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2010年5月

2010年5月31日 (月)

デニス・ホッパー論

Denisu

デニス・ホッパーさんは監督するにしろ出演するにしろ、悪漢を描き演じることが多いようです。ではデニス・ホッパーの中に悪や悪漢が居たかというと、それは怪しい。

ホット・スポットという映画はドン・ジョンソン演じるハリーという、中年男が田舎町にたどり着く。町には守りの甘い銀行と、訳ありの美しい娘がいる。夫には不満を持つセクシーな夫人……

ハリーは銀行強盗の計画を練りながら、夫人の見えみえの誘惑に乗る。それはしたたかな犯罪者いうより、少年が自宅金庫から小遣いを盗むように見えて他愛ない。

むしろ話のカギを握るのはJ・コネリー扮する娘です。清純そうな娘が、なぜ中年男に近づくか。男は二人の女を天秤にかけ、なぜ若い方を取ろうとするのか。

よくある話といえばよくある話を、ホッパーさんはしつこく追い続けました。虫のいい話はいわば悪夢の親戚に属する。若い女と銀行強盗の2兎を得るサスペンスは、これは変わらない男の夢です。

違います。女性の願望も大差はない思います。西川美和監督「ゆれる」は弟(オダギリジョー)と兄(香川照之)の間でゆれる女心(真木よう子)が焦点になります。

ずーっと見ていて次第に妙な感じが高まる。この話が現実ではなく、西川監督が見た夢の風景を夢のまま映画にしようとしている。これは一種の悪夢だからです。

映画には裁判シーンが多くあるのですが、TVなどで見る法廷とは全く違う。審議される内容も妙といえば妙です。私は身障者になった現実体験があって、そこから悪夢を見ました。

悪夢のように過ぎていく現実と、ただの悪夢には違いがあって、感触やリアリティも判るものです。たとえば香川さんと現実に結婚していて、娘時代から夢見た男はオダギリさんである。

西川監督は女性ですから、そのような願望を抱きつつ生きている訳です。それで現実の男には殺意を感じる。いえ現実そのものへの殺意というべき、否定がある思われます。

そういう女性が実の夫を殺して、空想の男と結ばれる夢を見る。「ゆれる」はそういう映画です。そうしますと香川さんやオダギリさんの演技は空に浮いてしまう。

私のように取り返しのつかない誤診を受けた患者が、誤診した医師に殺意を抱く。それで夢の中で医師を殺す……現実の医師殺しとは違う。両者は似ていますが、後者はむしろ簡単に演じられる。

デニス・ホッパー監督は酒や麻薬に溺れた時期があって、光景をあたかも夢のように作る……ように感じられます。私には麻薬期はなく、不自由を埋め合すべきというか……

悪夢の後では、むしろ鮮明な殺意を感じました。ホット・スポットとは現実に、どういう意味かは知りませんが、ホッパー監督には殺意の焦点、リアルで鮮明な焦点を描いて欲しかった。

2010年5月29日 (土)

幻滅から

Hatoyama2

昨夜の鳩山首相のニュースを見て、かなりの人は幻滅したでしょう。幻滅の意味は、理想化していた夢が破れること、つめたい現実に帰ることを云います。

身障者になると場合によってトラウマが残ることがあります。脳性麻痺などの障害はこれがない、ない場合もあるそうです。あるのかないのかはっきりしろ、そう云われても困ります。

事、こころの在り方に関しては同じ現象でも、心から出たら、行動では反対に見える。私の場合はトラウマを脱しても、動かない足は依然として動かない。だから身障者というのですが……

自分の足では歩き出せない明日に幻滅しました。自民党にうんざりして民社党に投票したのに、たちまち幻滅しましたか? そういう人が沢山あって欲しい。その幻滅は私の体験と似ています。

