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2009年9月

2009年9月17日 (木)

ある姉妹

017027 発言や自伝などで名前が出ているので、ここで出していいと思います。岩崎宏美さんの家は芸能とは縁が薄く、歌手になるのはもっての他といった家風だったらしい。宏美さんは唄が好きで当然、唄を歌いたくて仕方がない。

判ると思いますが趣味の範囲に止められない。それで親を口説いて、その道に進むのです……宏美さんには良美さんという一卵性双生児のような妹がいて、横で見ていて右に習いするのです。それは双生児ではないが真似する妹でした。

身障者は大抵、家族でひとりだけ身障者ですが、たまに姉妹の身障者というのもあります。家が外には出さない方針で、姉本人が生活保護を取って自活したい、いうとエラい事になります。そういうのは大抵、両親が強くて反対します。

岩崎家のように、たまたま口説きに成功する。そうすると姉に続いて妹も、生活保護を取ってトいうことになります。お姉さんは反対はしませんが、かなりウットウしい顔をします。妹も知っていて、それでも姉のまねをします。

両親はどうかと言いますと、姉を出したら殊更に反対する理由がなくなる。妹に対しては全く反対しないのです。すると、これは姉の嫉妬をかいます。

「あたしには、あれだけ反対したのに、なぜか良美には一言も反対しないのよ」

そういう感じの発言が姉から聞こえます。

どこの兄弟にもある程度、そういう所はあります。家のやり方で親や、祖父母のやり方で、全部通そうとするには無理がある。個人には一人だけの個性がある。身障者という個性は、あまりプラスの個性ではないかもしれませんが、今更、消す訳にもいきません。

取れると言うなら生活保護でもなんでも取って、生かすことでしょう。個人が個人として生きることを自立といいます。誰かに右習いするのは、厳密な意味では自立ではない。かといって妹の良美さんを非難するつもりは、私にはありません。

家のやり方を脱したら、姉のやり方を脱することが出来ない。自分を自分らしくと思っても誰かの後をなぞる事しか出来ない。そういう人もいるからです。どこの姉妹にもある程度、そういう所はあります。

この話の結論は、鳩山由紀夫さんと邦夫さんは兄弟ということ。大きく違うように見えて、そう大きく違わない。私は政治の流れを楽観しています。民主党が初めてづくしと言ってみた所で、元の古巣は自民党だったのですもの。

党自体が兄弟と言ってもいい。何だ姉妹じゃなかったのかって? いいえ話がここでおしまい……お後がよろしいようで。

2009年9月16日 (水)

ブログでDJ 第10回~エキゾチック~

Youtubeを使って曲を出すという、題して「ブログでDJ」10回目になります。今回はテーマが決まりませんで、何となくこういう選曲になりました。私の個人的なエキゾチシズムに根があろうと思います。空想の東欧あたりでも彷徨うように、ま、聞いてみて下さい。まずは一曲、これです。

●南蛮渡来/Marionette

http://www.youtube.com/watch?v=s4BHEy_-xlc

これ聞いて私、マリオネットMarionetteとは何だという気分になりました。なられましたか? 源ギター、源マンドリン、ちょっと違う楽器を使うデュオで、内容も違う音楽に聞こえるのですが、知っている人は知ってる、あの音楽が元になっています。その音楽とは2曲目を聞くと判ります。同じMarionetteでもう一曲。

コインブラ/Marionette

http://www.youtube.com/watch?v=ViIAy1fgKlY

ファドというと馴染みがない。曲想としては昔にも流行ったんですよ。今もスタンダードになっているのか? 典型的な一発屋さんで、2曲目を探して苦労されたみたいですが……教会などで今も地道なコンサート活動をされていると聞きます。これは名曲です。

●「異邦人」 久保田早紀 〔夜ヒッ

http://www.youtube.com/watch?v=cIsCifnFy9Y

名曲だけど軟調になりました? では少し硬めに口直しましょう。いわゆるギター音楽はこういう音です。日本人が弾くと情緒というかウエット感が強調されるような、女性は特にそう……嫌いか? そこが何とも面白さになります(笑)

●サウダージ第3番 村治佳織/ Saudade No.3

http://www.youtube.com/watch?v=fpyMknm7zk8&feature=related

女性だから女性的な演奏をされるかというと、そうではない。では男らしいか? そうでもない。何なんだ、そこが面白いという他はありません。村治佳織さんは、こういう演奏もやって、もう少し普通の演奏もされる。普通って何だ、言われそうですが、やはり情緒、ウエット感を強調した音楽と表現するしかありません。

