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2009年7月

2009年7月31日 (金)

よくある家庭での失敗談

タイトルに違いはない。内食化というそうです。家で食事をするのが最近の傾向としてあり、雑誌やフリーペーパーでも料理を特集します。料理記事は今始まった事かト言われますか? これは前の料理のレシピではなく、料理のコツその物を書きます。

フリーペーパーのリビング熊本の、今週の特集は「よくある料理の失敗談」といいます。煮魚が生臭くなるのは下処理の不徹底では? ト指摘します。具体的には霜フリ、アク取り、ショウガ。煮魚の3つのコツを書くわけです。知らないというよりヤラない。

忙しいから省略してしまう。

「同じよ、ウチではしないの」なんて言います。生臭いのは気のせいとか、家庭料理はこんなものとか言う訳です。忙しくない時に元にもどさないと、その生臭さが、家庭の味になります。

子供が魚嫌いになる。肉しか食べないのも個性……そういうのを修正するに、内食化傾向はいい機会です。ちょいと話が飛びますが、私、料理の先生に褒められた事があります。それはまず、料理教室に遅れて行ったのです。

すると他の食材処理は全部、奥さんたちに取られています。私に残された処理はアナゴだけ、これが鍋に入らないほどの特大。開いて素焼きにしてあるヤツで、今さらトグロも巻きません。レシピの指示は煮付けてから、切れと書いてある。

出来ないもんだから、奥さんたち逃げている。講師はよそにかかり切り……仕方がないので手順を無視、私は切ってから煮ました。私が巨大アナゴと取っ組み合いの最中に、講師が来たそうです。

「予定よりアナゴが大きく、それも沢山、仕入れて来てどうしようかと……」言ったそうです。

グズグズしてると全体に間に合わないを機転ト、そういったお褒めに与ったそうです。いえね、私のは機転じゃない。ひとりもんの鍋は小さく、いつも切ってから煮ます。鍋に入らない状況には慣れていて、レシピ通りに出来ないから、また切った。

機転なんて立派な物ではない。こういうのを怪我の功名という。この後は「よくある料理の失敗談」と同じになります。つまりよくある家庭の失敗談です……家庭では端折ったり手順を変えたりします。そして間違ったまま習慣化、いつもの習慣をいつものようにだけ、してはいけないのです。

違う習慣にした方がいい……場合もある。なにしろ人生が長くなりました。ひと通りでは終わらない。切ってから煮るか、煮てから切るかにも再検討の必要がある。とりあえずショウガを買いに行ってみませんか?

内食化傾向というとビンボー臭いような気がします。何かというと外に食いに行く。外にだけ文化を求めるというのも、実はビンボー臭い話なのです。煮魚を家庭に確立する試みとして見直す、いい機会ではないでしょうか? では、明日もこの続き。

2009年7月30日 (木)

元気をもらう

Kaori2 元気をもらう、最近、そういう言い方をします。以前は、そう言わなくて不思議な言い方と思っていました。元気をもらった事がありますか。元気を上げた事ならありますか? 多分ですが、もらう事はあっても上げる事はない。

それが元気だと思います。元気を上げるのは僭越なのです。基本いらないと言われると思います。だから元気はもらうだけ、たとえ相手が上げるつもりはないにしろ、ふと気がつけば貰っている。それが元気だと思います。

ご承知と思いますが、川村カオリさんが亡くなられました。さっきブログを見たらこんな風に書かれています。短いので全文、そのまま引用します。つい先月6月15日の分です。

●久しぶりでした テーマ:ブログ

長い事書いてなくてごめんね。

もともと6月は得意な月ではなく、世間から離れたくなるのと

検査や治療で体力を消耗・・・。

しばらくゆっくりとしたペースで書かせて下さいね。

TV番組などでも出され、状況は知られており、当然、予想された内容です。この日のブログに山のようなコメントがつきます。実際は公式ブログで見てもらうとして、短いコメントをひとつだけ、また全文紹介します。

660 ■カオリ

よく

眠れていますか?

よく

食べていますか?

