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2011年8月

2011年8月31日 (水)

ロレンツォのオイル 映画

Roren 発症率は低いが克服困難な難病、ALDとは中枢神経系、脳・脊髄における脱髄と副腎不全を特徴とする遺伝病です。その患者家族を追った米映画が「ロレンツォのオイル」です。

 

「レナードの朝」などと共に医療映画、医師が観るべき作品と某サイトに推薦があったので観ました……私は医師かい? 推薦先が先だけにちょっとした先入観があって、医師を賛美した内容ではない。

 

実話で事実関係は仕方がない……と思いきや映画公開後も毀誉褒貶があったという。私の先入観も当たらずとも遠からず、そういう事になります。困ったものです。物語はこうです。

 

少年ロレンツォは、銀行員の父オーグスト・オドーネ(ニック・ノルティ)の転勤で、母ミケーラ(スーザン・サランドン)と共にワシントンに越してくる。

 

その3カ月後、学校でロレンツォの奇行が始まり、やがて家でも暴れる。夫妻はロレンツォを小児病院に連れて行くが、そこで副腎白質ジストロフィー(ALD)という遺伝性難病を告知される。

 

ALDはその当時、食事療法が行われていて、それが効かないのは見え見え……抗癌療法の新薬開発のような所があります。医師としては療法開発の順序として、ダメ押しのデータが欲しい。

 

オーグストはそんなデータ実験に付き合えない。患者会を巻き込んでひと悶着ある訳です。その後、ALD患者会では、同じような子供を抱えて親たちは一枚岩かいうと、そうでない。

 

ミケーラは子供をかかえて、寝ない食わないでロレンツォを守り通す姿勢です。いかにも辛い発作から、治すよりは楽に旅立たせたい言う親も多い。患者会のせつない現実に泣かされます。

 

単身孤立したオーグストに戦術はあるのか。思われる方があるでしょうが、孤立が怖くて病気は出来ません。医師図書館に立てこもり、論文を読みまくる。にわか学者になって仮説を立てて行く……ここがスゴイ。

 

ニック・ノルティさん見た事もない役柄で名演。スーザン・サランドンさんも髪振り乱す母という役柄を初めてこなします。夫婦喧嘩の演技合戦は全く、素晴らしい。

 

医師図書館に素人が入れるいうのは米国の面白いところです。ただ銀行員は庶民階級ではない。オーゲストが仕事を置いて動けるのはハイソであるから……特注オイルの注文を出せるのも金の力。

 

とはいえオーグストが、ミケーラにパズル解きと揶揄されながらもハッピーエンドに持って行きます。医師はむろん患者会と対立してもめげず、一人なすべきをなす。

 キュウリやトマトじゃいけません。この主体性は見習わなくてはいけません。書いたように治療薬「ロレンツォのオイル」は映画公開後も様々な毀誉褒貶があったという。

●きよほうへん 「誉」「褒」は、ほめるという意味。「毀」「貶」は、そしること。それぞれ同じ意味の語を2つ重ねて強調している。

2011年8月30日 (火)

ドリップバッグのコーヒー

Drippack_img_07ドリップ・バッグ式のコーヒーを頂きます。ドリップ・バッグはそのままカップに取付け、湯を注げばドリップ式コーヒーが出来る。1回きりの使い捨てドリッパーです。 

コーヒー会社がコーヒー豆を詰めてるのが主ですが、紙バッグだけでコーヒーを自前でつめるのもあるらしい。私の場合、もらったのはAGFマキシムとか、苦い方のブレンドです。

 

ネスとかマキシムとか、ブラジルやマンデリン種の豆を主体にすると必然的に苦味を生かして作ることになります。私が平生たてるコーヒーはコロンビアとかキリマンジャロとか、苦さだけでなく酸味を生かしたコーヒーです。

 

俗にアメリカンと言う。ちょっと前に流行ったコーヒーといえます。今はエスプレッソに近いようなコーヒーが流行っています。後味をよくしたいのかな。

 

私は頼まれて沢山、立てたことがあります。2時間で200杯という話でしたが、実際には1時間半で200のペースでした。その時、苦いのがイイか、酸味がったのがイイか。悩みました。

 

何度か行い結果として、その時はアメリカンと結論を得ました……今は違うのかも知れません。苦いのにした場合は、ある程度は砂糖も、特にミルクを入れないとマズくなる。

 

大量だてをやった時、アメリカンをストレートで飲むのが流行っていました。今はネスレがブライトの宣伝に、ミムラさんを使っています。「ブライトを2スプーン」入れろという物。

 

宣伝では驚くほど量入れてます。AGFマキシムもドリップ・バッグで立てたら、観念して2スプーン入れた方がおいしいです。ただネ。出して人に聞かれたのは、「ウチでもドリップ・バッグはもらうが……」

 

マキシム式の苦いのをアメリカンに出来ないか?

