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2010年4月24日 (土)

作る言葉

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ある物をないかのように言うのは、むしろいけない。現実を言葉で変えては更にいけない……差別はなくならない言う人もあるが、差別を必要とするのならそうかも知れない。

言葉を変える必要はない趣旨のことを書いたばかりなのに、言葉を変えたいという趣旨の新聞記事が出ています。栃木に障害者支援施設があって、そこで言われます。

そこでは利用者を「〇〇ちゃん」と呼ぶそうです。熊本市の希望荘でも一時、それはありました。この記事で記者は親しみを込めてと表現しているが……私は違うと思う。

友達のように……本当の友達になったらそれはそうなる。だが利用者と職員、管理者と客の間は、実際、友達ではあるまい。意図的に「ちゃん」付けで呼んだのが実体では?

その辺は意識していて悪いが私は耳聡い方です。

――〇〇さん、あなたはここでは〇〇ちゃんだそうですね?

「最近、ああいう呼び方をするんです。馴れ慣れしい嫌な気がします」

それをどうする気ですかト私は聞いた。呼び方はどうでもいいト本人が言うかと思うと、そうではなかった。

その、ちゃん付けで呼ぶ職員の方から、私は呼ばれます。

「いい事を教わりました。呼び方は変えます」という。利用する側の立場があり、管理する側の立場も当然あります。

双方が双方を尊重するのに、友達を強調するのではおかしい。施設は施設なのであり宅地ではないという考え方です……ただ希望荘ではその後、他の職員や全体で「ちゃん」を止めたかは知りません。

私が注意した〇〇さんは身体障害だけで重複障害がなかった。重複がある場合にどう思われるかは、どうなのでしょう。あまり悪意とは思えませんが、一般論としてなら呼称は大切です。

ドラマなどで男女が異性として意識する場面で、〇〇君という男子を〇〇さんと呼んだら、そこから男として見た視点の変換になります。実例もそう聞きます。

私生活では〇〇ちゃんと呼んでいても、職場では改まった呼称で呼ぶのが普通と思われます。それを強調してわざわざ「ちゃん」呼称にしては不自然です。障害者だから意識しなければならないのなら……

いずれにしろ呼称は呼称に過ぎません。管理の立場から利用者を見下す。あるいは職員には「さん」の呼称にさせる事実がなければ、むろん問題にすることではない。

ない物をあるように言っても、もちろんいけない。差別はなくならない言う人も、思いや願いではそれがなくなって欲しい。ト私は思いたい。差別がなくならないのは、差別で自分を支える人があるのかも知れません。

●壁なくす表現は…=松本晃 /栃木

http://mainichi.jp/area/tochigi/hako/news/20100422ddlk09070109000c.html

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