よく

笑っていますか?

いつか

一緒に

笑いたいです。

人は、元気のない人からも元気をもらうんです。たとえこの人には元気を上げたいと願う時でさえ、元気を上げられるか判らない。判らない時も、間違いなく貰うだけはもらって、もっと元気になっていく。元気はうれしいけれど、少し悲しいところもある。

私たちは、思うようにならない元気の中で生きている。川村さんのブログにコメントをつけても、もう届かないけれど、まだコメントつける事は出来ます。私たちは川村さんに会えないけれど、CDを聞くことは出来る。

コンサートのステージを、もう見る事はないけれど、思い出すことは出来る。唄う側と聞く側として、生きてひとつになる事はないけれど、この別れからも元気になる。たとえ死んだ人からでも、生きる元気になら、もらえる。

さようなら川村カオリ、あなたが死んでも私は生き、私たちは私たちを生きる。元気に生きる。なんだか悪いような気持ちです。不思議なことに死んだあなたから生きる元気をもらっています。

http://ameblo.jp/kawamurakaori/archive1-200906.html

2009年7月29日 (水)

ヒゴタイ咲いた

Kamikiri写真は私ので古いヤツですが、ヒゴタイは今、見ごろです。ご覧のような球形の花です。ヒゴタイはキクの仲間で、どちらかというと高山植物に近い。元々は阿蘇に咲くといいますが、昨日の熊本日々新聞によると山鹿市華北で、今の見ごろという。

珍しい花の形が好かれ、実際には市内あちこちにあります。私も阿蘇に撮影に行ったのではなく、団地の花壇で高く伸びているヒゴタイを見ました。ゴマダラカミキリが飛んで来て「なんだこりゃ」と止まった所を撮影しました。

青の惑星から宇宙人が顔を出す、そんな風には見えませんか? デザインがキレイなカミキリムシですが、成虫はあまり食べない。基本的にはセミのように短命であります。標本にでもしないのなら取らない方がいい。

いえ害虫です。ミカン農家では大変、嫌います……幼虫は木を弱らせ枯らします。そういう意味では取ったがいい(笑)だが子供たちは親の敵のように取りたがる。子供が子供である、そういう物かと思うでしょう? ネ? 違うんです。

お祖父ちゃんお祖母ちゃんは阿蘇に行くと、このヒゴタイを採って来ます。それは1、2年なら花を咲かす。それが限界で枯れて行く。熊本市内に持って来てもヒゴタイが根付くことはない。禁止も判っていて高齢者は持って来ます。

盗掘です。少なくなっているの知っていて、枯れるとも知ってて自分の植木鉢にしないと気が済まない。あれはビョーキです。子供が虫採ってくるのと、変わらない。あれだけ見ると人間の成長、成熟ということに疑いが生まれます。分別は、ウソではないか?

だんだん厭世的になって行きます。身障者が厭世的になっても仕方がないですが、動植物には得たいの知れない力があって、あらぬ方向に不可思議な力で吸い込まれます……また、この風向きであらぬ事を書きそうです。

梅雨が明けない異常気候、エコが足りないですねえ……今日はヒゴタイが咲いたという事で、おしまい。

2009年7月28日 (火)

ポルシェとインプラント

Inpu

インプラントとは新しい義歯のことです。どこの歯科にも掲示があるので、知らない人もないと思います。旧の義歯やブリッジよりも長持ちで、金属アレルギーの心配も少なく、手入れの手間がない。口元の筋肉が帰ってきてアンチエニジングにまで期待できる。

それは歯科の宣伝文句で、うまくばかりもいかない現実があります。インプラントを書くつもりはないのです。ただ私が話題にする人工股関節はインプラントと似た所もある。価格が高く、自分に合うかどうか定かでない、そういった部分があります。

私もインプラントにした事がなく、話しか知らないので例えにも出せなかった。昔は一本30万円強していて、4本で車の支払いほどのローンを組むと聞きました。最近は一本十万円に下がったとか、安いのはやっぱりいけないとか、これまた色々に言います。

