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2009年11月

2009年11月30日 (月)

人吉に行きました

Img_03782 人吉市を上青井町から九日町通りへ歩いて行きます。

昭和30年代のままといわれるが土曜の午後、この界隈はのんびりし過ぎています。人吉市はマップで小京都も名乗られる。名乗られるのは自由ですが、イメージ巾を広げすぎると中央焦点はボケます。

有体に申し上げると上青井はシャッター通り、店が採算を上るのが難しいようです。田舎とバカにするのではなく悪すれのない様子に同情します。なに、熊本市も似たような物で、もっと悪い方にすれています。

「イスミ」というのはスーパーで兼用にどこかに百円ショップもあるらしい。買物をして紺屋町に折れます。渕田酒造場は昔、切手を商ったらしい。古い看板を今も記念に飾りかけてあります。

カメラを出していたら不思議な人に留められます。正確な物いいは忘れましたが、

「何をしている」というのを婉曲に問われます。逃げ出す事はないので、

――あなたも入ってくれませんか?

うまい事、引き込んだ写真であります。この人、この後が面白い。筆書名刺をくれるがペラペラであります。生年月日は1年違いで、まあ同級生……私も名詞を返しますが、私のもカレンダー裏を使った手製です。

「相談員?」

――ええ、どこか障害はありませんか?

明らかな健常者を捕まえての軽口です。これは初対面の緊張を解消している部分があって、スーツでも着てれば出来ませんが、相手もこちらも軽装で、失礼しないようには気をつけます。

私は名刺にブログアドや写真を入れております。

――パソコン連絡がつきます。そちらはパソコンは大丈夫ですか?

「パソコンは……待って」

「は」の後を伸ばした声で、不得意と読みます。

この人は長友清富さんです。鉢巻に書いてあります。有名希望の方でしょう。色紙を出してきて墨汁くろぐろ、私に賛辞を書いてくれました。

「原因と結果は法則を伝え、口調まろやか故郷を愛し、

清く正しく優しく隆盛し、今を楽しく生きている。男の中の男なり」というのです。

まあ、文章で書いた似顔絵というところ、似顔絵というのは書いた人に似るもんです。どこをどう読むかは解釈によりますが、半分は長友さんの顔が折り込まれている。

若い時にインタビュアーもやりましたので、少しは人を読みます。人吉らしい気持ちのいい人です。

色紙をもらっても返すものがないので撮った写真を後で送る約束をします。ちょうど電話がかかって来たのを潮に、そこで判れました。明日から、こんな調子で人吉紀行をしばらく書きます。Denchi_2

     障害者社会就労実行委員会 特定非営利活動法人「夢つむぎ」

リサイクルアルカリ乾電池

http://www.yumetumugi.com/wp-content/uploads/2009/06/jpg222.jpg

●渕田酒造場 http://shochu.daisuki.ne.jp/fuchitashuzo/fuchita_index.html

2009年11月27日 (金)

すし食いネエ 3

Sushi8 また88円すしが出てます。回転すし八。また一軒、増えたのか? 全部は行ってません。私は近いので北熊本店をヒイキにしてます。ネタとしてはエンガワ(ひらめ)ですね。今回、ゲソクはありませんでした。

どこも評判がいいようです。今回は、かに汁サービスで88円だそうです。行ってみると夏に比べ空いてます。12時前に行って、帰りにもやはり空いてました。季節柄でしょうか?

