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2010年7月

2010年7月31日 (土)

続60才のパートナー2回目

0330482 私は結婚相談所に行ったことはありません。松田さんは相談所での男会員の扱われ方のよさに呆れます。その理由は会費と思われる。会が男会員費で成り立つ以上、仕方が無いのでしょう。

相性コムでは最初、男会員が多数で10:1くらいでした。それが一年くでらい3とか4とかの割合に女性が増えたのを覚えています。松田さんは相談所の登録会員のプロフを読んで違和感を感じます。

男はお手伝いさんを雇うか、介護要員を補充するような感覚を与える。私は女性のプロフを読んで、

「旅先などで夫婦を見かけるとうらやましくて……」などという下りがあると、なるほどネと呟いたものです。

しかし、この頃からサイトで知り合った若い男女の事がポツポツとTVニュースに流れます。愛の裏側には憎しみがあり、好きの反対には嫌いや嫉妬がある。夢見たことが夢のようにキレイにかなうのは映画やドラマだけです。

中年の恋愛を書いた「マディソン郡の橋」は小説の方は純愛ムードも感じられたが映画はそういかない。私はその理由を、恋愛映画ではないが「シャルウイダンス」あたりと関連して考えておりました。

性の接着剤は効力が薄れた後も、なくなった訳ではなく、やっかいな問題として横たわります。そして60才の結婚には家族が反対する。本人にもよく判らない動機で婚活すれば、家族を説得するのも困難でしょう。

松田さんは書いてはないが、内面の困難や抵抗もあったと思われます。再婚を思い立つまで30数年を要している。やっと決心がつく訳ですが、その間に時間は過ぎたのです。

松田さんの意識は30代に止まる。時計はそのまま、相手を見ると70代の見合い相手、愕然とします。私のメールは最初、近隣国の人で、日本に行きたい趣旨を見ます。愕然としました、なぜなら、その人は30代でしたから……

5才若くみえるはず、いえ10才は若いといわれる……そう自負される女性たちは実に多い。誰もかれも申し合わせたように、そう書かれる。そんなプロフを何十枚も見ました……週刊誌にモノクロ画面で、これまた30代に見える松田さんの写真が載っています。

実際は棚上げ、中年たちのお伽話しではないか? 勘のいい人なら判るはずです。お話として持ち出すと大変、面白い。それを実行に移そうとするとどうなるか? 中年および高齢結婚相談所、むろん相性コムに矛盾は見て取れます……それでもって次回、完結。

2010年7月30日 (金)

続60才のパートナー

0220432_3 週刊新潮28号に松田美智子さんで中高年「婚活戦線」いう記事があります。私も前に「60才のパートナー」いうんで似たような記事を書いた事があります。

タイトルから判るように松田さんは自分で婚活に挑まれ、失望された経過がまとまります。私はかなり前に、ネットの「相性コム」を見て記事作りを思った訳です。自分の婚活は意識になかった。

比較して何か出せるか? 判りませんがそれをやってみましょう。私個人はともかく、一般に需要が大きいだろう事は判っていました。年齢も大筋で似ています。 松田さんは60才という年から再婚を考えられる。

女性の平均寿命は86才、今から26年間を一人で生きるのは長すぎる。よく判ります。で相談所に行って登録男性プロフを当たります。 登録料などは書いてありませんが、私が市電で相談所の開設広告を見たのは6~7年前と思う。

入会費が男1万、女性5千円くらいだったような気がします。月の会費は忘れました。松田さんも似たような感じではなかったでしょうか? 相性コムは入会無料、誰からかメールが来ると会費を払って見ることになる。初めはルールがゆるく、年々きつくなった。

最初のメール相手は近隣国の人で、日本に行きたい趣旨のメールを見た記憶があります。 観光目当てもミエミエでした。次のメールが来たあたりからルールが厳しくなり、見たければ会費を払うように言ってきました。

