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2010年9月

2010年9月30日 (木)

摂食障害と病状の意味 2

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山田詠美さんの「ベッドタイムアイズ」は自立が確定しません。山田さんはツウなのか、通ぶってるだけか。私には判りません。自立できないなら酒、タバコ、摂食障害といった道を開ける。セックスもまた依存形態に過ぎなくなる。

山田さんの小説を一番褒めた評論家は、後に奥さんに先立たれ自殺を遂げます。自立の不安に共感されたのではないか? 肉体関係が沢山あれば人間としても成熟した人なのか? そうは言えない。

奥さんを母親役にして、内面の子供を通すのも可能では? 現に漱石がそうだったのでは?……漱石は過食症の傾向にあり胃を悪くして、後にそれが命取りになっています。

「女を諦めるというか」と北山修氏は表現します。その意味は中年化です。おばさんになること、痩せていようが太っていようがどうでもよくなる。すると摂食障害は一応、治まる傾向にむかう。

「障害者」という表現はよくない。「障碍者」がよろしい。いやいや「障がい者」がいい……言葉狩りです。実体はおいて言葉を咎め、表現を許さない……害、碍、がい、私は何でもいいです。私自身は障害者といわないで身障者と書くようには、してます。

表現に神経質いうのは本人の内面で、片付かない意味がある。思春期の少女が、太る自分を許さないように、身障者が障害の自分を許さない。断言はしませんが現れ方は、それとよく似ています。

セックスシーンが多いベッドタイムアイズは、思春期の問題をクリアした後の問題か? 奥さんに先立たれた評論家は自他の問題をクリア出来ていたか? 判らないでしょう。クリアしてないのでは?

物が豊かになると薬とかサプリとか、成形、植毛、化粧品……いったん諦めた問題がまたぞろ蒸し返されます。中高年をターゲットにいろいろな物が売りつけられておりましょう? すると治まったはずの依存症がぶり返します。

そうなると思春期でなく思秋期の悩みが深まっています。心が中年にしがみついて老人にはなりたくない。

「中年を諦めたくない、私は中年」思うのも主張するのも勝手ですから止める訳には行きません。

その人が中年であろうがなかろうが、私は困りませんが、老人会には新人が行かない。あげくに老人会は「老人」いう言葉が悪いと言い出します。よく判ります。順序立ては障害者の「害」と重なるからです。

自分自身と向き合う事が一応、出来た私としては、嗜好にも食品にも特別な依存がない。安心は一応のモノです。では恋愛を成就させて結婚生活に入られた方々に羨望がないか、そう言われると言葉が濁ります。

負け惜しみを言うと、パートナーの不安や恐れを背負わない分の自由があって客観的な処置対処、このような文書化も出来ます。判り憎いですか? 一言にまとめると、

「道連れは作らねえ事にしておりやす」なんて決めセリフの渡世人が、昔いましたっけ。(この項目、終)

2010年9月29日 (水)

摂食障害と病状の意味 1

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先日の番組は拒食症を取り上げ、内容は指示に富んでいました。なぜ食べるか、なぜ吐くか……医学界では拒食症も過食症も原因は同じ、食べ吐き、摂食障害と言う。(レクチャー&ミュージック 月曜深夜のNHK・FM)

北山修氏としては拒食症を、ニコチン依存やアルコール依存と同じ依存症と考えていて、向き会わなければならない心の問題がある。逃避として食物が使われる……いうように表します。

最近、読んだ「ベッドタイムアイズ」で「私は大胆不敵な不良少女で」あり、同時に「臆病者」と主人公は言う。そう書いてある。若い時は誰でもそのように、恋愛には踏み出せない。しかし主人公は思春期というほど若くない。

自分ひとりの裁量で、誰もが自分の時間を生きています。適当に食い始め、適当に食い止め、一食のバランスを取る。恋愛の相手は日本人が一般ですが、米キャンプ地の付近なら米人もいます。

白人の方が映画で見慣れ一般の通りはいいが、黒人というと一番なじみがない。何か通、ツウのような気がします。ニコ中やアル中はありきたりで、拒食症は生態が知れない……同じとは言いませんが似た屈託があります。

解決法に特効薬はなく、一人あることの寂しさを受け入れ、嫌われる不安に耐えるしかありません。そこから逃げ出す人は多く、ニコチンやアルコール、場合によっては食物が逃避の手段になる。

