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2008年6月

2008年6月28日 (土)

失礼もうし上げて

このところ失礼、申し上げております。休載理由はパソコンの故障です。前からおかしな所はあっっても、他のほとんどが機能しており、深く考えませんでした。それをメモリ増設に踏み切り、パソコンを開いたらメモリソケットに異常がありました。

これをイーマシンに報告したら「保証期間内に見せないか」という申し出で、見せたらハードディスクに異常発見です。しかしHDのパーツ調達が出来ない、今日に至る。大筋そういう訳になります。ウィン98の入ったパソコンならあるのです。

そのパソコンで数日は更新したのですが、パソコンにはウィルスソフト等が入っていない。数日後、動きが遅くなったような、嫌な感じ……それで更新をひかえている訳です。全く使えない訳ではないが、あまりは使えない。という妙な状況にあります。

記事はむろん自分で思いついて書くわけですが、私の場合、Webで調べ、書く事の裏付けを取り、ついで展開や広がりを持たせてまして、今度のようにWebを閉ざすとパッタリいけなくなる……多分ですが、HDにしたって推測は出来るのです。

壊れている私のパソコンのHDは200ギガです。ところが今の標準は250ギガ、多分200はない。品切れで修理はHDを入手できない……のではなかろうか? これは推測です。どうもそういう気がします。なぜ気がするか?

その理由を、いつもWebからひねり出す。今日は出せません。そういう訳で、もう暫らくの休載となります。どちら様もご機嫌よろしく、休載理由でした。

2008年6月22日 (日)

アイ点検

自動車、アイの点検に行きました。私のアイは点火プラグをNGKに交換し、プラグの向きを揃える事にします。アイではプラグがデンソーと2種類あって、どちらも純正ですが私はNGKがいい、トそう考えるのです。

プラグの方向を合わせる事も半年前からやっています。最初は火花の飛ぶ方向を助手席に向けたのです。これは逆ではないか? 疑問が出て比較テストの結果、運転席ないしは後方に合わせた方がよいと判りました。

さて、それでいいのか悪いのか? 技術担当に聞いてみる必要があります。
「点火プラグの方向を合わせるというのは、どうするのですか?」
――レンチの方向とプラグの向きを合わせて置いて、いっぱいに回してコツン当たった所から半回転ほど緩める。レンチの方向に合わせてもどします。

「それはプラグが緩んだ時が危ない。お奨め出来ません」
――うーん、やはりそうですか。月に一度くらい、緩んでいないかは確認しますがね。それでも危ないですか?
「それほど頻繁に使うとネジ山がもたないのではないか? そちらの方も心配です」

――しかし対策を何もしないと起動しなかったりエンストの可能性がありますからねえ。どうした物でしょう?
ト聞くのですが名案はないようです。確かに緩めるのは危険、ネジ山も心配なのですが、ほどほどの心配にしないといけません。

世間ではプラグが抜けた話も聞かないし、ネジ山が切れたエンジンも沢山はないのです。むろんエンジン本体も交換できない訳ではない。私の友人は11年目の車のエンジンを乗せ変えたそうです。三菱ではなく、もっと有名な会社の車です。

身障者は体に合わせて改造をしますので、車を変えるのが厄介でエンジンを乗せ変えたり、大ごとして乗り続ける人がいます。昔は故障しないで有名だった車会社も、今は判りません。ちゃっちいので有名なマツダ車を16年乗った、私としては複雑です。

このようにマツダ車も10年ほどプラグをいじり倒しました。いじらないと動かない。陸橋とか超えられなかったのです。エンジンのネジ山がどうこうはありませんでした。軽ですしねえ。任意保険もある事ですし、あまり神経質になるのも如何なものか?

