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2010年1月

2010年1月31日 (日)

浅川マキの頃「ブログでDJ」12回

Akaiha

浅川マキの頃「ブログでDJ」シリーズ12回目です。

浅川マキさんが亡くなられました。浅川さんが「夜が明けたら」でデビューされた頃が走馬灯のように流れます。街に行こうとして私は事情があって、結局は行けなかったのです。

三島さんが腹を切り、ジキル・ハイド氏の番組ではこんな歌をかけました。浅川さんの歌は三島さんへのいわば皮肉のように聞こえました。そしていかにも新しく響きました。

●赤い橋 浅川マキ 

http://www.youtube.com/watch?v=au7bytVy3h4

それまでの歌謡曲は、いかにもセンチで依存的で、いい大人であっても「これでいいのだ」式の開き直りの反映でした。その子供っぽさがどうにも気にかかりました。

再会 松尾和子 http://www.youtube.com/watch?v=DxwxnoEy-nk

自分にいい人なら他人にはどうあってもいいのか? 共同正犯という言葉を知らなければ、そういう罪に問われないのか? むろんそういう訳には行かない。罪人は西部劇の銃殺のようには片づかない。

一方、犯罪ではないが罪を帯びる行為を、たとえば不倫を自覚して行う。そういう意味の自立性が次第に問われて行きます。浅川さんの歌は日本人が青春から成人へ成長して行く自立の歌でした。 

●恋の綱渡り 中村晃子

http://www.youtube.com/watch?v=6JKfgvK7G_g&feature=related

芸術家の誰もが自立的であった訳ではない。再会のような共依存の関係も多い。どんな青春もいつかは終わり、やがて中年や老年を迎える。自覚を持って年月を送る。それまで日本はしていなかったのですね。

●ラ・ボエーム 金子由香利

http://www.youtube.com/watch?v=0Uu1YRQVWY4

だらしなくタバコや酒を呑む。それが大人と思うのは違います。しどけなく同じパターンを繰り返すなら……だらしない結果にしか結びつかない。当たり前ですね。世間と自分に一線を引いて生きる。そういう歌謡曲も出て来ます。

世迷い言 日吉ミミ

http://www.youtube.com/watch?v=qeYgWufM1ZY

学生運動をやってシャンソン歌ってフォークも歌って、むろん歌謡曲も歌って、世につれ人につれ……この人いったい何なんだ思う時があります。でもこの人に一曲、唄わせるなら、私はこれと思います。

●琵琶湖周航の歌 加藤登紀子

http://www.youtube.com/watch?v=hr3lsQuhGec

ラストの一曲は当然、浅川さんのこの一曲にするつもりでした……が、これはスゴイ。老人を乗り越えて若い人は歩き出すもんです。ちょっと歌の意味がないがしろにされた気もしますが、まあ、いいでしょう。老人黙れ、静かに聴け(笑)

●夜が明けたら 素人?

http://www.youtube.com/watch?v=bAPGiUibUE8

●「ブログでDJ」はシリーズになっていて過去2008年に、4・2、4・3、5・4、10・2、12,15 9年に入って1・2、3.29、4.4、8.17、9.16、11.25の11回ほど、やっています。次はいつか判りませんが、お楽しみに。

2010年1月30日 (土)

ポイントはお好き

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森永卓郎さんが、コンビニでジャワティを買うとおトクと言います。森永さんはポイント集めに熱中している……そのような素振りで発言します。本気なのかどうか?

売れ筋の経済学者が、ポイントに熱中する理由はト、私は思います。経済学者という肩書きの、実質はタレントでありコメンテータであり、もうその存在を学者と呼ぶには……遠くないか?

ジャワティは胡椒を使った料理と合い、人気はありますが効果については確かと言えない。若い女性は特にご用心というものです。止め立てする気はありませんが量買い込むのは?

