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2010年3月

2010年3月31日 (水)

ファイルの身代金

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また悪質なコンピュータ・ウィルスが増えました。昔、キングの身代金という題名の誘拐小説がありましたが、これはファイルの身代金とでも言いたいウィルスです。

何か面白がってるって? いえ事態は深刻です。最後に私の対策もお話しします。その前に問題のウィルスは、フリーソフトのフリをして近づいて来ます。よさそうと思ってインストールすると……

ファイルを暗号化して使えなくする。戻すために修復ソフトの代金を払え、という訳です。業界では「ランサムウエア(ransomware:身代金を要求するソフトウエア)」と呼ばれます。

フィンランドのセキュリティ企業、エフセキュアが偽ソフトを購入をいうウィルスを確認したという。要求に応じれば、ソフトを買えばファイルが元にもどる保障はない、怖いのです。

以前は不測の事態に備え月末に、ファイルのバックアップを取る事が奨励されました。ただバックアップを取る直前にハードディスクがクラッシュという、皮肉な事もありえます。

で、私はどうしているか。まず書きかけてボツとした原稿など、ブログの下書きに入れて置く。清書あるいはほぼ清書した書類は添付メールで隠しメルアドに送付しておく。

今のフリアドは容量が大きくなっているので、相当な書類をしまい込んでもパンクする事はありません。ヤフー、グーグルどこのメルアドでもいいのですが、セキュリティはグーがいいようです。

ウィルスと関係のない緊急事態にも、遠くの町のネットカフェや、他人のパソコンから自分の書類が取り出せます。ファイルごとのバックアップ、まだの方はご検討ください。

●エフセキュア社が「Trojan:W32/DatCrypt」と名付けた今回のウイルスに感染すると、パソコン内の特定ファイル(Office文書や動画ファイル、音楽ファイル、画像ファイルなど)を暗号化して破損しているように見せかけ、開けないようにする。

2010年3月30日 (火)

地デジアンテナ

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地デジ・アンテナの相談を受けました。断わったのですが押し切られました。私は地デジを付けてないので判りません。判らないなりに依頼を受けると……趣旨はアンテナ代を安くしたいらしい?

今、TVはよく売れています。月末までに買うとエコポイントがついて来月に入るとつかなくなる……だそうです。TV屋が忙しくて相談に乗らないから、私におハチが回って来る。私はナン何だ!(笑)

絵のように上からVHF、UHF、ブースタ、BS、屋根馬とマストの5つの品で構成されます。省略できるのはまず、一番上のVHFアンテナはもういらないでしょう。

ブースタというのは電波の増幅と合成をするもので、UHFとBSやCSを合成増幅する部品で4万円くらいの高いのを使う。BSコードとUHFコードを合成しなければ分波もしない。TVを一台にすればブースタはいらない。

UHFだけブースとするブースタだと2万5千円くらいの安いのでよいそうです。家にTVは1台きりという場合は、しかし少ないでしょうね。フル装備では見るように高くなります。

屋上やベランダに設置する場合は自分で出来なくはない。ただ屋根に取り付けるのは素人では危ない。お止めになったがいいです……道具は線剥きのニッパー、接続ネジ止めにドライバーていどです。

ハンダ付けはありません。分波器は一般には売られなくて、専門店に行かないと無理ですか? アンテナと線を買って、やってみれば大体は判ると思うのですが?

今日の絵図はクリックすると特に大きくなります。

2010年3月29日 (月)

次亜塩素酸水その後

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次亜塩素酸水に関しての追加です。口内の殺菌にもやり方がある事が判ってきました。歯科では5倍に薄めてグチュグチュ、20秒歯茎を洗って吐き出すようにと言います。

外から帰って来た時や、喉が痛い時は特に、喉の方でもゴロゴロうがいもする。私はついでにやったのですが、数時間後、喉の痛みが消えました……見たら使用書にも書いてあります。

使用書になく問い合わせてもいないのですが、原液のままで洗えばある程度、歯を白く出来ますね、コレ……使うコップを毎回に変えるとコップの漂白、消毒、殺菌にもなります(笑)