なぐさめに死ななかったからよかった、ような云い方をされても、慰めは判りますが「今度はまた自民に投票しよう」と云われるようで幻滅感をぬぐえません。

いえ幻滅は、ぬぐい去ることは出来ない。理想化しない夢を抱く、あるいは冷たい夢を見ることが目標になる……むしろ大人びるとはそういう事ではないでしょうか。

喉元、過ぎれば熱さを忘れます。アツモノに懲りてナマスを吹くようであってはならない……とはいえ、私は斜に構えて見えるらしい。私は身障者になって以降、同級生と波長が合わなくなります。

世界同時革命なんて云われてもピンと来ない。筋トレルームで鍛え続けた女性は、一般の男を凌ぐようになります。だからと云ってジェンダーがうまく行くとは限らない。

もちろん悲観主義という訳でもない。ただ幻滅から始まる事があります。バラ色の夢を見ている人には私は共感できません。幻滅から始まる人に、通じる物がある気がします。

2010年5月27日 (木)

三菱アイのその後

Img_04322

その1、三菱アイには収納が足りないと考えました。ドリンクホルダーならいくつもあるんですねえ。ホルダーにコップを挿すと、コップは収納になります。だがコップは走るとカタカタ鳴ります。

ちとウルサイ。それに事故った時に危ない。ウルサイのはセルフ・スタンドに備わる、ビニル手袋を被せればいい……ガラスコップを紙コップに変えれば適当では?

はい決まりました。紙コップをビニル手袋で包んで挿す収納、いらない時とコーヒー飲む時には外してしまう。紙コップは何でも入ってしまう。あまり入れると書いたように危ないトお覚悟を……

その2、先に高速では風の音がウルサイと書きました。遮音が問題か、車体が大きいからかト云った事が、ひとつワイパーとの意見が出ています。ワイパーが大きいので風に鳴る。

Youtubeの中に「クルマのツボ」三菱i編があり、その2回目3:20あたりで指摘が出ます。

     「クルマのツボ」三菱i編 

http://www.youtube.com/watch?v=xTsVZK6ZL18

風音はエオルス音といわれる。風自体が鳴るのではなく、風に当たった物、木の枝や電線の後に空気の渦が出来る。ひゅうひゅうというもがり笛、虎落笛と書きます。そのほか疾風台風、木枯らしの音です。

三菱で聞いてみると現象自体を知らない。アイミーブでは違うワーパーゴムを使っていて音は更に大きくなるのか? 推測でいうと先に書いた現象と合わせ、ゴムからではなくワイパーの腕部分から、多く音は出る。それに大差はないでしょう。

アイの顔であるフロントガラス、その鼻柱であるワイパーの特性が意外なことに知られません。熊本の担当氏は知らなかった……むろん解決は簡単ではありません。

最近は液体ワイパー使う人も多いので、ゴムワイパーは必ずしもいらない。取り外しが出来るようにしたらいい……では無責任か(笑)どちらにしてもアイは高速を飛ばすクルマではありません。街なか駐車場から駐車場へと駆け回る方か似合うようです。

2010年5月26日 (水)

車椅子駐車場その6

Img_04342 どうかと思うのです。こんな所に停めて、私は撮影の後で運転手の名前と顔写真も見ましたが、撮影は無理なようでした。その時、後ろで声がして知らない男が立っていました。

私が運転手です、と云ってもらえればよかった。

――タクシーが、こんな所に停めて困ります。

批難口調を聞き流した男は、写真より老けていて、運転手らしい服装でもありませんでした。若くないのに、

「それは私です」肝心な一言がありません。

気がつかないで私はタクシー会社に電話しました。

「写真は古くなるので」窓口は言訳しました。古い言訳に終始します。最後に、

「ご迷惑、おかけしました」と電話を切ってしまいます。

判ってません。足が悪ければ運転手が車椅子駐車場を使っても、私はいいと思います。ただそれなりの書類を提示して欲しい。県のいうパスとか、身障者手帳とか、道路使用許可書とか、本人も本人なら会社も会社、知らないのか? そんなはずはないでしょう。

現実を知りながら、元の元、県行政はどう考えているのか。前回、車椅子駐車場に、このような返事が来ています。昔のまんまの文面、これで通そうと思うらしい。こういう風に差し支えがあります。困るんですよ。