ドンキで賞味期限の近いスポベジを量買い込んだ、私。

他人のドリンクをとやかく言えた義理ではありません。しかし私の場合、メインドリンクはコーヒーです。偏りはない(笑)

経済の中身、お財布の使い方のことです。あまりにポイントに偏って、ポイントノイローゼになるのでは元も子もない。むろんポイントが悪いというのではありません。

経済的なコストを下げる生き方に反対しません。むしろ奨励、私自身が目指しています。ポイントに踊らされてはつまらない。そう言っているだけです。

話を元にもどしてスポベジVSジャワティ、スポベジは1.5Lが58円でした。この他に私が買うドリンクは、ブレンディ1Lが98円、ポーションタイプが88円。

ただ私は部屋では必ず、布ドリップですけどね。森永さんは多分ですが一種のギャグとしてジャワティを出している。本当にそういう好みだったら、あの体型はないですから……

どこで何を買うか。あるいは中古やヤフオクを使うか? そういった全体の中で、生活を楽しめているか? バランスがいいというかコスト・パーフォーマンスが問われる。

おトクだから満足するのでなく、面白半分が実用的な側面を見せた。物好きから意味が見えて来る。価値の発見につなげたいのです。森永さんはジャワティを買ってタレント価値を上げました。

でも好きでもない私が、コンビニにジャワティを買いに行っても意味がない。私はポイントにこだわりません。もっともドンキにもスポベジ、もう売ってない。おいしいスポーツドリンクといえば、やはりポカリスエットか? そういう事です、大塚さん(笑)

2010年1月29日 (金)

暁の寺 三島由紀夫

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三島由紀夫さんの「暁の寺」を読むと、主人公が47才で自分の余生を持て余しているのが判ります。若い時は毎日が発見で、何処へ出てみても変化に満ちる……年を取るとそうはいかなくなります。

作品冒頭バンコックの夕焼けが美しいのです。主人公は外国の夕暮れに心動かさない。主人公の関心はつまり三島さんの関心は、転生して行く先の、何代も重ねた。先の先の人生の意味にある。

……そんな物があるのか? いえ三島さんはそう考えたらしい。それは三島さんにもはっきり判らなかった……私はそう解釈します。気の短い人は見通しの立たないと物事にうんざりします。

よくある事です。私は十代の終わり3年弱を病院で過ごしました。その間は永遠のように長く感じられました。早すぎる晩飯を食わされて病院の周囲で長い夕焼けを、病室の友人と散歩しました。

数年の規模で入院すると、この辺の主人公の感覚は判るようになります。その後20代で、私は三島さんの事件をTVで目撃します。むろん事件を起こした気持ちは判りません。

けだるい夕暮れの散歩を三島さんの割腹と結びつけ、ああそうか? これでいいのか悪いのか、ちょっと判断がつきませんがネ。大方、そんなもんでしょう。いつの間にか三島さんより10年以上、私は余計に生きています。

人生はゲームではない。毎日を着実に生きてみなければ結論など見えない。来世や前世をあてにしたり根拠にするのは間違っています……しかし「同級生2」というパソコンゲームには時間を遡り、やり過す仕掛けがありました。

同室の友人と見た、そんな夕暮れを思い出しました。三島さんの小説はその辺に反面教師の所があって面白い。三島さんは転生が日本的な考えと思ったらしい。

転生とは仏教と共に中国からやってきた考えです。まあ元々はインドですねえ。その前の日本には神道の考えしかない訳で、死はけがれ、黄泉の国に行くことです。

イザナミ、イザナギの話はオルフェとユリディース、ギリシャ神話に似ます。転生同様これが伝わったとする説もあります。神道も怪しいとすると日本古来は何も無くなってしまいます。

三島さんは産湯を使った時の記憶があるなど、博学強記の人とされます。それでこういう話を小説化したと思われます。ただその記憶が、どう裏打ちされたかは定かではない。

同窓会などで昔の話を突き合せると、十数年前の記憶ですら怪しい。秋葉原無差別殺人の加藤被告も記憶は定かでないようで、裁判は今後は問題になります。加藤被告も長く平板で楽しくない人生に疲れたのかも知れません。

小説と犯罪予告とを一緒にしてはいけませんが、一脈つながるモノがないとも言えません。パソコンゲームと同一視、自分だけ時間をやり過されるのでは迷惑です。

無意味に見える時間も生きてみなければ判らない。先の先を見たい訳でもない。私は私の十代の終わりと三島さんと、加藤被告を無理やり今につなげてみました。

2010年1月28日 (木)

Z7100VS9100ES

Z7100

A&Dのカセットデッキは、どちらにしてもライブ版の再生に特色が出る気がします。同じ意味かもしれませんがトークの声の調子、表情を克明に出します。この印象、予断は最初からあります。

それと私の部屋のシステムが4チャンネルに固定してる関係かもしれません。(マトリックス6ch)お待たせしました、誰も待ってないか? それではGX-Z7100VS9100ESです。

