« 2008年8月 | メイン | 2008年10月 »

2008年9月

2008年9月30日 (火)

テレビじゃ言えない健康話のウソ

中原英臣さんと言ってもピンとこない、この人です。この本、タイトルはよくないが内容はいいです。この内容で魅力的なタイトルはなかった物か。先から考えていますが浮かびません……なかったのでしょう。

検診や脳ドッグは役に立たない。と言うのがマズの主張になります。それは正しい。私は胆のうポリープを取った事があります。ある日、検診でポリープ群が見つかります。中のひとつは0・5ミリ大で観察を要すという。

3年後にポリープは0・7ミリになります。
「これは大きくなっている……取りましょうか?」
1・0までは取らなくてもいいとは言うのですが、微妙な大きさになると話も微妙になってきて、取ったがいいか観察を続けるかの微妙。そこが医師の言い回しにかかります。

中原さんなら心配いらないと切捨てます。検診が安心の道具にされるという。さらに費用対効果の数値が上がっていない。そうは言われてもベタで上がる数字を読み解く力は、私にはありません。そう言われれば、そうなのだろう思うばかりです。

ただ先の例、私のポリープに関して結局、医師は取る事を勧めます。それは解釈によるのか……そうではなく、入院予定は月曜からのはずが前の金曜に電話がかかり、
「手術予定日は変わりませんが、入院は明日、土曜からにしてほしい」ベッドが空いたからという。

ポリープを取ったに違いはなかったが、2年後、取った後の胆のうを調べると……もう私に胆のうはなかったのです。影も形もない。胆のうごとの摘出でした。医学での説明では胆のうの機能は、必ずしも判っておらす、取っても大きな影響はないとされている。

されてはいるが、実際に取ると若干症状があります。言われないので判らない。限定できないだけです。術前術後、胆のうごとの摘出とは言われません。ベッドの回転率を上げる、内視鏡手術の実績作り……疑えば疑れます。しかし2年たったらねえ。

あまり効果がない検査、絶対がないとは中原医師も言われない。効果が薄い検査をして、しなくともいい摘出をして、採算を取っていこうとする医学や行政への不信、私も共感します。

胆のうは大手術ではありません。30代の若い医師は内視鏡の体験が足りないので、やりたい。そういう人もある。さらに年に何回かやらないと技術維持は出来ないのです。熊本市のある整形では人工股関節に置きかえる手術を年に数百やるという。

熊本県内、某市にある整形は年に人工股関節は、年に1、2件行うといいます。それだと技術水準が保てない……かもしれません。私や同じ股関節症状を抱える人は大きな整形で、つまり体験の多い整形で手術しますが、そういう極端に少ない所ではしない。

したくない。同様に検査である程度、能率よく病気がみつかるのなら検査の意義があるのですが、あまり能率が悪いなら甲斐がない。止めて置こうという事にもなります。脳ドッグなどは、受ければ安心みたいに言われる代表ですが……この本で見ると。

そういう意味で怖い本です。ドッグ、検査……受けたくなくなる。しかし私の体験からいうと中原さんの言う事の方が、リアリティがあります。

2008年9月29日 (月)

社会的排除と新たなる連帯

9・27学園大での講演会より
教授は島田信吾氏、デュッセルドルフのハインリッヒ・ハイネ大学にいらっしゃる。社会的排除と言うのは、すでに日本でも起こっている事と考えてよさそうです。講義内での定義はありませんでした。

日本と同じかどうかは判りませんが、ドイツでも少子高齢化は社会国家の危機の原因となっています。そこでドイツ政策は、個人を市場脅威から守ろうという姿勢から、市場に組み入れる姿勢に変わっている。具体的には判らないが、日本ではパソコンやケータイはビジネス消費から高齢者消費に向います。

ジェンダーは自明となっており、すでに家族は幻想であり、多様化する家族というんだけれど……個人が家族から自由化してるみたい。悪くいうと理想的人生が無くなって崩れる。ジェンダーからという解釈かどうかは判らないが……家庭という単位が成り立たない。

日本でもそういう女性はあり、結婚したのに恋愛から関心が引かない。家庭や子供より、仕事等というと神経症の気もしますが、長く男がそうだったのと違いではない。ドイツは違うのか同じなのか講義を聴いただけでは判りません。