●アランフェス協奏曲 村治佳織Concierto de Aranjuez - Kaori Muraji

http://www.youtube.com/watch?v=zGT83feJTQI&feature=related

こんなマンドリンデュオを見つけました。よく知りませんが、これ学生シロウトらしい。遊びなのですが、でもここまでよくも……技術的にも音楽性は? 本気ではありません。シリーズになっていて16作ほどあります。久保田さんを例に出していいか、音楽性を身につけるのは、もう少し別なことのようです。

おもしろセッション その2 マンドリン デュオ チャールダーシ

http://www.youtube.com/watch?v=TSXcNsxjn8w&feature=related

前作を越えられない問題は、実は誰にもある。地道に真摯に自分と向き合うしかないのですが、それは嫌という。若い人は軽々と素早く越えたいという。地味な苦労をいとう(笑)それで何年もかかり何十年もかける事になる。むろんそれ切りになる人もいます……真摯な所も見つけました。

Tchaikovsky Vn Concerto-1 by Mandolin&Piano

http://www.youtube.com/watch?v=QAJlKs8Pi_w

http://www.youtube.com/watch?v=Ju2KiZs9hpU&feature=related

エキゾチックな感じは薄れますが辿りつくのは、こんな感じでしょうか? 遠い旅から帰って来たいう感じがします。見知らぬ国にだけエキゾチックがある訳ではない。見慣れた町にも実は、曲がった事のない横丁があって、その横丁を曲がる事が旅です。私はこの熊本市、生まれた町でエキゾチックを見つけたいと思います。

●「ブログでDJ」はシリーズになっていて過去2008年には、4・2、4・3、5・4、10・2、12,15 9年に入って1・2、3.29、4.4、8.17の 9回をやっています。次はいつか判りませんが、お楽しみに。

2009年9月15日 (火)

老いの楽しみ もう一度

2 沢村貞子さんも一番深い思いと言えば敗戦という事になるのでしょう。沢村さん世代はそうなのです。別にいいとも悪いとも思いません。ただ戦争を伝えたいトいう事であれば、もう少し工夫がいるように戦後派としては思います。

たとえば終戦ではなく敗戦という事は指摘しました。なぜ敗戦という言い方が大事か、沢村さんは違いますが、多くの人はあの戦争を負けてないと思っているフシがあります。最近ゼロ戦のミニチュアが本屋で売られました。

何でもゼロ戦は当時、一番優秀な飛行機だった……う~ん、言葉のあやと思うのですが、そういう伝説はあります。私が元整備兵に聞いた所によると、エンジン性能が比較にならず、現に次々と負けたといいます。整備兵は敗戦を時間の問題と悟ります。

沢村さんは「やっと手にした平和を、二度と失うまい……誰しもそう思いながら、せっかく与えられた民主主義を育てきれずに右往左往している」と書きます。滅多にないと思う一方、これはまた起きるかも知れないト感じる。そういう感じ方です。

ここで、深読みになるかもしれませんが、まず沢村さんは新聞配りをしました。それから女優をしました。そして文筆家……3種類です。3種類は別なことではなく、沢村さんは3つの方法で同じ事をしようとしたのでは……そんな気がします。

沢村さんの文面に私も賛成です。ゼロ戦が優秀だったのは飛行機として一部分だった。運転技術が高くて、その部分を引き出せれば戦闘にも勝てたでしょう。多くの場合、つまり大抵は負けた。単にゼロ戦、単に戦艦大和でなく、戦争全体にも言えます。

負けると判っている戦争を仕掛け、負けが込んでも止める決心がつかず、判断の甘さと遅さは無意味に国と市民を消耗させた。その責任はどこにあり、何だったのか反省しない。今もゼロ戦のミニチュアが売り出されるのには、そういうカラミがあります。

あの戦争に勝てていたら……その思いがあるから仕方がないとか、本当は日本の方がとか、現実に適合できない。たとえばドイツはヒットラーを悪とします。国の歴史を周囲の国と照合して、その上に今の現実を置く訳です。

自分の考えで結論を出さなければ聞く側に伝わらない。誰が悪かったか判らない。何が悪かったか判らない。そういう時代だった、そういうのが戦争という……ならば、ならば時代が巡ればまた戦争になる。伝わらない道理です。

深い反省は深い洞察力をつける。表層に流れがちな私たちを、こう看破した沢村さんは、もう居ない。私もまた1年づつ沢村さんの年齢に近づいて行く。私たちの世代には敗戦のような大きな体験はないが……一番大事な体験から、その提示を行いたいと思います。

さて出来るかな?

