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2010年11月

2010年11月30日 (火)

大正ビオデイ

Bio2申し込んでいた商品モニターの商品が送られます。大正製薬のビオデイ、BioDayがモニター品です。主成分はビフィズス菌でいいだろうか。ただ、これは花粉症への効能を言って、便秘薬とは書かれない。しかし便秘薬としても使えそうと申しこみました。

一昨日のこのブログで乳酸菌ビフィズスは食べるか呑むか、と書きました。森永ヨーグルト、ビフィダスのビフィというのはビフィズス菌の事を示します。

また武田便秘薬の新ビオフェルミンS、蒼井優さんがCMで「人には人の乳酸菌」と言っています。あのビオもBIO、バイオ、つまりビフィズスからのネーミングと思われる……ビオデイのビオも同じです。

およその出所は同じという事で了解をお願います。およそであって厳密ではない。人には人たって人用乳酸菌、乳酸菌に猫用や犬用の専用菌があるかどうか、私は知りません。

乳酸菌ですからねえ。あ、不用意に便秘と書いてしまいましたが武田製薬では便秘とは言ってない。新ビオフェルミンS錠ですか。生きて腸に届く乳酸菌と書いています。

正しくは整腸薬です。まあ便秘も含む。してみると私の書いた分も大勢には影響がない。便秘対策いうより免疫力を増すと考えたい、そういう解釈というか言い回しもあるようです。便の回数と免疫力には関係があるらしいです。

大正ビオデイ、BioDayも同じように解釈していい。寒い今から免疫力を増しておいて春の花粉症に備える薬、ないしはサプリのようです。箱にはヘルスマネージ、身体管理とありビオデイは後者でしょうね。

身体の管理では食べたい物を食べたいだけ食べ、それが自然という考え方を否定している。ある意味で私の主張と重なります。大正製薬もバランスの取れた食事はむろん、酒タバコを控えたストレス解消、寝る前に入浴して安眠をと勧めます。

あとは体全体をよく動かす事です。高齢、身障者は体を動かしていない。で便秘や身体不調に落ちいる。大正のいう基本をないがしろに好調だけを望んでも、ビオデイや薬だけの対応では無理と思われます。

昔、カスピ海ヨーグルトが見つかり、不老の薬発見かと期待された事がありました。残念ながら不老不死の薬ではなかった。ただ便秘を解消すれば、免疫力という霊験は今もあらたかなようです。

こういった薬やサプリは各社から出ており、某洋酒メーカーで出してるプロディアもそうです。価格は月額3000~4000円ほどに設定されています。

成分、でん粉(とうもろこし(遺伝子組換え不分別))、デキストリン、グァバ葉エキス、乳糖、麦芽糖、甜茶エキス、シソの実エキス、ショ糖、ビフィズス菌末、CMC-Ca、ショ糖脂肪酸エステル、炭酸Ca
●ビオデイ http://www.taisho-direct.jp/products/hm/20600/20600.html

2010年11月29日 (月)

店頭展示品

Reng電子レンジが壊れ、買い換えました。もとはシャープでしたが今回はサンヨーにします。価格コムなどで下調べするとかなり数出ていて、予定の2万円前後としては熱ムラが他社に比べ少ない……そうです。

機種選定はいつもは3台ほどリストアップし、通販最安値の様子をプリントアウトします。これを持って電気店で物色、交渉します。今回は売れ筋という事もあり、ほぼサンヨーに限定。通販で2万円強、K電気では2万5千円、どちらも延長保証はなし。

もっと価格を上げると4~5万円? 全自動になるという。今回そこまではしません。Y電気では各当サンヨー製品は在庫なし。得意でないらしい。パナソニックの2年ほど前の型が1万4千円で、目玉に出てます。

悪くはないが何しろパワー不足、元使っていたシャープと同じ、つまり平均の倍の時間を食う。都心にあるB電気では店頭展示品を2万円、5%の追加で5年保障、これにします。都心ですから、近所の金券ショップで商品券を買ってきて2~3%を浮かせます。