吐き捨てる先、場所もトイレの便器に吐いて流さないで置くと消臭効果があるようです。あまり大きな効果はありませんが……これは夏場の水虫の対応にも使える気がします。

アルコールでは殺菌できないノロウイルスへの応用も効くようです。ただし、うがいは出来ませんがノロウィルス専用の消毒薬としてはハイターの方が安いことは言うまでもない。

同じではないがハイターに近い成分です。今の所、あの歯科にしかないらしい……ネットで「熊本 次亜塩素酸 歯科」で検索すると私のブラグが出てきます(笑)

2010年2月16日  hataさんのかけはし: 常用、次亜塩素酸水など

2009年12月27日 hataさんのかけはし: 歯科治療~次亜塩素酸水~

●風邪のこんちくしょう http://kazechie.blog47.fc2.com/blog-entry-54.html

2010年3月28日 (日)

花は3月、春弥生。

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2010年3月27日 (土)

円安のおトク?

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円安が進行しています。近場のブログにガソリンは年末に向けて上がる、満タンにすべしとコメントを入れました。円はどれくらいが下がって何時ごろ円安が止まるか? それは判りません。

去年の5月にコンタクトを買った輸入店からメールが入ります。
ボシュロム『ピュアビジョン』 2,960円 ⇒⇒ 2,380円

とメールに書いてあります。去年の明細書を出してみると確かにその価格です。

コンタクトの全部が8掛けになった訳ではありません。ソフレンズ38などは去年と同じ価格です。コンタクトは下がって、なぜガソリンは上がるのか……そのへんの難しい事は知りません。

経済的に強い国の通貨はより強くなり、弱い国の通貨は弱くなる。ガソリンは米ドル建てで取引するのでガソリンは高くなり、シンガポールに支社を持つコンタクトレンズ店は値を安く入れられる。

……このように図式化が出来ます。従って今、銀行で貯金を米ドルなど、強い貨幣に換えておいて年末に円に交換すると、ちょっとしたお小使いが出来る可能性が高い。出来なくても私は責任持ちません(笑)

ガソリンの価格だけならスタンドまで見に行く必要はありません。ガソリン価格の比較、専用のHPがあります。ここを見て、自分の県の表示に合わせ、お気に入りに登録します。

何かにつけて比較する。近所のスタンドとの価格差を記憶します。私の場合、熊本県の最安値より5円ほど高くなるセルフ店を使います。4円高い事があり6円高い事もある。平均で5円差。

http://gogo.gs/rank/43.html

その位は、おトクにならなくても情報として知っておく。ガソリンやコンタクトの価格差では、どっちみち大したトクにはなりません。やはり銀行で円安差益を狙うか、どうか?

それには銀行に行って外貨預金通帳を作らなければならない。電話だけではダメ、あなた持っていますか? 外貨預金通帳! そんな面倒な事はしない? 何、ジャンボ宝くじ?(笑)

その方が簡単は簡単でしょうが……

2010年3月26日 (金)

愛の裏側

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愛の裏側に憎しみがあると思う人がある。しかし愛憎は紙一重であり裏表というほども、かけ離れない。「あなたは私の手になれますか」というタイトルを褒めましたが安易とけなす事もできます。

どこかで佇む人を見かけ、友人だと気がつき、背後から肩をたたくトします。私は本屋で肩を叩かれますが……この時どうでもいいが……痛い寸前くらいの強さで、痛くなく叩いて欲しい。それが親しさの表現です。

「あなたは私の手になれますか」を翻訳すると「あなたは私の肩を叩けますか」になります。あまり優しいと愛はこもらず、強すぎても愛の薄さになる。意外とむつかしいです。これは手になれますかト聞いた人の内面に近い表現になります。

母は母性本能で子供を愛する言う人があって、もしそうだとすると父は父性本能で愛さなければならなくなる。ライオンは自分の子しか愛さない。他のオスの子は噛むといいます。

人間はそういう事をしない。本能は壊れていて他人の子でも愛せます。自己の延長と捕らえるので、言う事を聞けば誰でも愛せるんです。そこだけで言うと教師がどの生徒も可愛いのに似ます。母性本能も人間の場合、むしろ自己愛の延長ではないか?

