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2008年1月

2008年1月31日 (木)

故障の原因

原因があって結果がある、因果律は必ずとは限りません。それでも周辺を見回すと見えて来る物があるかも知れません。電動歯ブラシ、ジェット水流の方のドルツが壊れてしまいました。どうも水の勢いが悪いのではないか? やはり悪い!

電源、電池、モーター、スイッチ、水……と原因を想定してみますがすっきりしません。何か変と水の出が悪くなって、水が滲むようにしか出なくなる。購入日を確認して保証範囲内と確認、もう電気店に持って行くことしか考えません。

もう一度原因を想定します。プツリと壊れたのではなくゆっくり壊れたのが気になります。むろんまだモーターは回転しています……最近、クレーム処理がTVで番組化されました。商品開発や改良にはクレーム分析が有効といいます。

小林製薬のトイレの洗浄剤ブルーレット、これが早く溶け出すというのです。洗浄剤が溶けて便器を洗うのだから、溶けないとまずい溶けすぎてもまずい。程々に溶けて洗浄効果が出ます。むろん苦情は溶け過ぎを意味します。しかし苦情で受けても、理由が判らないのです。

そこで客の家まで見に行きます。その家のトイレに洗浄剤があります。洗浄剤といっしょに水槽には造花があるのです。造花は水の流れをしきって水を貯めます。その水に洗浄剤が浸る……その時間があって洗浄剤が流れ出したのです。

私、意識的にやった訳ではありませんが、シェーバーが壊れた時にクレームをつけました。
「スイッチ部分が壊れた模様です。構造な問題にあるのではないか? しっかり作らないと、もう買わないよ」それでシェーバー会社は壊れたシェーバーが欲しくなったのでしょう。

交換しろとは書いていません。交換するとは思いませんでした。でも考えてみると、そう書いたのと同じ事になります。スイッチは時間をかけてゆっくり悪くなったのです。つまり扱いが悪くて壊れたのではありません。原因は見えていたのです。

水流歯ブラシのノズルに何かつまったのではないか……とするなら交換ノズルを買えばいい。いえノズルの先から何か差し込めれば、詰まった物は外れる可能性がある。後は簡単です。プラスチックの糸というか針金状の物を、先から差し込んでおいてノズルを水洗い。

ノズルの先の方から息を吹き込んでみます。出ました! コーヒーの粉が2粒、砂のように詰まっていたのです。ノズル代が浮きましたね(笑)メーカーに「こんなん出ましたけど」指摘されて恥かかなくて済みました(笑)

悪いたって私が悪いのは、やはりパッとしません。

2008年1月30日 (水)

映画「アース」

環境保護を訴える映画です。自然の動物たちを次々と出して、その全体像から地球の危機をいいます。誰が見てもキレイで、どうやって撮ったのかと思うほど。ただ似た映像はすでにTVに流れているので、あまり珍しくありません。

よく見るとガゼルを追うチーターの姿を天から撮っていて、ヘリが動員された事が判ります。ガゼルの仔に目をつけたチーターのクローズアップになっても画質が落ちません。高級機材をつぎ込んでいますなあ。TVとはそのクオリティが違います。

それは主張の迫力にもつながる、ト思われるでしょう? 残念ながら期待には沿わない。ガゼルの仔とチーターの命がけの走りは、この映画の華ですが主張そのものではありません。環境保護の説得力を期待すると外されます。

水と光があって植物が育つ、植物を食う虫がいて、鳥がそれを食べる……つまり命の連鎖はバトンのようにつながっていて、最後がチーターになります。チーターというと早く走り強者の代表のように思われますが、走りだけで肉食獣としては決め手に欠け、さほど強い訳ではありません。

その走りさえガゼルの仔と互角であり、圧倒する訳ではない。チーターがなぜガゼルの仔を狙うか? 走りで親ガゼルに勝てないからです……そんなバカな、おっしゃいますか? 私たちは勝手な思い込みをしています。

たとえばスマートさと猛獣性というか両立しないのです。草を食べるガゼルは逞しく群れを成していて、ガゼルを食べるチーターは絶滅に瀕しています。チーターの好きな男性もあれば、子持ちのガゼルに共感する女性もあります。映画は両者に歩み寄る映画でなければなりません。

西洋人ほどは、日本人は肉食動物に共感がない。いえ私の感覚ではそう思います。少なくともお母さんと子供が見に行く映画ではない。写真の白熊が西洋では受けたそうです。私たちが見るとピンとこないでしょ? そういう所も私たちからはミスマッチです。

西洋人である米国の感じる自然と、日本で感じる自然では隔たりがあります。アフリカでヘリを使って撮った映像は、一応キレイですが繊細さには欠けます。日本の自然は、もう少しデリケートかつ逞しい。自然そのものがよく出来ている。おかしな言い方になりますが、小さな生物やその種類の多さは米国の比ではない。

