« 芋虫日記 2 | メイン | アイ点検 »

2008年6月20日 (金)

芋虫日記 終

寄生は生か死か、言うまでもなく死であり生です。通常、個人は子供に未来を託し死んでいきます。子供にとって親はうざったい部分も、だからある訳です。場合によってはこれが師匠と弟子でも、伝承が親子のように取沙汰されます。

つまり他人に自己を託すことも可能です。芋虫に植え付けられた羽虫はサナギを食い尽くし、サナギの殻を破って出てきます。命がサナギから羽虫に受け継がれたとも見えます。サナギは蝶にならなかった訳です。まあ、そういう事もあります。

サナダ虫は人に寄生し、大きくなって全長4m前後にまでなるのですが、むろん人を食い破る事はありません。サナダ虫は卵を生み、その卵はいったん、人体から出ないと卵化はできない。そのメカニズムを利用してサナダ虫ダイエットを提唱した人もいます。

ダイエットはともかく、個人にとって個の延長は、どういう事を意味するのか実ははっきりしない。サナダ虫や羽虫、寄生虫には気持ちが悪い所はある。それは八百屋の息子が、自動車のセールスマンになったのと何処が違うのか。

映画エイリアンの主題の一つに、こういう子供の形が内在しています。同2ではヒロインに娘があった事が明かされ、その娘はすでに死亡しています。ヒロインは基地で生き残っている女の子に強く執着します。対抗する女王エイリアンも自分の子に執着します。

自己を延長する意味は何か? 変化するとは何か? 春に生まれたアゲハのサイズ小さく、夏に生まれたアゲハのサイズは大きい。あたかも最近の日本人の親子のようです。発達して巨大化する意味もあまり判らない。

3作目で親子心中したはずの人とエイリアンは、ハイブリッド化して4作目に登場します。これは荒唐無稽な話ですか? 漱石は英国に行った後、新興の米国の方が日本と相性がいいのではないか、何やら予言めいた発言をしています。

日本は西洋化した東洋でしょうか。東洋化した西欧なのでしょうか? 米国は植民地化に成功したのでしょうか、失敗したのでしょうか? 中国人よりも韓国人よりも米国に親近感を持つ日本人とは何なのですか?

米国に寄生された日本なのか、米国に寄生したのが日本なのか? 興味深いイメージと思います。むろんアゲハチョウのサナギとサナダ虫はぜんぜん関係がありません。国際政治と映画のストーリーも関係がない、でも重ねると見えて来る物はありますなあ。

全く違う2つの物に共通するイメージを見つける。それが最初の一歩です。人は過去に対するイメージが豊富な割りには、未来へのイメージが足りない。あると思われた過去さえ、ただ偏見かも知れません。芋虫日記と題したイメージの錯綜記は今回で終わります。

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blog.bbiq.jp/t/trackback/394232/18081002

芋虫日記 終を参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