 

どうしても、マキシムをアメリカンに仕立てろトいうリクエストです。AGFなど出来ないこともない。ドリップ・バッグの大きさに余裕があれば……

 バッグに同量のコロンビアを加え、2人分の湯を通す。つまりポットに2人前をたてる荒業になります。それでも思うような味にはならない……ミルクを沢山いれた方がいいと私は思うのですが。

2011年8月29日 (月)

落とし穴

Otosiana この事件はTVがヒントだった可能性がある。あれは、とんねるずが出ていたから「みなさんのおかげです」フジ系列TVである。ユンボのような物を使うのか、番組では砂地に2m立方の巨大な穴を掘った。

 

落とし穴を被い隠し、木梨さんがタレントや芸人を呼び寄せる内容だ。馴染みのないタレントに声がかかる、喜んで現場に駆けつけると……タレントの穴に落ちる様を高感度カメラで追う。

 

期待と喜びに満ちる顔が、空しく穴に落ちていく顔を、視聴者は木梨さんと共に鑑賞する。優越感を楽しむと言ってもいいか? 少し趣味の悪い笑みを浮かべて……

 

身障者は人の目線を気にする。少し趣味の悪い笑みで見られている気がするからだ。馴染みのないタレントの場合は、それでも見られるチャンスを得られ、それは売れるための機会でもある。

 

私もむろん、視線が嫌だった時期があります。過去形です。古いトコロを恐縮だが、石原裕次郎がごく軽く足を引きずって歩いた。あれは後ろ姿を印象に残す演出でした。

 

友人が左手に包帯を巻いているので「怪我でもしたか」と聞くと、人目を引く演出、知り合いの女性にでも会ったら、話の切っかけにする魂胆だったらしい……それやこれやを知るうちに、私の場合は見られても苦ではなくなった。

 

もっと注目を浴びたい。そしてある種、自分をさらけ出したい。人にはそういう面もある。まして若い時は傾向が強い。TVの存在は若い人を一種のタレント化した現実がある。

 

TVが事件を生んだ。とんねるずが人を殺したと言うのではないが、二人の死は番組をマネた可能性はある。23才、二人の死は痛ましい。

 

●落とし穴:会社員と妻が砂に埋まり死亡 石川の大崎海岸

 http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110828k0000e040003000c.html

2011年8月28日 (日)

サイダー・ハウス・ルール 映画

Cider 「アメリカン・ビューティ」や「マトリックス」の出た99年作品です。日本で賛辞が集まった割にはアカデミーでは、低調だった作品です。原作のジョン・アーヴィングさんが脚色も兼ねます。

 

アーヴィングさんは「ガープの世界」「ホテル・ニューハンプシャー」が映画化されます。誤解を恐れず判りやすく言うと山本周五郎に各当する、ヒューマニズムの作風ト思います。

 

このサイダー・ハウス・ルールは産婦人科病院が舞台となる。それが孤児院を兼ねる設定から、主人公が若く教養小説の色あいはズバリ「赤ひげ」に似ています。

 

淀川長治さんが生きていたら絶賛しそうな、日本人好みの作風がある。私も基本的にそういう主張傾向にはあり、あえて角度を変えて書いてみようと思います。

 

マイケル・ケインさんが助演男優賞になっていますが、これが院長の赤ひげ役。カトリック系の運営委員会と対立するやり手、よくいえば現実主義、なぜか、わがままな所もある。

 

主人公ホーマーを気に入り、助手をさせる内に、卒業証書を偽造して大学を出たことにして次期院長にしたてようと考える……この滅茶苦茶なマンガのような進行は、実際には無理でしょう。

 

