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2009年10月

2009年10月 8日 (木)

ジョゼと虎と魚たち 2

Sagan 映画「ジョゼと虎と魚たち」については沢山の感想が出ていますねえ。それは自分で検索して頂くとして、その内のある割合の人が田辺聖子さんの原作と映画を比較されている。以下は、そのネタバレになります。

私もチラと原作を覗いて来たのですが、どうも私のタイプの小説ではない。私に言わせると、あれは田辺版「ごんぎつね」といった趣が感じられます。原作ではくみ子は恒夫と結ばれる事で満足します。

それでなぜか式も上げず届けも出さない……なぜか? そこは読者に考えてもらう所で終ってしまう。ごんは最後にうなずき、まだ死んではいない所で物語が終ってしまう……似ています。

……とは言え、死が暗示されて直にハッピーエンドと読むには無理がある。ここが映画では少し突っ込んだ表現になっています。恒夫は数ヶ月でくみ子と別れ、健常者の香苗とよりを戻します。

ハッピーエンドに固執する人は映画版の評判が悪い。でもねえ、固執しても映画のように行かない現実ですからねえ。そんなにハッピーエンドが好きなのか。印象にも残らず、やがて忘れるだけの物語ですよねえ。

やはり香苗と決めた恒夫は、激しい悲しみに襲われる。香苗の前で大泣きに泣く。これは何を意味するか? たぶん犬童監督はフェデリコ・フェリーニの「道」のラストを持って来たのでしょう。

いえ、それは私の解釈です。正解はむしろ読者、あなたの中にあります。車椅子身障者と健常者の女性を、たまたま同じような重さで両方愛したら、あなたはどちらを選びますか?

幸か不幸か、そういうハメに陥った事がなく、従って難問に答える事なく私は生きて来ましたが……難しいでしょうねえ、この質問に答えるのは(笑)F・サガンなら、どう考えたでしょうか?

実存とは現実存在の略で、サガンはサルトルとの付き合いがあって、そちらの考え方をします。サガンは具体的にお金について、こう考えています。

『お金は持っている側だけでなく、持っていない人たちをも支配してしまいます』 (Wikipediaからの引用)

『わたしが大嫌いなものはお金で買うことのできるものではなく、お金によって作られる人間関係やお金が大部分のフランス人に課している生活態度なのです』

ロマンチックというより現実的な考え方といえるでしょ?

『わたしは人の持つ安心感や人を落ち着かせるものが大嫌いです。精神的にも肉体的にでも、過剰なものがあると休まるのです』

物事を現実的に捉える一方で、サガンは勇気を奮って冒険をしろと言うと思います。

通俗的に式を挙げたり、届けを出す事は自ずと違う。涙を流して泣くことも、どうなのか? サガンはこんな風に言っています。

『わたしは孤独が好きです、でも他人には愛を感じていますし、好きな人にはとても興味を持っています。ですから、人生の小さなドラマに対して、自分を嘲弄して、ユーモアをたっぷり持つことが必要だと思うのです。それでユーモアを持つための第一段階は自分自身を嘲笑うことだと思います』

サガンの最初の小説を知っていますか? 普通、人は悲しみにさようならしたい。それに今日はと言ったサガン……そこらにカギがありますね。長くなりました。最後に私の一言……

デイトの後の帰り道。一人になった孤独は離婚の後の孤独に似ているそうです。式を挙げた事のない私に、それはどうにも判らない事なのですがね……

2009年10月 6日 (火)

音量制限その解除

Mp3新しいiPodには音量制限が付くといいます。むろん使用者の聴覚を守るためです。調査によると毎日に1時間、100デシの音楽を聴くと、5年後聴力を完全に失う危険性がある。

もっともiPodでは、警告を無視するのも自由と考え、音量制限を無視できる機能も付けるという……そういう新聞記事です。制限と無制限の矛盾した方向付けが面白い。

そもそも耳を悪くするような大音量の音楽が、なぜ必要なのか? 私の部屋の側に、昔、受験勉強中の高校生が居たことがあります。高校生は試験の前になるとビートルズを聞きます。