私は野良猫に死んだばかりの鳩をやった事があります。異様に目を光らせ鳩の首を噛み、肩にかたげるように持つと、猫は誰も来ない空き家に鳩を運びこみました。いつにない足取りと、興奮に満ち逆毛立った背中は、ある意味で自然の逞しさを感じさせました。

チーター好きなお父さんには逞しく見せなければならない反面、お母さんや子供に食肉の場面を見せられない。映画は半端な形でまとめるしかありません。誰が見ても満足する映画は、誰も満足できない映画になってしまう。

環境というもの自体がどこか遠くにあるのではなく、身近な塀の上の野良猫の瞳の中にある。そういう意味ではTVの動物番組も捨てたものでないと気づかせてくれます。

ナレーションを渡辺謙さんがやっています。「みんなが自分の出来る事を見つけて環境破壊を止めよう」と意味のことをいいます。それで間に合うか、合わないかですね。間に合うといいのですが……

2008年1月29日 (火)

そして私のこと

Webで相手を募って心中するのが流行った事があります。いや今もそれは行われているのでしょうか? 一人でも相手がいると決断後の迷いが許されず死につながりやすい……裏返すと決心がつかない人は相手を求めます。

高校教師というドラマは一番大事な約束を破られた男と、実父に関係を求められる娘の話です。妥協に歩み寄る余地はなく一方的に父が悪い。また約束したのが大学教授であり、不履行からは一番遠いと思われた人の不履行であります。この構図は学園紛争と似ます。

学園紛争というのは学生が不満をのべたのではなく、大学側が莫大な使途不明金発覚から始まります。授業料だけのことをしなかった大学側の責任が問われたのです。しかしだんだん、それがそうでなくなり、本来は被害者の学生が悪い事になって行く。

ニューミュージックというのは森田童子さんにしろユーミンにしろ、弱者が原因者として追い込まれて死んでいく。ないしは本来と違う生き方を迫られる、その反映として生まれる傾向にありました。その経過と構図は今も変わらず、もう少し続きそうなのです。

ご存知のように年金問題というのは厚生労働省が悪いので、国民の誰かが嘘、偽ったのではない。間違うはずのない国が間違った、いえ厚労省だけでなく、他にもまだ問題が出てきそうです。紛争になるかならないかは知りませんが、やはり悲しい目を見る人が出て来る気配です。

ユーミンの場合は必ずしも自覚的でないのですが、森田さんは悪くない人の無念を歌にして弔う、はっきりした意志があります。それは感傷的とか幼いとか批判も出来るのですが、自分以外の者のために作られる作品は強いのです。

まして原因が残り、今からも続くような継続を孕む場合に、すさまじい切迫力を持ちます。あまり肯定的に響かない音楽の前で、なぜ私たちは逃げられない力で捕えられるか? おっと、この先を言うのは野暮かもしれません。

音楽には仮死の意味もあります。本当に死ぬより仮りに死んで実際を生きた方がいい。この3日の原稿の参考に、使ってない他の歌も再度聞きました。岸洋子、長谷川きよし、山崎ハコ、中島みゆき……ここに出していいか聞いたら快諾されたアッシュやまださん、ごめんなさい使いませんでした(笑)

Youtubeには驚くほど沢山の音楽がありました。アッシュやまださんはホームページでMP3での公開をされています。私の原稿に共感、反発される方がありましたら以上を参考に、お書き下さい。

2008年1月28日 (月)

ユーミンのこと

ユーミンのことなら私より知ってる人は一杯おられるト思います。「荒井由実というのがつまらんプチブルな歌、歌って……」中央大学のキャンバスで、そんな噂が流れた事があります。いつの話か、学園紛争の余韻の残った時のことです。

曲は悪くないのですが、私には気に入りません。いえ私の感性はよくないのです、そのよさに気がついたのは3枚目のコバルトアワーからです。最初のひこうき雲は夭折した友人を歌ったとされ、その死に「幸せ」の形容をつけて注目されます。

詩から見たユーミンは、私には特別に見えません。しかし「空がとっても低い、天使が舞い降りてきそうなほど」という感性は凡庸ではなく、ギターをかき鳴らすフォークは、やがてユーミンの前に色あせて行きました。

プチブルと評判されたようにユーミンの華やかさは徹底した物で、アルバム写真の道具に使うピアノにこだわって……ひどく高価なピアノを借りて来たそうです。しかしそのピアノは音がいい訳ではなく、あくまで写真に使われたという話です。

その頃、私は書いたように死を体験し、写真のピアノはバカとしか見えません。yマハとスタンウェイのピアノの音の区別つきます? フォークとニューミュージックの違いというのは、たとえばですが、写真にではなく、いい楽器を使うって事です。

「白い坂道が空まで続いていた」と言う詞で、道を駆け上がるように友人は死んで行ったト、歌うのです。私はそんな風には死ねないだろうナ、と思うのです。ユーミンは後にリイカーネーションとか言い出す人で「やはり、そうか」と思う訳です。

「ストーブ代わりの電熱器、赤く燃えてた」そう森田さんは歌うのです。明日死ぬとしたら電熱器だって暖かい気がします。多分、今、電気屋に行っても電熱器は売ってないでしょうが、若い人に電熱器は理解出来るのか?