このたびは、「知事への直行便」をいただきありがとうございました。

 本件につきましては、知事からの指示により、担当しております健康福祉政策課で回答いたします。

 今回御指摘いただきましたとおり、本来はその必要のない方が障がい者用駐車場を利用するという状況が後を絶たないことから、県では、当該駐車場の適正利用を進めるため、平成20年1月から「熊本県障がい者用駐車場利用証(ハートフルパス)制度」を導入しています。

 この制度は、県が障がい者用駐車場をお使いいただける方の基準を定め、対象となる方に「利用証」を交付し、交付を受けた方が車両の外側から見えやすい位置に利用証を掲示することで、御協力いただく施設の障がい者用駐車場において、真に必要な人のための駐車スペースの確保を図るというものです。

 障がい者用駐車場の適正利用を図ることは、障がいをお持ちの方々等が社会参加をとげていくうえで非常に重要なことであり、ご意見のようにそのためには罰則によってでも、というお気持ちについては私たちも理解するところです。ただ、罰則を設けることは、私有地における私権の制限につながること、これを監視・取り締まるためのコストが膨大となることや、広く県民の理解を醸成していくこと等についての長期的な施策の取組みを要するなどの難度が高い諸問題があり、すでに障がい者の社会参加に対する強固な基盤ができている諸外国に比べて、すぐには困難な状況が考えられます。それよりも、まずは駐車場利用者や施設管理者の意識を啓発していくところからこの問題に取り組んでいくこととして開始したのが、このハートフルパス制度です。実際全国的にも、現在、同様の取り組みは13県3市となり、さらに広がりを見せているところです。

制度開始以降、ボランティア団体と協力して障がいのある方等への理解を深めていただくキャンペーンの実施や、障がい者団体の協力をいただいてアンケート調査等を実施し、制度の効果や課題についての検証を行っておりますが、パス利用の方々や協力施設からも概ね一定の評価をいただいております。また、車の見えやすい位置にパスが掲示されることで、県民の方への日常的な啓発にもつながっていることから、本県としては、この制度を中心に、駐車場の適正利用に向けた施策を進めていきたいと考えています。今後、この制度については、全般的な検証を行いながら、より望ましい施策につなげる検討を行っていきたいと考えています。

今後とも、皆様の御意見を伺いながら、誰もが楽しく出掛けられ、共にいきいきと暮らせるやさしいまちづくりを進めていきたいと考えておりますので、御理解、御協力をいただきますようお願いいたします。

 平成22年5月20日

 

             熊本県健康福祉部健康福祉政策課長  吉田 勝也

2010年5月25日 (火)

サガン~悲しみよこんにちは~

Sagan

不幸には様々な顔があるが、幸福はみな同じ顔をしている。若くして書いた小説がヒットした、Fサガンを幸福に導いた小説は、若い娘が愛する父親と別れる話でした。

小説に限らず、父親に愛人が出来れば娘は自立するしかない。映画の中で、印税の使い道をサガンは父に聞くが、父親は使ってしまえトいいます。若い時は体験を買うのが一番という意味です。

サガンはジャガーに乗ってカジノに行きます。持っていた有金を全部する……その直前にツイてツイて、今いる別荘を丸ごと買うほど勝ちます。不幸は、幸福の別な顔でしょうか。

よくある話です。誰だったか、日本のベストセラー作家も最初の買物がスポーツカーだった。彼の場合はスポーツカーを思いっきり飛ばして一発免停を食う。

誰もが贅沢に肯定的イメージを求める。幸福とは、あるいは不幸とはそういう事です。スポーツカーで、サガンは死ぬかという事故を起こす。得られる物が肯定的とは限らない。

金で買う幸福のイメージはなぜか、高級車と別荘くらいしかないのです。フランスにはイエがない。個人主義は個人がすべてです。自立が果たされてしまうと、その先も無くなる。

サガンは運転技術には関心がない。云ってみれば人に見てもらう車だった訳でしょ。私がポルシェは買わない云うの、まんざらのやせ我慢でもないの、判っていただけました?