自動車なんて乗ってナンボ(笑)などと大胆不敵な事を言っております。これからガソリンが高くなりますので、趣味的に乗る時代になると思うのです。残念ながら毎月乗用に千キロ乗ると時代錯誤といわれましょうネ。

私には三菱も思いつかない対策が、もうひと手あるんです。

2008年6月20日 (金)

芋虫日記 終

寄生は生か死か、言うまでもなく死であり生です。通常、個人は子供に未来を託し死んでいきます。子供にとって親はうざったい部分も、だからある訳です。場合によってはこれが師匠と弟子でも、伝承が親子のように取沙汰されます。

つまり他人に自己を託すことも可能です。芋虫に植え付けられた羽虫はサナギを食い尽くし、サナギの殻を破って出てきます。命がサナギから羽虫に受け継がれたとも見えます。サナギは蝶にならなかった訳です。まあ、そういう事もあります。

サナダ虫は人に寄生し、大きくなって全長4m前後にまでなるのですが、むろん人を食い破る事はありません。サナダ虫は卵を生み、その卵はいったん、人体から出ないと卵化はできない。そのメカニズムを利用してサナダ虫ダイエットを提唱した人もいます。

ダイエットはともかく、個人にとって個の延長は、どういう事を意味するのか実ははっきりしない。サナダ虫や羽虫、寄生虫には気持ちが悪い所はある。それは八百屋の息子が、自動車のセールスマンになったのと何処が違うのか。

映画エイリアンの主題の一つに、こういう子供の形が内在しています。同2ではヒロインに娘があった事が明かされ、その娘はすでに死亡しています。ヒロインは基地で生き残っている女の子に強く執着します。対抗する女王エイリアンも自分の子に執着します。

自己を延長する意味は何か? 変化するとは何か? 春に生まれたアゲハのサイズ小さく、夏に生まれたアゲハのサイズは大きい。あたかも最近の日本人の親子のようです。発達して巨大化する意味もあまり判らない。

3作目で親子心中したはずの人とエイリアンは、ハイブリッド化して4作目に登場します。これは荒唐無稽な話ですか? 漱石は英国に行った後、新興の米国の方が日本と相性がいいのではないか、何やら予言めいた発言をしています。

日本は西洋化した東洋でしょうか。東洋化した西欧なのでしょうか? 米国は植民地化に成功したのでしょうか、失敗したのでしょうか? 中国人よりも韓国人よりも米国に親近感を持つ日本人とは何なのですか?

米国に寄生された日本なのか、米国に寄生したのが日本なのか? 興味深いイメージと思います。むろんアゲハチョウのサナギとサナダ虫はぜんぜん関係がありません。国際政治と映画のストーリーも関係がない、でも重ねると見えて来る物はありますなあ。

全く違う2つの物に共通するイメージを見つける。それが最初の一歩です。人は過去に対するイメージが豊富な割りには、未来へのイメージが足りない。あると思われた過去さえ、ただ偏見かも知れません。芋虫日記と題したイメージの錯綜記は今回で終わります。

2008年6月17日 (火)

芋虫日記 2

成長の不安は、衰弱の不安とも重なります。衰弱とは簡単にいうと老化になりますが、若く成長すべき時に成長できず衰えていく……そういう事も身障児には珍しくない。生きる時は順調な時ばかりではなく様々な局面があります。

一番、危険な時は変化の時で、今日の写真はサナギ化に失敗した芋虫です。変わるのは得意でない。しかし変化が得意という人はもともとありませんで、誰でも変化は好きではない。それでも、ことさら苦にし拒否しようとする人はあります。

怖いという事であります。
「ああ、失敗した」と芋虫がつぶやいたりするか、どうかは知りませんが、これはそういう写真です。怖い事をワクワクと捕らえ、ドキドキとして挑戦する人がある。多分、それが若いという事です。

変身すべき時に変身できない芋虫は、むろん蝶にはなりません。蝶にならない芋虫は……ある意味で身障者のようなものであります。こういっては何ですが、健常者でも機会を逃してサナギになれなかった人を時々、見かけます。

変化を恐れてはいけない。まして拒否してはならない……私もこういう写真を撮って来ると、自分の胆に命じる訳です。もっとも書いたように手遅れという説もあります。だから身障者という説もあります。十分に若い人に一番、見て頂きたい写真です。