値段の次によく話に出るのが、何もしなかったらどうなるか? 誰それさんは何本抜いた。彼それさんは何本だけ残った。食う楽しみがなくなりうまいのはウナギだけ。歯の悪い人はウナギが好きという相場にも理由があります。

そのインプラントより人工股関節が高い。インプラントを軽にたとえるなら……人工股関節はレクサスか、BMか? ポルシェか、ランボルギーニか? そういう話になります(笑)なりません……なりませんが話題の方向を反らしています。

近場のブログに歯が悪いのを我慢して歯科には行かなかった人があります。私の股関節にも、まだ手術はいいトいう整形外科と、もう考えようトいう整形があります。そこで私も我慢して整形には行かない人であります……歯が悪いのと股関節はチト違うか?

概ね、似ています。考えようという整形外科は平成のゴッドハンド、神の手といわれた医師です。神様が直接メールをくれた訳ではありませんが、ゴッドの配下から、そのようなメールをいただきました。なのに……マンガ化すると、私は神に逆らう人になります。

言うこと聞かない。筋トレだのグルコサミンだのと怪しい方法を編み出している。自分のことをマンガ化しても仕方がない。神様のように見える人も神様という訳でない……むろん私も教祖の名乗りは上げません。

歯科に行かない人のように、整形に行かないだけ……今、上手く行っています。これからどうなるかは判らない。インプラントも人工股関節と同じ点は手術という事です。一度、手術したら元にはもどせない。やらないが良かった、もう少し後にすれば……後悔は手術に限らず、つきまといます。

神も歯が悪くなったらインプラントにしますか、ねぇ? 後悔を恐れず、あなた、決断が出来ます? 10万の? 30万の? いえポルシェのローンはもっとします。30万だとせいぜいレクサスではないかと……思います。ポルシェやランボルギーニなら……

     画像は「歯チャンネル88」より

http://www.ha-channel-88.com/implant/

2009年7月27日 (月)

こころ関係~その3

Terada 嫉妬は厄介なもので、異性間にはむろん、男同士にもあります。身障者間でも、障害が軽いか重いか、重く見えるか見えないか事細かい部分までが嫉妬心の対象と……まことに始末が悪い。さて漱石は英語の学問で英国に留学します。

当時、日本人で一番、英語が出来たのですが、英国から帰って来てどう遇されたかと言うと……赴任先は東大ですが、そこで色々ある訳です。漱石は東大の教官としては結局、脱落します。学生時代に中村是公さん、正岡子規さんの友人とうまくやったようには行かなかった。

友達というのも不思議なもので、学生なら勉強をタダで教えます。子規さんは漱石にタダで俳句を教えます。漱石も後輩の寺田寅彦さんにタダで俳句を教えます。明治29年、子規さんは29才で、同じ年9ヶ月ほど年上の漱石に教えるのです。

明治31年には31才の漱石が、19才の寅彦に教えます。俳句を通して仲がよくなったか。気に入ったから俳句を教えたのか? まあ、それは嫉妬のない男同士だったのでしょう。寅彦さんはタダで写生とは何かを得、漱石もタダで心開いた関係を得る訳です。

私はここの関係が「こころ」の原型になった気がします。漱石が松山で教師をする頃、子規さんは従軍記者で戦争を追いかける。漱石が英国留学の時に、子規さんは病いに倒れ死にます。うまくばかりは行かない友達関係をKと先生に重ねて見えます。

漱石の家に寅彦さんが行ったのは、同級生が落第しそうになったからです。「落されると困る」寅彦さんは手分けして各教官に泣き付いて回った。友を思う気持ちを、漱石は何も言わずに聞いたと言われます。その後、寅彦、漱石の間に心通うようになる。

まるで海水浴で知り合う先生と私、そのものではないですか。判らない宿題を教えて教わって、ふと仲がよくなった友達のような……現代ではもう、そういう友達はいないのでしょうか。損得のない関係は、親子や兄弟より純粋なのかも知れません。