障害という事は実の親でも判りません。厳密には同じような障害があっても判りません。全く同じ障害はないからです。10才でそうと気が付けば他人に理解を求めなくなります。

歩き方が変だから他人は私を見つめます。先のクルマを停めて置くと女性にジロジロ見られましてネ。今回のクルマも、ちょっと派手でした。やはりそう。クルマに乗った私は見られる訳です。

ポルシェやジャガーに乗るとどうなるか。想像はつきます。羨望のまなざしと歩き方が変で見られるのと、むろん意味は違うのです。それは判ります。ただ私の感じは大差がない。

サガンの場合は男運が悪いト映画では表現されます。サガンの実の父という人の出番はあまりない。サガンには家庭のイメージが希薄です。家庭は雇人に任せて管理するんです。

サガンだけのイメージではなく、上流階級に誰にも付きまとう感じです。たとえばエマニエル夫人なども、その基本でした。上流階級は家庭を置いて享楽を楽しむ、体裁よく言うと愛です。

幸福のイメージは時代が下ると、上流から中流家庭に向って流れます。元のままではなく多少の変形があっても、幸福は家庭にない。仏映画で私はそう感じます。

サガンには息子があるが成人した息子に、サガンは会おうとしない。かつて家庭を顧みない男が猛烈社員といわれ、誉めそやされた。今は家庭を顧みずジェンダー運動に熱中する。それが女性の理想のように言われる。

独身の私には関係のない。それは同じ事のように思える。猛烈社員と猛烈ウーマンという訳です。サガンの息子は別荘の扉をたたくが中に入れてはもらえない。

フランスではないですよ。オランダでは公娼、おおむね50代の売春婦の存在がある。この売春婦は失われた家庭の代わり……こういった癒されない息子に派遣される……の、では、ないか?

(セックスボランティアの海外取材シーンに、これは出てくる)

ではこの映画の肝。

私がひそかに恐れるのは愛なく生きることだ。私が死に近づいても誰も引き留めない。心臓の鼓動を共有する人もない。みじめだ。寄り添う肩が欲しい。そのために人は愛するのだ。孤独から逃避するために、それを意識することこそ本当の悲しみだ。

2010年5月24日 (月)

とまどう病状

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知識は日々に広がっていく。常識がそれほど当てになりません。私のような老人がぼんやりしたり、口をぺちゃぺちゃ動かします。これは高齢からの症状と思うと、それがそうではない。

落ち着きを失くしうろうろするといった現象でもテンカンによる場合があるそうです。その筋のニュースによりますと、60才前後から、こういった癲癇による病例は急に増加します。医師も戸惑う。

仮に家族の中にそういう例があったとして、どの病院に行きますか? 総合病院、掛かり付けの病院、それとも救急車を呼びますか? 最後のはちょっと大袈裟かも知れません。

日本では救急車の出動は多く、前例でも出てくれない事もない。お勧めしている訳ではありません。フランスでは救急車の台数は日本の10%に過ぎず、仏では絶対に出しません。

仏では家族の病状が判らない、判断が出来ない時も日本で云う119番に、やはり電話します。むろんそういう使い方でよい。出るのは医師で、電話の向こうの医師が問診を行い、適切な指示を出す。

救急車が必要とあらば救急車を出し。必要でないと判断すれば何科に行くように勧めます……仏に行った訳ではありませんが、戸惑いもムダもない体制は、うらやましい。

日本の場合は救急車一台に、それなりの設備を備え、救急隊員が二人と運転手が付け、総合病院に向かう。あげくムダどころか、たらい回しとなる。その現実はご存知のとおりです。

金をかけるだけかけて悲しい結果と思いませんか? 電話口が医師だったら、病院の紹介まで貰えたら時間も短く済む。どう考えたって不合理な習慣、税金を多く消費している。

大きな総合病院でないと安心できない。そういう国民性にも疑問はあるのです。医師に向って話しかけるのが怖いのです。もう一言、聞かなければいけない場面でも一言が聞けない。