いやまてよ。日本ではその手の偽医者が知らん顔で診察をしていた話がありますなあ。手術の失敗もなく近所の評判がよく、発覚してみるとまあ、そういう話です。

 

私の爪水虫も皮膚科でなく別な病院に行き、治っちゃいましたから、似たような物かも知れません。そういう医師を、あのマイケル・ケインさんがやると説得力がある。

 

あなただって行きたくなるでしょう? だけどズルいよ。そうも言いたくなる。現実をナメてるいうか、厳しくいうと現実逃避の傾向にある。それはもっと意識した方がいいでしょう。

 

院長が人に好かれるのには、もう反面があって隠している。堕胎医の側面がある。死んだ胎児と思しきバケツの汚物を炉に燃やすシーンがあります。誰にでもある見られたくない反面で通せるか……

 

それから、どういう意味合いを持たせたか? 院長はエーテル中毒です。不眠症の奥に虚無的な面があって、それで運営委員会と反目する。ヒューマニズムじゃ通りません。

 

近所の慈恵病院が提案した赤ちゃんポストも、似たような問題です。育てられない親の現実と、自分の子は自分で育てるという社会の建前、矛盾の間で適切な答えは、今も出せてない。

 

現実事件では、院長が看護師と出来ていたり、そういう話はあります。よくある話の部分を割愛し、人聞きのいいきれいな話に仕上げるなあ、実際は困ったことになります。

 

慈恵病院は熊本市や、国の方針が出る思って、赤ちゃんポストを作ったと思います。しかし出なかった。誤算です……病院名が売れて患者が増えたから、経済的にはプラスになっている……ト思われます。

 

人は蓮田院長に感動はするが、赤ちゃんポストの現実を変えようとはしない。無関心にやり過ごす。ヒューマニズムじゃ社会は変りません。この映画に感動した人は多いが、そこは同じ事です。泣いて涙で流し去る。

 

アーヴィングさんも判っていて良し悪し両側を提示はするが、全体にはいい方を強調し、見る人を不快にさせず、作品を甘口に仕上げます。私もあなたもいい人ね、判ったらお泣きなさい。泣いていいですよト。

 そこに作者と観客の馴れ合いがある。それがルールのサイダー・ハウス・ルール……だからといって無論、私はアメリカン・ビューティやマトリックスを支持したい訳ではありません。

2011年8月27日 (土)

Wii の不思議なところ 3

Wii3 

Wiiを始めて4ヶ月を越えます。水泳は3年やらないと違いは出ませんでしたが、筋トレは3ヶ月で概ねの違いが出ました。人目はともかく自分で感じました。

 

Fitプラスもルックスには効果があったようです。自分では感じないがプールで他人に言われてます。今日で四人目、きっちとそうなのでしょう……認めたくない口調ですが自分で感じないとネエ。

 

BMI指数は2つ位、下がったと思います。前の数値を書いてなくてTVのCMの音無美紀子さんを抜いたのは覚えています。数値では男が、女性より簡単に下がります。

 

ただし浮きが悪くなり水泳は辛くなります。フォームの手直しというか、若干息継ぎのタイミングが変わるまで、数種間、一時的な困難はあります。超えてしまうとどうと言うことはない。

 

それはありますが私の場合、書いているように股関節の影響がすべてで、これに変化がない。人が言っているのは上半身、胸の筋肉のこと。私はルックスは?……年も年なので関心は薄まる一方です。

 

まあ勝手に考えて企画したこと。むしろ変化がないことを良しとすべきかも知れません。ただルックスに変化が出たのなら、内容にも変化が出て欲しい。企画の狙い目、思いからはどうしてもそうなる。

 

話の方向を違えて、たとえば目をつぶって立ってふらつかない。足ではなく三半規管からの左右のバランスは良くなっています。そういう意味で足元が確かになった。良かった事はあります。

 

これを具体的にいうと、以前に比べるとクルマの運転席から後ろが見える。見え易くなったような妙な感じがあります。視力自体は落ちていると思いますがネ。空間認識力は上がったのでしょう。

 週に3回ほどの使用から、4~5回の頻繁な使用に移りました。また3回それから2回と間遠くします。やり過ぎる傾向にあった時期から、水泳や筋トレとバランスを取り直して、現在に落ちつけた所ですネ。

2011年8月26日 (金)