音の悪い初期のビートルズを、ラジカセで可能な限りの大音量で繰り返し聞くのです。付近でつきあう事になる、私としては複雑でした。当時、ビートルズはちょっと古くなっていましたからねえ。

私世代の骨董品を、聞いてくれる意味ではありがたいような、それでもウルサイような……ビートルズはP・サイモンに比べると毒が強く、反発心を露骨に出した音楽でした。

いえ、何時だってそんなものです。同じ時代にあってE・プレスリーの頃に、A・ウィリアムスが流行ました。何となく毒が判って、なおプレスリーを選びビートルズを選ぶ。消極的な自殺の意味がある。

感じはありますでしょ! 音量を下げた方が耳にいい事は判っている。判っていて上げるのです。音量制限だけのMP3を売り出す訳には行かない。売れないに決まっていますもんね。

売る方と買う方で、暗黙の了解がに成立します。試験から逃避したい高校生のように、私たちは現実から逃避したい。食べ物でいえば激辛でしょう? マネーで言えばFXですか?

2億円宝クジでは気が納まらない……私、その方は心得がありません。比較が正しくないかも知れません。今日は大した結論もありません。出来ることなら穏便に、無難にこなして行きましょう。

出来ることなら、出来ることなら……

2009年10月 4日 (日)

ジョゼと虎と魚たち 映画

Zyoze_2

基本ラブコメという意味で娯楽色が強い。少なくとも身障福祉を正面から取り上げる気は、ない……ないと思われます。ただラブコメの変化球としてはリアリティがあって、妙な実感を伴います。

どちらにしろ広い意味での面白さになります。こういう映画はネタを割っていいのか悪いのか、始末に困るのです。どうしましょう。主演は普通の大学生役に妻夫木聡さん。

タイトルにもなるジョゼ役、本名はくみ子に池脇千鶴さん。これが病名不明の身障者です。書くまでもなく判ると思いますが、怪演です。池脇さんは、どんなラブコメにも合わないです。

そう書いても悪口にはならない。その池脇さんが、ブラックジャックによろしく風の妻夫木さんと共演するトどうなるか? それも書かなくとも判りますか?

福祉志望の大学生役の上野樹里さんと比較される進行で、面白さも比較になってしまう。それはいいのですが、病名不明の障害からも判る通り、全体には無理があります。

病名はポリオとCPの両方を考えたと思います。どっちに設定しても恋愛劇の進行に触る。それで病名不明とした。現代にはこんな身障者はありません。原作は田辺聖子さんの短編といいます。

田辺さんは1928年の生まれの戦前派で、身障者が家の恥とされた時代をご存知です。田辺さんがジョゼの性格に、現実との距離感を反映させます。

ただ現代の身障者の自立は、あまりご存知ないかも知れません。タイトルのジョゼというのはF・サガンの小説「1年ののち」を意味し、女性の自意識も象徴します。ちなみに私は田辺さんを、いっさい読んでいません。

田辺さんは40才近くで、再婚の相手として初めて結婚します。最近は天海祐希さんがTVで結婚は断念、それに近い発言をします。身障者の結婚、あるいは田辺さんの結婚が、天海さんの発言とどう関わるか。むつかしいでしょ?

この映画はそう見なければならない気がします。ジョゼは虎を見た事がない。水族館にも行った事がない……田辺さんは結婚した事がない時期の自分を主人公ジョゼに反映させている。だからシリアスな意味合いも出ます。

F・サガンは実存主義時代の女性の代表で、くみ子はモダニストを気取ってジョゼと名乗るのです。異性実体験の意味は、意味に限っていうと、身障者にも健常者にも同じようにあるはずですが……

田辺さんは身障者のように実体験をしたト語るのか? ジョゼを通して池脇さんは、ある普遍的な女性を演じます。それはたとえば天海さんのような現代的な女性という意味です。

それは戦前派、田辺さんのような女性ではない。女性にとっての実体験の意味を、たとえば虎、たとえば魚たちとした時、それは男というより結婚や家庭の意味になります。映画にはそういう面白さがあります。