民族 ドイツの場合はトルコ系の人が多いそうです。バカ大臣が「日本は単一民族」発言をして、アイヌの人から注意受けました。日本には韓国系の人も中国系の人もいます……少しでしょうがトルコ系もあるのでしょう? ドイツでも価値統一なんて出来ないそうです。

ドイツで問題となっている人というか。困っているのはトルコ系や中国、韓国系の人ではない。彼等は手に職をつけ技術を持っている人の方が多い。技術がない職がないのは高齢のドイツ人という解説であります。(通用しなくなったの意味)

キリスト啓蒙主義が通用しない。人間には理性があるのが前提になっていて、ボケた後の事は考えていなかった。物忘れはどうなんだろう? いってみれば人生50年だったころの常識であって、耐用年数は切れている。

連帯 そういった問題山積の中から、連帯を作り出す。連帯について詳しいのはドイツの場合、デュルケムという人です。この人について解説がありますが内要のいずれも、キリスト教と同じく耐用年数を過ぎている……ちと乱暴か?

今後へのヒントは異質は排除したくなるがしないこと。ヒントとしての異質を尊重する……リドリー・スコットさんが映画エイリアンでも言っていました。あの人は出身はヨーロッパでしょう? EUという実験、NGO、環境保護への注目です。

前提としては米国につぶされる危機感があって、それでドイツの現在があるのです。この講義の準備中にも米国経済は危機の方向に向けて動き、ここ数日特に、証券や銀行の破綻がどんどんニュース化しています。

そうするとドイツが焦っていた程の危機はなく、米国のしていた事に無理があった……とはいえ、日本でも社会排除は進んでいて、連帯とは何か。これから恐慌の予想される世界をどう生きるか。日本ものんびりは出来ません。

デュルケム 社会学者 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%A0

島田信吾紹介 ドイツ・デュッセルドルフ大学で東アジア研究所現代日本コース所長をつとめておられる島田氏に、ドイツの日本研究における日本の表象を例に、翻訳をめぐる問題について論じていただく。異文化コミュニケーションにおいて、異文化をどう翻訳するかという問題は重要だが、このことは、他文化をどう理解するかだけではなく、自らのアイデンティティをどう打ち立てるかという問題と関連している。ドイツ(ヨーロッパ)の視点、日本(アジア)の視点両者を批判的に考察している島田氏に、翻訳と文化をめぐる諸問題について話していただくことで、異文化理解の鍵概念について考察するきっかけとしたい。

2008年9月28日 (日)

ポール・ニューマン死す

いやーあ、あの人には励まされました。
「明日に向かって撃て」が1969年ですから、そこから数えても40年近くなります。ニューマンさんを初めて見たのは「ハッド」62年です。そこから数えると45年以上になってしまう。ハッドは狂牛病を扱った、社会派映画で出来そのものはよくありません。

映画の出来からいえば、まず「暴力脱獄」どこがいいか、これは反抗する若者をキリストに見立てて描いた、一種のおとぎ話で、タイトルより楽しい話です。明日にイメージがないと成功しないよ……よく観ると、そういう教訓もある。

「よーし、俺が教えるよ」と家庭教師を買って出た近所の兄ちゃんみたいな所があって、ニューマンさんはいい。傑作のひとつは「ハスラー」でしょう。ビリヤードに命を賭ける若者というより、地域のボスに自分流の戦いを挑む話です。

ビリヤードに駆立てるために女を自殺に追い込む。やり方がひどい。その女性が身障者というのもポイントです。弱者を犬猫のように扱う……というので若者が奮起する。役の上でというより、本人もどこか侠気がありますね。

デビューが「傷だらけの栄光」って「ロッキー」と同じ原作、底辺から奮起して這い上がる。映画を自分自身のテーマにした所があります。そういえばハスラーの最後に、やっつけた親分への捨て台詞があります。

「オレをやるんならヤレ……徹底的にやる事だ。血と肉がバラバラになるほどな……それでもオレは帰って来る。血の一滴、肉の一切れを拾い集め、おまえに仕返しに帰って来る」そんな事できないのですがゲームが本気だったという台詞としても機能しています。