WII の不思議なところ 2

Wii2 なぜWiiのスポーツシリーズがリハビリに効くか。その説明はない。全体については書けないが、フィットプラスだけについてなら私にも、少しだけ言う権利があるかも知れない。

 

フィット+は大きく分けて、ヨガ部分、トレーニング部分、ゲーム部分の3つで成り立つ。さらに腹筋に関してだけ絞ると、ヨガでいうと「腰掛けのポーズ」がある。

 

他にもあるかもしれないが、これが初歩的な腹筋の訓練になり、まず一回クリアできるのが重要です。説明は丁寧でやれば数値化されるので高い点数を取れるようになります。これを続けて二回する方法もある。

 

筋トレに同じような腹筋トレーニングに「ローイングスクワット」というのがある。どちらかと言うと、次はこれに取り組んだ方がいいです。効果内容が両者で若干、違うからです。

 

一般論としてヨガは持続力を鍛える。ポーズを取って深呼吸のようなゆっくりした息をする所に特色がある。筋トレはどちらかというと瞬発力を鍛える。

 

ポーズからポーズに動き、回数を取る点に重点がある。俊発力と持続力は裏表になる。双方を行う事で早く強化が進むと思われる。どちらか片方を二回やるよりは、双方を行うが一般的でしょう。

 

脱線していうと、高校の野球部や蹴球部が筋トレや水泳を取り込んでいるのは、この辺を意識化しての行動と思われます。スポーツには俊発持続だけでなくバランス、反射神経、ゲーム性なども必要とします。

 

腹筋に話をもどしゲームで部位を追求すると「スキージャンプ」が項目と思われます。本物のジャンプは危険なスポーツで、ちょっと試す訳には行きません。どれほどリアルかは別としてWiiは安易に試せます。

 

やれば面白い。ゲームとしてハマリます。「腰掛けのポーズ」「ローイングスクワット」をやった後で「スキージャンプ」にハマってもらうと腹筋には理想的に効くでしょう。そして実際の訓練、スポーツより多面的な効果が期待できます。

 

リハビリやトレーニングは辛く、面白くないものの代名詞のように言われた。これを初歩から正しく数値化して教え、昨日と比較させ効果もゲームとして視覚化する。むろん対象者にストレスをかけない。

 そういった快感に結びつけ習慣化させる……このソフトはダイエット効果を言うので、トレーニングやリハビリを意識した物ではないというのが不思議というか信じられません。

2011年8月25日 (木)

Wii の不思議なところ

Wii 

紙の「かけはし」にWiiの事を出そうト、思ったらいろいろと不足があるのに気がつきます。やれば役立つ面白いというだけでは伝わらないし、書いて置かなければならない部分もあります。それを今日は少しだけ。

 

Wiiとはニンテンドーのバーチャルゲームをいう。身体を動かして行うTVゲームの機械とソフトで、これが脳卒中を始めとする身体障害の機能回復に使えないかと考えた機関がある。

 

2007年に、カナダ・アルバータ州の作業療法士の1人が、脳卒中患者の衰弱や動作バランスの回復にWiiを使い始めた。126日記事によれば、オハイオ州の病院も同様の措置を取っており、アイデアは受け入れられつつある。(要約記載、以下も同じ) 

 

08年に、米サウスカロライナ大学では、運動能力を回復、また脳卒中発作への恐怖を克服するのに、Wiiその他のゲーム機がどれだけ役立つのか研究を開始した。

 

10年2月にカナダ・トロントのセントマイケルズ病院で、研究チームは、2か月ほど前に脳卒中で倒れた経験を持つ20人を対象に、マヒした腕を動かして運動機能を改善させる実験を行った。

 

Wiiは、脳卒中後のリハビリに安全性と可能性を満たし、運動機能の回復に有用な手段である。試験の結果を、10224日から26日まで米サンアントニオで開催された国際脳卒中会議で、カナダ・トロント大学St. Michael病院のGustavo Saposnik氏らが発表した。

 

Wiiについて07年の末あたりから、日本でも施設などで国外と同じような取り組みはある。それは施設管理者や高齢者、身障者個人など横の連絡による。研究実証の記事を日本では見ません。研究は国外が先行します。

 

ここに特徴があります。むろんWiiはニンテンドー、国内企業のバーチャルゲームです。それはカルトなまま現在に至ります。私が関心を持つのも2011年、今年始めに入ってから、早いとも言えません。