身障者の生きる意味は、この映画の中で腱常者の生きる意味とも重なります。その先、では家庭の意味する所は……残念! 私もひとり者、体験しておりません。したがってこの稿、これまで。

2009年10月 3日 (土)

今度はコンドロイチン

Guru_2

軟骨の育成にはグルコサミンか必要、ではないか? 関節の軟骨が不足して不具合が起こるト仮に、仮にするとグルコサミンを補給すれば関節の不具合も改善されるらしい。

いえ全部ではないが、どの程度かは判らないが、されるはずです。グルコサミンはカニやエビ、トウモロコシなど一部の食品に含まれる。しかしカニやエビを毎日食べる訳にはいきません。

それでサプリメントを考える……ところがグルコサミンだけで軟骨が出来るわけでもない。いろいろな栄養素も混じって結果として軟骨が生育するらしい……これも証明は出来てません。

グルコサミンは効くとも効かぬとも言われ、どっちつかずのままサプリとしてヒットしている。その存在はまだ半市民権、まだ常識的とも言えない。こういう時は常識的と非常識的の間で、具合よく考えます。

ご都合主義といわれれば、ま、そう考えます。都合の栄養素は食物ではなく全部、サプリで補給しなければならないか? これも私の都合が違う。多分、あなたの都合も……

コンドロイチンの語源はギリシャ語で「軟骨のもと」の意味と言います。1946年、化学構造が決定されました。決定とは、今後は変わらない意味か。誰が変えないと言ったのか気になりますが…… オクラ、うなぎや納豆に含まれるネバネバ、割とどこにでもある栄養です。

MSMはメチル・スルホニル・メタンの略で、これも植物や肉、卵、乳製品などに広く含まれます。主に体内の浄化をサポートする硫黄化合物といわれます。

MSMは、アミノ酸の生成に不可欠で、皮膚、爪、髪、軟骨の他、その範囲は広く酵素、抗体、グルタチオン、コラーゲン等をつくる材料トされています。

他にも軟骨の生育に必要な栄養素は、判っていない何かがあるかもしれません。知れないのです。今いわれる事は、昔は判りませんでした。時代は変わる世の中も変わる。今、判らない事も明日になれば判るかも知れません。

知識には元々そういう所がある。極端にいうと常識もあてにならない。昨日、決めたからもう変えない……それを融通が利かないと言います。ひどく融通が効かない人を、おバカともいいます。

サプリからしか栄養は取れない。サプリのバランスを取るとか、栄養素の数の多さとか……それは1養素の量の少なさになる。製作会社を統一しなければならないとか……そうなると矛盾します。

私の場合のサプリはグルコサミンだけ。コンドロイチンは練物、てんぷら、竹輪、かまぼこの食物で考えます。MSMは牛乳をすこし多く飲めばいい話です。

コンドロイチンは食べ物でいっぱいある。MSMも食べ物でいっぱいある。食べる時に意識して増やせば、それでいい。私の場合は、あくまで私の場合はそれで効いています。

映像は某社、関節対策サプリの広告から部分を取りました。サプリの中でもグルコサミンは売れ筋らしく各社いろいろ宣伝されます。それはいいのですが、どうもウソなる。

●からだにいいコンドロイチンのお話 http://www.chondroitin.jp/

●ムチンの発見 http://www.riken.go.jp/r-world/info/release/press/2009/090130/detail.html

2009年10月 2日 (金)

車検広告

Syaken_2 画像は車検広告の2枚重ねです。上が兼松ペトロさん、下が肥後石油さん。軽自動車での車検、最安値で兼松さんが35560円です。肥後石油さんは35800円……請負内容は若干違います。

肥後さん兼松さん、共に付近の系列スタンドから車検を受け付けます。スタンドから2年間とか期間を切って最大5円/Lのガソリンを値引きする。そのあたりに目玉があります。

熊本市内には他にもう1系列あるようです。現段階で未確認……安くて近いなら遠くまで行くこともない。車検の予定の迫った方は、近場のスタンドもチェックしては、いかがでしょうか。

