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2009年11月26日 (木)

「失業問題としての障害者問題」高林秀明

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「失業問題としての障害者問題」熊本学園大学、高林秀明准教授によると、身障者は追い込まれている。保険もなく食べることも出来ず仕事に追い立てられる。虐待といわれるような状況という。

高林准教授は給料水準を上げ、労働条件をよくする事が最初、大事という。私はひと息をつく。そうなのだろうが、ある意味では仕事があればひとまずは良し。いわれる通り、仕事が障害を歪めもするが、無論そうでない事もある。

私が小、中学校に行った時には、からかわれそうな場面にはあったが、虐待になりません。三島由紀夫さんは学校でアオジロとからかわれたそうです。青城をペンネームにします。

理由もなく背中に石を投げられた身障児はあります。身障児が頑なでも学校が頑なでも、困った事は起こります。起こった後で行司を持って来ても、悪い境目が見えません。

均一を好み、個別の差を嫌う所があります。たとえば身障者は商売の裏方だと問題がない。裏に慣れた所で表に回し、接客をさせると……障害と緊張で人前でうまくいかない。それで退職となって行きます。

「身障者は自分から辞めろ」いわれる。そういう問題は聞きます。少ないが逆もあります。障害があるのに出たがり、障害が重度化したので心配して裏方に回そうとすると本人が嫌がる……それで残すが結局うまく行かない。

固まった障害か雇用進行の障害か? 本人は上昇志向があるのか安定志向があるのか? 細かい配慮が出来る上司、3代目の店主で店員の使いこなしが出来ない場合もあります。

店員がそこそこ多いと問題は紛れ、それが少なくなって不景気でも表面化はしやすい。また障害があると意思の疎通がむずかしく言語障害で、もろコミュニケーション不能になります。

そういった見えるような見えないような問題は、一律に労働条件や給金の額で片付くか? そういう問題は残りました。スウェーデンがという話になるのですが、私もどこかに書いていますが人間がしたたか、社会が成熟しているのでしょう。

三島由紀夫さんは同級生との折り合いは悪かったと思う。で、主に古典を元に自作化した。ただ金閣寺では身障者を書いています。金閣が燃えたのは実際の事件です。身障者が犯人でした。

お母さんが障害児を無理に坊さんにしようとした。三島さんはそこに自分を見た……アオジロが犯人の仮面を被って自己を告白したわけです。古典といっても仮面になる古典、ならない古典とある訳です。

仕事も仮面のような所がある。本来はさせられる物ではあるが、慣れたり習得し終えた時には、した人を育てている面があります。難しい仕事は出来た時にはやりがいがあったト肯定的にいわれます。

仕事も筋トレの重りのように、その人の生き方に負荷を負わせ、その人を育てる場合がある。それは一面であり全面ではない。身障者だから、その為に給料なしの仕事を強いられたのでは適いません。

●関連記載はⅡの方に書いてます。9年1月23日、http://hata001.blog41.fc2.com/

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