熊本市の南の方に行くと川尻の方に「おたる港」という寿司屋があります。評判は聞きますが、私は行った事がない。まったく別な店、どういう所か、気にはなります。様子がよく判りません。

それが出てます。同じように、新たなる感動の回転寿司……そう書いてあります。そこは高級ネタが525円、安いほうが158円、中間が315円の3つ価格になっているらしい。

おたる港はすし八よりは高級らしい。一度、行ってみなければなりません……名前から言って北海道ネタなのか? どうでしょうか。フリーペーパーで激突、熊本すし対 北海道すし、面白いかも知れません。

すし八の方は12月6日まで88円です。

2009年11月26日 (木)

「失業問題としての障害者問題」高林秀明

Img_0365

「失業問題としての障害者問題」熊本学園大学、高林秀明准教授によると、身障者は追い込まれている。保険もなく食べることも出来ず仕事に追い立てられる。虐待といわれるような状況という。

高林准教授は給料水準を上げ、労働条件をよくする事が最初、大事という。私はひと息をつく。そうなのだろうが、ある意味では仕事があればひとまずは良し。いわれる通り、仕事が障害を歪めもするが、無論そうでない事もある。

私が小、中学校に行った時には、からかわれそうな場面にはあったが、虐待になりません。三島由紀夫さんは学校でアオジロとからかわれたそうです。青城をペンネームにします。

理由もなく背中に石を投げられた身障児はあります。身障児が頑なでも学校が頑なでも、困った事は起こります。起こった後で行司を持って来ても、悪い境目が見えません。

均一を好み、個別の差を嫌う所があります。たとえば身障者は商売の裏方だと問題がない。裏に慣れた所で表に回し、接客をさせると……障害と緊張で人前でうまくいかない。それで退職となって行きます。

「身障者は自分から辞めろ」いわれる。そういう問題は聞きます。少ないが逆もあります。障害があるのに出たがり、障害が重度化したので心配して裏方に回そうとすると本人が嫌がる……それで残すが結局うまく行かない。

固まった障害か雇用進行の障害か? 本人は上昇志向があるのか安定志向があるのか? 細かい配慮が出来る上司、3代目の店主で店員の使いこなしが出来ない場合もあります。

店員がそこそこ多いと問題は紛れ、それが少なくなって不景気でも表面化はしやすい。また障害があると意思の疎通がむずかしく言語障害で、もろコミュニケーション不能になります。

そういった見えるような見えないような問題は、一律に労働条件や給金の額で片付くか? そういう問題は残りました。スウェーデンがという話になるのですが、私もどこかに書いていますが人間がしたたか、社会が成熟しているのでしょう。

三島由紀夫さんは同級生との折り合いは悪かったと思う。で、主に古典を元に自作化した。ただ金閣寺では身障者を書いています。金閣が燃えたのは実際の事件です。身障者が犯人でした。

お母さんが障害児を無理に坊さんにしようとした。三島さんはそこに自分を見た……アオジロが犯人の仮面を被って自己を告白したわけです。古典といっても仮面になる古典、ならない古典とある訳です。

仕事も仮面のような所がある。本来はさせられる物ではあるが、慣れたり習得し終えた時には、した人を育てている面があります。難しい仕事は出来た時にはやりがいがあったト肯定的にいわれます。

仕事も筋トレの重りのように、その人の生き方に負荷を負わせ、その人を育てる場合がある。それは一面であり全面ではない。身障者だから、その為に給料なしの仕事を強いられたのでは適いません。

●関連記載はⅡの方に書いてます。9年1月23日、http://hata001.blog41.fc2.com/

2009年11月25日 (水)

ブログでDJ 第11回 南米篇

Sikan

近場で書きました。今、県立美術館でシカン展をやっていて、そのデモンストレーションに館内で、ビアントのミニ・コンサートがありました。シカンというのは南米インカの前の文化をいいます。

インカや南米音楽というとケーナ、コンドルは飛んでいく。アタウアルパ・ユパンキ、ウニャ・ラモス、メルセデス・ソーサー……色々あります。美術館ではビアントは吉川万里(男)ケーナと竹口美紀さんのシンセザイザーをやります。こんな感じでした。

ビアント「さくらさくら」

http://www.youtube.com/watch?v=J5tSpCZtB8A&feature=related

私が南米関連で音楽を意識的に聴いたは、ウニャさんの「灰色の瞳」が最初でした。ウニャさんを今、聞くと堂々としてギターのからみも計算が行ってます。今と比べても録音がしっかりしている。ウニャさんは灰色の瞳よりは、これがいいでしょう。