葛藤や不安を体験しようとしない。逃げて未体験のまま通そうとする。北山氏は女性の自尊心が低いと表現します。言ってしまえばブリっ子であります。

身障者の自尊心は高いのか? そんな事はないでしょう。やはりブリっ子で誤魔化しているのか。トイレと冷蔵庫の間を行き来する、身障者の摂食障害は聞きませんねえ。

山田詠美さんの書いたキムは、その辺の自覚があるような、ないような……スプーンという男をマリア姉さんと共有したいような、したくないような素振であります。前例があるので、キムの判断の前にマリアが先に手を出した。

マリアもまた山田さんの分身なら問題はない。現に漱石作品も同じように発展します。しかし問題は男も、またキムの手から離れて行く。ひとり残されたキムは、マリアの元にまた帰るのか? 心の痛みを、どう引き受けるか?

セックスシーンは多いのですが、そういった問題が解決している訳ではない。むしろ問題から逃げるようにセックスになってしまう。黒人男スプーンはキムの眼の奥にあるものを見ずにセックスを続けます……(以下次回)

2010年9月28日 (火)

海峡を越えたものは?

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ライブ&トークがあって「3拍子は海峡を越えて」という。それを聞いて来ました。材料の3拍子は具体的に「五木の子守唄」と「美しき天然」です。クラシックの大学講師、福島由記さんがこの子守唄を歌います。

それは誰もが知る、あの五木の子守唄と言っていい。哀調を帯びた曲で代表的な子守唄とさえ言われます。ただねえ、この子守唄を美しき天然と重ねていいかどうか? 何にでも疑問を持つ私としてはひっかかる部分が……

子守唄、天然、この両方が3拍子という。天然の方は佐世保女学校の愛唱歌という話です。FMKというFM局がチェチェンにつながる曲と発掘した事があります。作曲者も田中穂積とはっきりしています。

美しき天然は、韓国からシルクロードを伝い、ロシアのチェチェンまでどこの国でも、自分の国の音楽と信じられた。稀なこと、珍しいことではありますが、ジプシー音楽など例がない訳ではない。音楽にはそういう一面があります。

「3拍子は海峡を越えて」の構図は、天然に子守唄を韓国由来の音楽ではないかトして、交差する日本韓国とまとめる訳です。

「もしかすると五木の子守唄は韓国の人が作ったのかもしれない」

「白川公園で聞いた美しき天然は、木下サーカスの空中ブランコ、映画「道」を連想させました」そういう意味の発言あり。

私としては交差する日本韓国、仲良くするに異論はありません……が、3拍子音楽をネットで検証して行くと反証の方が沢山あがります。

3拍子の曲とワルツは厳密には違う。たとえば3拍子の曲には「海」「ぞうさん」中島みゆき「時代」吉幾三「雪国」がある。ワルツは「ひみつのあっこちゃん」チャイコフスキー「花のワルツ」を始め3連符であって、これは拍子自体は4拍子になります。

123、123は3拍子なのか、ワルツなのか。採譜をしない限り、あまりはっきりと判らない。この他に4分の3拍子、8分の6拍子という問題がからんで来て、そうなると私などは訳が判りません。

2拍子4拍子と3拍子には、誰にでも判る絶対的な違いがあるか? ないのではないか? あるとすれば感覚の問題では……この問題は元々、ネットで話題がある。その上にある証拠がありました。

以下引用……「正調五木の子守唄」と古関裕而編曲「五木の子守唄」の違うところは、2拍子と3拍子であるということだ。「正調五木の子守唄」は2拍子。古関編曲のものは3拍子である。

     BS朝日うたの旅人 

http://www.bs-asahi.co.jp/uta/index06.html

冒頭、福島由記さんが歌われた子守唄は、1950年以降の古関さんが編曲した音楽であって、正調ではありません。私は正調も何回か聞きましたが、編曲版ほど聞き易くはない。受け入れも難しいと思います。

すると海峡を越えたものは3拍子ではなく、つながりたいと思う人の思いという結論になる。「3拍子は海峡を越えて」は「流転」熊本放送で放送された番組のライブ化された物らしい。

番組「流転」は見ていないので、ライブ版「海峡」との違いは知りませんが、以上のように薄弱はあると思われます。熊本放送では来年1月26日水曜朝10時50分、「発見!人間力」で新作ドキュメンタリーを発表するそうです。