薬局が込んでしまう理由のひとつに、その一言を薬剤師に聞く患者が多いから……判らないではありません。最後のチャンスです。しつこく聞いたら医師に嫌われる感じ、ありますもんねえ。

仏国ではその辺をうまくやっています。それが判っていても、なお、日本ではそうならない。なぜか? いったん始めると習慣化してそれを守り、習慣を変えるのが怖い、変える事を嫌うからです。

ただ、仏国に似た対応を引き出す手はないではない。車の任意保険でそういうサービスがあります。電話で本人や家族の病状の相談にのる。フリーアクセスに保険番号を告げると、相談が始まります。

電話の向こうは医師か、それに近い専門が病状を聞き取り、適切な病院を紹介します。医師恐怖症という人も、怖くないと思います。戸惑わぬ先に、任意保険も調べておいて下さい。

2010年5月23日 (日)

「上の空」藤川景

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入院すれば世間と断絶されます。それはある意味で自分を見失う訳ですが、別な関係に目覚めたりする。頚隋損傷の藤川景さんの場合、お掃除おばちゃんとの関係ではなかったか?

著作「上の空」で、最初は首も動かせないという重度障害の藤川さんに、初めておばちゃんが声をかける。この時、病室には誰も居なかったのでしょう。藤川さんは自分で対応します。

「ちっとは横になれるかい」

藤川さんは、おばちゃんの言葉の意味を取りかねる。暫くして楽が出来るか、ト藤川さんは意味を取る。文学部卒、出版社勤めでおばちゃんとは会話がなかったのでしょう。

私は入院するとすぐ、漱石全集を読み始めました。散歩には一眼レフを持って出かけます。同室に大学関係も一人おられ、どう見られるか気にしなかった。

そうすると医師や看護師の視線が何やら違う。違う扱いのような気がする。藤川さんも似たような感じではなかったか? 部屋に来たおばちゃんは誰にともなく、前日のパチンコの成績を披露される、そういう清掃係があります。

――お早うございます。昨日の成績はいかがでした。

ある朝、清掃係に私の方から挨拶すると、おばちゃんは目を白黒させて見えたが、

hataさんとは話がしたかった」とお上手を云われる。

hataさんな、パチンコせんとだろ」

ご指摘どおり経験が全くないではないが得意とはいえない。株の話で応じようか、どうしようか迷います。迷って競輪の話にします。

まあ選択は適当だったと見え、やがて同僚、寡黙な清掃係から話しかけられます。こちらは品がよく、パチンコに行くように見えません。直接の話はパソコンでしたが、パソコンの話をしたい風でもなかった。

つまり藤川さんはおばちゃんに仕事を超えた、お見舞いを受けるのです。しかし藤川さんはそう確かめる元気はない……言葉だけのこと、なぜ確かめなかったか。私は本の外側から、藤川さんを非難します。

病室に古いノートパソコンを持ち込みました。500円で買ったパソコンで記事を書き貯める。また部屋に帰るとデスクトップからメールや必要な情報を取ってくる。そんな風にやっていました。

その清掃係に、簡単な事と説明しました。おばちゃんは首を横に振り、

hataさんはうらやましい」と繰り返しました。それは見舞いではなかったか? 物静かで大人しい清掃係は私のタイプでした。

人の好意に報いるためには病人といえども元気を出さなくていけない。見舞われるべきは患者だけではない。清掃係であり医師であり看護師ではないか? 見舞い見舞われ、人は励まし合って生きていくからです。

誰もが疲れ、現実の前には元気を失くす。自分のためだけでなく元気を出さなくてはいけない。出版とは書く人と読む人をつなぐ仕事ではなかったか。元気と元気の取り持ちです。藤川さんは誰と誰をつなぎえたか?