実際には死の迫った子規さんは、漱石に英国リポートを願い、漱石は断っています。遊んでいる身ではなく、親友とは言えワガママを聞くわけにはいかなかった。寅彦さんも漱石と同じく、東大教官として怪しい所を、なんとか後の業績につなぎます。

ご存知のように漱石は東大を止め、朝日新聞に行きます。出世が生き方の原理だった時代に、今もそうなのですが……給料の額に漱石は拘って新聞社と交渉します。そうして朝日の専属になる訳です。そうして得た給料を、何やかやとタカられる。

その辺の事情を作品化したフィクションが「こころ」という小説です。だから小説のお嬢さん、後の奥さんのモデルはない。強いて言えば俳句の美神、ミューズの意味になります。奥さんを書生の私に託して死んでいく先生は、そういう意味で不自然です。

何とか東大に残った寅彦さんに、学問や日本の未来を託して死んでいく漱石は、この時48才です。執筆中、自分の死を予感したとは言いませんが、もう若くはない。子規さんから俳句を学んだ頃は遠くなつかしかった。実際に漱石の死は、この2年後になります。

●寺田寅彦自画像

2009年7月26日 (日)

こころ関係~その2

雨はいかがですか? 熊本市でも豪雨とは言えないまでも、集中的なスコール雨が異様と警戒されています。そちらはいかがですか? 降ってます?

ジャニス・イアンという歌手は、日本で言えばユーミンのようなところがあります。天性のメロディメーカーで詞の才能もあった。13才、4才で一応、認められる人でした。24才でカーネギーホールでのコンサートを成功させます。

ただ、人気は今一だったのではないでしょうか。専属会社と折り合いが悪く、恋人とも別れます。その辺の無念を逐一、曲にしているのですが……痛烈を極めるが娯楽的とは言えない。ジャニスさんはスターであるには背が低く、劣等感も強すぎた。

日本に来るとそれはありませんで、歌詞カードを見ないと劣等感も判らない。本国より日本で受けます。漱石は成人後も養父との折り合いが悪かった。母に続き実父もなくなると、この養父にたかられる。加えて鏡子さんの実家、中根家も羽振りはよろしくない。

その辺を、あいまいに取り込み「こころ」の先生や、書生である私の身の上として使います。最初から悪人という人はない善人が突然、悪人になる。金がからむと信用がならないという先生。その先生が自分はそうではないと、自分のことを思っていたら、異性がからんで自分もまた悪人になる。

小説の筋を簡単に追うとそうです。では、漱石自身は何を基準に生きていたのか? 金か、異性か、名誉か、幸福か? 今もそうなのですが立身出世といます。漱石自身は立身出世を言ったことはないのですが、頭の中にはあったと思います。

日本は明らかに米の属国であり、自立した国ではない。にもかかわらず誰も不満は言いません。属国ではあるが本国米国に次ぐ、金持ち国になっている。家以外は何でも買えます。車も中古や軽なら、まあ、庶民でも買えます。

それが若い人や、将来は怪しいので自民党は人気を無くした。若い人はイラ立っているそうです。日本を米の属国にした政治家が人気を無くした訳ではないです。極言すると、車も買えない政治をされたト思う人がふるって投票に行くと……脱線しました。

そういう話をする原稿ではありません。金や異性がからむと人は汚くなる。当り前で珍しい話ではない。だが漱石はもっと、普通以上に人を信じたかったらしい。漱石自身、立身出世を嫉まず、疎まず、心から祝福する人に包まれたかったのでしょう。

ジャニスさんの歌詞に出て来る男は、別な女性を連れています。唄の主人公は一人ぼっちで、女性に嫉妬する……私をひとりにしないで、私を忘れないでと劣等感の声を上げます。レコードジャケットのジャニスさんは美しいけど立ち姿は撮らない。

つまりジャニスさんには劣等感があった。漱石もそうです。背は低く、鼻に大きな痘痕があった。お札の画像は修正してある。頭がよくないなら誰にも愛されない。そう思っていたフシがある……そのように解釈すると見えて来る世界があります。

