でもなるが、女性視点の特徴である……視点をあらかじめ欠いて疑問に思わない。犬童一心監督や渡辺あや脚本には、ちょっとそういう傾向に……あら、映画にもどってしまいました。

 映画は彼らに任せるとして、身障者問題については私ら、相談員にも一言お聞き下さい。いつでも無料で承っております。

2011年9月24日 (土)

スィートポテト味 ふんわり食パン

Suito ヤマサキのふんわり食パンシリーズで、スィートポテトが出ています。懲りなくてまた買いました。スィートポテトいうのは芋餡のお菓子……言わなくとも誰でも知って、ます、けど、ね。

 

これは女性は誰でも好き。男は顔をしかめる人もあります。私はどうでもいい……好きでも嫌いでもありません。あれば食べます。なければ食べない……そういうの多いです、私。

 

そうは言っても菓子化です。菓子を食べるように食事をしたい……そういう人が多いのでしょう。私としては別に誉めなくても、これは書くと読む人が多くなる。奇妙な食材です。

 

病院生活が長いせいか、私は食事について、こういうスタンスになる事は多いです。食べる人たちの退廃いうと大げさですが、このシリーズでなくとも主食の菓子化の傾向は、あります。

 

病院では病気で食欲がない……トレー見ただけでうんざり、あります。一般にはないでしょ。病院でないココでは、そうではなく何か目先の変った物を、いつも求める。ある種の過食状態にあって、それは日常化している。

 

病院とは似ているけど、明らかに違う。幸福なのか不幸なのか、第三者として、いう人がありますが、本人にとってはどっちでもない。同時にどっちでもある。つまり第三者の目線は意味がない。

 

ほんのり甘いいうのは、甘くはない事。濃厚なスィートポテトの香りは、もうイースト菌の匂いで幸福になれない……その意味の匂いかも知れません。私が退廃的いうのは、そういう意味です。

 

幸福と決めつけられるのは僭越なら、不幸といわれるには、おっと反発を感じる。でも、この状態を何なのかは自分でもつかめない……ふんわり食パン、スィートポテトは、そんな味がします。

 

私は一度は買いましたが、もう一度、買いたいと思わない。このパン、好きというのには憚られます。例によって季節限定、ヤマサキとしてはシリーズとしてヒットした言うことです。次が出たら私も、また書く事になるでしょう。

 11・7・13と8・24に1、2回目を書いています。

2011年9月23日 (金)

悪人2 映画

Akuninこの映画は妻夫木さんの物語に重点がかかる。それをバラすのはルール違反です。それで満島、柄本さんの家庭を話しましょう。柄本明(石橋佳男)は理髪店を営む普通の家庭に見えます。

 

 

 

ただ柄本さんには一ヶ所、映画の肝とも思われそうな重要な台詞があります。「あんた、大切な人はおるね……」から「そうじゃなかとよ」というに至る、全体を通しても突出した台詞で、突出し過ぎたみたい。

 

 

 

昔式が一番いいんだ……国文学的な、お約束に沿えばですが、古い人間関係が大切で、それを切り離してまで結ぶ関係は否定されてしまう。親子関係を否定して恋愛関係を重視する、出会い系の必要は全くない訳です。

 

 

 

4人の主人公は出会い系に行った事は否定できない。仮に出会い系は否定するにしても、セックスを通して人間関係を切り開こうとしている。その生き方自体は否定できない。

 

 

 

映画では十分とは言えないが、柄本は経済的に人生を諦める部分があって、こういう台詞があるのではないでしょうか? それに反発する娘、満島は経済的なサクセスに重点がある。

 

 

 

例えば学校で成績はよく、進学もしたかったが家庭の状況は許さず進学を諦めてセールスウーマンをやっているトカ。そういった事情が諦め切れなくなった事件があったトカ。

 

 

 

二人の女友達を置いて、なおかつ土木工妻夫木からボンボン岡田に乗り換える意味はそう思われる。映像としては描ききれていないだけ……満島は岡田にチャラチャラした女と嫌われます。

 

 

 

満島をチャラチャラした女ではなく、特に経済的に出世したい女性と捕らえないと、この映画は見えて来ない。貧乏理髪店だってイイじゃないかトいう柄本のプライドも見えません。

 

 

 

東京や関西ではなく、九州の佐賀長崎に設定された舞台の意味もないでしょう。熊本も東京に追いつきたい。出来るなら関西や博多を抜きたい……そう思うのです。そこは佐賀、長崎と一緒です。

 

 

 

関西はむろん博多を抜くことも出来ない……とするなら差が大きくなるか小さく出来るか? せめて差を小さく言うのが新幹線の意味だったりします。でも私自身は鈍行か、バスでもいいの!