変化という意味では、もう一つ違う変化があります。自律的な内面の変化に対し、外から促された外面的な変化という事を漱石も言っています。芋虫も外面的に変化をすることがあります……自分で変化できない人にも希望はあります。

エイリアンという映画で怪物は最初、人の顔に貼り付きます。映画で見ると胃の辺りに寄生して、食事のシーンで飛び出してきます。気持ちの悪いシーンです……あのシーンをどう見るかでセンスを問われます。

つまり寄生される。寄生されるというと悪いイメージですが、サナダ虫は人の寄生虫ですが、寄生の変わりにアレルギーを緩和する物質を分泌します。せっかく寄生した人にサナダ虫アレルギーになられたら、自分が困る訳ですから。

共生できる物質があると人もアトピー、アレルギー、喘息などから開放されます。ふつう男性で出産は出来ませんが、ああいう形ですと出産が可能です。映画では否定的に描かれましたが、違う者の子を産むという面白い設定が描かれた訳です。

それを肯定的に捕えてみる。サナダ虫の話ではなく、芋虫はその体に生きたまま羽虫の卵を産み付けられる事があります。

2008年6月16日 (月)

芋虫日記 1

自分という現象は厄介な要素を持ち、その厄介さを避けられない所があります。たとえば育って大きくなる。変化はそれだけの事なのに不安です。人間の場合、大人になればあっさり成長は止まるので、それで安心できると思われ……そうでもありませんか?

これは芋虫、と、ここで芋虫の写真を入れる予定が、入りません。諸般の事情がありまして……午後からは入るか? 判りません。判りませんが、この芋虫日記はシリーズ化を考えています……アゲハは卵でミカンの葉の裏に生まれ、その葉を食って育ちます。

多少のぶれはあるけれどミカンならミカンの葉ばかりを食べて育つ。人間から見れば奇妙なことで、何やら生来のばっかり食ダイエットをしているように見えます。しかしミカンの葉ダイエットはあまり効かない。

芋虫はプクプクと太っています。誰かに嫌味をいっているようで、別な素材も考えたのですが、その場合は毛虫日記……ゾッとしません……これ以上は太れないほど太ると自分の皮を破って、さらに太るという話です。私はそれを見たことがないので何とも言え……いや、書けないのです。

芋虫には自身の変化のイメージがあるのか? 私、こんなになっちゃいました。なんて言う芋虫に会ってみたいのですが、その辺は思春期の人間、若者と大差はないのかもしれません。自分はなぜ自分なのか考え……ないでしょうね。

毛虫の場合は長く、集団行動をします。いっせいに行列を作って葉を食います。まあ種類にもよりますがね。この行列が気持ちが悪い。毛虫の気持ち悪さは、鳥などから見てもそのようで、それで食われる事を防いでいるのでしょう。

育つだけにしろ変化が本来のあり方でしょう。長い不変の報いは、むしろその分の大きな変化になります。急激な変化を望まないとすれば、日々ゆるやかな変化し、少しずつ変わり続ける他はない。ミカンの葉陰で芋虫が葉を食っています……やがてサナギになるのです。

「エイリアン」映画1作目には、私は生理的に気持ちが悪くなったのですが、暫く海老が食べられなくなりました。基本的には同じですね。ただ芋虫は菜食で、映画の怪物は肉食です。人間も昔の人は菜食で、最近の人は肉食なのかもしれません。

ただ正確にいうと雑食なのですね。雑食は他人の食べているのを見て、自分も食べられるのではないか? そう思うところから始まります……そういう気がします。家に来る犬も何か食べてると欲しがります。

肉はもちろん魚を欲しがり、果物ほしがり菓子を欲しがり野菜を欲しがる。芋虫はそんなことはありませんで、ひたすらミカンの葉を食います。

2008年6月15日 (日)

蝶 海老原喜之助

海老原さんの蝶です。元々映画館の壁にあって、それが改装で見えなくなって、やがて解体で壊される事になり、壊すならと大学に移転され校舎に使われる事になります。

絵の内容は……判りませんなあ。よく判りませんが、作者が若い人に関心が強かったことから、推測は出来ます。右側の蝶が手で耳をふさいで走り出すように見える事から、左側の蝶は死んでいる。