ウニャ・ラモス Danse Du Point Du Jour

http://www.youtube.com/watch?v=uOOfBMBtgcE&feature=related

「灰色の瞳」は競作になり、いろんな人が演奏しました。人気が高かったのは加藤登紀子と長谷川きよしさんで、感傷的ではなく陰りや侘しさを加えて味が出したと思います。

http://www.youtube.com/watch?v=qqrD3-878sY&feature=related

メルセデス・ソーサさんを聞くと、これが滅ぼされた民の歌とは、とても思えません。地の底から湧きあがるように女はたくましく母はさらに強い。わびしいとか影があるという事が男のことと小さくなって行きます。「Solo le Pido a Dios」

http://www.youtube.com/watch?v=SIrot1Flczg&feature=fvw

ビエントの音楽にも日本的な移ろう季節感があり、リーダーの吉川さんはその延長でシカンやインカを捕らえます。トークの割合がけっこうあります。昔、日本と地続きだったような捉え方をします……が、これを聞くと違うんじゃないか。思いますねえ。

日本の捕らえる南米音楽は、南米音楽と違います。もっとも「灰色の瞳」でも違うのもあるのです。思わず笑い出して、これはいい思いました。まあねえ。感傷をこんふうに唄う世代が出てきたのですね。椎名林檎と草野マサムネでの灰色の瞳。

http://www.youtube.com/watch?v=W9JnYr3n-6w

椎名さんはよく聞くと、やけっぱちになって歌っているのですね。戦略のない点で歌謡曲の延長です。ビエントも歌謡曲を始めて入れ共感を広げたいと思います。音を広げると心も広がるような気がする……ほんとに広がったかどうか、演奏が終る時に判ります。

心に染み入るとはどんな事か、簡単ではない。シカンの見方も、こういう音楽を聴くと変わってくる気が私はします。ユパンキの歌と演奏を最後にかけたいと思います。人が生きる事を正面から捕らえると、きっとこんな唄いっぷりになると思います。アタウアルパ・ユパンキで「Los ejes de mi carreta」

http://www.youtube.com/watch?v=w9g9jvZ4yJ0&feature=related

●「ブログでDJ」はシリーズになっていて過去2008年には、4・2、4・3、5・4、10・2、12,15 9年に入って1・2、3.29、4.4、8.17、9.16の10回ほど、やっています。次はいつか判りませんが、お楽しみに。

2009年11月24日 (火)

バッテリー不調 2

Fd2

車の話、バッテリー不調、その続編です。三菱アイではコンピュータ制御になります。電圧を一瞬でも欠くと車は動かなくなります。以前の車はそういう事はなく、カーショップの駐車場で、自分でバッテリ交換しました。 (11月10日に正編)

アイだけでなく今はそういう訳に行きません。いつの頃からか、交換サービス込みで買うことになっています。私は古河バッテリを付けたのですが、古河バッテリでは幾つかのシリーズがあります。

シリーズ種類によって2年保障だったり3年保障だったりします。以前は2年保障が2千円で、3年保障が3千円だったりしました。自分で変えるなら大差なく、ほぼ同じことになりました。

今はそこが価格に正比例しない。割安割高、多少の違いが出ます。それに交換時期や扱い方も必ずしも一律ではない…… 一般論としては2年保障の安い方を付ける。その前提でいいでしょう。

カーショップで買う前提でもう少し続けます。バッテリは寿命があって新しい方がいい……と思います。カーショップによってはバッテリが古くなるとバーゲンに出し、安くするト私はニラんでいます。

見えないのですが賞味期限の切れかけたバッテリと、まだ期限の長いバッテリがある。カーショップ価格もそこまで言うと判りません。私の今度のバッテリも付け替えすぐより、しばらく走るともっと具合がよりよくなりました。

