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2011年4月24日 (日)

靴のかかと

Hiru 死の対極にあるのが生であり、生々しい生とは性と重なってくる。岸洋子さんはその両極を知っていて絶望のように希望を歌い、希望のような死と連れ添った……らしい。自伝の中に「おまえさん」という一文があるが、これは連合いの意味ではない。

来生えつこさんの歌詞世界では、男女に微妙なズレがあって男の思いと女の想いは食違います。たとえば「夢の途中」で男は若い女性を見送ろうとする。年配らしい男は、ここに女性を引き留めることが出来ないと悟る……これはそういう光景になる。

男は悟るだけでは足りず、いつか私の所に帰っておいで……そう呟く。女性は希望という名の荷物を、若さに任せて軽々と背負い、ここを出て行く。希望とは、いつか絶望や失望に変っていく荷物になる……男はそう悟っている。

いや作者、来生えつこさんは女性、いつか若い男をこんな風に見送ったことがあるのかも……どちらにしろ来生さんは、こんな風に若い異性を見送る、年上の性を他の作品でも書いています。

私の事をいうと……見慣れた町の交差点が混雑して、私はクルマも止まって、前のタクシーから女性が降りようとします。ハイヒールの靴の踵が見え、すぐ女性と判るのですが……それが知り合いの女と判るのは……横顔が見える一瞬、あれは前と感じます。

手のひらに蘇る感触でもあるのか。そういう事には一種の予知能力が働くものなのか……男女とは不思議なものです。数年前の事が昨日のように蘇り、クルマのドアを開けて名前を呼びそうになる声を押し殺します。

……そういえば実存関係では、男女のことには否定的な一派もいました。カミユの小説で恋愛はあまり重要な意味を持たない。「明日に向かって撃て」では、はっきり同性愛的といわれました。木枯し紋次郎は女性に冷淡だし……何かあるのか?

異性や人生にあまりロマンチックな期待が残っている人は、まあ実存的にならないのか。三島由紀夫さんが亡くなった時に……ああ、あの人は今で言う筋トレをしていました。何か目的があっての筋トレではなく、写真集出したかったトカ。

そういう感じですねえ。水泳では水泳中毒とかスイマーズ・ハイとか、それ自体に牽引力がある。球技には勝敗という牽引力がある。筋トレにはないと思いますよ。日常生活には役に立たないし、せいぜい筋肉を誰かに見てもらう、ナルシズムくらいの牽引力しかない。

ハイでも勝敗でもナルシズムでも、どれでもいいと思うのです。質の違い性格の違いはあるものの、牽引力は働くから、それを計算に入れて現実に折合いをつけていけばいい。パートナーの意味は薄れるのかもしれません。

死の対極とか、私も観念的なことを言ってます。私のような60代ではない、40才前後でデイトよりは水泳に行ったがいい、言う人もタマにはいるようです。20代のインストラクターは「サッカーとデイトは並行すべき」とか言っていました。

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