それに近い状況を示します……最初にキリスト受難を考えたのですが、宗教の匂いがない。とすれば……戦争での若い人の死を感じます。

若い人の死を惜しむ絵ではないでしょうか。羽と翼は若さ、可能性を象徴するらしい。若い人を粗末にしては……大事にしなくてはいけない、というメッセージを私は感じます。

1959年(昭和34年) 『蝶』を制作。同作品が第5回日本国際美術展で最優秀賞を受ける。

1960年(昭和35年) 前年制作の『蝶』により、第1回毎日芸術賞を受ける。11月、熊本市の東宝会館にモザイク壁画を設置。

学園大学14号館解説
http://www3.kumagaku.ac.jp/sw/katudou/jyouhoushi/onsei%20PDF/51gou/P5.pdf
熊本現代美術館 http://www.camk.or.jp/event/exhibition/ebihara/index.html

2008年6月14日 (土)

タイムセール

買物に行くのにマイカーを使わず、電車を使います。ジワジワと陽の照りつける中、迷うところですが今日は電車という選択です。何を買いに行くかというと、必ずしも明日必要な物でもない。そういう内訳ではあります。

もう一方でこの所のインフレが気になり、いずれは必要となれば買って置くのも悪くない。金曜日の午後というのも外に出るか、もう出ないか微妙な感じです。車だとパーッと行って帰って来る感じもありますが、電車ではどうでしょう?

いくつか買いますが、ひとつタイムセール情報が挟まって、これがキモといえばキモです。帰りもそうですが、金曜の午後は電車は乗られています。主婦、学生……免許、車の持ってなさそうな人中心ですがネクタイさんも乗っています。

平常乗ってなく断言はできませんが、ひところとは違いますねえ。タクシー使うのも何だしガソリンも高いし、電車という人が少しずつ増えて来ています。これが土日になるとドット出ると思います。そこで金曜タイムセールは丸です。

ただ身障者は土日のタイムセールは無理な面があります。足遅いし行列で押されるケースがあるし、まあ近寄らないに越した事はない。行った癖にいう台詞ではないのですが……私より若い、障害軽い身障者ならタイムセール行列の中にありました(笑)

時刻30分前について先着10名の割には来ていない。それで私も参加と思うのです。ただですねえ、売場周辺に並ばないでウロウロと店内を見ていた人はもっとありました。最後の人は買えなかったと思います。時刻10分前にキッチリ並んだ人に福でした。

そういう訳で、たかがタイムセールといえど身障者の勝算は微妙です。行ったがいいとも悪いとも……どちらにしろ土日は止めたがいいです。土日は主婦と、主婦に操られる旦那たちの独壇場でしょう……何でそういう事をいうか。

実は見たんです。列内に目立つカップルがありまして中年外人と若い日本女性、ほぼ親子の年令差、これが主導力は女性にあります。女性は待ち時間中に店員に聞いている。私は何か買ってるんだろう思います。

やがてカップルが判って、なお旦那の方は所在なげに店内ウロウロ、尻に敷かれているのがミエミエであります。これは面白い風景です。通訳風の女性がリモコンのよく利く男を捕まえた。その経過と様が手に取るように……そこまでは判りません!

日本女性が強くなって白人まで尻にひく。めでたいというべきかどうか、面白い物見に行くならエコの時代、電車に乗って行くべきでしょうな。そちらも電車はありましょう? 何ない。それは不便な所ですな。

2008年6月13日 (金)

深夜特急 3巻

「深夜特急」沢木耕太郎さんの3巻を買います。1巻の感想は書いたと思うのですが、2巻は飛び越えています……変に思われるかもしれません。これはBOOKOFFで買っているからです。全巻通して図書館のものを読んでいますが記憶に残っていない。

3巻目の冒頭ちかく、作者は自分の倹約主義の理由にふれます。本の主人公はいつも「チープホテル」を連呼して安宿を探します。それを隠さず表明する。その倹約ぶりにちょっと食傷気味に読みました……私も若い時、旅行をしました。