走っている内に電圧、電流が高まったんでしょ? 賞味期限はカーショップの場合も価格に出る……の、かも知れません。高いバッテリの方が新鮮な商品かもしれません。変えた内容も、そういう訳で厳密には判りません。

私の友人がディラーにバッテリ交換を頼んだら、8000円だったそうです。三菱ではありません。バッテリも注文を出して取り寄せる形になります。車を1日置いたり、その間に代車を使ったりします。

あまり詳しい事情は知りません。純正バッテリはどこか特別で、判らない所がいいのかも知れません。私は前に適当な時期に、適当に自分で変えていたので、すぐカーショップに走り込む癖がある。

機会があって三菱サービス部長に、バッテリ交換のいきさつを話しました。部長は原因についてバッテリではなく、暖気運転と長時間ドライブを強調されました……う~ん、どうなんでしょうか? 

2年間、なかったエンストが起きた。そこそこのドライブペースに暖気はなしが最近の常識、3年使ったバッテリ……論理的に無理がある気がしました。いえ部長の話にどこか特別、私に判らない恩恵があるのかもしれません。

どちらにしてもアイちゃんは寒いと機嫌が悪くなる。ご用心。長い暖気運転、用がなくても長時間ドライブ……まあ、そういう対策をうつ人もあるでしょう。経費としては早い交換の方が安くつくと思います。

そろそろプラグ交換が私の次の対策になります。

●同じ車名でも年式が違うとエンジンが違う、そういう車もあります。そうするとバッテリも変わる。場合もありますので、バッテリ交換の際はマニュアルなど充分確認して下さい。

●追加コメント 高性能バッテリは容量が大きいト古河バッテリではいいます。「サンデードライバー(あまり乗らない)の方などは、容量に余裕があった方が良いため、安全を見て性能ランクのいいバッテリを搭載していると思われます。弊社としても、そのような場合には、高性能品をお勧めしています」

2009年11月23日 (月)

森正人教授の「羽衣説話の変奏」

Moon 例によって放送大学の公開講演で、森正人教授の「羽衣説話の変奏」を聞きます。タイトルだけ聞くと何か判りませんが、これは三島由紀夫4部作と竹取物語などの関連を問う講演です。

私は出版時に「春の雪」は読んでいます。夢のような話で関心しなかった。それで2部以降を今も読んでません。三島さんが自決した時には、たまたま喫茶店で女性と会っていました。

それでその時のTV映像と、女性の顔と、春の雪の文章が、今も3つ重ねになります。今さらそれを再検討する事になろうとは、人生は生きてみないと判らないものです。

その後、4部作は全体で注目はされていない。最初の「春の雪」だけが映画化される等、注目されます。判りませんが夢のような話の夢のような部分が好かれたのではないでしょうか?

夢のような物語を通し、三島は何を語りたかったか? 男女をロマンティックに書いた春の雪、以降も男女ではない人間関係を夢のように描いて第4部に至ります。

4部作を通し、真の主人公は本多と判ります。予想される方もあると思います。三島に一番近い人物は、清顕でも聡子でもなく、死を前にした本多と森教授も、そう言われる。

古今東西の物語は主人公がどこか違う世界に向い、必ず帰って来ます。この帰る約束は、大きな約束になっている。森教授はいわれる。それは物語の成立の理由にある、私は思います。

人はなぜ物語を必要とするか? 人の生に限界があるからでしょう。今という時が色あせ、やがて消えて行く。そこに不安があるからでしょう……だから次々と物語を紡ぎ出すでは?

