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2011年1月

2011年1月20日 (木)

和田勉さん

Wada

和田勉2011年1月14日に食道上皮がんのため神奈川県川崎市の老人福祉施設で死去。80歳没。なお、がんと診断されたが手術や延命治療を行わず、約3年間病院や老人福祉施設で闘病生活を行っていた。以上はウィキペディアから。

クローズアップを多用したカメラワークに特色があって、人物の表情、感情を視聴者に確実に伝えた。ドラマは映画と比べると主観的、判り易い内容にはなった。しかしNHKを止めた後の作品、映画監督作品では上手くいかなかった。

映画は判り易さだけでは出来ない。手法は客観的真実、深い意味の表現につながらなかった。ドラマ「修羅のごとく」は評価と不評の分け目にあり、視聴率は高かったが内容には矛盾があったという。

「修羅のごとく」の矛盾は脚本段階からで、主演俳優が途中で降りたとも言われる。タレント、コメンテーターとしても活躍。熊本市の風景は空港に向う道路、唐人町の三角美術店、熊本城の石垣が三大と言った。写真は89年前後。

2011年1月19日 (水)

福祉機器 補聴器など

Femimitop600

年齢にともない耳も悪くなっていきます。健常者にも、そういう人はある。久々に会うと大声で話をされる……本人があまり自覚されていないようです。補聴器も器機として良くはなっているが、

「私はまだヨカ」と言われる。

それが客観的にあまりよくない。話をよく聞いて戴けない。内容が伝わらない節がある。話の内容はファックスを使いたいと言われる。

――ファックスは、もう流行らない。

そう申し上げても聞いて戴けない。

パソコンやケータイが主流になって、ファックスを使う人もないではないが、数が少なくなります。相手が持ってないとファックス通信は出来ません。その辺の事情は確信犯めいたところもあるようで、ファックスに執心される。

やがて理由が判る。市役所がまだファックスを福祉機器としています。それを取りたい意向と思われます。確かにパソコンやケータイは聴覚の福祉枠では取れない……いえ取れない場合が多い。

機械類は基本的に不信というか、ケータイもお好きではないらしい。本格的な補聴器をする前に、集音器という補聴器に似た機械で馴染んでおいた方がいい場合もあります。

私は前に集音器を使っていた事があります。今そういうのはないか? 雑誌にフェミミという音声増幅器のCMが出ています。メーカーがPIONEERという、知名度がありいいらしい。

……らしいは無責任ですが、電話をPIONEERに変えて驚いた。それまでの電話器と違う。声の表情が手に取るように判る。ネットでの評判もこれに等しい。PIONEERが高感度高性能というのなら、信じていい……これでも、まだ無責任かも知れないが。

それなりに私は集音器を使いました。次第に音が割れてきて、長くは使えなかったが……この高齢者は、そういうのも嫌いという事なのか? それ以上のコミュニケーションは取れません。難聴は人を頑なにします。

人はそれぞれに自由であり、また勝手なのです。雑誌のフェミミは3万円で、どうも同じ物がネットでは2万円です……本格的な補聴器はもっともっと高い。その後、私が補聴器を買わないように、その高齢者は集音器を買わないのでしょうか?

市役所のファックス支給もどうかと思います。杖の支給もそう思います。現実にダイソーに200円杖は長さの調整が早くて、丈夫に出来ています……人に紹介すると喜ばれます。

ただし200円杖にも好みがありまして嫌いという人は、これもあります。同じダイソーに花柄の700円杖がありまして、それがいいという女性がある……市役所で取れるのは1万円のブ太いの。

経費節減のおりに200円の自腹で済む事に、何で1万円の税金使うか? ……言っちゃいけない? 昨日は薬代で苦しむ人を書いたから、バランス取りたいと思って節約も書いてますが、コレいけないの?