そういう説があります(岸田秀)肩を叩かれ痛かったら憎しみになり我慢できたら愛になる。微妙なストライクゾーンに向って投げられる意識の球です。これだけ意識的な本能はないト思われる。思わず説得されます。

肩を叩く叩かない、お尻を拭く挽かないは他愛ない話で済みますが(これはこれで大変ですか?)教育がからむとややこしい。自分の子供に頑張って欲しいト親は思います。これが自分の出来た所まででは済まない。

際限なくもっともっとの親心、京都か慶応大学でいいだろう。いや東大の大学院でないとオレは認めない、そういう親もいるんです。落語の柳家子三治さんのお父さんが、そうだったそうです。

そのお父さんは教育者で、実の子供に特に厳しい。それに反発する子三冶さんは遊興、落語の世界に行ってしまう。つまり親としては自分以上の自分を求めた。子も親孝行というか不幸というか、優秀な業績でこれに報いたワケです。

「末は博士か大臣か」という映画は菊池寛の苦学する様子を描いた映画で1910年くらいに時代背景があります。「大学は出たけれど」は55年の現代劇です。この45年間に大学や学問の意味は変わる。

学問で出世という夢が閉ざされます。福沢諭吉の学問のススメは、出世の方法としての学問ででした。当然、その効力はだんだん弱まり最後に効かなくなる。子は現場にいて、その事を判る。

それでも進学競争は残る。親の意識は自分の若い頃にあります。昔のつもりで子によい大学を迫ります。立身出世は他に方法がない。すると子は親の道具に過ぎない……困った事に本能でない愛の裏側は、そういう事が確かにあります。

2010年3月25日 (木)

振り出しにもどる

Tenndoarata 物事には光と影がある。ひとりの人間にも陰りと輝きがあります。上の映像は「家族狩り」の最初の単行本化で使われた、天童荒太さんの写真です。家族狩りは新装版の後に大きく直され、俗に新家族狩りと呼ばれる文庫化がされます。

この原型と新版では別物と言われる。下の映像は「悼む人」で直木賞を受賞した時の天童さんです。顔は眉の処理で変わるもんですが、それにしてもまあ、人相は変わるもんですなあ。下の顔で新家族狩りは書かれたト私は思います。

つまり家族狩りという小説は、新旧の違いを読む小説でもあります。まあ私も読むか読まないか確かには判りません。とりあえず写真を並べて、その違いを占うト……なかなか面白そうです。

写真占いをもう少しやりますと、挑むように眉根をよせ頬に手を重ねたポーズは、顎をつまんだ芥川龍之介のポーズを連想させます。芥川の流麗な擬古文は、元ネタを古典から借りる。つまり全部自前でやるには自信がない。

天童さんも失礼ながらそうです。翻訳調というか、ノンフィクションの文体を借りて来て新聞記事を継ぎ合わせたような効果を作る。デビューでは本名を使っていて途中から、童が荒れる天童荒太、作品内容に合せます。

世の中を親と子に分け、子の側に立って告発するの趣旨でしょう。穏やかでない。直木賞の頃になるとここが落ち着いて、ゆったりした姿勢で書かれる変化が顔に見て取れます。

ミステリもホラーから癒し系に転向した例は、あまりありません。殺意の物語としてではなく、これは人間ドキュメントとしても面白い価値があります。

漆原友紀さんの蟲師「緑の座」と「岬でバスを降りた人」も一つの書き直しと思われます。古い家に祖母と孫が住んでいるという設定は不思議で、むろん緑の座は現実にはありえない。

しかし孫が祖母を懐かしむ、岬の設定はありうる。もし祖母が海辺の家に長く住んで子供時代からの持ち物も持っていたとしたら……孫が亡くなった祖母の遺品を整理したとしたら。

昔使ったであろう。たとえば縁の赤い手鏡を見つけたとしたら、孫娘は祖母にも若い時代があった事を感覚で感じます。鏡の中に自分そっくりなお祖母さんを見つけたりするかも……

無責任な宗教俳優があの世では誰でも20才にもどる、昔そんな事を言いました。あまり当てにはなりませんから90才や100才で死ぬ時は、用心のために杖を持って行った方がいい(笑)

