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2009年9月23日 (水)

ジョーカーの目

Zyo 兄弟を題材にした映画を観ました。面白い面白いと前半はよかったのですが、後半に大きな問題があって、どうにも解釈が出来ない。残念ながらボツにします。

書いといてボツもないのですが、偶然ながら、これは「ある姉妹」で取り上げてます。その続きという事で多少、書いて置きたい部分もありますので、話あいまいなまま、もう少し。

兄弟喧嘩はどこにでもあります。他人の始まりという言葉もありますが、あまり頻繁に他人には成れない。喧嘩をしても調整をして、すぐ仲直りをします。同性の兄弟は異性の他人から見ると、とても不思議に映るそうです。

いろいろな場合があるのですが、あれはひとつに、事実を動かしてしまう。兄弟は兄弟で過す時間が長いので、兄弟間の事が大きな意味を持つ。外側のことの意味は失われがちになって行きます。それはたとえば……

兄弟で虫を取りに行くと、一人で行くよりも友達と行くよりも、遠くに行ってしまいます。弟が足が痛くなったと言えば兄が激励します。激励分、もう少し、もう少しと遠くに行きます。友達は家の都合を持ち出して止めてしまう。

「そろそろ帰る時間だから……」誰かがいう。よその家の事情は判らないが、自宅ならすぐ判ってしまう。

「まだ大丈夫だよ。それに、お父さんが帰った頃に帰った方が怒られない」怒るのは母さんだから……兄が状況を読んでしまう。

そういう読み合いを毎日やっていると、兄弟は馴れ合い意図を持ちます。現実に兄弟だけの弛みを作ってしまう。二人だけの現実、二人だけの事実が生まれます。でもそれは外に持ち出せば効力が消えてしまうから……

「そんなに遠くに行くのなら歩かないで電車に乗らないか?」

虫取りの高歩きの限界を取り去るのは兄弟同士ではなく友人です。二人は歩くのに固着して電車やバスを使う発想がなかったのです。

兄弟は兄弟で作業を進めるため、逆に間違いや限界を作ってしまう。いえね、私には同性の兄弟がある訳ではありません。身障者同士の会も大事なら、健常者を交えた会も大事と思っています。同性の視点も異性の視点もクリアする。

オールマイティなのはネットの視点という事で、よろしいかト。

●映像はコスプレ用品

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