リッキー・リー・ジョーンズさん「マイ・ファニー・バレンタイン」を私はカセットで買っています。ライブ録音でのピアノとの掛け合いでピアノの音は7100の方がいい。だが7100ではリッキーの声はつぶれます。

9100EVでの声のつぶれ方は浅いというか。まだ声の表情が読み取れる。この辺が評価の別れ目の気がします。ピアノの音が浅いように聞こえ、この方が正確なのか? 迫力不足にも聞こえます。

同じくカセットで買った樋口可南子さんの「夜へ……」は元々が百恵ちゃんの持歌です。声質も似ている。樋口さんが忠実な歌唱でなぞると、まるで百恵ちゃんに聞こえます。

処女、処女、少女、処女。媚薬、微笑、女豹……と、ほとんど詞がセリフの部分で7100では樋口さんらしい声が表現できない。EVはそこを表現します。どうも一枚上らしい。

テープで買っているのは、あと石川セリさんがあるのですが、大きな違いは出ません。これはデジタル録音を謳っていて前2作に比べれば立派な音がします。

細かい点を飛ばせば全体には、むしろ7100がよさそうに聞こえます。立派であるかないか。音がいいという事は何か、私はその事に疑問を持つように、改めてなります。

他人と会っている時、会話が進んで行く中にあって、相手の声から心の動きを感じ取る。その相手を前に心を動かす自分に気が付く。そうですね。充分に相手を尊重できているか。

自分の気持ちだけを見ていると相手の気持ちが見えなくなります。あまり神経質になると、聞くこと自体が苦痛になるかも知れません。昔はWOWOW独立放送の音声がありました。

FMも電波状態がよく、チューナーもいいので録音しました。今のチューナーや電波やアンテナの状態は……ねえ?(笑)けっしてよくないのです。

7100VS9100ESの対決は、この辺でお開きにします。

2010年1月27日 (水)

Z9100EV修理過程

Z71002 文章で何でも書く、書けるという訳にも行きません。デッキの故障の様子をどう直したか。修理の過程を追うにも限界があります……先日、古い「コロンボ」を見ていてアッと思いました。

故障を直す経過を順に追うのでなく、元の持ち主が壊す過程を書けば、あくまでこうだったろう過程ですが書ける。それなら簡単に説明がつくのです。

A&DカセットデッキZ9100EVの故障状況を説明します。元の持ち主は多分ですが、カセットの奥、奥パネルいうか。なぜか開けたのです。理由は判りません。それで元にもどした。

しかしカセット奥パネルはキレイに元に戻らなかった。1ミリほど手前にずれて固定された。そうすると平常にカセットが装着されません。カセットが1ミリほど押されます。

カセットテープとヘッドが上手くあたらなくなる。それでも押し込めば再生は出来ました。あたりの悪さの影響を受け音はバランスは崩しますが、鳴らなくはない。

元の持主はZ9100EVは、もう古くなったか? それでもたまに使って、高かったのにボヤキはするが修理に出さなかった。しかし音が悪いですから次第に使わなくなった……ト、私は推理します。

そうしますとA&Dデッキの潤滑油の特色、固着が始まります。Z9100EVの動きはますます悪く、ほとんど使えなくなります。そうしますとゴムベルトも古くなって、ゆるんで来てパッタリ動かなくなります。

それで持主は、このZ9100EVをハードオフに売ってしまう……多少は違うでしょうが、過程は大雑把にこんな調子で運びます。この過程を私が逆をやる。で、デッキは動き出します。簡単でしょ?

これを私の手順を追って書くと……大変です。とてもではないが書けません。そういう訳でウチのZ7100とZ9100EVが選手交代します。ですがね……私としては聞き比べをやりたい。

しかしですねえ。Z7100も使っている内にベルトが伸びてきて、ちょっと比較できる状態ではなくなった。あとEVと別に正9100を買ってZ7100の外装は9100になった……そういう事もあります(笑)

この後、7100のベルトを変えて、いよいよ比較聞きになります。

2010年1月26日 (火)

裸と墓石

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篠山紀信さんの青山霊園でのヌード撮影がニュースになっています。いつか篠山さんが、樋口可南子さんで撮った写真集の遠景に墓があって「ああ」と私は思いました。

この事件の篠山さん、肩を入れる気はありません。あの時もう若いとは言えない樋口さんのヌードが、なぜ輝いたか。偶然や技術的な問題ではなかったし、篠山さんの内面が図らずも露出したのでしょう。