支払いが済んで持って帰る。レンジはその日から使います。早いに越したことはない……レンジを空焼きする一方でラーメンを作る。同じ頃に上がり、ちょっとラーメンがぬるかった。

ラーメンを1分レンジしちゃえ。スイッチを入れて……あ、パチンと音がしてラーメン丼が割れた。あわててレンジのドア空けるけどスープがこぼれてます。後はまあ……大変です。

……再度、空焼きしながらラーメンを食うんです。それから一応、B電気に電話を入れます。
――これこれ、こういう訳ですが、空焼きしとけば大丈夫ですか?
するとB電気はサンヨーと連絡を取って、出来れば持って来て欲しいらしい。私が粗相したので店に責任はない。ニュアンスは微妙だが、持って来た方がいい。そういう感じでした。

レンジを店頭に持って行くと大変です。修理窓口、担当の機嫌が悪いように見える。どうやら最近、店頭でもめた事があるらしく、あらかじめ苦情除けの口上です(笑)あいそなし。

話し込んで親しくなると口調がころっと変る。悪い人ではないがこの年配の店員さん、売り場の雰囲気とは違います。困る。この先は私の推測が入ります。店頭展示には問題もあるらしい。

粗相したのは私ですが、展示中に機械があやしくなった可能性もある。それで店としては、この際メーカーチェックしたい。しかし万一の場合の出費は困る……店としても空炊きだけでは不安、そういう空気です。

安物買いは何とやらと言います。ブログ記載は数日後、修理が終了した段階で書いていますが、結果は何事もなく、やれやれ。数千円安くするとこういう事になりますなあ。ケチらなければ何事もないか? いやあ、そうもいかない訳で生活家電は大変です。

2010年11月28日 (日)

キャラメル・カンチョー

Namakya浣腸つまり本日は便秘の話です。タイトルのキャラメル・カンチョーはTV「探偵ナイトスクープ」で紹介された便秘対策です。番組はキャラメルを使った浣腸を追いかけ、誰でも使えるかに内容をまとめました。

番組では、誰にでも効果がある線でまとめた。しかし私の実験では不成功。もっともネットでは成功された方の記載があります。こういう事には個人差があります。関心の向きは参照の上、画像、生キャラメルなども試されて下さい。

私はというと実験の夜には何も出ず、翌朝、森永マミーを飲んだら10分で出ました。効果はマミーやヤクルトの類が上と思われます。ビフィズス菌を主体とした、ヨーグルトの方はもっと効きます。むろん、これも効き方には個人差がある。

便秘は女性の悩みとして有名です。私の察知する所では高齢者にも問題になりやすい。TV番組もキャラメル浣腸の取り上げには、元の元は高齢者情報によります。

高齢者は一般論として便秘になり易い。腸内微生物が少なくなり弱体化すると言われます。ただ科学的に立証のしようがなく、老人に限らず、微生物説に拒否的な人はあります。ただ拒否のための拒否となると、その対策も立たなくなる。

人の腸内に微生物が生きており、これが弱体化すると人が困る。そんなバカな……困っている自分を認めない。便秘はタバコを呑んでも起こります。便秘に困ってもタバコは呑みたい……止めない。人は矛盾します。

最近のTV・CMで言うように毎日、ビフィズス菌のヨーグルトを飲めばいい訳です。プレーンヨーグルトはおいしくない。それで味付けをしたり他に混ぜたり。ヤクルト風の商品にしてみたり、便秘がひどい時だけ飲んだり、あります。

だがなかなかノーマルな便通になりません。何もしないで便通をしたい。そういう欲求があります。昔はヨーグルトを飲まなくても、みんな便通があった。高齢者も、そう思っています。

でも昔はもっと短命だった。せいぜい40代や50代でおしまいでした。今のように80代や90まで生きたりしなかった。90まで生きるのは普通で、便秘だけが異常と考えたい。考え方に無理があります。

高齢者の主食を米とする事に、便秘の一因がある気もします。反対に、肉や卵を食べる文化圏内では、牛乳や乳製品をかなり消費し、それが便の軟化に一役という説もあります。

まあ何が何か、はっきりしません。今の所、牛乳やヨーグルトが腸内微生物の助けになる事は、否定が出来ない。ビフィズス菌を薬で呑むか食物で食べるか、はたまた菌と関係なくキャラメルを尻から押し込むか?