2009年9月14日 (月)

老いの楽しみ 沢村貞子

Photo常識はあてになりません。ことに最近の常識の古びは早く、3年と持ちません。10年ひと昔と悠長に構えたのは大昔であり、今は3年ひと昔、10年といえば昔々の大昔になってしまう。あてにならない物を振りかざしても仕方ありません。

「老いの楽しみ」沢村貞子さん85才時の本を読みました。「老いを思い知る」という文章では身長の縮み、体力低下の事が書いてあります。これについて夫婦は一流の方法で励まし合い生きます。時代は1993年のことです。この頃は老いは仕方がない事でした。

今は違う。綾戸智恵さんは現在、50代で10年前、つまり40代に筋トレを始めたといいます。綾戸さんには障害のお母さんがあり、筋トレは介護が目的か、タレント活動が目的かは定かではない。後者のような言い回しはありました。

桃井かおりさんが宮沢りえさんと連立って、水泳教室に行ったという話を聞いた事があります。それも老化防止というか役者心得というか、美容心得とも何ともコメント出来ません。両方を兼ねていたのではないでしょうか?

綾戸さんの芸風は唄に限らず、エネルギッシュが持ち味です。デビューが遅く体が小さいなど、あの人はコンプレックスも大きい。そこから屈託もあって、あまり話は素直にだけも聞けない。その辺りの色々は筋トレにも見えます。

沢村貞子さんも自分は脇役に過ぎず、定年後の芝居は見るに耐えないト謙遜されます。老いの向こうに自然な、誰にも納得できる境地があるか文を運ばれる。夫婦の理想郷があるように書かれる。しかし、それは誰にとっても共通の常識かどうか……

綾戸さんに限らず、介護の為に体力が必要という人は少なくない。沢村さんのように、二人で自然な理想を求めればいい。それでいい人にはそれでいいかも知れません。そうは言っても老いの実際は、ただそれだけでも過酷なのですが……

綾戸さんは演奏活動したり、介護で演奏を休んだり、筋トレをしてみたり……いわば葛藤を抱えます。今を手探りするだけで先の事は判らない。自分は見通しを立てて生きるタイプではない。意味の表現もあります。今の常識は昔の常識ではなく、先の常識でも更にない訳です。

役者から随筆家というのか、その頃は80代の変身でした。沢村さんの計画的な役者引退は見事でした。でもそれは昔だったから鮮やかだったのではないでしょうか。言っていられない今は、何をしても当たり前のようです。

古びて使い物にならなくなった常識を振りかざして、他人を計り自分を計る。ああでなくてはこうでなくては……ちょっと待って、それは何時の事です。3年以上前の事ならもう通用しませんよ。バブルは弾けてお金はなく、見通しは立たず算段が出来るはずもない。

自然になんて生きられない。綾戸さんのお母さんは卒中か何か、ある日、脳に障害を負われて車椅子のようです。何があっても当たり前、それが普通、健常を前提に生きたいのも当然でしょうが、そういう事もままあること、あまり非常識的とも言えません。

2009年9月13日 (日)

渚にて 映画

Nagisaこの映画は戦争がどういう物か、放射能汚染については誤解があります。鑑賞に耐えないと言ってもいい。潜水艦と、艦を脱走して魚を釣る船員の映像には、バカなと笑いました。古い映画なのでネタを割って書きます。

他にもいい加減なシーンはあり、考証はかなり甘い。ただ自分の死を前にして考えることの描写、この部分はいい。死は誰もが、いつの日も変わらないから、かも知れません。

艦長タワーズは家族が全員、死んだことを判っているのですが、充分、喪に服することなく仕事に追われます。そして最後にも仕事に殉ずる事を選びます。

科学者のジュリアンは独身で車が趣味です。あこがれのレース用の車を安く買って、人類最後のレースに出ます。レースでめでたく優勝する訳ですが、ガールフレンドの好意を断って、その車の排気ガスで自殺します。

