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2010年12月30日 (木)

受容

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知り合いのお父さんが亡くなられ、残った兄弟がややこしいのです。ややこしくなるのは判っていて、お父さんは何も言い残しませんでした。死因が何か、どういう事情か……ここに書く訳にも行かないのです。

でまた週刊新潮の49号を出します。記事のタイトルは「有名女優の介護日誌」です。まずは磯村みどりさんが出られます。ボケたお父さんを立てるとあり、実の親で当り前と言われる。ただ磯村さんトコは症状が軽く、内容にも罪がない……当り前とも、いっていられる状態です。

荒木由美子さんの場合は違う。「私はご飯食べたかな?」というお母さん。嫁が「食べさせてくれない」の意味合いがあります。宅配便が来ただけで「由美ちゃんに男がいる」お母さんが言い出す。どうも心の底で、嫁の由美子さんを受け入れていないのです。

敵意といっては何ですが、時々不安を表明される。このあたりから老いの現実、問題点が見えて来ます。そしてだんだん当り前とも済まなくなる。先が見えなくなり気が狂いそうになる……と荒木さんも自身を表記されます。

なぜ悪い方にボケるのか? なぜ兄弟のためにお父さんは遺書やエンディングノートも残して行かなかったか。話は、そうつながります。介護日誌3つ目のケースは、坪内ミキ子さん70才。亡くなられたお母さんは86才でした。

転んだのを切っ掛けに寝たきりに、しかし「体ではなく心の傷で殻に閉じこもってしまった」と坪内さんはいわれる。坪内さんが夜は隣部屋に泊まるが「オシッコ」と起こされる。それだけではなく枕がずれた。「もう一度、布団を押さえてくれ」坪内さんは5分置きに起こされます。

寝られない、それで夜だけでもオムツにしてと頼むが、「それだけはやめて」とお母さんに固く断わられる。繰り返します、お母さんは心を病んだ。その時は理由も判らないが、今となればト坪内さんはいいます。

夜に限って手を取る理由、私から簡単にいうと死への不安です。年を取ると不安がなくなる訳ではない。体が悪くなり年齢がいくほどに、死は具体的なものとなる。私は11才で病院暮らしを経験します。死とも馴染みますが、誰でもそうはいかない。

いい年をして注射が怖い人もあれば、やっぱり死が怖い人もいます。体調が悪くなるほど、やたら旅行に行きたがる言う症状の原因に、これがあるかも知れません。不可解な行動の、原因のひとつになります。

死が迫れば迫るほど、兄弟のお父さんは遺書やエンディングノートを作ろうとしません。受容できない人にも最後はそれでも来る。判れば判るほど、自分の死と折り合えない。その思いはお父さんにも強かったのではないか?

お父さんが亡くなった後、兄弟は家をどう分け合うか? 今も悩み続けます……あなた、ご両親はご存命ですか。ご両親はご意見、今後について文書で残されてますか?

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コメント


いいblogですね
読んでしまいました
ありがとう

来年もよろしく。

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