タバコを止めることは出来ても、ご飯や食事を止め、短命で済ます訳に行かない。ある意味では死生観の変更を伴う。あえて言えば不自然に長生きしている現実があります。程度問題ですが、不自然を受け入れなければならない……トいう所で本日はここまで。

2010年11月27日 (土)

これ何て言うんでしょう?

52802本日休載、いつもの道で見かけた花? これ何て言うんでしょう?

2010年11月26日 (金)

私の中のあなた 映画

Watasino2なぜケイトは死に、私たちは残ったのか、その答えはない。死は死、誰にも理解できないのだ。その昔、姉をすくうために生まれた私。でも救うことはできなかった。

今になって思うとそれは重要ではない。重要なのは私にすばらしい姉がいたということ。いつかまた会える。その日まで私とケイトの心はつながっている。

これが、この映画のシメのセリフです。戸田奈津子さんの名訳をバラしてしまうのは反則かもしれないが、ここだけ読んでも仕方がない。シメを読んで映画を見たくなるか。それとも……それはこのシメとも違う問題です。

この映画は何も目新しいことを言う訳ではないが、私たちが立ち戻らなくてはならない場所を明確にします。誰でも自由ではあるが、願いすぎてもならない。自分の願いが他人を不幸にし、自分をも不幸にする。

教訓としてでなく無理な話という事なのだが、C・ディアスが演じるとなるほどと思ってしまいます。少し前にケータイのCMに出ていたディアスと重ねて見ると説得力が出るかもしれません。

映画全体のバランスの取り方がうまいと思う。実は少しやり過ぎている部分もあるが、暫くすると忘れてしまいます。ギリギリ上品のハンチュウに納めてしまう。日本映画はこれでもか、これでもかト感傷的にします。

うんざりして映画館の座席を立つ、それがサービスと信じるフシがあります。自然の取り込み方もいいです。米国という国はこんなに自然が豊かな国ではない……行った事がないから深く追求しませんが……随分、走り回って見つけた映像と思う。

さらに苦情をいうと元はセレブな話で、映画用に一般化した話という感じがします。しかし基本的に病室で誰かが死に、生き残るという事実、確かにこういう感じです。

救急車のサイレンが鳴ってスピードを落としてクルマを道の脇に寄せる。それでも基本同じです。大体、何も思わないでしょ? 救急車の中では、1割かそこら、そういう感じで患者さんは亡くなる。

「私の中のあなた」というタイトルのあなたは、死んだ姉、ケイトを意味します。クルマを道の脇に寄せて走る時、救急車の中にも「あなた」は居るのです。そうは思いませんがね。

特別な日や特別な事に囲まれる訳ではない。人はありふれた普通の何でもない日常に帰って行きます。そういう時に、この最初に書いたシメの言葉をつぶやいてみます。

詩のような言葉、ちょっとした演説のような数行を持っている。時に他人にもつぶやいて聞かせる。それが文化というもんです……人生の贅沢というもんですがね。

私の中のあなた ホームページ

2010年11月25日 (木)

60歳のラブレター 映画

60これは面白い。よく出来た脚本です。建設会社勤めの中村雅俊さんが定年退職する。建設業はポジションにもよるが手荒な事もやりいの、のお仕事と聞きます。つまり中村さんタイプの人には向かない。

中村さんとか江口洋介さんとか役所さんは、やさしそうでモテてる俳優さんです。年代を問わず女性の支持が高い。荒仕事をこなし家庭を顧みなかったモーレツ社員は、私たちの世代にはいっぱいいて、それが現実でも退社しています。