PIONEERファミミは福祉機器でも取れるか、未確認です。

2011年1月18日 (火)

家族が楽になる

69_ir022 薬品は厚生省の許可がないと使えません。外国なら使えるが日本に生まれたために使えない。因果なことになぜか厚生省の判断は遅く、国外の基準とは違います。

で、次に問題になるのは薬の価格です。月額数万円というのは、まあ想定できる数字ですが、その範囲を越えて月額数十万円という薬があるそうです。(慢性骨髄性白血病に使うグリペックなど)

読売新聞の記事「私が死ねば、家族が楽になる」によると薬は効いたものの、飲み続けなければならないプレッシャーに、患者がウツになってしまった例が上がっています。

薬で命をつないだ私としては、確かに理解は出来ます。しかし国民保険を前提にするとですが、高額医療費助成対象にならないのだろうか? 身障者相談員としては疑問がわいて来ます。

すでに数十万円の大部分が援助され、月額4万円が自費となります。(収入でも違う)この4万円に無理を感じる人があり、NPO会などが更に援助で半額にと寄付を募る動きにあります。

金の切れ目が縁の切れ目という言葉はありますが、金の切れ目が命の切れ目という現実は、残念ながらあるようです。

2011年1月17日 (月)

メガネを変えました

Photo

その理由は古くなってレンズ度が合わない。長く使って、ついにという感じです。私は基本的にコンタクトレンズを甘々に合わせて、これで基本的な近場から対応します。

近視と老眼、さらに少し乱視があります。コンタクトを遠くに合わせると近くが見えない。それで近くに合わせて基本を確保、遠くを見るにはメガネで度を加えます。

これが合理的な方法なのでお勧めです。いや誰でもやっているのかも知れません……両方をメガネで架け替える人がいます。架け替えは不便なのでしょう! 手術を思う人があります。

最近は老眼手術が出来るそうです。アキュフォーカスといって片目にリングを入れると見え易くなる。これは終世、完全に見えるようになる訳ではない。ケースバイケースという点でもあります。

なぜ手術か、リスクを問わない。どうしてもメガネを架けたくない……そういう事だろうと思います。無理には止めませんが、ところが最近、メガネ人に周囲は好意的というデータも出ています。

就活の面接時にメガネをかけると好印象」というニュースです。この記事によると面接官の33%がメガネの人は専門知識がありそうと見て、少なくとも43%が知的には見えると答えます。

私は今さらとも思います……悪くいうと面接官の感性が古い。何が何でもメガネを嫌うという感性も、はや新しくない。ただ、そう見られる事実を知り、自信を持てれば、面接官からの受け答えには積極性や落ち着きが出る……そういう反応も出来ます。

メガネかけてもコンタクトにしても、生きたいように生きればそれでいい。他人にとやかく言われる筋合いではないのですが、他人の見る目も気にはなる。就活しなくてもそれはそうでしょう。

それで私はクルマ用と自室用にと、同じ度数のメガネを2つ作りました。それで終わりかというと、コンタクト外した時にと、別な度数で、もう一つ合計3本作ります。

これだけ作ると財布が軽くなります。ですが最近のメガネは昔ほど高くないのです。どこへ行っても1本が大体、5000円台ですよねえ。私はケチで3000円台を探しました。

最初の2本はコンタクトの上から使うので度数がいらなくて、フレーム込み3000円台で済みます。後の一本は度の強いレンズを使って3000円アップですって残念!(笑)

フレームは全く同じデザインを色違いで使います。度の違う見分け、壊れてからのバックアップにも使うつもりです。ただ3000円はさすがにいいフレームがありませんねえ。

流行としては冒頭画像のような、なつかしの黒セルですが適当な所で妥協する。妥協の中からゴマカシ、いやゴマカシを逆手に取る? どんなフレームを選んだかは企業秘密。リクエストがあっても教えません。

2011年1月16日 (日)

お菓子なこと

Tyoumi_2  正月向けに作られた、子供用のお菓子の賞味期限が今時分に切れかける。これらのお菓子が一斉にスーパーなどでバーゲン扱い特価品トなります。そのお菓子を面白半分で買って来ます。いろいろある中で、たとえばコレ。

これは中国生産の野菜クラッカーです。イミテーション、純正前田のクラッカーほど美味しくないにしても、まあそこそこは美味しい。子供向けに塩味はうすいが、そのせいで味の秘密が明晰となる。