二十歳の頃、私の手術は腰椎麻酔などにより、術中にも目が覚めていました。それでも手術が終れば疲れて眠る。死と眠りは兄弟というミステリの題がありますが、そんな感じもしました。

深い眠りから覚めるのは、たいてい夜です。看護師の懐中電灯の光が天井を横切って過ぎる。あるいは冷えた腕から点滴が抜かれる針の感触でありました。

「お世話かけます」言うつもりの声がくぐもり、呻きのように漏れます。もう一度いう声もボイスコントロールが出来ません。ただの呻き声になります。

「どこかに痛みは?」

ないと言いかける。光が一瞬、看護師の首筋に当たる。肌が闇に浮いて消える。

――ない。

「どこもないね……なかったら、もっと眠って」

目を閉じると、また看護師の肌が浮き上がります。その肌もやがて闇に沈む。

闇は死であり肌の色は生です。篠山さんはあんな記憶のような写真を撮りたかったのかもしれない。69才の篠山さんの年齢は焦燥として撮影に向わせたのか。私には判りません。

私は回復して朝に看護師の朝の顔を見ました。看護師は普通の顔をしています。手の形も指の感触も、脈を取り時計をのぞく眼差しも、尿と便の回数を聞く口調も、ありふれて普通です。

カメラのない家庭はなく、カメラ付きケータイを持たない人はいない。もう写真はいらなくなったのです。記念日にヌードが撮りたければスタジオをレンタルすればいい。

プロのカメラマンの需要は極めて薄いのです。それでも生と死の間は確かにあり、それを撮るのは難しい。あの時もう若いとは言えない樋口さんのヌードが、なぜ輝いたか。

誰だか知りませんが若いAV女優の裸に、それが写るはずもないト思う。私は間違っているのでしょうか?

2010年1月24日 (日)

カミユで眠りたい

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復讐譚としては有名な「モンテ・クリスト伯」がある訳です。今年は松本清張さんの生誕100周年というので、あの人の動機付けは大抵、怨みになります。怨念は判り易いのかもしれません。

怨念をアイデンティティに生きていくのも大変な気がします。清張さんが何となくピンと来ない。つまり怨念が嫌という事をいったら、人間的な何か失ったような人と……感想を言われました。

カミユの「異邦人」には「きょう、ママンが死んだ。昨日かもしれない」……という有名な書き出しがあって、これが人間的な何かを失った表現とされた事があります。

母の死。人間として一番、悲しい時によくよく悲しまないで、コメディ映画を見に行くような人は信頼されない……そういう非難があると言います。

最近、森繁久弥さんの演技論を聞いていると、悲しいという事は涙だけで表現するものではない。反対に笑ってみろ。微笑を浮かべて空を見上げたら、ずっと悲しい感じがせんか、どうか? そういう事を言います。

暴力脱獄という映画では、主人公の母親が死にます。刑務所長はそれを察知して、心の乱れがないようにというので、主人公を独房に入れます。本来、独房は刑罰に使われる。

独房の処置刑罰が終った時、つまり独房を出された時に、主人公は脱獄を決行します。悲しみ方まで支配し、型に入れようとする所長と1囚人の意地の張り合いです。怨みから意地への転化が行われます。

人間の尊厳を守るには、どこか不遜なところがないと困る気がします。怨みますトいう唄がありました。怨みがましい妬ましいを、そのまま表現しても仕方がない。そんな気がします。

こういうと怨みが本音で、不遜が建前のように聞こえますか? そういう事ではないのです。寺田寅彦さんが可愛くない猫が死んだ時、その猫を愛したように、死んだ母を愛する事もある。

いえね、不人情もあるみたいです。おばあちゃんが犬の死んだのがコタえる、言っています。お爺ちゃんが死んだ時から飼っている犬で、お爺ちゃんが死んだ時よりコタえるそうです。

私は本来、健常者で誤診で身障者になっています。私の中には健常の私と身障の私とが、二人あります。一人の私が地上にあって、もう一人の私を天空に昇らせます。

きょう、ママンが死んだ。昨日かもしれない……死んだ日を曖昧にすると母が死んだ事まで曖昧になる。自分を曖昧にすれば今日という日さえ曖昧になります。ひとつ転化した怨みは、更なる転化がし易い。

すぐ出られる刑務所の脱獄に命を賭ける。ウットウしいのです。型道理が嫌で、最近は葬式の形が変わったそうです。あれってあの世に行くのがウットウしいからじゃないか。私は思っています。

2010年1月23日 (土)

ギックリ腰に筋トレは効くか?