国内旅行で、一番、金を食うのは宿です。そこで野宿を決め込むと後は交通費と食費になります。交通はヒッチハイクがあり、目的地と何時までという計画がなければ、それも自由になります。もっとも旅行にも目的が失われる事にはなります。

外国旅行では賊が一番、怖いわけです。野宿やヒッチで怖かったのは、当時、警官の職務質問です。今はまるっきりそんな事はできません。その昔は、知らない町を歩いて行くと、
「どこへ行かれるのですか?」

自分の家の掃除をしている人に聞かれました。
――××寺へは、これでいいのですか。
「もう300mくらいですよ。何処から来たですか……へえ〜九州から。いいなあ」ってなもんでした。

――今日は、車でどこか出かけられるとか、予定ないですか?
「いえ、どうしてですか?」
――いえ、出かけるのなら××寺の帰りにでも連れてって頂きたいんです。
「ああ、なるほど。決まった予定ではないのですか? 残念ですが今日は外出はしません」

そんなノリでした。女性にこんな話をすると、
「男だからよ」などと非難されます。予定のない旅は自由ですが、怖い側面もあります。それは帰る予定がない、帰らなくともいいという怖さです。それは誰からも必要とされない孤独を意味します。
もう一つ、女性は身障者より不自由という事です。その時、彼女たちは自由の持つ影の意味を知りませんでした。

「今、京都大原にいる。これから奈良に向かうよ」私は家に電話していました。
「金もないに何時までいるつもり」などと電話口で家族がいうのです。家族は宿に泊まっていると思い込んでいます。その家族という糸が切れれば私は凧のように空の彼方に消える……

図書館の本でない本は返却しなくてもいい。百円本は真新しく開く微かに香水が香ります。元の持ち主は2巻を読んだろうか、自由の影の意味を知ったろうか?……私はおせっかいな連想の後に、講演で沢木さんが言った事を思い出します。

この本を書いた後、作者は南米に移り住みます。原住民に取材したドキュメンタリーTV番組を作り……沢木さんは講演の最中に本が欲しいといい出します。
「古本といっても駄本ではなく……」作者は南米に何をしに行ったのか。

そもそも深夜特急の旅の目的は……沢木さんはその後、休筆に近い状況にあると聞いています。

2008年6月12日 (木)

保障期間 2

ウィルスソフトの肥大などの原因から、時々にパソコンは遅くなって行きます。対策としてメモリの増量が言われますが、増量メモリは相性の難しい面もあり必ずしも簡単ではない。実はメモリ増量に最後、うまく行ったのです。

かなりの経過があって、説明をどう書いたものか省略したものか? 難しい……若干、結果から後つけの推測を交え、書いてみたいと思います。私のパソコン本体は05年末販売のイーマシン、デスクです。XPホームエディションが付いてました。

最初からハードディスクの空転など、おかしな所がありました。九十九電気とイーマシンは、全体交換したりメモリ交換をしました。機械は動かないではなく、ほぼよく動き現在にいたります。で、その時のメモリ交換体験があり、空きのメモリソケットの存在も知っていました。

それでメモリ増強します。するとまた変な動きになりました。増強したメモリを抜くと動きは元にもどります。メモリ販売店はメモリメーカーに直接いうように説明を書いており、メーカーはというと日本語が出来ないらしい。日本語対応しない。

端的にセンテンスを短くした苦情を書き、それを翻訳してメールし出しました。メモリメーカーは返事しまして、それが英文と中国語です。どうもメーカーの主体は台湾にあるらしい。返事を翻訳すると「店で交換してくれ」という事です。

メーカーメールを添えて取引店にメールを入れます……店からは返事が来ません。CMメールは来てます……頭が痛いなあ。私はもう一方で増強メモリの刺し直し、ソケットでの席変えを試みます。これも体験しています。ただ今回、初めて4本のメモリを刺してみて気がつきました。

第一ソケットの具合が他の三つとは違う。メモリソケットが刺し辛い。なんとか工夫をして折り合いをつけて、試運転というかスイッチを入れると、スルスルと動いて不都合がない。なんと直っているではありませんか!