タワーズとジュリアンには共通の女友達モイラがあって、つまり三角関係です。モイラは誰かに愛されたい考えています。プレイガールとして浮名を流したあげく、死を前に結婚相手が欲しいものか? 私は疑問に思うのですが、そういう設定です。

船員ホームズと妻は愛し合う若夫婦で、赤ちゃんを間に家族の事を話し合います。話し合うといっても妻は放射能の影響が避けられない。つまり人類滅亡の危機という事態を冷静には受けられず、すでに狂乱状態になっています。

映画は出来のいい映画ではないにも関わらず、こと死を前にした人間の孤独と希望についてバランスよく役を割り振り、内容を卒なくまとめています。哲学的な答ではなく実際に何が欲しいのか、その問いかけに成功しています。

仕事を優先すれば家庭がないがしろになり、趣味に走れば現実的ではなくなる。愛と結婚は重ならない部分があり、結婚では自分を殺す部分もある。慣れ親しんだ故郷を捨てて、遠くに出かけても安住の地は見つけがたい。

少し教訓めいてはいますが、いかにも妥当な人生を語って見せます。そこそこヒットしてTV版が作られたという話です。人は死にます。数ヶ月後、数年後、数十年後……それははっきり判らないから、永遠に続くように錯覚するだけ。

数十年後は永遠に似ているけれど……数年後となると永遠と違って、輪郭が見えてくる。その距離感をうまく表現します……数ヶ月はやがて来月になり、来月まで数日になる。具体的に何日にするか、火曜日とか金曜日とかに決めなければなりません……私にとってそれが人生! あなたにとってもね。

エバ・ガードナーという女優さんは、あまり上手い人ではないけれど、エキゾチックで風情がありました。マリリン・モンローとは違う意味でエッチです。この人をカラーで見たいと「裸足の伯爵夫人」をLDで買って来ました。

2009年9月12日 (土)

奇跡への期待

0220472カギは他とのコミニケートという事でしょう。肯定的に受け入れられる、あるいは肯定的に受け入れる。そして展開される事柄と内容がミラクルに輝きはじめる。録画してないので細かい照合はできませんが、番組はそういう趣旨でした。

将来をイメージする時に暗いか明るいかで、脳の働きが違うと学者は説明します。茂木健一郎さんの話によると、脳にダメージを受けた人でも、奇跡的な回復が可能という。TV番組は「ベストハウス123」です。

しかしトランポリンを使った音楽療法に、私は首を傾げます。いえ効果を疑うのではなく、トランポリンの上下運動に微妙に合わせる。その音楽は生でなければならず、それなりの技術が必要と考えられる。

番組での実験へも希望者は多く、結局、全員参加になるのです。開発可能というなら、誰だって他人より自分の脳を開発したい。あれは一時にひとりづつ、技術を伴う数人が、ある個人に向けるプログラムではないでしょうか。

つまり環境と時間を必要とし、一般化が難しい。どう採算ラインを引くかがあって、そのラインは高く、それなりの経費がかかる。それに茂木さんが例に出したのは、脳が欠損や破壊のダメージを受けた脳であって、健常な脳ではないのです。

普通の脳が、健常を越えて超能力が発揮できるかは、むろん関連はあるものの、ひとまず別な話ではないか。TV番組は、こういった疑問を越えて進行しました。

疑問があると言っても、差し当たっての現実化は出来ないという意味です。トランポリンの動きと音楽のテンポを微妙に調和させる。それはコンピュータの得意分野で、脈や血圧を計測してシンクロさせるとか……

その辺の器械化も、そう難しくはないでしょう。音楽療法に関しては、相性で好きな音楽が前提で、何か特殊なパワーのある演奏はないらしい……万人によい魔法の音楽はないと思っています。

私は、このブログでも書いています。その点は共通しています。07年8月27日「コミュニティ音楽療法」8月28日「コミュニティ音楽療法2」8月29日「療法以前」など。

違う二人の人間がどこかで出会うとすると、二人は意図せずに歩み寄るもの……と考えます。元々は。トランポリンを飛んでいる障害脳が歩み寄るか、側でBGMを演奏する演奏家が歩み寄るか……問題にならない程、素早く二人は歩み寄ってしまう。もともとはです。

そういう物だと考えます。しかし実際は、どちらが歩み寄るべきとか。どちらが、いくらの代金を支払うか。駆け引きでの問題がある。肯定的とか否定的とかも、それにまつわる事々ではないか。