 なぜ一般に関心を持たれないのか……看護師や療法士の関心は横に伝わるが、タテに遡って医師や行政という風には伝わらない。私たちの社会はカナダや米国の社会と、そこに違う側面がある。今回、東日本震災や原発事故についても同じ事は言えます。

2011年8月24日 (水)

ヤマザキふんわり食パン カルピス

Karups ヤマサキふんわり食パン(カルピス)を食べました。さて私はどうやって食べたのでしょうか? 食パンを食うのに食べ方が問題になるなんて聞いたこともないが、うん、これは食べ方が問題です。

1作目はふんわり白い食パンというので話題になりました。焼くのが惜しくなる位に白い。2作目、甘い香りで実際に甘い食パン、メープルを出してきました。(当ブログ 11/7/13)
ただ白くはなくてシロップの色を連想させるべく薄く茶色かった。白くて甘くてふんわり感が欲しい……それで3作目のカルピスが出くる訳です。

経過から考えて食べ方は簡単……冷蔵庫から出して焼かないで食べる。夏場限定の商品でしょ。カルピスでしょ……何も付けてはいけません。

いえ別に、そう決まってる訳ではありません。甘い香りと仄かな甘さがある訳ですから、それを生かす食べ方となると自ずと決まります。だって、この暑いのにトースターなんてヤボでしょう。

私はトーストしません。バターだジャムだマーガリンだって、付けないと食べられませんか? これだけでもいいでしょう。薬味なしでソーメン食うみたいに、何もなしに食べるの……栄養不足ってアナタは太ってるじゃないですか? 失礼。

素材だけ、私はそれがヤマザキの提案と考えます。焼きたきゃ普通の食パンがあるでしょ? バター塗りたきゃ、それも他があるでしょ? 何もこの、ふんわりカルピスにする事ではない。

……私はそうして食べました。別に強制している訳ではない。確かに旅行行くのに枕持って行く人って、いますねえ。特定の枕でないと寝られないトカ言うんでしょ。

寝れなければ寝なけりゃいい、基本的に旅行ってそういうもんです。歯ブラシ持って歯磨き持って、タオルや洗面器まで持って行くとマンガになりますが……そういう人っています。

電気炊飯器みたいに、次から次に工夫をこらして、遠赤外線だの湯気が出ないのに買い換えて……トドのつまりがアルミのナベでガスで炊くみたいな話、あるじゃないですか?

その人の勝手ですけどヤボったいと思いませんか。旅先くらい、いい加減でもいいの。習慣から離れる旅であって、旅に持って行く物といえば最低限です。いえ、ただの旅、ただのパン。

牛乳だヨーグルトだいう前に、ミネラルウォーターだけ1枚だけのヤマサキふんわりカルピス、夏が終わる前に夏の食パン、食べてみませんか?

2011年8月22日 (月)

駅~情感のありか~

Eki_4

中森明菜さんの声は元々、低い傾向にはありました。それが年を負うごとに更に低くなる。声の成分の高音部が出ない、聞き取り難い所までに声が変わります。原因は何か、私は知りません。

時代も変わって、若く美しい声で歌詞を明瞭に聞かせる……そういう必要も必ずしも無い。崩した歌い方でもいい。その方がいい、アイドルだった中森さんもスキャンダルを乗り越え、ベテランとして歌っていく訳です。

少女Aの続きを新曲で歌う訳ではない。ベテランとしては目前の恋愛を距離を取って、大人の視線を持つという事になるのか……今回取り上げるのは「駅」

人中で昔の恋人を見かけるいう設定は、よく使われます。スクランブル交差点や、駅は人と人の交差が、人生そのものの交差のように映像的で面白い。駅は竹内まりあさんが、曲詞ともに書いていてます。前提は学生上がりの男女を設定しているらしい。

見覚えのあるレインコート……あなたはありませんか。今も言葉にならないほど苦い思い出、ありませんか。死ぬか生きるかと決断を、異性に迫った体験、ありませんか。内容にもよりますが、そういう事って、概ね子供っぽいのです。

出来れば学生時代に卒業して置きたいが、まあ、ねえ。そう簡単にもいかない。私はありあせんが、中年男が粋な浮気をするつもりで、抜き差しならない羽目になることも、あり得ます。