相手は県内の人と覚えていますが、写真も出さずひやかしがミエミエ。さくらさんの可能性も大と、やはり入会はしません。 私自身がはっきりひやかしと判るプロフを書いて、人のプロフを読むのです。

資産家の後入り希望という水商売の40才……畑仕事が趣味という60才。結婚ではなく友達になってほしいという50才。男の友達がいないという55才……中でも胸に迫ったのは足が悪いがやっと子供を育て上げた。

だから私と付き合って欲しいという切々としたプロフです。場所が東北と遠くなければ、つい私も入会の事態となったろう……概ね私は、性の接着剤を欠いた関係を感じます。松田さんもそうだが、なぜ結婚相手が欲しいのか。

友達でもいいのですが、実ははっきりしない。晩飯を作って欲しいのか。話をしたいのか……旅行に行きたいというのが多い中、年中、旅行とも行かないでしょう? 取材動機だから見えてくる現実があります。 あの心打たれたプロフを何回も読んだ私は、ふと気が付いた。

この人は相手が欲しいのではない。子育て時間で失われた自分を取り戻そうとしている。相手というより、どこかに消えた若い自分に会いたいのではないか。 異性はそのダイビングボードいうのか。道案内いうのか、求めている……そういう道を私は知らない。いや知っているが、この女性は本来自身でそれを探すのが筋ではないか。以下次回。

2010年7月29日 (木)

タクショク、取りますか?

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タクショクの戴きものです。知名度も高い評判の宅食いうので期待しました……だが宅食の味ですね。宅食の味というのは匂いがしない。食素材の香りが薄いいう意味です。

今の老人好みかも知れません。和洋中のうち、和でなければならない。そういった好みのある人に狙いを絞った気がします。でもこれは本当の和食ではない。容器から、全体を和風にまとめた宅食弁当です。

レタスとかアスパラとか洋の食材は使ってない。激辛の唐辛子料理とか、モチロンやらない……悪くいえばストライクゾーンが狭い。何か嫌いな物があっても避ければいい。無難な幕の内形式。

お母さんの好み、お父さんの好み、子供だってウルさい家庭は、高齢でもそれに付き合う必要があります。それを面倒と考えるか?  面白いと思うか。そこにカギがあり、逆に私にはつまりません。

減塩など、いわゆるコンビニ、スーパーで売っている弁当とは一線を引いてます。この感じを出すのは簡単ではない思います。価格にすると百円の違いがあるだろう。ズバリ六百円というのが私の値踏み。

それが当たらずとも遠からず。配達料百円があって七百円という話です……単純化したメニューでなら私も作れます。金額も低く抑えられる。ただ私は歯が丈夫で、好みはあるが好き嫌いはない。

中華は中華なりに洋食は洋食なりに、和食は和食なりにメニューがある。それがイヤ、昔を引きずる。外には出られない。配達でなければ、それもコレでなければ言う人には、この価格は仕方がないのかも知れません。

聞くところによると、これを取っている人は必ずしも出られない訳ではない。これが一番、楽という事らしい。88円のスシを食いに行きましょうト、290円の牛丼に行きましょうト……言ってもダメなのですね。

いうなれば高齢性のヒキコモリの疑いがある。学校に行くのがイヤいうのに似ている。年を取ったから外に出るのがイヤだ……本人は否定しますけどね。アリバイが成立しない。

何だか犯罪捜査みたいになって来ました。料理もちゃんとした料理は理想でしょうが、とりあえず親子丼作って、チャーハン作って、トンカツ揚げてみませんか? いえ、そこから始める事だって出来る。

下に上げたブログ「コウちゃんの簡単料理レシピ」は若い料理研究家の、まだ半人前みたいな研究家のブログです。高齢者に向きはないが簡単な丼飯から入れます。それでとりあえず料理に好奇心を持つ。

そういう風に年を取れば、今60才の人は80才になった時、こういう宅食を取らなくても、いい食事は出来るのではないか? 高齢は突然やって来ない……しかし準備は今、始めなければならないのです。