●「流転 追放された高麗人と日本のメロディ」

http://www.higashi-nagasaki.com/e2004/E01-2004_03.html

2010年9月27日 (月)

チョコレート・カレー

Kare

カレーの作り方は、それぞれがいいト思います。おいしくないカレーはないし、失敗したカレーもない。トマトが赤いカレーもイカ墨が黒いカレーも、ターメリックの黄色がかったカレーもそれぞれと思います。

最も、焦がしたなべ底から真っ黒いのは困ります。ジャガイモや人参では個性は出せません。玉ねぎの炒め方がていねいだと味が出ます。一律に30分で作るキャンプカレーがマズイかといえば、それはそれでいいでしょう。

何か作れと言われ、メニュー表もないならカレーが無難と思います。

「またかよ」という人はいても、もう食わない言う人はいない。TVでタレントの誰かがカレーを作れといわれて、隠し味にインスタントコーヒーを使っていました。

料理もバランス、甘いだけでなく塩辛さ、胡椒からさ、苦さや酸っぱさを調節してコントロールする事でしょう。そういう見方から苦さを加えるためにはコーヒーを使うこともアリになります。

それで、苦味にチョコレートを使うのも手です。首を傾げる人もあるようですが、何か苦いものを少し入れると他の味も立ってきます。苦さにはクローブが一般的です。

なければ二人分で耳掻き一杯……これ多すぎますね。半分か、もっと少ないインスタント・コーヒーがいいでしょう。むろんクローブに加えて入れるのもアリでしょう。

私は同じ分量で、少量のチョコレートを使います。ただし、いくらブラックチョコレートでも量入れると悲惨な結果になります。

「チョコレートなんか入れるから……」チョコレート自体を否定する方があります。

原因は味見のレベルで判る量を入れるからで入れ過ぎです。スプーンで一口食べても、判らない。一皿食べてやっと何か違うと感じる……そのくらいの少量が隠し味です。

回数作って、やっと加減も判るという。初めて作る段階では?

「おいしい、おいしい」といわれる。味見でいえるはずがない事を平然と言われます。言うのは勝手ですが、そのレベルが知れます。

チョコレートの場合は判っても判らなくても、大差はないのですが……同じ事が塩味についても言えます。味見段階で塩辛さが判るのは辛過ぎです。食事後に喉が渇きます。

「これくらい辛くないと……」辛口の人は言います。あまり塩辛いと素材の味が判らなくなる。宮崎の人参も、鹿児島の人参も判らない。熊本産もむろん判らない。

「人参は人参、違いなんかない」平然と言われます。

「ジャガ芋もバロンもメークインもない。カレーはカレーよ」おいおい、私は思います。カレーに入れた時の人参は、甘さの調節になります。鍋の中で一切れ人参をお玉で潰せば、味に甘さが出ます。

では人参は、宮崎産がいいか熊本産がいいか、それとも鹿児島産がいいのか? ……私ははっきり言い過ぎる欠点があるそうです。近隣県への配慮もあります。予定の長さにもなったようで。続きはまたそのうちに。

2010年9月25日 (土)

ベニーオークション

En2 「人気商品が最大99%オフ! オープン記念」とか何とか、そういうオークションが攻勢を強めます。激安とかDNNとかサイト名は色々あって、それぞれやります。元案はベニーという人でむろんそのサイトもあります。

ベニーオークションは内容ルールが理解しにくい。オークション事態に賭けの側面があるのに、賭けの部分をふくらましている。開催側は新サービスというが、公正を期する監視人はなく商品の届く先も私たちには見えない。

文にすると意味が判らない。これでは問題点も判ってもらえないでしょうか? ヤフーオークションとは違う。指値をして買えなかった人も手数料と、指値した価格を支払うのです。

基本的に液晶テレビ、ブランド商品、高価な品が多く、破格値で購入できる権利は落札者一人に絞られる。しかし入札権も指値も無料ではなく、落ちない時も費用がかかる。それがベニーオークションの特徴です。

運営者は現実価格の1%で売ったにしろ、99%の入札者の手数料、および入札料を取るから赤字にはならない……ああ、と私のような年配の方ならうなずかれましょう。

米国で昔、マラソン・ダンスいうのが流行りました。ホレス・マッコイに「彼らは廃馬を撃つ」との小説があり、これは映画化もされました。映画化名は「ひとりぼっちの青春」

不景気時代の米国の話、マラソン・ダンスは昼夜ぶっ通しで踊り続け、最後に残った2人に賞金が与えられるゲームです。勝ちそうな1組2人に、主催者は余興に花嫁花婿になれと勧め、余分の報酬をチラつかす。