おしゃれなマネーゲーム「スティング」でも思い出しますね。
「やる時はヤレ、最後まで投げるな」言いたいのでしょう。
オンボロ弁護士が大会社と戦い、逆転勝利となる「評決」。ヨレヨレ探偵が大富豪と対立するシリーズ物、弱者を意識して激励する姿勢を崩さなかった。

それが役の幅の広さ、人間性の深まりともなった。駄作も多いが心情から溢れ出す物で否定は出来ません。傑作に到る試作品みたいな物もあります。実人生にも失敗があり、息子さんは麻薬で死んでいる。果たせなかった父役を映画の中で果たしたようにも見えます。

メッセージイナボトル、ゲッタチャンス、ロードトウパテション……晩年には引退したと言いながらヒョイと出てきたP・ニューマンさんが、もう本当に出て来ない。さようなら、そしてありがとう。

2008年9月26日 (金)

憎しみ深き日々に

上品なお母さんがTVに出ていて、娘を殺した被告達への死刑求刑を言います。殺人の行われ方の性質が悪く、ニュースキャスターも極刑に触れます。確かに気持ちは判ります。それに無期にしたのでは今後への示しもつかない……とも私も思うが……

私は死刑が好きではない。この事件、多分、死刑にはならないのでしょう。殺された娘さんには気の毒なのですが、一応、犯人たちは自首して罪を大筋で認めます。ニュースで言われている、責められているのは反省、悔い改めがない事です。

それが今はない、これから悔い改める可能性はあります。10年後か20年後かは判らない。無論このまま、人でなしのままかも知れません……ただ10年経てば人は成長します。人の成長は収入が多くなるとか技術が習得されるとか、そういう事ではない。

上品なお母さんは、裁判に娘さんの写真をバッグに入れて持って行かれたそうです。もしも犯人達が悔い改める。裁判で、そういう公告を見たら、極刑を願う気持ちが萎える……そういう意味と私は思いました。その時は娘の力を借りて死刑を願おう。

言い回しはおかしくなりますが、そういう意味と思うのです。その感じは判ります。娘の為に被告に死刑を願う……ただ、そこには死刑は嫌という気持ちも含まれます。それは他人の死を願うのは、あまり気持ちのいい事ではない。

今は雑多な感情も混じるかも知れませんが……このお母さんはいつか人間として成長し、他人の死を願った事を後悔する。自分と照らし私は思いました。肉親を失えば人は形相すさまじく、その時、原因となった物を追求します。

原因となったものが物であれば物の消滅を願い、人であれば殺意を抱く。殺意は人を鬼にする。人でなしの鬼となる。そうしたら以降を鬼として生きるか、いつ人にもどるか。実はそういう問題もあります。さらに鬼になると人間として成長できなくなる。

人間の成長というのは、どこで見るか。これは難しいのですが、そういう事の見える時があります。反映された物もあります。私の考えは理想と言われそうですが……今よりいつか大事な時間が来ると思われます。10年20年を経た後、犯罪者も悔い改め涙を流す。

そうならないかもしれないト書いといて言うのも何ですが、10年後は判りません。そういう事を胸に生きる時間は輝きます。輝きながら生きれば何事かも果たされる。20年は長いように見えて決して長くはない。ただの帳面消しで生きていれば判りません……

被害者が自宅に受け容れて許す、加害者もそう願って生きるのではないか。すべてが裁判で収支決算の帳尻が合わせられますか? 10年熟成を待つことがあって、20年もあっての人生ではありませんか。寿命の長く伸びた社会の、意味というものでは?