2009年7月25日 (土)

こころ関係~その1

Photo

紙のかけはし新号を編集しており、ついブログを休んでしまいました。新号では筋トレやリハに関するリポートと、同じく最近のニュースの特集です。どうやら粗かたの編集が終り、また毎日書けそうです。よろしくお付き合い下さい。

小説を読む時にはどうするか? 登場する女性に成り変わるそうです。いえ、ある女性がなさるのはそういう方法です。自分が主人公になって、次に登場する男を好みの男優にキャスティングして、映画を撮るように読んでいくのです。

それなら私にも覚えがあります。少年探偵団の前編を映画で見て、後編が待ちきれないので小説で読んだ……それが最初に読んだ小説です。ただ自分を主人公にはしなかった。しかし小説の導入部では少年が主人公であるため、まあ似たような物だったかも。

それで漱石の「こころ」は女性に評判が悪い(笑)そういう読み方だと登場のお譲さんには感情移入が出来ないそうです。漱石は今でいう恋愛の体験はなかったのかも知れません。今は誰でも恋愛します。昔はそうではなかった。

いや今も、いわゆる男女の交渉がある人は少ない。日本だけでなく米国でもルックスのいい、たとえばモデル体形の一部の人が恋愛して、半数以上の人は出来ないと考えるべきではト思っています。それはさて置き……漱石は後の夫人、鏡子さんに母を見てしまう。

明治26年、漱石26才、鏡子19才でお見合いをします。何の拍子かしりませんが、鏡子さんは口を空けて笑います。ガハハという豪傑笑いだったか、それに近いものでした。漱石は歯並びが悪いのを隠そうとせず笑ったトして気に入るのです。

夏目家で漱石はそう言い、

「金ちゃんは変わっている」と評されます。これはそのまま中根家に伝わります。この先が私の解釈ですが……漱石は養母が好きではなかった。早くから漱石は養父母を養父母と知っていました。

実母を実母と知るのは二十過ぎてから、すでに病弱の母と実質的な関係は持てていない。つまり人を好きになるという事が私たちとは違う。才長けて見目麗しく情けあると妻の条件を言った明治人はありますが、それは随分、水準が高い人の条件と思われます。

鏡子さんが何を笑ったか、その何かを丸ごと受け入れ本心から笑う様子に、漱石はそのように自分も受け入れられたいト思ったのです。つまりマザコン漱石の選択は、今でいう恋愛とはかけ離れていた。そういう推測が成り立ちます。

恋愛というと突然、空から降るように起こるような面が強調されます。誤解と思います。恋愛は親子愛のバリエーション、変奏である部分も多い。漱石の場合うまく行きましたが、親子関係が悪い人は恋愛も悪いようです。

小説「こころ」の人間関係について書こうと思ったのですが、どうも横道に反れました。明日、この続きを。

2009年7月22日 (水)

電話帳

Denwa 電話番号帳を更新します。ケータイに記憶したのとは別に、このような紙の番号帳があって、書き加えて削除して、時々の電話帳にしています。私はケータイにするのが遅かったので、電話帳を作って番号を管理してます。

次回の更新はあるかないのか? 微妙な所です。これを今回3年くらい直さなかったので、直しがずいぶん多かった。電話帳は固定電話の傍に張り出し、念のために車の中にも備えます。なくしたら直ぐにプリントアウト出来ます。

私のケータイは時々、バッテリーが上がって危ない。一定期間でなく突然に上がる……ありゃ何なんだ。そろそろバッテリ交換期には来ていますがロクに使いもしないのに、きっちり交換時期だけ守るのも何か納得できません。

2009年7月21日 (火)

排泄ケアが暮らしを変える

Hamada_2 生活は壊れやすいものです。希弱になって、なお希弱になるのでしょう。おむつの問題は本人だけではなく家族をも脅かします。そういえば小学校1年の時、誰かが失敗を仕出かし、教室中が臭いと騒然となった事がありました。