XPはサクサクと動き、フォトショップでは写真をキビキビと読み込みます。最初の買った時のメモリは256×2、後で取り付けたメモリは512×2、合計1536になります。大体XPパソコンはこんな感じでよくなります。今回の費用は送料込み約5000円。

ただ、相性のいいメモリや、それをどこで買うか? 不器用な人はメモリを自分で付けられるか。空きソケットはあるか? ケースバイケースですねえ。いい加減にみつくろって安い通販を利用すると……私のようになりますか?(笑)

世の中はいい事ばかりはありません……ああ、ドルツのジェット噴射の歯ブラシ、あれは店で故障の説明をしたら、店が無償で修理すると言い出しました。なぜなのか、判らないから不気味なのですが……近所にライバル店の出店が決まったから?

いえ、○○○電機にとっていい事ばかりではありません。私は、私は今の所、ついております。メモリメーカーに結果をメールして……ついで保証の残るイーマシンにも連絡を取らなければいけません。ヤレヤレ。

2008年6月11日 (水)

御都合主義

御都合主義とはその時の情勢に都合のいいようにして、きまった意見のない自分、態度と辞書にあります。悪く書いてありますが、無論よい部分もあります。安野光雅さんの空想工房を読んでいると、あぁーっと声の出そうなオチが幾つもあります。

ひとつだけネタを割りますと「白と黒」という文があって、これは子供の頃に日光写真に凝った話です。さすが絵描き、なんと安野さんは陰画作りに熱中します。話のオチは、苦労して陰画を作るより自分の絵を描いた方が早いトいうのです。

それはそうでしょうが絵の苦手な人には、がっかりのオチです。いえ、オチにも種類があり、スカッとするオチは、スカッとはしますが現実には利用できない。使えるオチはスカッとはしません。安野さんのオチは絵描きのオチで、こうして見ると小説に似ている。

ノンフィクションにはオチはないのですが、あるとするなら使えるオチが望ましい……ような気がします。先日、映画「地下鉄に乗って」を見ていて、何を言わんとするのか理解できないでいました。お父さんが死にかけていて、感謝の言葉が素直に言えない。

主人公は過去と現在を行き来して、それをやっと言う。それで観客はスカッとします。小説の快感であります……なぜなら死のうとするのは主人公の父であり、観客の親ではない。しかし観客もまた親に素直になれないのかも……かも知れません。

「ありがとう、あなたの子供でよかった」それだけの言葉がなぜ言えないのか。映画の後であなたは言えますか。その辺の気持ちを探ると、安野さんの日光写真のオチと何やら似ます。映画や小説のオチは実際は役に立たない。御都合主義です。

じゃあ、私なら役に立つオチが書けるか。ノンフィクションライター(?)でもある私のオチは、あるか? あります……でも、それを言うとあなたには、ある義務が生まれます……誰もが親の子供の訳です。何もしないで生きるだけで、いいのかも知れません。

書けと言われるなら書きますが……誰もが絵に根中した子供時代のまま、安野さんは今も生きています。熱中から覚めて、私たちが手に入れた物を、だから安野さんは持てないのか。日差しの中で日光写真に熱中した子供時代があれば、ここの御都合主義には悪く思わずに読めると思います。

では小説「地下鉄に乗って」の浅田さんはどうか? 浅田さんは父に感謝したのか? どうも確信が持てません。感謝したと思いたい……でも本当に感謝したなら、この結末、やはり御都合主義は……どうでしょうか?

もし私の親が死ぬとしたら、余命いくばくもない床にあるとしたら、私は親の若かった頃の話を聞きます。何が楽しかったか、何が苦しかったか、何が一番、記憶に残っているか? 全部、聞いた後でまだ余裕があるとしたら、もっと詳しく初めから聞きます。

親の若い頃の事を聞かれましたか? そうすればメトロに乗らずとも、話の途中で言える場面も出てきましょう。
「さようなら、あなたの子供でよかった」と。