退社して家に帰ればモーレツな親父とか、そういう訳には行きません。別な人間になって別な生き方を生きなければならない。これが想像も出来ないので、ひとつは話になる。

この辺は作りすぎた気もしないではない。私としては感傷的な場面は刈り込んで短くしたい。それとも女性映画なので短くしてはいけないのか? それから仇役が懐かしい、佐藤慶さんは最後のお姿と思われます。

原田美枝子さんは、島田陽子さんとか樋口可南子さんとか美人オーラで仕事をするタイプの女優さんです。専業主婦という役どころはまずない。二人は、ありえないカップルを演じます。リアリティは丸でない、設定の為の設定です。

メインの他にサブストーリーが2つあって、魚屋夫婦、翻訳家とその相談役には4人の芸達者が、順当というより熱演に継ぐ熱演。対応してメインストーリーはクドくない方がいい。その辺のバランスが面白い。

60歳のラブレターは、そういう公募があって応募作を重ね合わせて原案にしたらしい。脚本にまとめるのは大変だったと思われますが、個人が書いたものよりも巾と深みがあります。

建設業界が限界の政党や党派を支え続け、失われた20年に寄与した。そういう人たちが何を考え、今は何を感じているのか……映画には直接は出てこないけれど関係なくはない。映画にはそういう奥行きもある。

愛しているから結婚しよう。子供が出来たから籍を入れようというのは比較的に簡単な話です。しかし30年の時間を置いて、二人の関係は何だったのかと問うと簡単ではない。そして確実に問われます。

中村、原田カップルの子供、お腹の大きな娘を、星野真理さんが演じます。話を曖昧にしないで、星野さんはリトマス試験紙のように判定を下す。この人、細いけどいい女優になったと思う。ここも微妙で面白い。

全体には夢のような映画ですが、ここは嘘という事がない。あったことは確実にあった事、それは普通とか平均的という風には消せませんなあ。

2010年11月24日 (水)

新人の小説家

Ban1章は丸々、序章に当たる。読者をナメてるというか、本調子に入るまでが長い。調子が出るのは後半ですね。大阪、ズッコケ、カッコ悪のそれを……絵に描いたような小説です。

大阪が東京より田舎と思うのは大阪の人で、私ではありません。これだけズッコかして置いて当人、いいと思ってる。これ勘違い。服装に関する描写に出てますが、悪趣味はやっぱり趣味が悪いということ。

まず塩田武士「盤上のアルファ」タイトルの意味が判らない。ご覧のように表紙絵の男は、黒いランニングにGパンです。苦悶の表情でこれは将棋を指している。アルファは絶滅した狼を意味するが、それが主人公のイメージと重ねてあります。

そういうのがいいと塩田さんは思ってる。だからズッコケでなくカッコつけ、なのにそうは思われたくはない。照れと屈託なのですが勝手も過ぎる……そう思われると潔しとしない。美学か、ナルシズムか、独りよがりか? 

その辺は未分化で塩田さんにも整理がつかない。それが小説の入りにくさ、読みづらさになる。あ、これは純文学でなく娯楽作に入ります。本にはなってるが未発表で1月に売り出される予定、試読本を講談社から頂きました。ブログに書いてもいいようです。

33才の2人の男が主人公です。一人は恵まれない少年時代、親から引継いだのは将棋だけ、何の取り得もないまま崖っぷちに立つ。主人公がそうなら作者もそうらしい。もう一人の男は新聞社勤め、事件記者から棋界記事に左遷されます。これも絶望的。

私は成人前に田舎の結核療養所にいました。まだ病室にTVがない時代で、病人は将棋を指して退屈をしのぐ。サナトリウムたって退院の見込みこそないが、死ななくなった頃の結核の倦怠を知っています。生殺しの生きているだけというか……

屈託は凄まじく。将棋によせる焦燥と鬱屈は果てしない。この小説のようにのんびりした物ではありません。その時、私は若くまだ理解できない所もありました。そういう理由で塩田さんの書こうとした崖っぷちも判らないではない。

33才といえば青春はもう終わり。いや今はそういう自覚はありませんか? 33才で終らない青春は44才でも終らないかも知れません。そうすると55才の崖っぷちもあれば66才の崖っぷちもある、あるのかも知れません。