なぜここまでト思うほど執拗にウンコは臭う。教室から廊下を伝い隣りの教室へ、そのまた隣りの教室へ……そして不快は臭いが消えた後も残り続ける。失敗した生徒は、何年もウンコと呼ばれる運命になる……話がそれました。

家族の誰か、おむつを当てるとになったら、間違いなく家族の暮らしや福祉は変わってしまう。この場合、福祉とは普通は言わないけれど、幸福しあわせ……何と呼んでも大差はありません。18日に行った、浜田きよ子(排泄総合研究所)さんの講演はそういう物でした。

88才の母を介護している娘の相談「母が入浴した後は湯船にチリ紙が浮いて困ります。母をガミガミしかってしまって……」相談から見えるのは何かト浜田氏は問う。

尿失禁があるのでは、水分の量、尿の量。疾病か、機能低下か?

環境整備の必要は。視力、聴力? 娘さんとの人間関係は?

最後の人間関係について。人間には秘密がある。秘密とも言えない小さな事、それは健常な時に悪いことではない。しかし年を取り体力が落ちた時に、よい事にはならなくなって来る。事に糞尿の問題となって来た時に……関係は致命的になる場合もある。

おむつは厳重にしようとしてもうんこを包みきれるものではなく、個人差が大きく一般化しにくい。意外に軽い装備にしたらうまく行った例もある。むつき庵は会員制で、その辺のノウハウを教えるようです。

松田道雄さんが晩年、尿の問題に悩まされ、結局それを表面化できないで日記にだけ記していたという。人はネクタイか、ネックレスを飾っただけの小学生にすぎない。フンといえば尊厳は他愛なく崩壊する。

京都むつき庵 http://www.mutsukian.com/about/guide.html

2009年7月20日 (月)

スランプと限界

Arei 小学生に水泳を教えておられるコーチ、先生が55才だそうで、この方と無駄ばなしをします。

「もう体力が湧かない。限界かと思っていたら……」スランプ期の話です。55才のスランプは限界と区別がつきません。

「やあ、乗り越えました。限界と思ったら力は湧いてきますねえ」同じかどうかは判らないが、私は筋トレで似たような体験があります。ただ、先生の話と重ねていいのか悪いのか?

――年齢からの体力限界はあるでしょうか?

「いや限界はないと思います。ただ一回の疲労、その回復には時間がかかるようになっていますね。60才くらいまでは、何とかなるのではないでしょうか?」

――問題はその先!

私はそういって自分を指差します。

何才からが限界で、何才まではスランプなのか。興味深い話だが体力資本の人にも定説はないらしい。どうすればいいのか決まりも対策もない。それでも消極的な人と積極的な人と間には違いが出ます。登山の愛好家で行った大雪山が悲劇になります。

最後と思って行った登山ツアーが皮肉な事に、最後になった例です。比較例にするのではないが、変形性股関節症も色々あります。病気なのにサーフィンをやりたい。いえ無論、若い30代の人のことです。当然、医師は反対します。

別の30代の人に、別な病院では人工股関節置き換え術を勧めたそうです。人工股関節は現段階で15年、今後は20年以上の耐久性が出てくると言われます。その計算から言っても30代は、早過ぎと思われる。

手っ取り早い点数稼ぎ、あるいは手術例の数が欲しいのではないか? 私などは勘ぐってしまう。早期手術と運動療法(サーフィンは療法とは思えません)の間に、いいやり方を見つけたいと思いますが、基本的には手探りです。

いいとも悪いとも言えません。私の場合は今のところ筋トレで、3年くらい前にもどった感じはあります。筋力強化は水泳以上に、急速に効きました。これからも5才の若返り、10才の若返り……そうはうまくは行かないでしょう。

水泳の時、やり過ぎると股関節が痛くなる感覚があって、痛いから休むと体も元にもどってしまう。足りなくても効かない。多すぎるとなお悪い……そういう加減の難しさがありました。筋トレも同じ問題があり、慎重に、より慎重に負荷と回数を増やします。

●鉄アレイhttp://www.rakuten.co.jp/boxing/444090/897420/