この製品には合成調味料が過剰に入っています。言うまでもなく合成調味料とはグルタミン酸など、昆布の旨みなどアミノ酸です。お菓子に昆布を山ほど使うと採算に合わないが、合成のアミノ酸、グルタミン酸なら採算が合う。

簡単に美味しいものを作るには合成調味料を大量に使うといいのです。私は料理に合成調味料をいっさい使わないので、合成調味料には敏感です。少し入れただけで一発検知します。

どうぞ、人間探知機と呼んで下さい……冗談はともかく、こういうお菓子を毎日食べると、子供達はお母さんが作った料理が美味しくなくなるでしょうネ。

お母さんは家では合成調味料を使わないようにしているト思うのです。しかし国外生産のお菓子に大量に入っている。国内生産のお菓子には判らない程度に入っているのか?

私も全部、味見した訳ではありませんが、作られたお惣菜には全部、合成調味料が入っているとも言われます。チーズというような商品も明らかにそうです。国内で作る分にはアミノ酸は入れませんが、輸入チーズを何パーセントか使います。

その輸入分のチーズに入った所の成分表は開示されない。未開示分に合成調味料を使えば、消費者には判りません。国産100%でアミノ酸の入らないチーズは最近なくなりましたよね。

中華料理など外食にも合成調味料は付物となっています。チャーハンが美味いのは、家よりはコックの腕がいいのではなく、グルタミン酸の使い方が多いだけ、だけなのかも知れません。

……ここまで読まれてアミノ酸、グルタミン酸が悪いような前提……書いたと思われても困ります。実はグルタミン酸はスポーツや筋トレには必需の栄養素と言われていて、合成調味料は健康に悪とも言い切れない。

関心の向きはお調べ下さい。賛成と反対の両論があります……私は62才老人で筋力減退が問題としては先行する。少々の害があったとしても摂って筋肉の足しに、介護を減らすが善……そういう立場と考えます。

グルタミン酸プラスの水分補給は関節ながら筋肉減退にも効く。つまり老化対策にもなると思われます。端的にいえば子供の食べ残したクラッカーは、お祖母ちゃんの茶菓子に上げるというと合理的に消費出来ます。

屁理屈のようで屁理屈ではありません。バーゲンのお菓子もこのように使えない訳ではない……ただし使用時は十分な水分補給が大事です。

2011年1月15日 (土)

カムバック

Date

松岡修造さんがクルム伊達公子さんにインタビューしました。放送は「報道ステーション」の月曜日1月10日になります……途中で松岡さんが涙をこぼす場面があります。その意味を追いました。

松岡さんは伊達ファンとして知られる。カンバックの意味をインタビューに問うのですが「優勝を狙うのか」の趣旨に、伊達さんは笑って答える。優勝を狙える選手層には巾がある。

伊達さんは優勝を狙える層として下位にある。とても優勝をとは言えない位置という……意味の事を松岡さんに語るのです。つまり挑戦者としては劣っているという。

伊達プレーの特色は、相手の動きの予測にあります。相手の姿勢や目線から次の動きを読み解き、先んずる。その能力は松岡さんが驚くほど優れる。能力とは若さや体力だけではないのです。

今は挑戦者の、その圏内にある事自体が目標という。挑戦者であり続けることが今は面白く楽しいともいう。伊達さんの表情はあっけらかんと笑顔です……松岡さんはそこで急に表情を曇らせ、涙を流す。

私は前のシーンからもう一度見たいト思う。しかしビデオは採っていません。県総合体育館のスタッフでテニスに詳しい人はないか? そして体育館のザ・テニスさんに聞きました。

――見てませんか?