もっとも66才には私、成っていません。そういう訳で共感はしませんが、崖っぷちの感覚はかなり出てます。こうなる原因は出たとこ勝負、小説の結末に向けて、その出たとこ勝負が華やかに歌われる……何とかなる。

実はなる事とならない事があるのですが、塩田さんの理解は大丈夫かなあ……この本、1月になったら本屋に並びます。「盤上のアルファ」という訳の判らないタイトルです。

2010年11月23日 (火)

障害の進行、年齢の進行

Tuta2_4リハビリは足りなくてはいけない。やり過ぎてもいけない……難しいように聞こえますが、これで当り前の話になります。プールで1500泳ぐというと長いように聞こえます。500mを3回……この所、調子に乗っていますから4回の時もある。

理由は簡単。スイマーズ・ハイであります。むしろ1500で止める方が難しい。もっと泳ぎたいと身体が欲求不満を申し立てる。それをなだめ空かしてシャワー室に連れて行く……そういう感じです。股関節が火照るのは、まだ少し後のことになります。

「そんなに泳いで疼き出さないか?」いう人があります。そういう時もあるのですが、半ば忘れています。その両方を心の計りにかけて正解を出すことは殆どできない……仕方がないので1750mで線を引きます。これを杓子定規といいます。

多少のいい加減は違いがない。ほてりと疼きの間の感触を見るのは眠る直前、目覚めの前、その辺りの感触です。まあいい、まだいい。もうかな。それを計っています。身障者も健常者も大差はないのと違います?

身障者の仲間内では「手遅れ」といいます。障害がいよいよ進行してからでは手の打ちようがない。時々リハビリの手を入れて行けば、そんなには進行しない。30代で松葉杖を突いていた人が40代で車椅子に乗るようになる。

50代になるとそれが電動に、60代でそれにも乗れない。よくある話です。病気の進行の場合と単に肥満の場合がある……私の場合は手術をするのが嫌という。体重を削って腰の負担を減らし、何とか寿命まで持たそうというコンタンであります。

最近は健常者でも、大雑把には似たようなモンです。タバコを呑めばガンになる。酒を呑めば肝炎になる。甘いものは糖尿、高血圧、その他はいろいろ。程ほどの所で止めておけばいいのに、道を極めると書いて極道といいます。

食べるだけが楽しみという人は、それは太ります。そこまで太る事はないだろう言うほど太る。メシがうまいそうです。生半可ではない程に太ると、そこから急にメシが不味くなる。そうなったら手遅れだそうです。

肺の病気も末期になるとタバコは不味くなる。それからタバコを止めても大抵は手遅れ……20代で体を鍛えると30代は大丈夫なんです。だから何てことはないと思って何もしないと40代になるとジワジワ怪しくなって来て50代では困った事が出てくる。

大体そんなもんです。うっかりしていたなんて言いますが、予測は付いていてズボラを決めた。それで手遅れ、リハビリの足りない身障者と余計には変らない。足りなくてはいけない。やり過ぎてもいけない……当り前の話になります。

いよいよいけなくなる前にすべき事をする。泳ぎに行きません? 苦しいのは最初だけ、すぐにスイミングハイの快感が回ってきます。歩いてもいい、走れば無論いい。素振りでもキャッチ・ボールでも何でもいいんですが……。

2010年11月22日 (月)

デイ・オブ・ザ・デッド 映画

Dayofこの映画は「死霊のえじき」(85)のストーリーを再構築したゾンビ物の新作という振れ込みで、しかしウソです(笑)真っ赤な嘘、こんなんネタばらしてイイのか? どういう風に嘘かを書かなければ、いいのでは?