もともと以降の問題ではないか? そんな気もしますが……

      ベストハウス123 http://wwwz.fujitv.co.jp/123/oa.html

2009年9月11日 (金)

普通、完全、最終、最新版

Buredo

今さらですが、ブレートランナーの最終版を見ました。ブレートランナーという映画は82年製作のカルト映画で、封切時は当たらず、意味不明の映画として終わった。それがビデオで一部の人に支持され、その後、有名作品になりました。

ランナーには編集が違う4つのバージョンがあります。

ビートルズの音楽事情は違います。似たところもある。最近、音質を改良しての再発というCDが出ています。

昔、ギャグにあったのが、

音楽教師「3大Bとは誰か?」

生徒「バッハ、ベートーベン、それから……ビートルス」

どうもギャグではなくなってしまった。

音楽は音を改良すれば違うものかどうか? クラシックやジャズでは、随分論議になったものです。それが今回はポップス、ビートルズ……もはや古典の範ちゅうに入るのか……よく判りませんが、まあ、不景気のCD会社もひと儲けしようと考える。そこは間違いないでしょうナ。

SFですから未来2019年の話。レプリカントというのはアンドロイドで異星に働く奴隷です。過酷な労働条件で働かされ、寿命が4年と短い……今でいえば派遣労働やパートは、仕事内容は過酷なのに給料は安い。そういう比喩で判りますが、昔は判りません。暗い雨の降る未来という設定さえ馴染めない。

主人公はブレードランナーという職業。異星から進入にて来るレプリカントを取り締まる。刑事のような物でランナーとレプリは相反します。ではレプリは何をしに地球に進入するのか? 寿命を延ばす方法を探りに来るのです。

支配階級、タイレル社社長は寿命の秘密を握っているのではないか? バティーというレプリは、ランナーの追撃をかわして社長室に入る。しかし寿命を延ばす方法はなく、

「明るい火は早く燃え尽きる。君は輝かしく生きた。残りのを楽しめ」

と言われます。

レプリとランナーの間には当然、階層があり、違う人種であるように映画前半では見えます。しかし、そうなのか? 犯罪者と警官が紙一重という映画は多いが……この映画の判り難さは、その表現から来ると思われます。

本は売れたという話です。映画の「蟹工船」の入りはどうだったのか。出来も、どうなのか気になります。

レプリは何を意味するのか、労使交渉の組合員ではないか?

その意味でブレード・ランナーは82年度版の蟹工船だった。労使間交渉をスタイリッシュに描いて、この映画4バージョンもでる事になった。主人公ランナーもまたレプリと同じと、その運命を暗示して映画は終わります。

見れば判ります。映画は普通以上に金がかかっています。映画会社は大変(笑)……会社としては、この映画をよくあるハッピーエンド、判り易い娯楽作にしたかった。監督には芸術志向があって頑固にそうしない。

会社は最初に主人公のナレーション解説を入れたバージョンを作ったのです。ビデオが売れたので、監督がカットした残酷シーンを追加して完全版の2番目を作ります。まだ人気があったので、前2バージョンが気に入らない監督にリテイクした最終版を作らせる訳です。さらに最新版も出ているという話ですが見てません。

リドリー・スコット監督は、この後もエイリアン。体制批判的な意味内容の映画を撮ります。「明日に向かって撃て」の女性版とも言える「テルマ&ルイーズ」さらには「GIジェーン」この手の話は、お好きらしい。

私も芸術至上的な傾向にあります。ビートルズについても初期のビッグヒットしたレコードより、中期以降の意味不明な音楽に関心があります。アニメ映画、イエローサブマリンなどボーッと見ていると、気持ちいいです。

そのブレードランナーがLDで安く出ていました。家にあるビデオ版の方は初期のバージョンと思ったのですが、同じ最終版でがっかりしました。もう最新版が出ていても買いません。

2009年9月10日 (木)

トラックバック

Hiza私のブログも、ちらちらとトラックバックはされています。ネットで偶然、自分の紹介に行き当たります。むろん了解を求められてのトラックバック、TBもあります。中には何の関係がと思うTBもあります。私は求められれば大抵、了解します。

「××県の結婚相談所,出会いサイトを徹底比較。××県,メル友,恋愛,再婚,出会いサイト,出会い系,恋人メールフレンド,出会い系サイト,お見合い等についての情報サイト」……勘違いと思いますがそういうサイトからトラックバックが来ました。