鏡かどうか知りませんが似たような体験はあったのでしょう。天井から祖母に見られているような体験があった。そうすると若い、孫と同年輩の祖母の幽霊もアリになります。

それで緑の座では孫と同じ年くらいの祖母が出て来る理屈になります。理屈というのはある意味でいい加減で何処にでもつく。あまり何処にでもつくのは特に屁理屈といいましょう(笑)当てになりません。

まあ、これも書き直しと言えない事はありません。一生には色々な事があるもので、書いても書いても書ききれない。しかし本当に心の奥に突き刺さる事は、そう沢山はないのです。

2010年3月24日 (水)

その土曜日、7時58分

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遠い未来への幸福は幻想である事が多い。商業的な意味での豊かさは幸福感とつながるか、それも怪しい。ゴッド・ファーザーを悪い展開で作り直すと「その土曜日、7時58分」になる。

家族の葛藤が明らかとなる最終部を伏せます。長男と次男との会話で始まる物語のオープニングは軽い。まるでコメディのような宝石店強盗に、次男の悲劇を切実に感じる人はいないでしょう。

しかしこれが米国の病理です。昨日の家族狩りで日本の父と子の病理を読み、今日は映画で米国の家族の病理を観る。迷惑なくらいに便利な世界になりました。

少し順を追って説明しなければいけません。意識して子を育てれば子は親に似ます。しかし意識しなくても見様見真似でも、子は育つ。親の背中を見て育つとも言います。どうなるか? どっちみち親に似ます。

単に言葉の綾というものでしょうか? 仕草や癖まで似ていると肯定的に捕らえても、変な所がと否定的に捕らえても、意識に昇った時にはすでに似ている。一緒にいれば潜在意識下でもコピーが進みます。

家族狩りでは熊本出身の男は、DV、家庭内暴力の専門のように描かれますが、どことは言いません隣県も似たような物です(笑)それで「その土曜日」では兄が、弟を強盗に誘います。

なんという兄弟と思いますか? コッポラさん、イタリア系米国人は全部マフィアのように描きました。九州男児の男らしさは家庭内暴力によって支えられている、のか?(笑)

私がそう表現をしても順当ですか……冗談はさて置くとして……意識下の学習は、そんな風に進みます。その土曜日は展開に従いコメディ色を薄め、後半はゴッドファーザーのようにシリアスになります。

ゴッドファーザーといえば長男のソニーは誰に殺されるのか、私はよく判らなかった。確かに相手側、タッタリア一家との闘いは見なくとも判るが……待ち伏せはタッタリア側の刺客なのか?

衝動的なソニーの性格はむしろ一家のドンや、次男マイケルにとって不都合ではないか? イエの論理は個人の人情と、また別の論理を持つ。もしドンかマイケルがイエの論理を持ってソニーを撃つとしたら……

その土曜日にもそういう所があります。兄は体よく弟に汚れ仕事を押し付ける。弟は他人に仕事を押し付ける。誰にそんなやり方を学んだか? 兄にとっての男の見本は父しかありません。ゴッドファーザーのマイケルだって、お父さんならどうするト悩みます。

家族狩りには馬見原という警部補が出て来ます。熊本出身の男は、その父と生き方を競い、家族を破綻に導きます。もちろん意図的にではない。何がそうさせるか……まだ最後まで読んでません(笑)

そういう訳で「その土曜日、7時58分」と「家族狩り」はよく似た物語です。家族から自立することは進歩的な人間の有り様で、むろん否定すべき物ではありませんが……

子供や女性が自立して社会の中で一人前になると、ある種の孤独を抱え込む事になる。それこそがイエとの別れを意味します。当り前です。つまりイエから離れるとは兄弟姉妹や、わが子から離れての自立を意味します。

●その土曜日、7時58分 http://www.doyoubi758.jp/

2010年3月23日 (火)

家族狩り 天童荒太

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昨日のフィラメントに比べれば、またおどろおどろしい。本日は天童荒太著、家族狩りです。本書はノンフィクションで使う文体ですが、内容的にはホラーです。

BS週間ブックレビューか何か? 私はライブの天童さんを見ていて、何となく関心はありました。作品ではTVドラマになった何とかいう奴を見かけ……あんなに長いのは敵わない……敬遠しました(笑)

ネタは見なくてもピンときます。なぜなら身障児にはよくある話で、身障児から見ると、実の親とは思えない。健常の親から見ると実の子とは思えないトいう訳です。(ブラックジャクによろしく小児科篇)