私は死刑が嫌いです。これは加害者のためでもなく被害者のためでもなく、私自身のためにすべての人のために、そうなのです。

2008年9月25日 (木)

新しい眼科で

目に不安があって眼科に行きました、その病院の話をします。話の前に、不安は単に不安でしたのでご安心を……ここは新しい病院です。ホームページ見てもらうと判りますが、Webから予約を入れたり、それを変更したり出来ます。

建物はモダン。写真は建物の中から外に向けての撮影ですが、外と内の境が見えません。これは窓の設計に窓枠を使わず、ショーウィンドウ用の大きなガラスを使う。明暗で見慣れない光景を生み出しています。(中央手前にある椅子の背中の先が、窓ガラス)

建築に関心はおありでしょうか? ありふれた光景の中にちょっとだけでも見慣れない光景を作り出す……建築家は苦労します。ここは日本だろうか、一瞬でも錯覚を起こす建物はそれだけで、素晴らしいのです。(窓の外の隣家との壁をクリーム色に塗る)

窓の予算は幾らだったのか。聞いていませんが、普通に作る窓の倍、あるいはその倍の予算が取られたと思います。熊本県はバブル期にアートポリスという県企画があり、美術都市の意味です。美術警察ではありません。こういう伝統があります。

ガウディさんとか磯崎新さんとか、美しい建物を愛でる訳です。目が悪くなったのは本当か? そういう道楽半分で眼科を選ぶのはケシカラン……まあまあ、悪くなる時は目も悪くなります。今回は大丈夫だったのでブログねたを仕込んで来ました。

予約はケータイ画面、普通電話からも入ります。写真右側フレーム外に受付があって、映っている奥の方は検査室です。検査データを取ってさらに奥に、診察室があります。カルテは電子化、パソコン処理されます。ただ完全カルテではなく、人によって伝票状の紙も付属します。

私の視力と今日の症状は聞き取られ、看護師がパソコンに打ち込み、診察室の医師の元に送りました。その様子も一枚ガラス式ショーウンドウのようで、廊下の患者から丸見えです。院長である佐藤医師も私の目をパソコンで絵に描き記録されました。

モダンでしょう? でも欠点もあります。それは先にも書いた伝票……あれは何か。多分、パソコン打ち込みの不得手な看護師もあるからでは? それからカルテを患者には見せないやり方にも欠点があります。

私が症状を看護師にいう。それをどう書き留められたか。私には見えない。医師はカルテを読む。私の主張が正確に伝わっているか、私には判らない。これは不安になります。そういう意味で、カルテは患者にも見せた方がいい。その方が間違いは無くなります。右目といったのに左目が悪いと思われたトカ……

「そこに何が書いてあるか知りませんが……」と前置きして私は言った事を医師にもくり返しました。看護師記載で抜ける部分があるとすれば補う。診察が終って、佐藤医師は症状について丁寧な説明をされました。最近、病院では説明しない所が多くなっています。

「はい」説明しないで医師はそういう。それは診察室を出ろという意味です。どうしても聞きたければ看護師が、それに当たるという。そういう所もあります。全体には、いい病院です。
呉服町診療所
http://www.ideta.or.jp/gofuku/main.html

2008年9月24日 (水)

先発薬後発薬

長く病院に通っている人は覚えがあるはず、最近、医師の方から薬を変える話があります。患者から医師にお願いするのでなく、大袈裟にいえばですが、医師からお願いされます。
「薬を変えて見ますので……様子を見てて下さい」これ、なぜか。どういう意味か知っていますか?

結論から先にいうと、先発薬中心から後発薬に動きが変わったのです。先発とは開発した薬会社の特許薬、後発というのはいわゆるジェネリック、特許の切れた薬を90%以上おなじに似せた、価格の安い薬です。黒柳徹子さんのCMで、もう常識ですよねえ。

国、厚労省はいよいよ薬をジェネリック中心に変えました。節約モードに入りました。節約はいいのですが、書いたように後発薬は100%先発と同じではない。変えるとよくない場合が、どれほどあるのか、目安となる情報が足りません。(臨床実験がない)

後発薬は一種ではなく薬品会社によって色々ある。最新情報によると、医師や薬剤師の間でも意見が分かれます……さて、この先、話はむつかしくなります。つまり副作用などを怖がる、良心的な医師がいるとすると、なるべく、しっかりした会社の薬を選びたい。

薬剤師がいて薬局の経営を考えた時に、あまり色々な後発薬を揃えても在庫過多になる。古くなる薬も増える。一種類の、出来れば安価な後発薬に絞りたい……患者のサイフから見ても、いい事ではあります。金儲け主義というには当たらないト私は思います。