2人は勝ち残るが、かつがれたのです。式の費用が2人持ちだった。優勝の2人は金になりません。落胆のどん底で女は男に、ある提案をします。その提案と望みを受け入れ、男は女を銃で撃つのです。

男は自殺幇助で警察に質問され、こういうのです。

「廃馬は撃つものでしょう」場末の映画館の3本立てで、私はこの映画を見ました。目当て映画が何だったか覚えませんが、同時上映のこの作品が忘れられません。

映画の落胆の結末を、沢山の人が味わったと思います。不景気です。だからこそ流行る事があります。ひとりだけが勝ち抜けるゲームとは、つまり他の全員が負けるゲームです。

そして私のメールボックスに知らないメールが届きます。

「《緊急告知》究極の爆安オークションついにオープン 出品される全ての商品が最大99%OFF!! 最新型の新品商品がどこよりも安く手に入る」

オークションでの額面1円を、現実の7円に設定しているサイトもある。物が安く買える幻想を維持する目的か、熱くなった人の入札を混乱させる目的か。ベニーオークションの詳細を、私は知りません。

2010年9月24日 (金)

オチのない話

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問題の根はどこかを考えると……明らかになる事もある。だが、そこをボカして最終事態だけをいう。昨日、小説に添ってキムは被害者のように書きましたが、無論それだけではありません。

仕事を積み上げ、実績を評価されるような、いわゆる堅気の仕事を嫌い、ヤクザな仕事を続けた。従って堅気の関係が全くなく、他人に依存しすぎる。その結果としてヤクザな男に惚れ込んだ……幸せに名前がないように、不幸せにも名前がないのです。

自業自得、なるようになったとも言えます。小説を現実の裁判ニュースと合わせて読めば結果にも納得がいく。麻薬や水商売の道具立てを外して見れば、それは珍しくない風景になります。

ありふれた風景、たとえば都会からの出戻りが故郷では軽くあしらわれる。いじめと言うより弱肉強食に近い。キムとマリアの関係は、故郷の長男と次男の関係にも近い。身障者を食う健常者、いえ食い合う身障者もあります。

酒好きな友人は、未だにパソコンに馴染めないそうです。ゲームのいくつかにはハマるが、キーボードで文章を何とか打てる程度らしい。ブログに書く文の完成にも困るありさま。

業者に頼んでホームページは作ってもらうが、作っただけページには来る人もなく閑古鳥が鳴くばかり……いえ友人は金さえ出せば、繁盛するように業者に吹き込まれたらしい。騙す方もほう騙される方もほう。

騙すと騙されるは、紙一重の欲、騙される人自体が騙す事を目論んでいる事もあるようです。ホームページを作って儲かるという発想は、ある意味、自分勝手でわがままでしょう。

コツコツ勉強するより、手っ取り早く今すぐページを開きたい、言う。嫌いな事は人に任せて、好きな酒を飲んでいたい……タバコの好きな人には好きなような結果が待っていて、麻薬をやった人にはやったような結果が待っている。

そういう意味では大筋、応報に物事は運んでいます。相応の結果に甘んじればいいとも思えます。長男が受け継いだ田からは米が、日照りの今年もまあまあと言われ、価格は安い。

田をつぶして草を植えて牛を飼う。そんな農家も増えています。すると当然、牛乳は値崩れを起こし、ミネラルウォーターより安いと言われる。作り過ぎれば何でも売れなくなります。

熊本市内、そんなJAの軽車には「日本人は米食が基本」と大書してあります。イネは帰化した物で、日本に本来あった植物ではありません。米が渡る前の、縄文時代の食事は、粟ひえ、その他の雑食でした。(江戸時代、ひえが主食だった所もある)

苦しいのは判りますが自分の都合で、事実を曲げてはいけません。最終事態、結末だけを合わそうとする人が色々あって、誰か他の人が悪いように言うが、それは通りません。そして幸福にも不幸にもオチはありません。

     昨日と同じく小説に出てくるチェット・ベーカーの演奏より

Chet Baker Live (Belgium 1964) : Time After Time

http://www.youtube.com/watch?v=nchEXBimNlg

2010年9月23日 (木)