××県というが公式なのか、どうも一般くさい、行ってみても判りません。身障者相談員の「相談」を結婚相談に引っ掛けてのトラックバックと思うのですが、推測の域を出ません。あまり考え込むのもバカバカしい。これも大抵のうちに入れて了解します。

だからと思われます。ただの偶然かもしれません。こういう事も推測の域を出ません……このところジワジワ視聴率が上がって来ます。それほど有名サイトであったか? ひょっとするとホントに××県であったか……試しにアクセス解析をチェックしてみます。

解析には特別なことは何もなく、いつものアクセスに見えます。判りませんなあ。ここ数日の変化パターンは体験がない。ただこの後は予想がつきます。Googleを始めとする検索の順位が少し上がる。私の記事のひとつひとつが、ほんの少し順位を上げる。

少しづつは更に少しづつ効果を作る。私が書いた時の意図とも離れて、大げさに言えば記事は一人歩きを始めます。たとえばですが、私の障害は股関節関係で、ひょんな事で膝関節の記事も書いた事があります。膝と股関節は直にはつながりませんが……

全く無関係とも言えません。痛めやすいのは股関節より膝です。股関節より膝は疲労しやすい。つかれという意味ではなく、不自然にダメージを食う。決定的に壊れる前に疲労する。そこでガンばり過ぎないで止める重要です。

股関節にも膝関節にも軟骨は共通してある。疲労で壊れるのは軟骨らしい。同じように痛み、疲労するのでは? ……私が発想してブログを書くのですが、記事は検索エンジンの中で別の発想をえて、私に教えてくれます。

私のブログも、あちこちトラックバックされています。ただ中には何の関係がと思う所もあります。そんな時でも求められれば了解します。よく判らないトラックバックこそ、何かを教わるチャンスかもしれない。そう思うのです。

何か! 何か? ちょっと私は、もの欲しいのでしょうか。

2009年9月 9日 (水)

ひぐらしのなく頃に 映画

025032家族殺人のキーになったのではないか? そんな言われ方をしたゲームだか、マンガだかの映画化作品を見ます。「ひぐらしのなく頃に」は後半で手足が切り刻まれ、血がドパッと出るホラーになっています。

主人公は高校生の圭一で、東京から雛見沢村に引越して来ます。新しい学校はどういう訳か女子ばかりで、神社オヤシロサマのいい伝えとか謎めいた風習による洗礼が、圭一を待っている……そういう段取りになります。

転校生側から描かれる「風の又三郎」といえばどうでしょう。転校生として初めて教室に入って行く時の不安には大きなものがあります。名前を言って短かく自己紹介、しかし短すぎずに表現して着席する時間、なかなか慣れませんでした。

ほとんどが女子のクラス。現実ではないのですが、高校生にとって異性は不安の原因です。いや性そのものがと言うべきか……宮沢賢治はその辺の問題を避けます。新たに性のある人間として社会に受け入れられるか?

不安の元といってもいい。子供はいつまでも子供という訳には行かない。14才は1年過ぎれば15才になり、3年過ぎれば17才になる。昨日まで子供だったあの子もこの子も、ある日、大人の顔をして教室の窓辺に立つ。

するとどこかに転校をしなくても、見なれた教室が見知らぬ別な教室になる。ある日、町は知らない町に変わる。誰もが突然、見知らぬ人に変わる……キレイにいえば「風の又三郎」には、そういう意味もあった訳です。賢治さんはおとぼけでしたがネ。

いえ、ひぐらしのなく頃の、この村はダム建設の話が持ち上がり反対派が多数を占めたらしい。少数の賛成派もあって、それは主に街から来た人たちであったらしい。ダム賛成、反対? 大人になれば意見を持たなければならない。

いえダムについてだけなら意見がなくてもいいが、村にある事々のひとつひとつに意見が要求され、何についても無意見という訳にはいきません。レナちゃんと魅音ちゃんがいて、どっちが好きなのかも問われます。それはなぜなのかまで問われます……つまり一貫性、浮気症は子供性というように、まあ、それは兎も角。

意見が違えば、違いを表現しなければならない。そういう羽目に陥ったりします。マザコン、ファザコン、エディプスとかエレクトラとか、心を成長させて大人になる事の厄介さ……生まれる前に帰りたいなんて、判らない事をいってもダメ。