昨日の映画「愛を読むひと」はチェーホフの小説「犬を連れた奥さん」を下敷きにします。それが、そういう話です。そこからいうと、2年で恋愛沙汰と卒業なんて歌詞は、むしろ無理がある……そういう風にいえば、それはそうです。

まあしかし、2年前には迷惑かけたわね。ごめん……「駅」の詞はそういう趣旨でまとまっている。今もあなたを愛しているの……そういうニュアンスはない。そう歌わないと、この歌には独自性がない。

その歌を中森さんは、完全に今も愛してる歌にしてしまう。声がかすれ、聞き取れない歌いまわしだけで歌うから……この女性は今夜、男に電話するかも知れない。判りませんが……中森さんの人間性に合わさって感じられる。

不明瞭な詞はそういう意味で面白い。ポップスの歌と歌謡曲の歌では、一般にも意味が違い、それは詞だけでも判ります。情感の処理の仕方に、決まりがあるように、私は感じます。

ここでも、雨のやみかけた街に、ありふれた夜がやってくる。原詞はそして穏やかな風景になるのです。竹内さんの歌い方では、主人公はあたかも男を母親のように見送ります。

それが中森さんの歌い方だと、これは両家庭にはひと波乱があります。中森さんはこれを切っ掛けにもう一度、娘にもどって駄々をこねたそう……だから子供っぽいと私はいう。

たとえ年上でも、相手の親になって見下ろす愛がある。相手の胸元に飛びこんで懇願する愛もある……いや両極の愛を2つ持ってバランスを取るという事でしょうか。大人になれるいうのは、好みの問題とは、ちと違いますナ。

●竹内まりあ 駅 

http://www.youtube.com/watch?v=y2XZY9aCQO4

●中森明菜 駅

http://www.youtube.com/watch?v=EAMQE599Si4&feature=fvst

2011年8月21日 (日)

愛を読むひと 映画

Aiwo メロドラマのジャンルに属する。いや情感を重んずるか否か、人の生き方を問う。そこが主題なのでしょう。原作を書いたのはドイツ人、映画化権を買ったのは米国人です。

戦勝国が敗戦国のドラマを映画化すると、戦争内容も微妙に変わるのではないか。その前に語源の定義から……ドイツで劇で背景音楽を流し、客の感情に訴える手法が流行った。

フランスでも、感情を揺さぶる音楽を使用した無言劇「メロドラム(melodrame)」が流行した。このメロディとドラマの混成語をメロドラマというようになったそうです。

原作は日本でもよく売れた「朗読者」です。この原作が泉鏡花の義血狭血、舞台化映画化した時のタイトルを「滝の白糸」といいます。朗読者とよく似ています。

何が正しいか。相応しい量刑を決めるのが裁判なら、気持ちで決めてはいけない……最近の裁判は犯人に極刑をと言われがち、しかしもう一方で極刑を問われる裁判に、裁判員としての参加は避けたい。ひとつの矛盾が言われる。

社会的な義務、一社会人としての意見と、個人としての気分には矛盾があるという事。殺人犯に極刑を思う。その判決を下すのは誰でもいい、自分ではない他人に実行して欲しい。

広島長崎で、沢山の一般人が原爆で死んだり傷ついたりした。原爆を落とした米国人に、知って欲しいと思う。だが米国人は真珠湾の襲撃の卑怯で、それはチャラという。

真珠湾で何人死んで、広島長崎で何人死んだか……数を比較したらいい。原爆の死はどういう物か。その内容を知ってから、チャラかチャラでないか検討してほしい……いや、脱線しました。

最後の方で、主人公は加害者代行という事で、被害者代理である女性に会う。それは裁判の席でも何でもない平らな席です。ここはもうひとつの裁判という趣でおもしろい。

主人公は代理として人情に訴え、被害者はあくまで論理をかざす。つまり主人公の方が負けたように見える。なぜ、あんな酷いことが出来たのか……という女性の言葉が鮮烈です。

同じ言葉で問う資格は広島長崎の人々にもある。ただ映画と同じように日本人も人情に訴えるのが先、いうか。美学や感情の生き方をして来たように、私は思う。

道理が先か人情が先か、この事は冒頭メロドラマの語源に習って、音楽の例を使って再度、書いてみたい所。本日はこれまで。