« 車椅子で夜明けのコーヒー 小山内美智子 | メイン | 水の確保は,してあります »

2011年4月26日 (火)

あの頃、95年に

Windows95別にパソコンやインタ^ネットの話ではありませんが、今日は95年くらいの昨日の続きです。

95年といえば永沢さんの「AV女優」が書かれた位のころです。AV女優でその頃の意識を追うと「しょせんセックスでは心は充たされないんでしょうか」とか「自分っていう人間がいたことを、どこかの誰かにいつまでも覚えておいて欲しい」

そういったタイトルでインタビュー集は出来あがっています。永沢光雄さんはAVを通し、性への意識を通し、女性の行き方や人間に迫る。永沢さんも続編では、その辺の迫力はトーンダウンしたいう話です……私は読んでなく、いつか読みたいです。

クルマ降り去って行くのか靴のかかと……人は過ぎ、時は流れて私は残る。小山内さんは愛息に介護されて、今を生きておられる……性とは何か、身障者への理解や、社会化への主張として見た時、このAV女優に出てくる女性にはかなわない。

介護の男と出来ちゃったら、まあそれだけの事でしょう。いい訳でも悪い訳でもなく、それだけ……性体験もある程度は美人でないと出来ないようです。まあ不必要に太ったら、それが可能性として少なくなる。

不細工な女の子がメガネを外したら、相思相愛の恋に落ちる、あれはドラマや映画の中のこと。身障者は不細工少女よりも、さらにモテません。恋に落ちるには落ちるなりの資格もいりますなあ。悪いが小山内さんにも、それは少なかったらしい。

手帳のあるなしより身障者には、小山内さんも実験されて判ったように重度には、物理的に体位が組みづらい言う問題がある。ソープに通いなれたと自称する年配身障者は、さらりと言います。

「オレが何もしきらん。アイツが何もしきらん……二人では何も出来んテイ」

私は思うのです。もともと道徳的にどうこう、常識に照らしてどうこういう話ではない。ロマンティックの判る判らないの話でもない……晩飯を作り、洗濯や掃除をどうするか。それに重なってく話ではないのか? それで介護的、要素がからむ。メガネをはずすように障害をはずす訳にはいきません。

「障害者イズム」の日原一郎さんがCP障害と施設出身で、結婚を自立の動機として上げます。結婚を性の体験に置換え、さらにソープに置き換えれば、重度身障者のいう自立はいとも簡単に見えてしまう。

むろん私はそれでいいトいうのではない。健常者のように身障者は簡単に性を体験できない……現にそうなんだろうけど、そこで身障者は性を幻想化してないか? 介護の性は、にわかに一般化は出来ません。 

AVを借りたいが……と言っていた女性身障者の声が、そうすると別なリアリティを持って来ます。結婚を難しいことと考え、性体験も難しいと考え、それでも起こる衝動をAVで解決しようとする。

恋に落ちる資格がない者、かつてはあったが今なくなった者も含め恋愛小説を読む。この場合は仏小説ではなくハーレクイン・ロマンスです。ド・ラクロやスタンダールではありません。

ついでながら「こんな夜更けにバナナかよ」のシカノさんが公然と見ていたAVを思い出して下さい。衝動の管理化いう意味に置けば、自慰も恋愛もそれほど違うものではない……私はそういう風に考えます。

そう理解すると小山内さんの書いている事にも、半ばの理解が行く。「セックスで心を充たしたい」と考える、それなら小山内さんの主張はAV女優の女性にピタリ重なります。でも小山内さんは、こういう女性の水準と同じには考えたくないのだと思う。

同じではないのだけれど整理して一般化していけば、問題はかなりの程度が重なっていく。95年からの数年は、そういう時期だったのかも知れません。

「自分がいたことを、いつまでも覚えておいて欲しい」から恋愛するのでしょう。過ぎた時間は何もなかったに等しい、実存の考え方とは違うが、それは私にも理解できます。

●AV女優 永沢光雄 6・12・5に書いています。(95年は雑誌発表で単行本化、文庫化は後)

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blog.bbiq.jp/t/trackback/394232/26370315

あの頃、95年にを参照しているブログ:

コメント

もう読みました いいですね

遅いコメでごめんなさい。

コメントを投稿