今の大人には服だけが大人で、こころは子供のまま……そういう人もいるのですが、これからはそうも行かない場面が多いと思われます。それに気が付けば親さえ殺したくなる感じ……映画はなんとなく、そういう事も表現しています。

表現が、あまりうまくない。厳しくいえば無責任……そういえば賢治さんの童話も、伝わらない部分がありました。子供と大人の間にある殺意、大人に殺されそうになる。殺されるのはかなわないからいっそ殺してしまえばと思う。

それは今、始まった事ではありません。賢治さんの前からあった……たとえば、ジャックと豆の木はそうです。巨人を殺してしまう。あれは自分がお母さんと図って、心の中だけの意味でお父さんを殺すのだと思います。

殺しても殺されても風が吹く。金属バットは使わない……ホラーは成長のためのおとぎ話、違うかなあ?

2009年9月 6日 (日)

山のあなた 映画

Yamano_2 昔は出かける時に空を見ては、傘をどうするか考えました。今は朝に見たパソコンに天気が載っているので迷わない。いえ迷いは少ないと思われます。これと同じに、結婚相手の候補なども大体、モノサシが決まっているので、迷いは少ないのかと……

もう少し枕をふると……今の中国ではコンカツは母親同士がするという。どこぞの広場で、息子と娘の写真を持ちよった母親同士が、ウチの条件とヨソの条件を付き合わせ、どんなものだろうかト検討しあうそうです。

数十年前は日本では仲人同士がそのようなコンカツをした。単に見合いといいます。いえ傘なども、家人が持っていきなさいよト声をかけた。それで仕方なく持って行ったり行かなかったり……人の、個人の境界線が今より曖昧だったのです。

傘を持っていけト言われたとします。家人の声をありがたいと思うかうっとうしいと思うか。傘なんて百円ショップに束で売るじゃないですか? 結婚なんてのもショップに……束で売っては、ないですねえ(笑)それに見合いをコンカツとは、日本では言わない。

「按摩と女」「山のあなた~徳市の恋」を見比べると、そういう感じがします。曇った日の傘のように持って行くか行かないか、自分で決めるしかない。全部、自分で決める。傘が小さく肩が濡れるのは、ショップで買った傘が安物だからです。それも自分で決めたこと。

「按摩と女」は子供が狂言回しというか、主役なのです。子供は誰からか愛されないと生きていけない。両親と死に判れた子供の命題は愛されるという事です……ただ大人もそれは、基本的には似たような物です。

「美人じゃないといけないよ」中国の広場に出かける母親に、息子はそういう。日本でも「3高じゃないとダメなのよ」結婚相談所で女性はいうのでしょうか? いえ悪いというのではなく条件と条件がひしめいている。大人になるという事は、少し不幸になること。

条件がひしめいて本人は幸福を見失う。観客にだけ透けて見える。誰でもいいから自分を愛してほしい。なぜなら自分は子供だから、愛されないと生きていけない。そういうセリフはないのですが子役が全身で発散するのは、そういう声です。

大人もそれに似ているが、大人は自分の愛し方を知っている。げんに自分を一番、愛している。もう子供のようには行かない。そういう存在です……違う? あなた、知らないの? 自分の愛し方が判らない……あれまあ、おばかさんは置いといて。

自覚が足りないと同情されない。声を限りに叫ばないと心も届かない。知恵をしぼって行動しないと境遇も開けない……そういう事を画面から暗示できてるのは「按摩と女」の方ですね。「山のあなた」は人物の意図は見えるけど共感はされない。不幸は人物のせいに見えます。

人物設定に不足があるのではなく、認識がまだ足りず、判っていない。空が暗かったら傘を持って出かけるしかない。めんどうという理由では、つまり同情されない。草薙さんが身障者に設定される理由はそこにある。

この設定はコメディとして機能します。 草薙さんと加瀬さんとのやり取りはコントのように進行します。女と結ばれない草薙さんには同情が行きます。草薙さんとも堤さんとも、どうともならなかった女性には同情はいきません。

草薙さんの行為に声を出して答えたのに、知恵を絞って行動しなかったように観客に取られます。そう好意と好意を確認できたのなら、山のあなたまで行けばよかったト。そう、山のあなたはなお遠く、永遠の幸福はさらに遠いのです。

少し不幸でも、それを引き受ける。山のあなたでは受容が強調されます。明日は天気のようですね。明日は傘はいらないかと……

●映画「山のあなた」 http://www.yamano-anata.jp/