●藤川景ホームページhttp://homepage3.nifty.com/fujikawa/

●画像はダスキンから無断借用 http://www.duskin.jp/office/products/035656/index.html?01

2010年5月22日 (土)

遠くへ行きたい

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それでも明るい何かを見出す、そういう事と思います。いきなり結論だけ書いても何のことか判らないでしょう。フリーペーパーで熊本市から天草への日帰り旅行が2580円という。

何でもいいから、遠くへ行きたい。この目的は天草の花しょうぶ祭です。バス代だけで食事は別、後は買物にあちこち寄るという内容……行っては帰るいわゆる観光バスの旅です。それでは詰らない。

一泊するならそれもあります。阿蘇に向かう一泊2日、こちらは入湯が主な目的になります。高森では、おひとりさまが7980円といいます。一人で行っていいのならお得でしょう。

連れがいると何かと厄介、買物に回るだけなら熊本市内でも充分に出来ます。5月下旬から6月中旬の梅雨の間、どうしても客の来ない平日だけ、もう最初から安くしようという。そういう値段です。

雨降る山々を一人ながめて何が面白いのか? それを云ったらダメです。風情もへったくれもない。雨降る露天浴場にポツンと浸かって霧にけむるクヌギ林かなんか眺める。

それが粋ってもんです。浴槽が空いてるからと泳いではいけない。誰かいると、こちらから声をかけてはいけない。なぜって野暮でしょう。袖摺り合わぬは多少の不縁……そんなコトワザはありませんが不縁に縁を求めても。ひとりさまは一人を楽しむモンです。

南阿蘇、高森はクルマがないと行けません。絶対出来なくはないが、平日の品薄ですからお買物には向きません。山里でご馳走も基本的に向かない。肉や魚を食いたがって何か買わないと納まらない……あなたは野暮と思います。

フリーペーパーでない旅は知らないのか? 何とおっしゃるウサギさん、元の天草にかえして熊本市から下田に向うと2時間のドライブになります。宿泊2食つけても7000円以内というところがある。

魚は土地柄から期待できます。もっとも眺める景色は海に降る雨、阿蘇と大差はありません。釣りや泳ぎは向きません。温泉もないことはないが少ない。何もない、その辺がよしあし。

そろそろ決定打を打ちましょう。温泉、旅情、食事、買物が揃っている所があります。温泉は温泉には違いない、その程度ですが、温泉につかって眺望は熊本城が見れます(笑)

食事はそれこそ肉魚、中華、和洋……全プログラムが取り揃え、買物もないものはない。これが熊本市内ですね。たとえば泊まれる温泉「城の湯」なんかがそうです。

泊まると云ってもサウナ形式で寝てしまえばいい。最近は温泉合コンなんて訳の判らん企画を立てています(面白いという意味)これは30代中心に当て込んだ企画と思います。

温泉風の銭湯も何軒かあって、実際には遠くに行く事はない。元々が観光都市です。千円もしない入湯料、食事みやげ付きでも2500円が可能です。

息が詰るのか行き詰るのか、それでも明るい何かを見出す。結局、自分自身です。そのためには市内を見直す方がよい。遠くより身近、私などはそう考えます。

●遠くへ行きたい ちあきなおみ 

http://www.youtube.com/watch?v=GMuHErJ3Sq0&feature=related

●この写真は787.TSUBAMEのきまぐれブログ のツバメさんのホームページから借りました。同ブログは鉄道、クルマが趣味のブログです。

http://blog.livedoor.jp/express_tsubame/

2010年5月21日 (金)

グラン・トリノ 映画

Torino

映画グラン・トリノを見ました。ペイルライダーや、許されざる者の系譜に入ります。内容的には西部劇、その挽歌という内容です。善人が善人らしく悪人は悪人らしい、すぐに見分けが付きます。

実際の人はある意味で善人、それが突然、悪人のなってしまう。お金さえ見なければいい人なのに、つい見たから……見せた人が悪いように言われますが、お金のない国はありません。

西部劇という世界では、やたらスケベで女性を見ると人間が変わったり、その他の欲に駆られると豹変したり、そういう所がないのが善人です。それは単に気が小さいだけ……あるいは子供なだけ。男は基本的にそういう所がある。

全員そうなのか、ただ主人公は違う。例外で色々な個性が許されます。見る側、観客はその主人公に共感し同化して考え、主人公と共に行動する。それが前提で映画が出来ていました。