●コウちゃんの簡単料理レシピ http://blogs.yahoo.co.jp/boooy2005

●ワタミのタクショク http://www.watami-takushoku.co.jp/shouhin/just_dinner.html

2010年7月28日 (水)

コーヒーブレイク ドリップ布

Kohi

バカバカしいコーヒーネタです。趣味でない人は読まなくてよろしい。

私は一応ネルドリップ式を取っています。一人分のネルドリップは至難です。手順の最初にまずカリタ式ではなくハリタのドリッパーを使います。

カリタ濾紙の1人分を裂いて2つにすれば、ハリタでは1枚で2回に使えます。むろんカリタ濾紙2~4人分を2つに裂けば、これも倍に使えます。味も微妙には違います。

しかし、いくら濾紙の経済をやってもおいしいコーヒーには結びつきません……で、紙の代わりにサイフォン布を使うのです。かなりコントロールを必要ですが、布は布、これで味が飛躍的に変ります。

これが昔、布が厚かった時代があってネルも立派でした。数年、数十年が立つにつれ布が薄く、ネル毛も貧弱になります。布のバブルがはじけた訳ではないが、紙のように薄い事になります。

それでまたマズイ。代用に赤ちゃんの手袋、靴下など色々と試したのですが帯に短しタスキに長し……どれも決定打にはなりません。それで原点に帰って、ネル布自体を買おうか?

そういう考えに至ります。ヤフオクでネル布を探す……ありました。でもこれ何に買うんだろう? 1mで送料共千円くらい。両面ネル仕上げの高級品といいます。買おうと思い立つのです。

……ちょっと待て。ネル毛が裏表でいいのならサイフォン布を裏表に2枚重ねに縫えばいい。サイフォン糸が最初から付いてますから、それを抜いて2枚重ねに縁を縫う。アイデアはここまで後は、簡単な被服の時間です。

ソーイングセットは100円ショップにあります。この場合、縫い針一本あればいいんです。この布でドリップしてみます。ゆっくり湯が通ります。予感いうか感触はいいですね。

でも今時、こんな手の込んだ事しません。だから言ったでしょ。バカバカしいコーヒーネタです。趣味でない人は読まなくてよい。本日もお後がよろしいようで……

2010年7月27日 (火)

AIKI 再び

どんな小さな犯行にも動機があるように、意識無意識をいわず恋愛感情にも動機があるもんです。太一があまりに商売下手で見るに耐えなかった……可愛そうだた惚れたってことよ。

AIKIの場合、脊髄損傷、合気道と説明しなければならない事が多く、恋愛にまで動機付けをやる手間がかけられない。そういう風に言えるかもしれません。しかし動機の足りない恋愛は、それだけで安っぽく、映画全体をありきたりにします。

障害自体を口説き文句にする方法を昨日書いたのですが、この方法は当座はともかく言ってしまった相手との、後のプライドの維持が難しい。この映画のコピーは「生きてるだけじゃダメなんだ」いうのです。沽券に関わります。

沽券というのは男の沽券という言い方で昔に使われた言葉で、証明書の意味ですが、女性の沽券とは聞いた事がありません。一種の差別用語のようで、ここでは人間の沽券という意味でごまかしましょう。

証明、約束、通常は切らないカードを切る所から見ても恋愛も交渉です。ASIKIの原点は姿三四郎ではないかとも書きました。三四郎では女性の下駄の花緒が切れ挿げ替えるシーンがあって、これは当時有名になります。

三四郎は単純に男らしさを目指す人ですが、イザとなったら私は女性に踏まれても結構です。そういう意味になります。黒沢は後に椿三十郎でも同じようなシーンを作ります。本当に女性に踏まれてプライドが維持できたか? 私は怪しい思います。

AIKIではこれに当たるシーンすらない。それで言うと何ですがAIKIはいわゆる男性映画の範疇に入って女性が見ても面白くない。端的に言えばそれで当たらなかった……と私は思います。男だけの論理、健常者だけの論理というのは論理としても怪しい。