 

 

 

身障者いうのは健常者に近くなりたい思っています。それは博多に近くなりたい熊本に似ています。しかし健常者に近くなりたいとは、健常者になる事では結局ない……ならもう、いいではないか。身障者を引き受けよう。

 

 

 

その辺の視点から映画を観ますから、突込みが鋭くなる。自分でいう事ではありあませんか? 話を映画に戻りましょう。つまり柄本親父が貧乏に自信を持った分、娘満島は金に執着してしまう。

 

 

 

満島が命をかけて執着した物は何だったか。金、豊かさ、自由の意味、何をどうする事だったか……それが問い切れていない。亡霊になって出て来る。その意味では、確かに国文学の時代ではない。

 

 

 

さらば泉鏡花、樋口一葉でしょう。かくして純文学と大衆小説の両面作家吉田修一さんの登場となった訳です。でも、

 

「そうじゃないとよ。 それじゃ駄目とよ」

 

 

 台詞ひとつの突出ではなく、自覚が甘く両者の書き分けが足りなかったのでは?

2011年9月22日 (木)

BOOKOFFの80円本

Book 本が売れません……BOOK・OFF、田崎市場の奥にある店では105円分を80円に下げてしまう。在庫処理のために当分の間だけとはいうが、厳しい経営が透けて見えます。

 

つまり本が売れない。まあ一般に本を読むどころの状況ではない。私の推測とはいえ、これは大きくは外れない。不景気に伴う切り詰め、その煽りは本とか、TVとか、映画とか、そう言った情報源にも向いてます。

 

昨日、映画評を書いた「悪人」も(続きはまだ書けません)原作本を読もうかト迷い、結局やめてしまった私です。先々号のターザンは本屋に見に行こうと思う内に、先号が出てしまう。ターザンも結局、買っていません。

 

なぜかセカセカと落ちつかない。背中に負った薪がけぶる狸になったような気が、私はします。かちかち山です。同じ理由かどうか、駅の構内、自販機のドリンクも売れないそうです。

 

デザインでもない価格でもない。新製品のラインナップでもない。なぜ売れないか調査を入れたら……売る為のアイデアが上がっています。何だと思います?

 

これがアッと驚く、自販機の上部に時計をつける。次の電車が来るまでの時間を計れる。待ち時間を正確に計るというと、構内の客も落ち着いてドリンクを飲む気になる。

 

東日本震災以降の鬱積した不安、イラだち……つまり落ち着かなさがある。かちかち山で狸になったような、先の見えないトンネルに入ったような。これに対しつける薬は、ないですなあ。

 

いえ私個人ならひと泳ぎすれば済むこと。ゴルフ好きなら打ちっぱなし、野球好きならバッテイングセンター……酒好きならウコンを飲んでシジミ薬も買って飲み屋に集合。

 

そうは言うが、飲めば飲んだで朝に付けが行きます。今日のストレスに利子をつけて明日に回すだけの事。本読んだって、この齢になると簡単に人生は開けない。陰々滅々としてかちかち山、先のないトンネル。

 先々号のターザンは無理としても、やはり「悪人」は買った方がいいか? どうなのでしょうか。BOOK・OFFの80円本という話でした。

2011年9月21日 (水)

悪人 映画

Akuninタイトルの悪人にはこだわらない方がいいようです。吉田修一さんは純文学と大衆小説の、両方に志向のある書き手で、この作品でも人間的な内面と、物語としての面白さを両方を追求します。

 

追ってはいるが簡単に両立するはずはなく、随所で破綻してしまう。人物を掘り下げようとすると物語が停滞し、物語を進めると人物は設定から、はみ出し矛盾してしまう。

 

国文学では近代化はよくない。人を傷つけ周囲を破綻させる。昔式が一番いいんだ……お約束の図式があって、ここでも長崎や佐賀は、近代化に飲み込まれる被害者になります。いちおう頭には、そう入れます。

 

そこで出会い系サイトで知り合った。4人の若者が主人公になります。満島ひかり(石橋佳乃)は、ボンボンの岡田将生(増尾圭吾)の方に熱心だが、土木作業員の妻夫木聡(清水祐一)とも知り合っている。

 

定かではないが出会い系にステイタスを感じ、満島は友人等を出し抜くため出会い系に手を出した。そして妻夫木と知り合い、妻夫木がダサイので、後に知り合った岡田に乗り換えた。そういう筋らしい。

 

満島の友人で、出会い系をやった事のない二人が出てきます。本当は佳乃という女性は二人とあまり変らないような、ダサい女性で、それが満島さんが演じるから飛び抜けて見える。

 

飛び抜けて見せるために出会い系を使ったので、本当に使いたかったどうか確かでない。出会い系は今では危険な行為と周知しています。その前にはオフ会といって普通に知り合った時期もあります。

 

そんな昔でなくとも、私などもブログから直メールで「相談がある」と言われ、聞いている内にメル友になってしまう。やがて直接「会わないか」そう言われた進行は、例として少ないがあるにはあります。

 

映画では長崎佐賀が、出会いの具体例になっています。私の体験は関西の人だったので、事情は都会も田舎も同じでは? そういう印象が強い。いかにも初心そうな満島は、裸で妻夫木のケータイの中にだけ写っています。

 

つまり満島さん演じる佳乃が、善人である証明は何もないが、私はストーリーテーリングの犠牲ではないか。ト思ってしまう。たとえば深津絵里(馬込光代)と根本は同じ人ではないか?

 そういう疑いさえ生まれてしまう。物語と人物は簡単に両立するはずはなく、人物を掘り下げようとすると物語が停滞し、物語を進めると人物ははみ出してしまう……トそういうユエンです。以下次回。