患者の希望ではない。国の財政からの希望調剤には、まだ強引さを感じるという薬剤師はおられます。副作用の発生に対応してくれそうもない薬会社は使えない、というも医師もおられます。私たちは患者として、どう考えるか問われます。

参考までに医師や薬剤師が後発を不可とする薬の順位を上げます。1、抗がん剤、2、降圧剤、3、狭心症、あと順位なく免疫抑制剤、抗菌薬、精神病薬となります。これらの重要な薬については、医師、薬剤師の、それぞれから両方の話を聞いた方がいい。

以上は友人などからの取材情報もありますが、主には「日経メディカル」医師と薬剤師のニュースページからの情報でした。会員制になっておりますので、情報が必要な方は入会されて下さい。この記事のように、将来には判らないでは済まない事態が予測されます。

2008年9月23日 (火)

慢性依存症候群

前2回からの続き、そしてラストになります。
もし愛が依存であるならば「15才の愛人」に、たとえば中年が依存する事になります。妙な言い回しになりますが仏では、愛についての倫理をゆるめる事で、問題を乗り越えようとしています。その問題とは不安の問題ではなく少子高齢化社会の問題です。

むろん「15才の愛人」が象徴する事で、です。日本の少子高齢化は、赤字国債で解決させるのでしょう? ……依存に話をもどすと「お互いさま」と言います。依存された側がそういう。ある場面で依存され、別な場面で依存を期待するのなら、貸し借りはプラマイ・ゼロ。

バランス・シートは保たれます。人付き合いとは原則そう。ところが中に不心得者がいて、私は依存する人、あなた依存される人……そういうバランス・シートを出す人がいます。時代が進むに連れ、そういう人が多くなって、それで問題化している。

個々の需要が微妙になって、他人には計り知れない……そういう面もあるでしょう。貸しを作っても帰らないなら、他人は関係ないことにして、自分の問題を解決した方が得策、という考え方になっても、あまり批難は出来ません。

私は依存する人で許されるなら、名前が変わります。介護ですね。高齢者は介護が有料になるというので、最初、驚きました。それまでたとえば老後の介護は次男の嫁に割振られました。財産は長男に譲り、介護は次男の嫁に見てもらう。それは「家」のしきたりでした。

近代になって家よりも、子供の平等が大事になり、介護は有料……財産はたとえば介護した人に譲るべき、そういうバランス・シートになった。この変化もひとつの不安になる。変化は期待と同時に、不安の材料になります……では、お金のない人の介護を誰がするか……たとえばそれが後期高齢者問題ですね。

大分はしょって言いましたが、今は犬神家みたいな家はありません。そういう事では、もうお互いさまではなく、今は依存された人がエラいのです。偉さを無視して、依存した人がされた人との対等を主張すると……つまり、犬神佐兵衛になってしまう。

この社会の流れに困ったのは、高齢者だけではなく私たち身障者かもしれません。たとえば重度の身障者は、より深いストレスを抱えたと思います……それはおいて、赤字国債が若い世代に大きな負担となる事は間違いない。

仏のようにゆるめた倫理も、後世には影響を与えます。国債かゆるんだ倫理か……どちらが賢い選択をしたか……どうでしょうか? そう考えれば中年どころか、すでに老人は孫に依存している。それは目に見えないだけの事です。

自立とは何か、以上の例えで言えば、誰を依存させられるか。何人を依存させられるか。そしてそれは自分の力になります。誰に依存するか何を介護してもらうか、そういう方向に考えてみても、自分に力はつきません。

依存が悪いとはいいません。場面によって依存してもいい、依存場面が悪いのではなく、自分に力をつけて別な場面に向かう。バランス・シートを黒字化です。でないとあなたは将来の日本のようになります。

2008年9月22日 (月)

15才の愛人

1926年、昭和初年に芥川龍之介は「漠然とした不安」という言葉を残し自殺します。芥川さんの小説を読むと、その不安の正体が見えてきます。26年よりも大分、経ったから少しは不安の解決、見とおしが立ったかというと、これが少しも立っていません。

この不安は変化から生まれます。時代から生まれた小さな変化は、次の別な変化に結びつき、その別な変化も次の少し大きい変化につながって行く。止まらない時代はどんどん大きな変化につながります。外側が変化すれば、どんな人も自分の中を変化させる。