車椅子から降りた身障者は後ずさりに移動する……これも限定的な正しさで絶対ではないのです。後ずさりいうのは手が利いて出来る事で、手に障害があった場合、転がって体を動かす。そういう人もいる……まあ映画はこれでいいのです。

ただ画面に出てくるのは身障者なのに、この映画にはどうも深みが出てこない。心から納得させるものに欠ける気が、実はしないでもない。よく出来ている、出来ているだけに出来ない部分が目立つのかも知れません。

そこまで言うべきではないのか? このDVDには30分の長いメイキングオフが付いています。監督や主演者は、そこまで問いかけているようにも思えます。

2010年7月26日 (月)

AIKI 映画

Aiki

天願大介監督で「AIKI」をDVD屋でやっと見つけます。これいいです。いいという評判で、なお実際にいいという例は少なく、気まぐれに借りて見たら随分いいでしょうが。

このDVDはどの店にもない、ありえない。やっと見つけたのです。この監督、脚本は色々あるが監督作は少ない……イメージを先行させて現実を無視する映画の多い中、この監督はそれをやらない。

判らない事はひとつひとつ事実で持って埋めたらしい。車椅子の運転を教える風景など絵として取り込まれた場面もある。車椅子を降りた車椅子者は後向きに尻から這うなど的確に押さえられている。

この監督、中途障害者の孤独にかなり関心があるようで、脊損特有の症状、つまり家族からの突然の決別を事もなげに描く。日常とか明日とか、普通に共有している物が共有できなくなる。

子供であれば家族と家庭を共有している。若者であれば友達と社会を共有している。大人になれば自立し、厳密には私は私であり家族や友人の代りにはならない。それに気が付かぬ人もある。

共有したのは過去であり、いつまでも有効ではない。そのあたりの感触を小気味よく映像化して見せる。ただ的屋のオヤジ登場からサマ子と知り合う過程でクールさは埋め合わされる。

前半の身障者感覚も面白いが後半の合気道にはウエイトがある。太一は父性原理を求めて武道に向う。父性原理は力だけでなく、宗教や哲学、道徳といった理論でも求められる。

監督のいう3人組は分散された今村昌平、父の姿なのだろう。(火野、桑名、石橋)後半の物語は姿三四郎と重なる。三四郎は黒沢監督のデビュー作で、ありがちな類型なのだろう。

オウム教が問題になった時に、なぜオウムかと言われた。信者志願者に父性原理が足りなかった訳だが、そんな物は何時だって足りない。特に足りない時を設定する。身障者問題のひとつの捕らえ方だろう。

サマ子像の設定に動機が足りない。私が考えると……障害者男が女性を口説く文句だが、モテないというのです。障害男は絶対にモテないという……浮気が出来ないと匂わす。

女性が恋愛に踏み切れない場合、ひとつに浮気が心配です。浮気に不安のある女性は本気で信じる。そういう人もいる。実際、健常者に比べればモテないが……これは監督も思いつかなかったか?

     http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=2939

     http://ja.wikipedia.org/wiki/AIKI

2010年7月24日 (土)

母にケータイを

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84才の母上は、息子にねだってケータイを買われる。左半身が動かない脳梗塞ですが、本人の希望は電話でなくメールです。メールをしたいというのが黒川博行さんのお母さん。

珍しい話なので私としては本当かト怪しみます。ああ、週刊新潮のページの隅にKDDIのマークが載っています。これ広告ですね……嘘という訳ではないでしょうが、まあ、そういうお話です。

話はケータイが出来るずっと前からありました。押しボタンの付いたペンダントを、高齢者の首につけてイザという時の用心にしようという。ペンダントの価格が1万とかで今も覚えています。

結局、そのペンダントは普及しなかった。むろん買われる高齢者も無いではなかったが、ペンダントを引き出しの中にしまい込まれ、玄関や風呂やベッド、トイレで役立つ事はなかったのです。