今は現在の観客は基本的に違って、主人公には批判的だったり露骨に反発しながら見ます。若い娘をたぶらかすちょい悪親父を出すとすると、若くない女性に嫌われます。

娘を持つお父さんにも嫌われるかも知れません。Cイーストウッドさんはそういう役を好んで演じて来ました。相手役はSロックさんでしたよね。あの頃は男だけを対象に映画を作っても、よかった。

今は違います。半分以上が女性で、男とは女性に連れられて行く。そういう主体性のない客に過ぎない。仮に男が西部劇見に行くぞ、云うても女性は映画館について来ません。

それならそれで一人で行けばいいんです。しかし一人で行くのも何だしなあ、とか何とか結局は行かない。男は映画館に入らない。だから西部劇、ヤクザ物、ギャングにチンピラ、そういう映画はもう受けません。

ちょい悪ではなく悪の大物、はっきり云って敵役をやればイーストウッドの役者としての出番は広がる。Pニューマンは、そういう役を楽しそうに演じました。それでそこそこ受けた。

なぜイーストウッドに、それが出来ないのか? 私には判りません。立てて貰うばかりが役者ではない。立てて上げるもまた役者……なのにイーストウッドは役者としては降りるそうです。

ああ、グラン・トリノというクルマは実は出番があまり、ありません。セダンタイプのクルマは自分が乗るのを、人に見てもらうのが主要な役割で、後は使い出がない。

ライトバンが流行って、ワゴンが流行る必然性はそこにある。買った所で終るクルマと買った所から始まるクルマでは、自ずと役割が違う……タイトルの意味はその辺にありましょうか?

●グラン・トリノ 

http://wwws.warnerbros.co.jp/grantorino/index.html#/top

2010年5月20日 (木)

小沢一郎完全無罪 平野貞夫

Muzai

平野貞夫さんの「小沢一郎完全無罪」を読みます。この手の本はどこを基本に、どう信じて読むかが難しい。平野さんは元参議院議員、いうまでもなく小沢派です。鵜呑みには出来ません。

平野さんによると小沢さんの対立相手は、野党もありますが検察庁という。検察庁にはウラ金があり独自性や判断があるという。それが国民の利益と重なればよいが、重ならないトいう。

ウラ金そのものの存在、取調べの可視化への反対など、民主的でない点が上がる。その具体例は客観的で説得力もあります。最初は今回の小沢問題に諸つながっています。

私も、検察庁にも民主的になっては欲しい事は違わない。だが私には実体験が全くない。何とも意見の持ちようがないです。検察は暴走しているトいうのが平野貞夫さんの説です。

全250ページの内80ページ辺りから、内容は小泉元総理との間、検察庁の過去の話に遡って行きます。その位置づけは歴史ですから、読む方も格段に気楽です。

それは今という時代、次の選挙での責任の伴う話ではない。今を知るのは重い、気が重い物です。出来ることなら私たちは、お気楽に終始したい。つまり歴史は、そういう意味で逃避です。

小泉さんと検察庁が結託して、つい先だっての歴史を動かした。その前の時代はどうで、更に前の時代はという話になります。そして最後の最後にもう一度、小沢さんと共に戦いましょう。

この本は、そういう流れです。それは判りますがリアリティから言えば判りません。だって新聞を端から端まで読んでも判らない話ですもの。それは元参議院の情報は細かい、筋も通ります。

鳥越俊太郎さんも田原総一郎さんも、我らがお殿様、細川護煕さんもチラっと出てきます。ヒズ、ストーリー、歴史は彼の物語というそうです。女性は彼女の物語がないトいいます。

小説は虚構と言います。いつか彼女の物語が出来たとしましょう。作られた物語と断わってない点で、似たような物ではないかト私は思います。虚構ではないでしょうが、これは平野さんの物語です。

だから自民支持あるいは検察関係の人はコレは違うトいうでしょう。民主支持あるいは不法逮捕のある人は、これこの通りトいうでしょう。さあ、あなたはどちらでしょうか。