「見てました」

松岡修造さんも伊達公子さんも世界レベルではあったが、どちらも一度も優勝は出来ないで引退します。ほぼ同じ立場に立った事があり一方は再チャレンジ、一方はそのファンとなった訳です。

優勝を狙えない者がなぜ挑戦するか。挑戦者として圏内にあれば間違っての優勝もゼロではない。そこに狙いがあるか? だが伊達さんは書いたように笑って否定した。

「あの年で楽でないでしょう。辛さを松岡さんは知っているから泣いたと思う」意味の事をザ・テニスさんはいう。挑戦者としての圏内あるには練習しなければならない。テニスの練習は辛いという。

番組では古館アナが「松岡さんもチャレンジする」という。

「私は」と松岡さんは逃げる……誰でも出来る事ではない。最重要ではないが、むろん体質やコンデションもあります。周囲も松岡さんのように好意的な人ばかりではない。

そもそも地位や名誉の為のスポーツとは限らない。老練の読解力が若い体力を上回る時ことも、絶対ないとは言えない。そうだとすればクルム伊達公子が狙うものとは?

(画像、カムバック後、2年で体型も変わったという)

毎回、このブログを読まれている方は、私には目論見があって取材に行ったと思われるでしょう? それは正しい。スポーツはある意味で屈託している。その屈託を書き出せれば……また日を改めましょうか? 本日はここまで。

●1・21に続きを書きました。

2011年1月14日 (金)

TAZYOMARU 映画

Tazyo

芥川龍之介の小説「藪の中」原作の映画といえば、当然、黒沢監督の「羅生門」が出てきます……だが羅生門とは関係のない映画TAJOMARU』は市川森一さん他の脚本です。藪の中の主要人物をタイトルにした、この映画とは?

羅生門と何が違うのか。まず畠山家の長男信綱を襲い、家臣桜丸は殺してしまう。すると畑山家にお家騒動が勃発します。次男直光は、兄の嫁になるはずの阿古姫と仲がよく(映像)これで合法的に婿に立候補できる事にもなる。

そればかりか畠山家の後取りになり、将軍足利義政の直属となるポジションを得る可能性が出てきます。それに阿古の隠し財産をめぐる争奪戦がある。桜丸や信綱を蹴落とし、果たして主人公直光はすべてを得られるか?

畠山家の両親は出て来ない。将軍義政は3人のうち誰が畑山家をついでも知らぬ素振り、物語世界はいわゆる映画ではなくゲームの構成になっています。その主人公を、あの小栗旬さんが演じます。

時代劇の世界には大抵おかしな所があるモノです。かなり前の時代劇「五弁の椿」は山本周五郎の原作ですが、主人公は大棚のお譲さんになります。美形と肉体をエサに、父の仇を討つという筋立てになります。(ほぼ同時期に見た)

基本的にはよく似ています。次男の主人公は家を兄が継ぐのに表面は賛成ですが、気付かない内心ではそうではない。実行の口火を切るのは兄弟同然の家来、桜丸になります。

「五弁の椿」お譲さんの養父は苦労人で、実父は遊人という設定になります。山本周五郎という人は表面では大衆に理解を示す……素朴なる社会主義者でした。むろん黒沢監督にもそういう所はあります。

主人公も内心では阿古も、阿古の持つ財宝も欲しい。しかし表面をキレイ事でかたづける。内面の心を認めようとしない。ある種の都合のよさ、それでは周囲が困ってしまう。最初に阿古の身体を奪ってしまうのは長男の道兼です。

それは次男の直光も阿古を欲しがっていたから、兄にもその内心が見えたからでしょう。阿古は「直光に原因がある」ト謎のような言葉を残し消えてしまう。

大棚の店主と雇人の身分の違いが悪いのか? 主人公は美形で、一般は美形ではない。世の中は元々が不公平です。あなたは健常者で私は身障者……でもそれは仕方がない。どこをどういじっても同じにはなりません。

人間は弱いが、困難や巨大な目的を前にすると力を合わせます。そうして自分の限界を越える。自分だけが特別と思う人は、自分の限界を超えられない。仲良くすることには意味がある。

復讐や喧嘩、先制攻撃には意味がない。直光が、兄や桜丸、阿古とも仲良く生きられる世界を望むとすればキレイ事でない、本心の折合いを付けなければなりません。そうでないとすれば誰一人、信じられず、疑心暗鬼に追いやられる。

2011年1月13日 (木)