天女の羽衣はこの世の記憶を去り、異界に入る道具立てになります。竹取物語にも記憶を去る衣が出て来ます。裏返せば、この世の記憶を去れば次の世が始まります。

一瞬の現実、それを積み重ねて来た過去。長い時間の中に位置付けるには……物語に寄せる思いに、思いがけない答が出ます。今と過去を捨て去れば、今ではない新しい明日が始まるト。

伝説の発祥は転生、どうも仏教から来た輪廻に由来した気配もあります。私には覚えがないのですが前世の記憶がある方があるそうです。さあ嘘かまことか、輪廻を元に三島は4部作を書いたようです。

TVで身障児のお母さんが、

「この子が何か悪いことをしたか?」障害の現実に納得が行かないと言われます。

前世で悪い事をしたから障害児に生まれた。よい事をすればト言われる。

私の知らないことです。私は身障者ですが誰にも悪いことをしていません。証拠もなく前世の罪を問われるのは心外です。前世、私に隣合わせた方が2人以上あり、立証でもされれば考えてもいいが……

前世の存在自体が、つまり筆の誤りかもしれません。仏陀も、お釈迦になる前は、ただの人だったようですし、人として間違った事も教えられたのでしょう。

2009年11月22日 (日)

ベルト、ベルト、ベルト

Img_03602 この前まで、赤と黒のスニーカを使っていました。外側を黒く、内側を赤にデザインされた。もともとは黒の靴紐がついています。よくあるスニーカで赤い靴下で穿くのがオーソドックスでしょう。

ただ欲をいえば靴紐を片側だけ赤につけ変えたい。どっちでもいいけれど左かな。片側、左だけ赤いシューズベルトに変えましょうか? 論理的につめて行くとそうなります。

つまり私たちの内側と外側にはギャップがある。これは、たとえばTVで野村監督が劣等感と、高価な腕時計の関連について語ります。自分がどれほどの物かを知れば、相応に生きることになります。

だが、それだけでいいか? 悪く言って実際には、はったりかまして、その場を切り抜ける。そういう事だってあります。高価なスニーカは7000円、9000円、それ以上のもありますか?

3000円のスニーカのシューベルツを変え、靴下を合わせても対抗は出来ます。その辺りは理屈として野村さんの腕時計と重なります。腕時計がステータスシンボルだった時代があって、今はほぼ終わっています。

その辺りが認識されない。野村さんの年齢的な限界がある、と思われます。中国が脇目もふらずに作っていた時代に、ダイソーに腕時計が出たことがあります。メタルベルトの腕時計は100円でした。

冗談のような腕時計を私はして、国際情勢の話になると、その時計を見せびらかしました。

「100円なの? 見せて」

――月単位で1分くらい遅れるけどね。

「それでも実用上の問題はないのかぁ」

時計を見た友人は、ある種のショックを受けます。ただ、その中国腕時計は文字盤がどうしようもない。青いイルカが跳ねているデザインに問題がありました。ありました……実はその時計を私は、まだ使っているのですが……

腕時計はさんざん見世物にされたあげく、電池が切れます。2年以上3年近くも使いましたから、まあ切れるでしょう。中を空けて文字盤をはがし電池の型番を見ると、その電池はダイソーにありました。電池を換えるとまた時計は動き出し……

文字盤を外してメタルだけのメカが見えると、シースルーを通り越し別な意味でモダンです。雨に濡れない限り大丈夫と思われます。ゆったりと平和な中で実際はそうではない。見えない駆り立てを食わされる。

そういう時間を計るのは高価な時計ではない。今、多くの時間を計るのはケータイの時計ではないでしょうか? 文字盤をはがしたダイソーの腕時計は一番、それに似ています。……いますかね?

●画像コメント 本文とは関係がありません。大河ドラマの次回作が「坂の上の雲」で坂の上をテーマに撮ってみました。

2009年11月20日 (金)

バリアアリーな日々

0350572 ジーンズ、エドウィンのスリムを買います。ストレートや裾太の方がはき易かったのです。普通のスリムはまあ楽ですが、エドウィンのスリムは恐ろしく細い、とてもはけなかった。今は大丈夫です。はいて脱げます。

競泳用のパンツをはき慣れたので、スパッツというのですが更にはきにくいロングスパッツをはいたらどうだろう。前にそういう話を書きました。反逆のバリアフリーというタイトルにしたらウけたようです。