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昨日の続きもあるのですが……材料がそろいましたので、ギックリ腰と筋肉トレーニングの関係をまとめます……むろん筋トレが直にギックリ腰に効く訳ではありません。ギックリが起き難くは、なるようです。

私の体験では、ごく軽いギックリ腰は泳ぐといいようです。泳いでギックリの具合がよくなった体験は他の人からも聞きます。ただ20年近く泳いで来ても、ギックリにはなりました。水泳で予防効果は弱い。

筋トレをやって半年になります。この間、ギックリはありません。その辺りをインストラクターに聞いてみます。(上熊本の熊本県総合体育館での取材)

――年齢から、ギックリは知らないのでしょう?

「体験はありません。ギックリはとっさの事で、原因特定は難しいと思うのです。腰の周囲の筋肉に関係しますから、腹と背中、それに両脇腹を鍛えればいいはずです」

そうそう、その前に筋肉トレーニングのイメージは? シュワちゃんやスタローン。マッチョのボディビルですか? 現代の筋トレは違いますよ。筋肉を太くする事ばかりを目的としない、ストレッチやリラグゼーションも含まれ、筋トレルームには細い女性も来られます。

フォームローラーとかストレッチ・ポールと言われる道具があります。下記引用していますが、これは筋肉を太くする道具ではありません。背中に敷いていろんなポーズを取ってのストレッチ、普段伸びない筋肉を伸ばすのが目的です。

腰が痛いとクッションを入れるに近い。そういう働き効果もあるといいます。●フォームローラー、ストレッチポール

http://www.bodymaker.jp/shopping/cno0/EFR/

このホームページの中段に腰のストレッチがあり、固まりを取り緩めるという表現があります。固まりがギックリとどうつながるか、私には使えない(笑)……その辺は一度インストラクターの指導を受けてみてはどうでしょうか?

プールも昔と変わっています。どうしても泳ぎたくない言う人にアクアビックスといって、水の中の体操があります。これは水圧を利用したストレッチも含む、エアロビの親戚です。これを見学に行って下さい。泳ぎません。

ただ隣のコースではみんな、泳いでいますから、それを見ると泳がなければソンのような気はしてくる。水泳教室も昔と違う教え方になります。たとえば下記にあるヌードルという棒状の浮きです。

これを首から肩に巻くような形にして泳ぎを教えます。(下の方のホームページの最後に出ている)ヌードルで身障者も、水泳を楽に教わります。こういった材料の発達がリハビリの領域を広げています。身障者もあまり知らないで済ましています。健常者なら誰でも楽勝でしょう。そういう訳で時代が進んでプールが変わっている(熊本市アクアドームでの取材)●アクアヌードル 

http://www.sportsoasis.co.jp/pgm/pool/p46/1134.html

http://www.seika-spc.co.jp/a-ppro.html

2010年1月22日 (金)

サルトルで眠れない

88_ir03 私が身障者になった原因は誤診です。もうクダクダしく書きませんが比較的くっきりしています。その医師に明らかな手落ちがあり、そのような人に免許を与えた所もところ、問題です。

不遜ながら私はそのどちらも許しました。私と同じような境遇の人に時々会うのですが、医師を怨むか、不運を嘆いておられます。怨みと嘆きに、その後の時間の、大半を費やす人もあられます。

それから慰謝という感情処理、断念は哲学処理というのか? カミユやサルトルが不条理といい、因果律からの脱却を説きました。たとえば誤診の医師の足を切り刻んでも引き抜いても、私の足は元には帰りません。

その頃は、そういう考えが流行りました。サルトルはノーベル賞を辞退し権威の格付けを拒否しました。カミユは作品内で暗に神父を非難し、教会からは睨まれました。言うならば不遜なのです。

仏国から米国に飛び火した実存主義はニューシネマとして一世を風靡します。信仰は大抵そうです。キリスト教もそうですが人間は生まれながら罪を帯びると考えます。有体にいえば障害はその罰とする所もある。

怨みや嘆きは黒い感情で、そうする事は自分の中に、罪を見る事になります。すると信徒になって清めてもらいたい。許してもらいたいト思うようになる。宗と宗派にもよりますが、恨みや嘆きが本人の新たな負い目になる。