ダイエット・マッサージ

Momida

CMのダイエットを見るとスゴイ。脂肪をマッサージで揉み出し、外側から消費しようという。エステとの組み合わせは短時間での効果が上がるという……うーん、女性だけの世界と思いそうになったが……そうでもないのです。

男も高齢になるとマッサージに関心を持つ。まず数万円のマッサージチェアを買い込みます。そして海外に行くと2時間のマッサージ姉ちゃんに頼み、身体を跨られ徹底的に揉まれるという。ただ目的がダイエットではない……

怪しい動機をいう人もあるが、80代の共感があるようなので怪しいだけの動機でもないようです。この辺の見方は難しいが、本人は安いからといいます。300円とか500円とか、物価の差が露骨に出ているとか……嘘かホントかは私、知りません。

プールで知らない人と話していると、そんな話になったりする。私のより悪い側の腰は、ややよい方の腰より脂肪が厚い。知らない異国のネーちゃんに揉んでもらうと軽くなるのか? ただし私は障害の関係で飛行機には乗れません。

自分の腰の脂肪をつまんで、太った人はいわば身障者のようなモノかとも思う。太った人を理解した事になるのか……ポッコリお腹は、筋トレでいうとアブドミナルという運動が効く。シロウト判断でなく、インストラクターに聞いて事のウラを取ります。

簡単にいうと腹筋です。ややこしい話はしないで飛行機にも乗らないでタタミに寝て腹筋をやれば、お腹は凹む。

「腹筋だけというのは……」インストラクターは単純ではないト言いたげに口ごもります。

実は腹筋だけではない事情もすでに知っている。いつもの通りアブドミナル20回やって席を移ろうとしたら、胃痙攣のようにつって……胃がつったのではなく、胃の横の筋肉がつる。つった時もインストラクターに笑われました。

判ってる証拠にと話をしたら、また笑われました。お腹がぽっこりしてるという事は、お腹以外にも脂肪が付いている。見え易い場所がお腹に過ぎない。見えない背中やお尻のタルミを棚に上げ、お腹だけいうのは……お笑い草なのです。

笑われたのは私ではなく、貴方と解釈すべきです。それにしてもそのお腹は何とかすべきです。発展途上国のネーちゃんに2時間も、揉まれている場合ではなく、貴方がネーちゃんを揉んだ方が、はるかにダイエットにはなるが……

プールでの話はそういう展開に一度もならない。

2011年1月12日 (水)

冗談か本気か 2

自分が大事なのは誰でも同じでしょうが、それにしてもオクビョウすぎてト首を傾げます。とある政治評論家の評論を読んでナルホドと肯いてしまうト……人事のように書きますが、私もそういう所はあります。

別なある評論家の談話を聞いて、またナルホドとうなずいてしまう。繰り返します。他人でなく私、そういう私がいる……政治イデオロギーでいうと、最初の評論家は右派であり後者は左派、保守リベラルの両方に共感したのでは自分の立場はなくなってしまう。

間違いたくないという思いが強すぎると自己が消えてしまう……具体的にいきましょう。田母神さんを読んで、田原さんの話を聞いているとそうです。政治イデオロギーでなく分野を変えても、これはあります。

牛の病気が流行すると牛肉を食べが怖くなり、豚やニワトリの病気が流行するとトンカツや手羽元を食べるのが嫌になる。何となくマグロが不安になり、ウナギも怖くなる。魚全体への食欲が減退する。それで去年は食べるラー油が流行ったと思う。

自分を持つと判断を間違えるのが怖い。それで多数派の意見を取り込もうとする。あるいは極端な2つの意見を折衷する。大勢と同じでなければ心配です、どこにも居場所のない人なる。そうでなければ物事を知る事そのものが嫌になる。

しかし食べるラー油だけで完結するなら、それもいいが、食べるラー油は香辛料なので何にでも使えるが……ただ炭水化物を多く消費して栄養は偏る。太るんです。つまり食品を好きと嫌いの2種に分け、好きなものだけ食べ、それで幸せになる生き方は、無理がある。

自民党時代にも保守リベラルの同居という現象自体はあって、民主党に入ってから顕著になった。党派と関係なく矛盾するイデオロギーを抱え込み、その意識化が明瞭でない。考えるとノイローゼいうよりは認知症状に近くなってしまう。食べ物だけでもないんですよ。

クルマもそうですね。エコロジーの軸で見ると4~5人乗りのハイブリッドいうのは保守的な生き方を象徴します。2人乗りの電気、ないしはシェアウェアのクルマがリベラルな生き方になる……低燃費の軽、ないしはコンパクト車が、いわば中道になりますか?