実行はしないのか? 一応、検討しました。ロングスパッツは高い。ヤフーオークションで中古500円のがあり、入札しました。しかし途中で降りました。最終的には2400円で落ちている。普通に買えば、その3倍くらい? まあ反逆も、金がかかります。

山口県のデイサービスセンターに「夢のみずうみ村」という所があります。そこの藤原茂所長が同じような趣旨で、反逆ではないがバリアアリーと言われます。機能回復にユニバーサルデザインはよくないとの意見です。

運動に適度の負荷をかければ、体力や機能は回復する。藤原さんも、老人や身障者にプールを中心とした訓練を勧めらる。ただデイサービス所在地には、プールの他には高価な設備はありません。

つまり私も似たような方針であります。高額なロングスパッツは止め、古着のエドウィンにしました。最近のエドウィンは安くなったか? どうでしょうか? 膝の上に穴の空いたのが特別安かった。

情報によるとキムタクがエドウィン好きだそうです。私が買ったのと同じデザインかどうかは知りません。

スニーカも最近、穴が空いたので変えました。均一セールで目に付くスニーカがありました。どうも国産ではない。たまたまサイズが合ったので買いました。見た目が違う、作りが違う、面白い感覚がある。

近隣国の製作かなあ? かかとにOfretaという標章があって、これはスペイン製ですよね。仏国を揶揄して「おプランス」と言いますが、おスペインというのでしょうか? インを略して「おスペ」というのが昔、ありましたが……もう、ないですね。

スペインのスニーカといってもフラメンコ踊れる訳ではありません。大体、フラメンコは固い靴で床を鳴らすもんですから……いえ私は身障者ですから、どっちみち踊れません。靴が固かろうが頭が固かろうが、ただの歩きフラフラ、フラメンコ。失礼しました。

それやこれやで外国製を、けっこう買っています。昔は買っても何だか判らず、それっきりでした。今は判らない所をネット検索するとピタリ。知りたい事が判るほか、知りたくない事も知る事になります。

キムタクとかスペインとか、どうだか怪しいような情報にも、ひょっこり行き当ります。足の裏で感じるスペイン、太ももにまつわるキムタク.……ありがたいような鬱陶しいような、つまりどうでもいいパソコンの世界であります。

2009年11月18日 (水)

準備OK?

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総務省から地デジの町内説明会の案内が来ています。

私は地デジを見ない方針を立てています。すでにブログでも書きました。WOWOWで観たい映画をストックしています。「ビデオテープ、いらないか」という親切な友人がいます。

多分ですが地デジの普及は進んでいないからでしょう。アメリカのように地アナを延長放送する事になる。総務省は、それが嫌なんだろうと思います……トいうことは、多分そうなる可能性がある。私は別に総務省に意地悪するつもりはありません。

新しいTVの時代に懐疑的なのです。TVがよかった時代は終わって、TVはつまらない時代に入ったと思う。ブルーレイディスクも、あまり売れてない。ブルーレイ化された映画は、DVDの10分の1という話です。

どうしてもブルーレイ化しなければならない理由もないという。そう私も感じます。最新作の魅力は少ないのです。映画でいえば「おくりびと」悪くはないのですが、往年の名作を超えたとは思えない。

ドラマも「北の国から」「木枯らし紋次郎」「高校教師」「踊る大走査線」に匹敵するドラマは出ない。どうも好みの問題ではなく、やはり一つの時代が過ぎた。そう見るべきでしょう。TVは一つの使命を終えたのです。

地デジを他人に任せて、私は古いビデオやLDを見ようと思っています。ラジオもあればCD音楽もある。そしてLDが安く出ています。LDで「怒りの葡萄」は買いそびれましたが「ローマの休日」を買ってきました。

死刑台のエレベーターはサントラレコードを持っていました。ルイ・マル監督のデビュー作です。音楽を担当したマイルスは次作の音楽は断ってしまいます。ルイ・マルは音楽にはクラシックを使って第2作「恋人たち」を撮ります。