ベッドタイムアイズ 山田詠美

Bedtime

女主人公の名はキムという。一人称で語られるこの小説の主人公は不幸です……なぜか、どうしてか、一切の説明はありません。キムというのは苗字なのか、名前なのか仇名なのか。何も判らないのです。

しかし、まあ詠美と外人名を名乗る日本人と解釈すべきでしょう。本名が判らないといえばキムの男、黒人兵はスプーンといいます。細かい由来は省略して要するに、不幸という意味の仇名です。

いきなりのセックスはその歓喜を連想させますが、それも幸福という意味ではありません。かわいがられながら「それは私の体を、であって、心では決して、ない」と主人公はそういう。

酒とタバコとジャズのレコードをかけて行う、軽い薬とセックスの彼方に何があるかが描かれる。最近、そういう事件の裁判があったので、いたく興味をそそられた方もあったろうと思います。

この本はその随分、前に書かれ、絶賛され文芸賞となります。山田詠美という人は有言実行の人と聞いています。ただ、これが全部ノンフィクションとは思えない。

私、キムには親がない。書かれないという事はいない、いう事です。キムは安酒場のジャズ歌手で、その辺はみんな、ここに来てからマリア姉さんに仕込まれたトいいます。

この姉さんというのが母代わりで、ゴッド・マザーという事になります。体のいい親分子分、ヤクザのような関係がキムのすべての人間関係で、キムはどこにも出て行かない。行けないのです。

スプーン、米兵はキムが初めて本気になった男で、セックス以外では奥歯が抜けるほど殴られるなど、バカげた人間関係にすぎない。幸福などあろうはずがない……というのが私の読み取りです。

売れない俳優だか歌手だか知りませんが、薬をあおってやるセックスに生甲斐を感じるなんてバカげている。なぜそんな事をしたかなら、少しは判ります。将来が信じられなかった。

押尾被告には子供もあったともいいますが、将来を託す事が出来なかったのか。少し売れた俳優の、もうこれ以上は売れそうもない、焦燥とした感覚が、酒とタバコと麻薬と性にのめり込ませる。

この小説は、それに近い感覚を見事に描いています。マリア姉さんはちらと見かけたスプーンと、すぐに寝てしまう。子分の男には手を出さない。そういう親分ではなかったようです。

男を寝取られて初めて、キムは自分が自立しようとしていた事に気が付きます。歌う他に客と寝ることもある、そんな歌手キムのあまりに幼い自立心が書かれます。

体なら愛されたか? 関係の破綻は意外な結末を迎えます。スプーンは軍の機密を盗み出そうとした容疑で逮捕されます。小説の主人公は不幸です……なぜか、どうしてか、一切の説明はありません。

しかし最も不幸なのは、裁判の被害者のように死んでしまった者でしょう。すべての関係を失くしたとしても、何がしか将来はキムの手の上にもある……私はそう思うのですが。

     小説の中に出てくるセロニアス・モンクのピアノ演奏。文に曲の指定はなく、私の選曲は「ブルーモンク」

http://www.youtube.com/watch?v=SmhP1RgbrrY&feature=related

2010年9月22日 (水)

サブウェイ123 激突 映画

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なつかしや、スクラッチ音楽が鳴り響き、凝った映像が地下鉄を写す。過ぎて行く電車とプラットホームに残る客のコントラストは、目新しい。大袈裟に今さら驚かないけれど、これはトニー・スコット映画です。

トップガンでは若者のサクセスを描き、ラスト・ボーイスカウトでは中年男の復活を描いた、あのトニー監督、今度は何を描くか? 問題としては簡単です。主演に二人、デンゼルさんトラボルタさんの年齢はおよそ55才になりますから……

デンゼル主演のマイ・ボディガードや、デ・ジャブで展開した中年男の韜晦か? いえ初老いうか、そういう年齢での物語になります。それも両作では描かれなかった。悪意、怨みのようなマイナス感情です。

そうしますとトラボルタ主演のブロークン・アローや、フェイス・オフのような映画を期待してしまう。「サブウェイ123」はいきなり地下鉄に出かけて行く悪漢どもの描写から始まる。中でもトラボルタさんの、ヒゲとモミアゲ、首筋の刺青は凄まじい。