ペンダントの代金の他に、維持費が月づき……忘れました。かなり昔の事です。それから比べれば割安のケータイ、なのに高齢者にはなかなか普及しません。まあ、その辺の事情はお恥ずかしい話、身障者も似たようなモンです。

高齢者が危機に陥る場面は限られています。家の外、歩道の上もありますが、意外とよくあるのは玄関の内外です。あとは家のなか風呂トイレ、ベッドの脇と相場は決まっている。

倒れた瞬間から意識がなくなる場合もありますが、意識だけは残っていてケータイを身につけていたら助かったケースはあります。極端なのは犬にケータイを持って来させて助かったいう例もあります。

そうなると、つまらない事を教えないでケータイだけは持って来るように仕込んで置くべきかも知れません。いえワンコの話……ニャンコは無理でしょう。あ、どうしても、お宅のニャンコにケータイを教えるんですか? ああ、そうですか! お止めしません……

2010年7月23日 (金)

水俣病の医学的根拠

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どういう事か? にわかには理解できないが最高裁は一度、水俣病患者と認めたという。大阪府豊中市の女性84才は、なのになぜか患者認定申請を棄却される。84才女性はめげない。

再び国と熊本県を相手に地裁訴訟を再開する。その判決がこの7月16日、大阪地裁であった。山田明裁判長は「複数症状の組み合わせを要件とする現行の認定基準の医学的正当性を裏付ける的確な証拠はない」として処分取消し、女性を患者認定するよう命じます。

大阪地裁は、複数の症状が認められた場合のみ認定するとした77年の認定基準を「医学的根拠がない」と否定。複数の症状がなくても、症状の内容や生活歴など個別の事情を総合的に判断すれば水俣病と認められるケースもあると指摘するのです。

命じたとしても地裁です。次には高等裁判所があります。国と県は控訴を決めます。弁護団や支援者団体らは20日、環境省を訪れます。国と熊本県が明らかにした控訴方針の撤回を求め、認定基準を見直すよう申し入れます。

これに対し蒲島知事は「水俣病特別措置法に基づく救済策を待っている被害者を動揺させてはいけないという判断もある。今回の判決は原告一人の問題ではない。国と県が同じ方向に進んでいくことが大事」と述べ、国との連携を強調します。

蒲島知事は一方で「84才の原告の置かれている状況に人間として深い思いがある。控訴せず、原告を直ちに認定すべきだという意見は、個人的に理解できないわけではない」ともいう。

判決を下したのは裁判官です。この所の民主党下の判決には、このような判決が多い。判決に与党はどう答え、どう対処して行くか、国民に見られている。水俣病の行方は福祉全体の行方を暗示します。被害者だけの思いでさえ、なくなっている。

方針より基準に医学的根拠を示して欲しい。

2010年7月21日 (水)

卒業 映画

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映画「卒業」を見ます。ダスティン・ホフマンさんの、あの卒業に妙な発見がありました。成績優秀で卒業した若者を待っていたのは……親の友人の奥さんとの情事、アン・バンクロフトさんの色気でした。

でも映画が見据える奥にあるのは町の倦怠です。ミセス・ロビンソンがなぜベンを誘惑するのか? 早くに娘が生まれて遊び足りなかった……すでに町は閉塞して若者が切り開く所はない。

町つまり当時のアメリカの雰囲気らしい。プールのある家が珍しくない事は知っていましたが、ロビンソン家か、ベンの家かにプールがあるらしい……自宅にプール欲しくありません? 私は欲しい(笑)

映画の中では欲しい物が無くなっている。ベンが乗り回す赤いオープンカーを憧れにしている人は、昔いっぱい居ました。若い人も若くなくなった人も、ベンの暮しに憧れました。でも米国ではオープンカーに飽き始めたらしい。

クルマが何なのか見えてしまった今、赤いオープンカーには乗りませんわねえ。あれは不便ですもん。周囲のノイズがうるさいし髪はバサバサになるし、降られりゃ雨漏りするし、ヒーターやクーラーも効きは悪い……まるで乗っていたような口ぶりです(笑)

私もクルマには奇を衒う事なく、フツーのクルマに満足できるようになる。比べればオープンカーって、フツーの生活に飽きてアル中になった主婦のような乗り心地でしょうか? いえ失礼……何か妙なことを口走りましたか?