今年はまだ4人乗りにするか? いつから2人乗りにするか? クルマを持つ人は、車検の度に悩まなくてはならないでしょう。いえ日常茶飯にクルマに乗る度に、大袈裟にいえば四六時中悩み、安心できる時がなくなる。

肉も魚も、両方食べない訳にはいきません。それで食べるラー油をかけて肉や魚の存在感を消してしまう。辛味で食感を消す、食べ物に伴い問題のあることを消してしまう。そういう意味では柚子こしょうも、食べるラー油と同じ系列にあります。

するとお気楽とは判断しない事。いつも他人の顔をのぞいて多数派に属する。空気を読んで判断はしない……間違っているようですがそういう風に自分を捨てる。挫折しないためには判断もしない。そんな生き方が流行っているのです。

冗談か本気か 1

桐野さんチの犬が死んだそうです。桐野さんチの犬は最近、下半身不随となって犬用車椅子を作ったが、それでも長く持たなかったらしい。桐野さんは……桐野さんとは作家の桐野夏生さんの事ですが、読後感は犬猫の飼育とは結びつかなかった。

もっともどんな人でも犬を飼う。太ったトレーナーのオジサンが犬を連れて散歩に行く……あれが事務所の親指と、知り合いが人を差し声を潜めます。何の事かと思えば××企画という町の嫌われ事務所の親指のことでした。

トレーナー氏はちょっと見、経済ジャーナリストの財部誠一さんに似ている。財部さんより一回り、二回りは太く、ということは完全無欠のメタボ体質です。本物の財部さんも犬を飼います。どうでもいいのですが犬種はトイプードルという。

私は犬を飼いません。猫も兎も飼いません……ましてやマニキュアをしてエステに通う動物は……飼いません。持て余すほどの愛がないのか? 乾くほどの心がないのか……せいぜいがプラグに使うイリジウムをクルマに貢ぐ所でしょう。

何だか今日は文体が違いますねえ。書き出しに桐野さんを出したので文章がねじれているのか。ちなみにハードボイルドとは即物的に書いていって、あまり感情表現を挟まない文章スタイルを言いますが、これはハードというのでもない。

動物を飼わないでクルマを動物に見立てて手を入れる。それも動物を飼うのと似たようなモノですが、違うと自分に言い聞かせ、どこかに向けて気取るだけかも知れません。ツタヤでシェアウェア車の説明DVDを借りてきました。

クルマもシェアウェアにすれば点火プラグも変えることは出来ない。税金も駐車代もガソリン代もいらない。ツタヤはコンパクトカーの利用で、ショッピング使用で9600円対7300円、レジャー使用では22600円対73000円とのプランを見せる。

このシュミレーションプランを鵜呑みには出来ないが、生き方を変えると物事は安く上がり、クルマのどこに基準を置いてるのかト問いかけます。犬を飼うかクルマに乗るか、女性と居るか子供と暮らすか……

それは、それぞれの勝手でクチバシを挟む気は、私にはありません。つまり私がクチバシを挟まない以上は、そちらでも挟まないで欲しい……というメッセージになります。いや予定調和では入る言葉にはなるのですが、この辺りがチト難しい。

固執は個人の勝手のように見え、個人の周囲を縛り社会をも縛る。そういう面があります。多数派は社会性の名目を掲げ、少数派を圧する場合もありうる。その意味では多数が正しい訳ではない。

世の移りとしては「クチバシを入れるな」から「クチバシを入れ合おう」の流れにはある。猫も杓子も犬を飼うという流れは、そういう意味がある……だからといって猫が散歩に、犬を連れて歩く事はありません。(以下次回)