« 立花隆のすべて 文芸春秋刊 | メイン | 中古でシャツを買う »

2009年4月25日 (土)

プラス思考のマイナス

202_00022 プラス志向にも限界があって、いつでも何でもプラスに持って行ける訳ではありません。前向きとは言うけれど前が何処だか判らない中では、判断も難しい。今日のような不景気はない事を前提に生きていれば、いざ来てしまった不景気に戸惑いも深い訳です。

物事に何も備えず何も考えない。開直りがいいように聞こえますか? 何も備えず享楽を楽しむだけ、行当りばったり、ものが判らなければ他人を当てに……それも困りものです。では明日や将来、未来はどう考えたものでしょう。

親、兄弟といえども本人の意思に反した変更、押し付けはまずい。人権は人が生まれ持つ権利を言いますが、世界の各国によって違います。人権も若い人にとっては可能性が重大で、中年、高齢化していくと保障が重視されます。

木村和也さんは障害を試練という。むろん試練と受け止める人もありますが、多くの人には試練では済まない。医師はわずかな可能性の兆候を見て、プラス思考を吹き込む。木村さんには確かに気配がありました。ただ奇跡の可能性は少ないから奇跡なのです。

ほどんどの人に、実は木村ケースはない。そのあてが外れた時……プラス思考のマイナスは残酷に押し寄せる。何も治らぬまま医師や看護師と別れ、病院を出る。ひとり動かない体だけを抱え、ひっそりと家に帰る。そして本当の試練が始まる……実はそういう人のほうが多い。

100人に99人、大多数がそうです。医学は治らない人への関心が薄い。木村さんの講演に行く人は、身障者になりたくない人……身障者になりたい人なんていません。軽い身体障害で済むなら、無論その方がいい、そう思うのです。

若い可能性のある人も、可能性はいつか無くなる。中年になり高齢化する事を考えないで済ます。済まそうとします。ある意味でそれは自然です。麻生首相が失言した時、健康保険も元気な人が得、トクになる仕組みに変えるべきと、同調した若い人がありました。

どんな若い人も必ず歳を取る。必ず老人になる。高齢者を見ても自分が老人になるとは思えない若い人はいます。身障者を見ても、自分は身障者にはならない。そう思う人もいると思います。もともと保険はそうは行かない時に向けるものです。

事故も病気もなく老いを迎えられたら、それは目出度いです。でも老人は若くはない。私は60才ですがプールで泳いでいると、太った60才くらいの健常者とお会いします。太った人は泳げない、憮然として歩いています。検査かなんかでそうしろと言われたのでしょう。

私とは挨拶だけ、話はされない。週に2度来られる話を最近、聞きました。何度も何度も会って、挨拶だけしていたのですが、先日、週何度プールに行くか、初めて話になりました。

――2回! もうちょっと回数増やしたいですねえ。

「アタは週に何回な?……ま、毎日てな。んんん……エラかなあ。スポーツは毎日、練習する人には勝たんもんなあ」

私は別にエラくはありません。これはスポーツでなくリハビリに近い、そして思いました。ああ、この人は身障者を見下げていたのだ。身障者より健常者がエラいと思って生きて来た人と感じました。

多分ですが、それで私とは挨拶だけ。話をされなかったのです。少しプラス思考と違う話にはなりますが、接点はあると思います。弱者の弱点に基準を置けない人は、そういう残酷を抱えます。他人に対して残酷なばかりでなく、老いて弱者になった自分にも残酷にしかできない。そういう点から見るとプラス思考は一種のご都合主義と思うのですが、どうでしょうか?

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blog.bbiq.jp/t/trackback/394232/19486027

プラス思考のマイナスを参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