町に横たわる生活を、映画ではそういう風に描写します。卒業したって何かが始まるのでも、始めるのでもない。オープンカーを捨てて走るベン。ガソリンを入れれば走るのに、もったいない。オープンカーが好きな人は思うでしょう。

妙な発見というのはラスト、教会にベンが現れるシーンでミセスは笑っています。ここは笑う所ではなく、すぐ帰れという表情に変るが編集ミスでしょうね。あるいは取り直しの予算が無くなったのかなあ。

ベンとエレンが乗るのはオープンカーではなく、通りかかったバスですね。あまりに有名なシーンです。なぜオープンカーではないのか? その辺にマイク・ニコルズ監督のメッセージもあります……で、私はちょっと大塚博堂さんの歌を思い出してしまいます。

Youtubeを引用しようか止めようか迷うのですが、博堂さんはどうしようもなく暗いからなあ。私の趣味と違います。この記事に予定したオチは、ダスティン・ホフマンはプールのある家に住んでいるでしょうト……

しかし私はプールのある家に住んでない。とうてい今からも住めそうもない。だからダスティン・ホフマンになれなかったヨ。ダスティン・ホフマンになれなかったヨ。ダスティン・ホフマンになれなかったヨ。

2010年7月20日 (火)

5年後、老化した自分と

0270182役所のロビーで女性と話をしていると、その人が民生委員という事が判ります。委員氏から「男は老化が早い、あれは料理をしないからでは……」という説が出ます。やがてケータイが鳴り、委員氏は、その用に席を立つ。

帰って来て言われるに用というのは高齢者が道で倒れられた。それは懸案業務の高齢者で、体調がよくないのに一人暮らし。民生委員としては安否確認に忙しい。悪い結果でも出ると民生委員が責められるそうです。

――「孤独死」も大往生のひとつの形として認められませんか?

私は呑気なことを口走ります。熊本市の中央部分では若い人が少なく、高齢者が多くなっていく傾向にある。ドーナツ化です。わざわざではないが、若い人は市の周辺に住むのです。

老人は遊離している。だが本人も家族もその自覚はない。時代の流れは速く、対策は早め早めに打って行く必要がある。熊本市は毎日の安否確認を民生委員に要請するという。その前後の関係から老人はケータイを持たされていない。

今回、トラブルの原因は老人に家族がなかった事もあるが、ケータイがなかった事のように聞こえる。筋トレはやっておいた方がいい。ケータイは持っておいた方がいい。若い人のいなくなった町で他人介護は宛てには出来ない。

だが一方でスポーツは嫌い機械は不得意……それは勝手だが、我がままを言うならイザという時の覚悟をきめなければならない。誰の責任でもなく当り前の事です。そういう世の中です。

もっとも筋トレで若返ってもせいぜい3年か5年、その後を老いはたちまち追い抜いて行きます。肥満や糖尿の対策としては、もう少しあるかもしれませんが、老後は確実にやってくる。

女性は少し長く持ちます。それも比較の問題で、不要物はヤフオクで売り払うようなパソコン術の使い手には、なかなか成れない。そんな事は出きる人にしてもらう? ……おお、それは正解に準じる答えです。

確かにケータイを持ってなくても通りがかりの人を捕まえて、千円札渡して「救急車よんでくれ」言えたらいいんです。そしたら素晴らしい。素晴らしい事が出来ますか? ケータイや筋トレ出来ない抵抗があるいうのは、それも出来ないと思われる。

将来に若い自分を重ねて対応してもそれは出来ません。老後には確実に老いた自分がいる。道に倒れた高齢者は舗道に体を打っただけでケガや異常はなかったらしい。

「これで家族も対策を考えるでしょう」委員氏の最後の言葉が残ります。