その両作品を比較検討するつもりです。「風共」は買いそびれ「美しき諍い女」を買いました。「ドクトル・ジバゴ」を買いそびれ「アラビアのロレンス」を買いました……何となく図書館にありそうな映画をずらりとまとめて買いました……今、安いです。

そういうのを1、2年見てから地デジ、ブルーレイを考えてもいいと思う。そうすると対応TVやビデオが、とても安くなるはずです。もう年も年ですから、時代を追いかけて生きる必要はない。

面白かった映画と見損なった映画でもいいではないですか。新聞に続いてTVを止める。私は私のペースで生きて行く……そしたら、このブログが少し詰まらなくなるかなあ(笑)

●ブルーレイに未来はあるのかhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091115-00000000-jct-bus_all

2009年11月17日 (火)

2つのフラメンコ

Gitar_2 10月19日リポート。俵英三さんのフラメンコを、路上ライブで聞いて以来、フラメンコギターを聞きます。マニタス・デ・プラタさんは落ちついた感じですが、落ちつき過ぎた気がします。

マニタスは長塚京三さんがいいト言われた時に買いましたか? 昔のことです。何を買っていいか判らず、最初に聞いたフラメンコでした。次に聞いたのがパコ・デ・ルシアさんで、これならと複数の人から、いいと言われました。

これで聞いたら誰でも納得します。マニタスに比べ、かなりショーアップしています。演奏にメリハリがあって判り易い。判り易いというのはよく言えばですがネ。悪く言うと内容がない。演奏技術はあるが演奏家の心が、もうない。

ギターは歌を伴い、歌は手拍子とステップの足拍子へとつながる。その盛りあがりがフラメンコの特色ですが、なぜそうなるか? 何が変わるのか? 変わらないのか? その辺の必然性が見えません。

演歌がなぜ終わったか? なぜフォークがブームになったか? こういった問題はいつでも何にでもあります。なぜ音楽が心に添い、また添わなくなるのか。

いうまでもなくフラメンコはスペインの歌であり、ファドはポルトガルの歌なのです。しかし歌はどこか、日本の浪花節や寺のお経を連想させます。 ポピュラーやジャズと違う、身近な感触があります。

パコ、マニタスの2つのフラメンコギターから生まれた疑問を解いたのは、ジプシーキングスのCDです。ドラマ鬼平犯科帖に使われて以来、キングスは一気にフラメンコに市民権を与えます。

以後、男はドラマに酔い、女性はカルチャークラブに通いつめます。実はキングスというグループには一次のものと、二次のものがあります。私が買ったのは一次のもので、元は2枚のレコードといいます。

一次のキングスはヒットしませんでした。解散後に再度結成されたのが二次のキングス。この違いを簡単にいうと一次キングスはマニタスに共通する。二次キングスはパコに共通するものを持っています。

たとえば一次キングスの歌詞の中には、児童虐待を示す下りがあり、それをレコード会社は正しく訳してない……Pバラカン氏の話。

一次キングスの演奏の主体は自分たちの歌である訳です。

ショーアップの過程で営業の、観客サービスに主体を置きかえる。判り易いとはそういう意味です。歌に言葉があり言葉は心のつながりに由来して行く。判り易さと裏腹に失って行くものもあります。

少なくとも一次キングスの歌は貧しく、その貧しさを歌で晴らす意味がありました。観光旅行でスペインに行けば生のフラメンコを聞くことが出来ます。ショーアップされたフラメンコ、女性がカルチャークラブで踊るフラメンコはどこにもあります。

一方、今という時代に日本も、児童虐待の現実を抱えます。2つのフラメンコと書きましたが、実は音楽は2つではない。2つの間に様々にグラデーションして、私たちの間に広がっています。

心を澄ませば演者の声が聞こえる。言葉に技術が必要ないように、その意味で音楽も技術ではない……演奏が心を失っていなければ……路上のフラメンコから再出発した私のフラメンコ旅行に、終着駅が見えそうな気もします。