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2009年2月28日 (土)

樹の海

  • 025009

    昨日みた映画はものすごく、ちょっと書く気にもなりません。

    そろそろ春なので草が芽吹いて、早い草は小さな花が咲いたりしています。草も花が咲くまでは大変で……それを種から植えるとするとこれまた話になります。何か植えたことがあります?

    グレープフルーツを食べた時に、実の中で芽の出た種をみかけ、気まぐれに植木鉢に埋めたら、芽が出たことがあります。双葉が三つ葉、じわじわと伸びて行き、根が鉢にあふれて行く。育った所が南方のせいか、やたら元気でした。

    小さな植木鉢を中型に変え、大型に変え、それでもグレープフルーツは伸びて行く。面白がってアボガドも埋めましたがアボガドも芽を出しました。あまり大きく育てても意味がない、日本で生まれた植物ではないので実はなりません。グレープフルーツには蝶が来てミカンと間違えて卵をつけて行きます。

    同じ理屈で柿を弁当代わりに持って行って、種を埋めた人がいたそうです。柿のない所に柿を植えるとちょっとずつ環境が変わります。カラスが飛んで来てイノシシもやって来る。足や糞に別の草の種をくっつけて……どちらかというと人に都合のいいように変わります。

    別な草が芽吹く、草の種類が複雑に入り組む。虫の数が入り組む、鳥の数が入り組む。つまり単位あたりの生物の数の種類が増えます。そうすると植物は安定します……意味が判りますか。たとえば、はぶ茶が増える。

    都合がいいので増やしていると三年くらいで減って来て、やがて生えなくなります。一定養分を取り、土がはぶ茶に向かなくなったのではびこるのが止まる。はびこりは一時期でやがてその種類は見えなくなります。隣合わせにいろいろな種類が多くあると長持ちします。

    一種類の草の風景は外国に多く、日本の風景は基本的に複数の草です。家畜に食わせるとか、そういう目的は表面からは見えません。私はハブ茶を秋に取って翌夏に呑んでいました。野草独特の適度な甘さがコーヒーのようにクセになります。

    はぶ茶がなくなって、売ってあるのを買いに行くと驚くほど高かった。そんなに高いならコーヒーの方がいい(笑)……そういう訳で自家製のドリンクを作るのも自然との対話であります。植物を育てると面白い。しかし大麻やトリカブトは、どうかと思います。

    人間が生きていくのは、結局、植物、米や穀物の力に頼らねばならず、肉というのは穀物を食べる動物から取る訳で、直接間接の違い。明確に意識するかしないかです。現実には別な世界はなく、同じひとつの世界を生きるしかない。

    気まぐれに植物を植えると極端にいって木になります……そう簡単にも育ちませんが、植樹に行って自然との関係を感じてもいいのですが、行っても気がつかない人もあるようです。晩飯、おかず、すき焼き、金ラベルのブランド肉が出てきます。

    ブランドの雑穀、十六雑穀もブランド化され植える現場が見えなくなっている。話がまとまりませんが、ブランドラベルばかり見ていると人生を見失う……そうそう昨日、見た映画は「樹の海」という。生き方を見失った人達が富士の青木ヶ原樹海に死に行くという話でした。

    映画[樹の海]http://www.bitters.co.jp/kinoumi/

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コメント

肉牛を養うのに必要な飼料は、穀物食の7倍必要だと聞いたことがあります。わかりやすく言うと、家族5人が米穀中心の食生活を行うのであれば年間で1反の田から取れるコメで食べていけるのですが、肉食中心となると7反分の飼料作物が必要ということです。
肉食はコストがかかります。育てるコスト、屠殺して食肉処理するコスト、食肉を冷凍保存するコスト…。そう考えたら我が国の畜産農家、経営的に厳しいというのは自明ですよね。

以前、別のブログにコメントしたことがあるのですが、「いただきます」の意味もかみ締める必要があると思います。「いただきます」とは、「あなたの命をいただきます」ということ。処理された食肉や鮮魚ばかり見ていたのではピンと来ませんが、今日、私が食べた焼肉も数日前までは生きていた牛や豚だったということです。
ベジタリアンの主張に、「生きている牛や豚の命を奪うのが許せない」というものがあります。でも、これは詭弁ではないでしょうか。植物も生きているのです。hataさんのおっしゃっているとおり、肉食だろうが、草食だろうが同じことなのです。「生き物の命を奪うのが許せない」と主張するなら、草食もできない。では、石油から化学合成された食品を食べますか?それとも仙人みたいに霞でも食っていきましょうか?
生きることは他者から命をいただくことに他ならないと思います。せめて感謝しましょう。そして「お残しはあきまへんで~!」

こんばんは。そうそう(笑)
何も殺さないというのは無理で、自然の生物はある程度は目減りを計算して増えています。ハブ茶の例を出していますがクジラがそうだという話もあります。

殺さないではなく適度に収穫するのが大切ですよねえ。じゃあ、誰が適度を見繕うのか? 見たわけではないのですが、昔、トンボもカブトムシも絶滅なんてしそうになかった。今は? ちょっと怪しい気がします。

どこかの保育園の園外活動で、公園で虫取りをしていた。それを通りがかった人が「虫が絶滅するから、即刻中止せよ」と園の先生を糾弾した、ということがありました。園児達はその後、恐れて虫取りをしなくなったそうです。
子供達が虫取りをする程度では、虫は絶滅しません。「高い値が付くから」と、大人が乱獲するから減少するんです。虫取りはいけないことだと植えつけられた園児達がかわいそうで、間違った認識の影響というのは怖いものだと思いました。
クジラもそうです。増えすぎたクジラは海の生態系に影響を及ぼします。なにせヤツラは大食いですからね。

それは実は、むつかしい。私にも判りませんよ。
卑近な例を出せばチョウ、蝶々は全部、今世紀中に絶滅すると言われています。嘘だか本当だか知りませんが、そういう感じだろうとは思います。水中性の昆虫がありまして、ゲンゴロウとかタガメの絶滅はもっと早いだろうト、言われています。

そういう意味に広く捉えると「即刻中止」を言った人の気持ちも判らないではない。私はというとトンボの尻尾を切ってムギワラさして飛ばしたりしてましたけどね。

この記事は8年9月18日「サイネリア」あたりと関連しています。

hataさんのおっしゃっている、今世紀中に絶滅というのは、子供の虫取りに起因するものではなくて、温暖化に起因する環境の変化によるものだと思います。
温暖化の環境への影響を考えると、我が国では桜が見れなくなり、稲作もできなくなるのではと言われています。なにせ、日本の大半が亜熱帯気候になるといわれているのですから!
私が言いたかったのは、hataさんの、前のコメントで「誰が適度を見繕うのか?」ということに対してです。大の大人が幼稚園児に対して目くじら立てることじゃない、ということです。子供が虫取りをするのは、おっしゃっている「自然の生物はある程度は目減りを計算して増えています。」の範囲内だと思うんです。言った大人に他意はない。でも、その大人も蚊や蝿、ゴキブリだと殺すと思います。そういうことです。

はい、そうです。もちろんです。
何によるかは、?……でして……
書くと反対意見のように取られそうで(笑)次にしましょうか。環境からみのネタはもう少しあります。あまり専門でもありません。大雑把に捉えていますので、よろしく。
ツバメさんの意見は詳しくて、細部があるのですが大筋では私と似ているなあ、思っています。社交辞令ではなく、そう思っているのですが、理由がまだ掴めていないのです。(笑)今後ともよろしく。

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