車検の品質については何とも言えない。ただ朝夕に顔を合わすスタンドですから、悪かったら会わす顔を無くすことになる。その辺を担保とすれば、滅多なことも出来ない思うのですが……

2009年10月 1日 (木)

デビッド・クローネンバーグ

RanchiD・クローネンバーグさんはカナダの出身の監督です。S・スピルバーグさんともソダーバーグさんとも違う人です。クローネンバーグ監督は生理的な表現に定評があって、熱狂的なファンもいます。生理的表現とは? 簡単にいえば気持ちが悪いのです。

スピルバーグ監督が好きな感覚は追われる。追われるから逃げるのは、映画のひとつの原点です。車が自分を追いかけて来る。サメが追いかけて来る。踏み潰そうとして、食いちぎろうとして迫る……でも本当は追いかける理由などない。

逃げるから追いかける。逃げる物を見ると追いかけたくなるのは動物の生理に近い。恐竜が追いかけてくる。あれは逃げないで立ち止まって向き合えばいい。止める行為を行うのは自信なのでしょう。

ソダーバーグさんはスピルバーグさんから進化した感覚があって、それは相手の目線から自分を見る。そういう意味で自信家です。こうするから、こう見られる。それでいいのか……行為の意味を、映像で問いかけます。

自分と相手の切り返しと切り返し、目線と目線のすれ違いに恐さというか、勇気を振るう所が面白い。早い切り返しに慣れると勇気が伝わるというのか。見る側にも勇気が沸く所があります。人と会う、相互に関係を持ちあう意味です。

スピルバーグさんは相手と有効な関係が持てない。そういう所があると思います。困った困った逃げろや、逃げろ。映画の作りにそういうタッチがありましょう? 子供に受けるのはそこですね。

対してクローネンバーグ監督の異常好きは依存の意味がある。私が最初に見た「スキャナーズ」で若い主人公は、最初ホームレスです。超能力の才能を持ちながら、無力なホームレスなのです。

この設定に、若い人は参った。昔、私も若かった(笑)

「しっかりなさいな」と女性が励まし覚醒させてくれる。言っていいのか? これってマザコンでしょう? マザコン男の面目が立つように扱ってくれる。

クローネンバーグ監督の映画に出て来る女性は大和撫子です。主人公の男がダメな分、女性が魅力的に見える。主体性を奪い取られる感触、吸い取られる表現に長ける。

「ビデオドローム」という映画はビデオに依存した男です。TVの受像機に頭を突っ込んでTV局に取り込まれる気持ち悪さを描きます。気持ちは悪いが、悪という判断はなく、陶酔的な感じがある。

主人公の男の腹が縦に裂け目が入って、そこにビデオがセット出来たり……瞬間移動のメカニズムに人体とハエが入ったり、メカで合体してしまう。蝿男の恐怖はザ・フライで再映画化されました。

原「フライ」より強調されたのが、蝿と主人公の一体化する感触です。「裸のランチ」では麻薬を使った感触、現実感がなくてフワリと浮いた感触を映像化します。

ゴキブリが背中に口を持っていて、自分は会社の上司という。どんな会社だい。タイプライターにも背中に口があって、どうしろこうしろと話しかける。バロウズの原作には自伝的な要素もあります。

幻覚で奥さんを射殺した人です。依存性が高くて物事の判断が自分では出来ない。何をするか判らない。破綻寸前という意味ですが、こういう人が好きという人いますか? 

ただ、いわく言いがたい魅力にもなるみたいです。思い通りにならない世の中ですから、全部、思いどおりにしたい。他人に、そういう支配願望を持つ人がいる。

支配と依存がない交ぜになって感触だけで高まって来る。そういう所がクローネンバーグ監督の映画世界といえます。自分は支配しているのか? 依存しているのか? いや依存という名の支配であればいいのか?

どっちがどっちと判らなくなる。現実の意味を剥ぎ取り、曖昧化する。薬品で感覚だけを思い道理にする。すり替えです。麻薬を呑んだあげくの妻殺しには、そういう意味があります。