デイ・オブ・ザ・デッドを検索し、評判を見ましたが書いてない。筆者たちは単純にゾンビ物として見られたのか。判ったけれど書かないのか判りません。それでそのネタはここまで、もう書きません。……ゾンビ物は死が怖いという話です。

誰でも死にます。どう長生きしてみても結局は死ぬ、無闇な恐れがある限り、長命化には意味がないとさえ言える。いや、死が怖いから人はあの世を考え、来世にあこがれるのか。そう考えるとゾンビには普遍性があります。

ゾンビ、お好きですか? 私は11才で発病します。病院に入院して、普通の病院から大学病院へ、小児科から整形外科へとベッドが変ります。退院する時は健常児として帰れる。そう思っています。隣のベッドの子が太股から切断します。

もう健常者に戻れない意味があります。切断しなくても機能が無くなれば大差ないのに……障害児を一種のゾンビと考えます。その辺から次第に、ゆっくりと自分を自覚して他と違う自分を意識します。こう言っては何ですがゾンビとしての出発を始めます。

私には、そういう再出発の体験があります。そうしますと再々出発も想像する事も出来ます。しかしある日、何も考えられなくなった。ゾンビとしての自分は、考えたくない……それ程のことはありません。マイナスからの出発という意味です。

脱線しました。これは映画、デイ・オブ・ザ・デッドについての記事です。映画の主人公は映像のように小柄で可愛らしい、これでも曹長です。兵隊や民間を率いてゾンビと戦います。

軍隊ですから上司がいます。小隊長は頼りになりそうな大柄な男性ですが、これが序盤でゾンビにやられてしまう。残るのがこの可愛い曹長で、頼りないが次第に強くなって行く。この辺が教訓的と言えないでもない。

そうしますと若干ながら考えるホラー映画いうか、そういう側面が出てきます。考えるホラーいうのは馴染まないかも知れません。ホラーを見たい人には基本的に物事を考えたくない、そういう人が多いです。映画を逃避のための逃避と捕らえるの?

この映画、ゾンビでなく、その辺に製作の意識があった。有名なホラー映画のパロディとして面白かったです。ア、言わない約束でしたっけ……でもねえ、本当は私も言ってしまいたい。あのホラー映画です、ほらぁ。

2010年11月21日 (日)

腰割りと身障者

105_ir042身障者にも太る方があります。数えていませんが割合からいえば多数になる。読売新聞の今日のニュースでは、相撲の「腰割り」が痩せと関係があるという。太った人にとっては悪い冗談のような記事ですが、それはそれで信憑性があります。

身障者から昔に言われたのは「身障者にリハビリは必要ない」言う主張、そういう説です。
「重度身障者は生活するのにイッパイイッパイである。毎日の生活自体がリハビリであり、その他にする必要はない」そういう内容でした。

少数意見であって全体説ではない。説としては勉強が出来ていない。なぜなら日常で使う筋肉とそうでない筋肉があって、日常に使わない筋肉を刺激する事で、体全体のバランスを取るのがリハビリのひとつの効果になる。

一般にも生活や体調には個人差、違いがある。プロスポーツとしての相撲の腰割りをどの程度、一般に持ち込めるかは考えなければなりません。が、よく使う筋肉と使わない筋肉によって体が出来ている。その辺の構図はプロも一般も大差はない。

では身障者は……この比較は面白いと思う。日常でない側から刺激すると日常にも影響が出てくる……身障の現実も不可能が満ちていますから、残念ながら出来ない事は出来ないのです。しかし全く別とはねつけるのも、どうかと思われます。

私の場合、クロールでの限界が2Km辺りにありました。何度か2km泳ぎましたが、何度も泳ぐと週末にダウンしてしまう。そこで筋トレで瞬発力をつけて2kmに挑む。現在、まあまあの線にこぎ付けました。ただ股関節がほてる、熱る感覚は怖い。

2km泳ぐことに、どんな現実的な意味があるのか? それはまた別な事です。バリアフリーとかユニバーサルデザインには有意義な面はあるにしろ、身障者の誰にも意味がある訳ではない。端的にいうとUDでない方が具合のいい人もあります。

もともと腰割りなんて出来もしませんが、そのような事を考えます。松葉杖を車椅子に変える人がある。もう一方に松葉杖をカナディアンに変える人がある。それは病気と病状によっても違う、ごく当り前の話でしょう。