理由も簡単、健常の親は障害がないから障害児の状況が受け入れられない。障害児からいうと健常な親をいくら見ていても、自分の生き方の参考にならない……理屈はそれだけ。

ただ実感で生活して実際の家庭を暮らしていくと、当り前、簡単ではありません。それでも私の子だから、それでも私の親だからト、あきらめるように納得する。

それもひとつの自立の形ですが、納得できない人も出てきます。お爺ちゃんとお父さんの間での父子関係と、お父さんと息子での父子関係が違い過ぎる。イエの形と時代の流れの速さです。話を障害者にもどして。

簡単には納得したくない。それで家庭はもめるワケです。昔だと障害児は養護学校に入れちゃう。それで暫時棚上げ、昔は養護学校は郊外にあって大抵、そこは寄宿舎でした。(映画レインマンもそういう設定)

モメる原因を遠くに置けば暫時、家はまとまる。古いイエの形と自立の歴史が現代に、なかなか定着しないのです……ただ欧米でも家族の破綻はあり、自立の限界という説もあります。それは明日また。

そういった時代背景を頭に置けば病んだ家庭という表現内容も、それほどは珍しくない。病んだというのは一般論からの表現で、普通の家庭がややこしい現実を受け止めようとした場合、それこそ病んで普通になります。

昔の養護学校は子捨ての側面があり親はそう思わない。いえ近所や町内でもそう思わない……当の子供が夕食の後で、周囲になぜか居ない家族を思う。しかし施設の中で捨てられた、という表現は許されない。

家に居ながら親は健常の子をも見えない形で捨てる。すると健常の子が健常の親を憎む……つまり構図として障害児と同じです。でも、これでは判りませんよねえ。わぁー、この話は長くなりそう。

2010年3月22日 (月)

フィラメント 漆原友紀

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電球型の蛍光灯(LED)は寿命も長く、白熱電球の半分くらいの電気代という話です。すでに白熱球は生産終了ともいう。昔、まだ蛍光灯がなかった頃の電球は、考えてみれば情緒的でした。

夜はひたすら暗く闇は訳もなく恐ろしかった。そんな時代を描いた、フィラメントという初期作品集を観ました。作者の漆原友紀さんは今、30代の半ばか? そんなにお年じゃないね。

フィラメントとは白熱電球の中の発光点を意味する。書いたように今となってはほぼ死語で、タイトルの意味はむしろ、昔のそんな闇の暗さを示します。

「岬でバスを降りた人」という冒頭中編では、自殺の名所で趣味的に店を開いている老女が亡くなる。その場所や店の説明が、家の整理に来た孫の視点で語られます。

かといって海辺の店は、例の東尋坊をモデルにしたワケでない。で、すっかりはぐらかされるが、実は作者自身がこの作品集内に解説を書いている……んん、なるほどネ。

例によってネタは割りません。怪異があり、これは一種の怪談なのですが、作者は怪談を語りたいワケではない。怪談をネタ、材料に過ぎた時間と帰らない物を思うのです。

その、どうにもならない思いが作者の表現したい事です。簡単にいえば家庭内でのデリカシー事ごとでしょう。からんだ糸くずの好きな猫、あの蟲師の原型になっている虫師……

作品内容は必ずしも暗くなく、むしろほの白く暗闇は見えない。だが怖いものがないとは、何が怖いのか判らない事に通じる。何もかもが平坦に均一化され、馴らされた日常に馴染めなくなる。

光があって影が出来る。影が重なり闇となる……理屈の上ではそうなのですが闇を照らしても何も見えない。母親が子供を虐待する。理由は子供が男に似ているから……

前の男との間の子いう訳でも新しい男への義理でもなく、自分に似ていなかったからという。愛の反対の憎悪ではなく愛そのものが憎悪でもある新聞記事の文章。

これは私の勝手な解釈ではない。漆原さんは自身のマンガをそのように解説しています。そういった所にマンガの出発点を言っています。(ネタを割らないように書いています)

一見、回顧趣味にみえるけど明瞭な殺意の反対は、曖昧で漠然とした殺意です。理由があってイジメが始まるのではなく、イジメを始めたくて、その理由を探すような……