一人でいるから不安で、異性と居れば不安は消えるか? 子供でも出来て家が騒がしくなれば、心は強くなるという説もありました。実際は「ある意味では強くなれるが、別な意味で逆に弱くなる……」既婚の友人がボソリと言います。

「冬ソナ」が流行った時、あれ私も見ました。あれは初恋物語でした。ほぼ初恋の関係内容が長〜ぁく続くという内容です。冬ソナにしびれたのは、おもに主婦です。家事のめんどうを一旦、置いて初恋の時代に帰りたい……そういう願望を持たれたのでしょう。

長いひとつの恋の中に、自分を閉じ込めたい。そうすれば現実から逃れられるのではないか? ドラマを見ている時間だけでも、変わらぬ自分に安心できるのでは? ……まあ無理ですが、思われる気持ちは判ります。

ところで仏映画がほとんど恋愛を主題にしている事は、ご存知ですか。仏映画では冬ソナに凝るようなオバサンが主人公でしてね。ご主人、子供を脇に置いて15才の高校生と恋に落ちる。成人男性はバスで乗り合わせた初対面の少女と恋の駈引きをする。

大抵、そういう話であります。仏では15才は未成年でも、16才になると恋愛解禁になるらしい。私も、仏に行った事がないので、詳しくは知りませんが、非合法の禁断の果実というか。そういう意味がある訳です。禁断の果実に手を出す本人、その相方は……

つまり旦那や恋人は……そういう人があって、なお若い子に手を出すんです。相方はたいてい「まあ、しょうがないけど15才はまずい」と言います。その辺はさばけている。話が判る、単に事なかれというか。

仏映画の全部を見てはいませんが、よく、そういう設定になります。ただ15才児の親に知れたら……そ、そう。それは悲惨な事になりますよ。なんてたって非合法(笑)そして無論、そのセックスを伴うという設定です。

これらの主人公は日常に訳の判らないストレスを抱えています。近代以降、仕事は複雑化し、個人はそれぞれ不可解なストレスを抱える事になった。それが不安の正体と思います。その捌け口として性がクローズアップされるのです。15才の愛人とは、そういう意味があるト思います。

冬ソナも潜在的にそこを知っていて、ドラマの形を借りてストレス発散する訳です。冬ソナは、それでうまく行くいう認識でしょう。仏映画は15才の愛人を作って、自分も15才の気持ちにもどって……しかし、もっと厄介な問題がトいうか……認識のようです。

2008年9月21日 (日)

恋愛ウォシュレット論

愛とは何か、愛は必要なのか?……と、稿を起こすとややこしい事になって結論なんて出ません。恋愛映画とは何か、恋愛映画を観るべきか?……というと多少は結論めいた話が出るかもしれません。このブログの近くに依存症をいう人があります。

ウォシュレット依存症といわれ閃きました。愛は依存です……いきなり結論では判りませんか? ウォシュレットというのは洗い湯の出る便器です。前に痔が悪かった、私も使った事があります。次いで女性は生理構造上、ウォシュレットの需要があります。

まあ出来れば使った方がいい、しかし男には無用の長物というに近く、痔の悪い人だけの必要です。そんなもんです。いえ愛も、どうもそんな風なもの……と考えるとスンナリ判ります。判るような感じになります。

健康不安があると結婚、ないしは恋愛相手が重要に見えてくる。そこまで露骨に言わないでも、困った事をかかえる人ほど愛人を作る……そういう傾向にありますでしょう? 漠然とした不安は漠然とした依存を必要とするらしい。

「ウチのは洗濯機とか冷蔵庫とか、電気製品に執着があるんだ」
――それは主婦、誰でもそうでしょう?
「いや、同時にそういった電気製品に、限りない不安を持っていて故障するとか、問題が怖いらしい」

――なるほど電気に弱い。電気製品の面倒を見て欲しかった……しかし、それも誰でも女性はそうでしょう?
「私と結婚した一番大きい理由が、それらしいと聞くと今更ながら、ねえ?」この人は電気店にお勤めの方です。判らない理由が結婚動機になれば、同じ理由が離婚の動機になりかねない。

