« オイル交換2 | メイン | タイヤ交換 »

2011年6月18日 (土)

プールの底

Pulu

今日の水泳は1600mです。何もないと2000泳ぎますが用を足すのに足を使って、それで1600で迷い、結局止めてしまう。無理をしても明日に響く……それではリハビリにならない。

同じ距離を泳いでも日によって体は微妙に違い、違いを計算に入れて何時もに変える。そう、計算と言っても用の間の歩数を万歩計で測る訳ではない。自己管理といっても勘なのです。

自分の勘のよさを言うのではない……勘のいい人と悪い人といます。悪い人は本当に判らない。勘でつかめない分を考えます。考えて判るには勉強しなければならず、それはまた大変です。

結局、途中で棚上げして諦めると、無論、解決にはなりません。棚の上にいつもあって、何事があると「問題」として棚から落ちて来る。落ちる度に何度も考え直さなくてはならない。

それがうるさい。それで止める……これは何の話かというと泳ぐ話です。何メートル泳ぐか、泳げばいいかという話です。雨の日のプールには誰もいなくて、水中に自分の影がくっきり映る。

1500mから2000にかけての自分の体調、その輪郭が勘で判ります。判らない時もあります。隣のコースをビキニの水着で泳がれるというと途端に勘がつかめなくなり、私も考えてしまいます。考えるのはよくない。判らないのは更によくない。

1500で止めるか1600m泳ぐか? 1800は行とかないと今週はこれないトカ、2000を通常距離にしておきたいトカ……意欲というより変な上昇志向がジャマします。

例のチューブな人も、敵勢力に力がないのを知って最近、やたらと元気です。自分に力がないのは判っていたが、自分より更に敵に力がない。相対的に自分の力を信じられる。

私の場合も似ています。結局止めてしまうんです。リハにはならない事はしない……消極的な意味のリハになります。ズボラと紙一重だけどズボラにならない。

万歩計は歩数を計るのです。計った数字には普遍性があるように思えます。1600は明日も1600で、2000は昨日でも2000です。歩き過ぎて重たくなった足には普遍性がない。

何となく重たく昨日の重さとも明日の重さとも比較できない。比較できない物は宛てにはならず、棚に上げた問題同様、今にも落ちかかって見える。だが本当の人生は万歩計でも計れません。

生きている事は迷路、確かな数字を信じたくなる。その数字が明日に響く……それではリハビリになりません。プールの底に写った自分の影と対話して帰ります。

●影像は無断借用。

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blog.bbiq.jp/t/trackback/394232/26648924

プールの底を参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