自分が悪いと思わされた上に、更に負い目を負わされるのでは、かなわない。盗人に追銭とはいいませんが大目に見てやったのに、せっかく許して上げた甲斐もないでしょう(笑)

実存と同じ頃に流行った、日本の小説に氷点があります。最近、再ドラマ化されました。これはまず奥さんが浮気する。旦那がその腹いせに殺人犯の娘を、その奥さんに育てさせます。後にこれがバレ、奥さんは娘を憎むようになる。すると娘は意地になる。

まあドロドロ、ギトギトの因果律です。それを宗教的に原罪と位置づけ宗教で解決される。そういう話になります。何か似たような話と思いません? 少し形は違いますがデスノートは、このバリエーションです。

デスノートがウケたのは、普通に生まれ普通に育った事を、不運と嘆く気持ちがあるからト解釈できます。なぜ自分は人違う特別に生まれなかったろう。そういう思いも、実は黒い。

黒い思いには幸福感がない。悪魔だけが出てきます。他人を死によって支配する世界となって実現されます。これは見たことがある。末期の学生運動はこんな感じだった……そう私は思いました。

いい長さになりました。続きはまた明日。

2010年1月21日 (木)

寺田寅彦と五高

Terada 放送大学で柏木所長の講義「寺田寅彦と五高」を聞きます。寅彦さんについては、この前後に考えた事もあり、まとめたいと思います。

寺田寅彦は備忘録の中に「猫の死」を書いています。寺田家には三毛と玉がいて、三毛は可愛く、玉は雄の馬鹿猫と書かれます。しかし寅彦さんの気持ちは三毛より玉の方にあります。

寅彦さん。よくある判官びいきか。師の漱石に何を習ったか……その辺が面白い訳です。さて寅彦は師の訃報に接し句を読みます。

「春寒き 午前7時の 課外講義 オセロを読みし その頃の君」

感情を出さないで風景のまま終らせた句は、そこが胸に迫ります。

即物描写、ハードボイルドという言葉を私は思います。寅彦が初めて漱石に会った時「俳句とはいったいどんなものですか」世にも愚劣な質問をします。いえそう日記に書いているそうです。

「俳句とはレトリックを煎じ詰めたものである」集中点を指摘して描写して、それから放散する連想の世界を暗示するものである。そう漱石は答えたとされます。(寅彦日記)

いわゆる文学と、漱石や寅彦がやっている文学には違いがあります。いわゆる文学は歴史的な表現を踏まえることです。式部、納言……芭蕉、蕪村……先達を取り込む本歌取りにあるとされます。

寅彦は初めて会った漱石を現実のまま取り、本歌はない。漱石もまた過去や先達を否定して、名もない猫の目を通して現実を見ます。寅彦は漱石の死を惜しみ、悲しむ気持ちを前には出しません。

ここに寅彦の明らかな特徴があって、それは可愛くない玉の肩を持つ。大学にあり大学を追われた漱石の肩を持つ。首尾一貫しているように見えます。ただここを論理的にいうのは困難です。

講義によると寅彦の出身は土佐高知、龍馬伝で有名になった。下士の出身というのです。「寺田さんの風格には寂しさがあった」と言われます。入試の失敗、ノーベル賞の取りそこね……ついてない人と見ることも出来ます。

寂しさとは傷心ではなかったか? 寅彦はバイオリンが好きなんです。こんどの講義で三味線が嫌いというのが出て来ました(笑)馬鹿騒ぎ、ワンマンショーが嫌い……そのくせ仲間とは飲んでいます。ここに微妙な感覚があります。

たとえばビートルズは嫌い。サイモンとガーファンクルや岡林が好き、高石は嫌いそういうようなモンでしょう。つまり寅彦の好みはヒーリング系の音楽としてのバイオリン、音楽療法だった節があります。

蓄音機で自然を、風の音や鳥の声を聞きたいと言う。猫の死はこういう風に結ばれます。「自分には猫の事をかくのがこの上もない慰謝であり安全弁であり心の糧であるような気がする」

なぜ猫を愛すのか、こうも言います。「不幸な弱い人間として『神』の心をたとえ少しでも味わわしめうる唯一の手段であるかもしれない」寅彦が漱石に何を学び、あるいは共鳴したか。一つの答えになる記述でしょう。