そういえば有名女優が、無名の警官と結婚した事があります。女優は女優であるが為に、漠然と不安を抱えていた。結婚してみてその理由に気がついたのか、その警官とすぐに別れます。その後、女優は色々な男と結婚離婚を繰返します。

独身の私に不安がなかったかと言うと、そんな事はありません。今も不安なのであります。しかし目立った恋愛沙汰には至っておりません。何も無かったとは言いませんが……つまりウォシュレットは買わないまま、不要になった訳です。

いえ一時は本気で専門店に見に行った事もあります。デパートのトイレには、それが付いています。何とか今、出せないものかしら……悩んだ事もあります。でも結局、なければないで済む物という結論……ウォシュレットの話ですよ。

恋愛も色々あるそうで、あんな時の愛、こんな時の愛、そんな時の愛……それを別々に揃えるんだそうです。何だか大変そうな話なのでウォシュレット同様、止めてしまった。そういうのと同じではないが大体、まとまります。

女優は結婚と離婚を繰返した後、いえ大統領の恋人を勤めた事もあるそうですが、睡眠薬で死亡します。愛で不安を打ち消すことは出来ないと悟ったのか、どうか? 私には判りません。ご存知でしょう、マリリン・モンローという女優です。(この話、続く)
〇ウォシュレットはTOTOの製品商称、写真もそうです。

2008年9月20日 (土)

デコーダーのムフフ

需要と一口にいいますが、それは様々でどこにどういう需要があるかは判りません。私も本屋で本の背表紙をながめていて、ふと読書欲に駆られる本もあれば、何の衝動も感じないまま一冊も買わずに去る事だってあります。

ハードオフやオフハウスも、それに近い。そもそも誰かが不要になった物は、私にとっても不要である可能性は高い……確率から言えば、そういう事だって出来る。逆にいえば、見た事もない物があったり、使い方も判らなかったりします。

理屈はこねてばかりでもつまりません。具体的な物を買って来て、ひとつ使ってみてましょうか。私が最近つけたWOWOWのアナログデコーダー、これは500円〜1000円でハードオフのジャンクコーナーにあります。これはヤフオクより安い、買ったという設定で話を続けます。

むろん場合にもよるのですが、まずリモコンはついていません。電源コードもないかもしれません。これはプリンターなどと共通の平コードです。それがあれば用は足ります。本体にはIDナンバーがついています……これが汚れて読めないのはダメです。

そうでなければ大丈夫、マニュアルもなくても大丈夫です。パソコンでWOWOWを検索します。パソコンがないと難しい。でも勘でいけるかもしれません。入会は電話でもいけますから……パソコンがあった方が有利です。

今、WOWOWでは「e割」というのをやっていて、パソコンから入会すると最初の二ヶ月が1200円です。これ、狙いませんか? デコーダー入れて2200円になります。それでは接続を始めます。
WOWOW 関係ホームページ 
http://www.e-secchi.com/connect/tv_wowow/wowow3.html


接続法はここに書いてあります。ピンプラグ2本線と3本線でデコーダーとビデオにつなぎます。簡単でしょ? 一般に電気製品のマニュアルはメーカーのホームページから、簡単に入手できる事があります。ズバリの製品マニュアルがなくとも、製品に近いマニュアルで用が足りる事もあります。

そういった作業をめんどうと思う人がいます。どうなるか判らないのでスリルがあると思う人もあります。私は後者でこれでやって成功すると癖になります。あれはどうだろうか、これはどうなるか? Webを駆け巡り不可能も可能とする冒険心に駆り立てられます。

カセットデッキやビデオデッキの修理体験を披露されている方もあります。ただもう、これらは限界でしょう。書いているアナログデコーダーもアナログ放送が終わると、もう使えません。デコーダーに限らず中古寿命は短いのです。

私はWOWOWのサービス期間が終わったら退会と思っています。なぜか? WOWOWは実は止めた後に、ムフフのお楽しみがあります。これは……書けません。

あ、忘れていました。買ってきた中古デコーダーにはスクランブルが解除、つまりWOWOW入会の必要ないのが、時々あります。確かめて後に入会しましょう。
http://homerc.net/avr-log/1/20.shtml