« 腰割りと身障者 | メイン | 障害の進行、年齢の進行 »

2010年11月22日 (月)

デイ・オブ・ザ・デッド 映画

Dayofこの映画は「死霊のえじき」(85)のストーリーを再構築したゾンビ物の新作という振れ込みで、しかしウソです(笑)真っ赤な嘘、こんなんネタばらしてイイのか? どういう風に嘘かを書かなければ、いいのでは?

デイ・オブ・ザ・デッドを検索し、評判を見ましたが書いてない。筆者たちは単純にゾンビ物として見られたのか。判ったけれど書かないのか判りません。それでそのネタはここまで、もう書きません。……ゾンビ物は死が怖いという話です。

誰でも死にます。どう長生きしてみても結局は死ぬ、無闇な恐れがある限り、長命化には意味がないとさえ言える。いや、死が怖いから人はあの世を考え、来世にあこがれるのか。そう考えるとゾンビには普遍性があります。

ゾンビ、お好きですか? 私は11才で発病します。病院に入院して、普通の病院から大学病院へ、小児科から整形外科へとベッドが変ります。退院する時は健常児として帰れる。そう思っています。隣のベッドの子が太股から切断します。

もう健常者に戻れない意味があります。切断しなくても機能が無くなれば大差ないのに……障害児を一種のゾンビと考えます。その辺から次第に、ゆっくりと自分を自覚して他と違う自分を意識します。こう言っては何ですがゾンビとしての出発を始めます。

私には、そういう再出発の体験があります。そうしますと再々出発も想像する事も出来ます。しかしある日、何も考えられなくなった。ゾンビとしての自分は、考えたくない……それ程のことはありません。マイナスからの出発という意味です。

脱線しました。これは映画、デイ・オブ・ザ・デッドについての記事です。映画の主人公は映像のように小柄で可愛らしい、これでも曹長です。兵隊や民間を率いてゾンビと戦います。

軍隊ですから上司がいます。小隊長は頼りになりそうな大柄な男性ですが、これが序盤でゾンビにやられてしまう。残るのがこの可愛い曹長で、頼りないが次第に強くなって行く。この辺が教訓的と言えないでもない。

そうしますと若干ながら考えるホラー映画いうか、そういう側面が出てきます。考えるホラーいうのは馴染まないかも知れません。ホラーを見たい人には基本的に物事を考えたくない、そういう人が多いです。映画を逃避のための逃避と捕らえるの?

この映画、ゾンビでなく、その辺に製作の意識があった。有名なホラー映画のパロディとして面白かったです。ア、言わない約束でしたっけ……でもねえ、本当は私も言ってしまいたい。あのホラー映画です、ほらぁ。

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blog.bbiq.jp/t/trackback/394232/25453117

デイ・オブ・ザ・デッド 映画を参照しているブログ:

コメント


もう見ました、とても好きです

お粗末さまです。またね。

コメントを投稿