一切の説明なし、扮装と映像でキャラクターとすべてを語る。トニー監督の独壇場であります。そこに最初に言ったスクラッチ音楽が重なる。CM映像をながめるように何も考えなくてよろしい。

でも私は考えてしまう。ミエミエの刺青はなぜ彫られたか? そもそも刺青は見せたい時にチラつかせる。道具立てのひとつではないか? これみよがしに見せる刺青は別な意味があるでしょう。主人公は最後の最後に、追い詰められている。

55才、もう人生のやり直しが効かない所で、追い詰められた人って悲しい……そういう意味でデンゼル主演のトニー映画の、これはその続きです。この映画の中でデンゼルさんには家族があります。でもトラボルタさんには見えない、多分ないのです。

デンゼルに電話で、カミさんが「大箱の牛乳を買って来て」と言う。ネタを割らない為に全部は言えません。「小さな箱でいいだろう」デンゼルが答えます。「大箱を買って来て」カミさんは再び頼みます。

どんな恋愛の向こうにも結婚があり、やがて家庭が待つ。どんなに若かった人も中年期を向かえ、老いは人生の終局を知らせる。55才という年齢では、もうカッコも通用しなくなる、それを、このように示したトニー監督に次回作を期待しましょう。

私はスタイリッシュな映像に音楽を重ねてみせた手腕より、この牛乳のエピソードがいたく気に入りました。米国映画もバブル後の時代背景から映画を作ろうとしている。もう脳天気な事を言わなくなったのかな?

それに引替え、どこぞの国では、あいも変らず、おバカ映画作ってますよ。何にも考えなくていい映画でしょ、あれは。

2010年9月21日 (火)

ツイッターに異変

twitter 、ツイッターに異変が起きている。10時間ほど前から動きがおかしいという。

ウイルス感染も考えられるので、しばらく行かない方がいいでしょう。

2010年9月20日 (月)

肩のRと割引弁当

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銀座三越で作れば、背広の肩がRの入りが独特という。そういえばアルマーニの背広もそうだった気がします……背広だって、もうそんな古い呼び方はしない、スーツと言いなさい、スーツと。

言い方が古ければ物自体も古い。今時、スーツで他人と自分の差をつけようなどト、思いが古いのだしょうか。Rをつけた位では追い付かない。ジャンパーか作業のツナギをオーダーにする感性が必要なのに……

古いは新しい、新しいは古い、新旧は循環するという説がある。男がスーツなら女性はスカート、また短いのが流行るという。長い毛足のブーツに合わせるスカートは短い……それが三越式という。

もっとも私には女性のファッションはさっぱり判らない。論評めいた一言も書けない……私はポルシェは買わないだろう。そういう言い方を延長すれば、私はブーツは履かないだろう。当り前か!

そういう言い方なら出来る。動物写真家の福田幸広さんの旅行の弁当は、割引弁当という。5割引は無条件に買うが、2割引は夫婦会議にかかるという。福田さんは45才、子供はいない。

弁当で会議をやっている夫婦に子供はいらないでしょう。私は舌を巻く、そういう弁当を買う夫婦は珍しくないが、TVカメラの前で言ってしまう感覚が判らない……いや面白い。

人生は覚悟をすれば別な幸せが開ける……私が言うのではなく、番組のアナウンスが、そうコメントを入れる。どんな覚悟か、聞いてみたいが言ってはくれない。撮影の後、番組で考えたコメントだから福田さんの返しはありません。

3歩、先んずれば浮いてしまう。1歩か半歩の先はスマートに見えてしまう。弁当の手の内を見せなければ在り来たりで、臆せず見せてしまった所が華になった……と私は思うのです。

福田さんにはサラリーマン時代があって、電車に揺られて思ったんだそうです、自分は違うと。違うと思って電車を降りた、降りた先に動物カメラマンの仕事があった。

写真学校に行ったり、有名な先生に弟子入りした訳ではない。ただ最近の流行の広角で狙う手法と、被写体に極端に近づく技術があるのです。しかし、それをTVで暴露してしまった。

まあ、いいでしょう。スーツを着れば自分にも何か出来ると思う人と、スーツを脱がなきゃ生きられないと思う人と、ほぼ同数ある訳です。あれもよし、これもよし。あなたはどちら? 私は……

●歴史のある赤レンガが売りに出されています。映像は歴史も何も無い、ありふれた赤レンガです。

http://www.asahi.com/national/update/0917/TKY201009170520.html