その辺のリアリティに不明を感じる詞を、学生運動でも何でもない風景に甦らせてしまう力は何なのか? それは愛の失せた二人を翳りゆく部屋と呼ぶ感覚と似ています。だけど死は相手ひとりとだけでなく、すべてと決別することです。

愛が失せても生が残る感覚は、健常でなくなり死にはしない状況と似ているかも知れません。生き残った私は、昔のどこにも似ていない私と直面していました。だから言葉の不正確さと足りなさは気になりました。そういう訳でユーミンが気に入りませんでした。

2008年1月26日 (土)

森田童子のこと

森田童子さんの「僕たちの失敗」がTV画面から流れた時は驚きました。現役時にその歌を聴いて、ひどく迷った末にLPを買いに行きました。いえ最初にラジオで聞いた時は録音していて、それを何度か聞いた末に、私は一度、買わないと決めたのです。

好きというには暗すぎる。どちらかというと嫌いという方が正しい。聞きたくないのに買いに行く気持ちは、お判りでしょうか。あらかじめ止めたいのです。どこかで止める口実を探しながら、止められない続けていくのです。

「森田童子って誰?」誰かが間抜けな声で聞きます。
死んだ子供の戒名を意味する芸名は、そのままでは通用しませんでした。
――アグネス・チャンがサングラスかけた時の芸名だよ。
私のギャグも、だから一発目は決まりませんでした。

森田童子のLPに物語をつけた作品を出しました。「一日だけの喫茶店」で使ったのです。大学紛争に新しい催涙弾が打ち込まれ、学生が顔に怪我をする話で、全くの小説でした。これを森田の音楽と重ねると妙なリアリティがあったそうです。

いわゆる歌謡曲は嫌いで、例外的に聞いたのが森田でした。フォークは聞きましたがニューミュージックは聞きません。森田はシューベルトを聞くような感じがしました。同じような副作用もあって聞きすぎると陰鬱になるのです。

LP4枚目はもう買わない。極力、聞かない方針を立てました。しかし茶店で取り上げた事で、話題にされる事が多くなって、
「4枚目以降を持っている。3枚目までのとコピー交換しないか?」という申し入れがあって決心は変えられてしまいます。

若者が希望を持つという事は、昔、当たり前の事でした。先が見えるのは中年以降でした。それを失望とか絶望とか言ったのです。大学紛争で一瞬のうちに失望し、絶望した世代があって、それを歌と歌で再構成したLPアルバムがマザースカイでした。

結局、森田は7枚のLPを出して引退します。学生紛争は時代を終えるのですが、青春の失望や喪失感に終わりはありません。ドラマ高校教師は、森田とは違う時代の喪失を大きく訴えました。主題歌となったCD「僕たちの失敗」は、レコードの10倍も売れたのではないでしょうか。

「蒸留反応」や「たとえば僕が死んだら」を若い人が歌っているのを聞くと、歌は残るものと思います。あらかじめ失われているとしても喪失がありPTSDが残るとは想いもしませんでした。忘れたくはないが思い出したくもない日々の果てに、帰って来ましたなあ。

私が身障児になった時、世間の常識では頑張れば何とかなる事になっていました。トラウマという言葉もPTSDという言葉もなく、森田に歌われる世界は否定すべき世界としてありました。喪失とは何かが理解されることはありませんでした。

森田を聞く自分を私が否定したのは、それと無関係ではなかった。ただ書いたように副作用があるのも事実でして……大ヒットの時も森田童子は再び出ては来ませんでした。私は密かにほっとして、でも歌はスタンダードとして残りそうです。

今、青春は始まりも終わりもなく一瞬に消える物になりました。喪失の悲しみについて云々しなくても、何でもいい森田童子さんの曲を1つだけ聞けばいい。そう説明すればいいのです。Youtubeの森田さんは絵までついて音質も、そう悪くない。

2008年1月25日 (金)

A3で作る弱視用の紙面

紙の「かけはし」94号が出来ました。今号から視覚用A3版(写真奥)と普通A4版(手前)の両版対応となります。むろん内容は全く同じ、サイズが違うだけです。弱視の方に向ける物で、お知り合いで読みたい方が、もしありましたら郵送を検討します。

後期高齢者医療制度、インフルエンザ予防注射、ゴッド・ハンド〜現代医学へのアプローチ〜、魍魎の箱の試写、陳列ケース、ロフストランド・クラッチとカナディアン、似ている人、駐車禁止除外許可書などを掲載しています。(ブログでは、すでに発表)

弱視の人に向け是非伝えたい、特別な内容ではありません。このA3版「かけはし」が出来上がるについては、若干の経過がありまして、インクを提供された方にもお礼も十分とはいえず……こうして出来るか怪しんでいた訳です。

こんなの出来ました、見えますか(笑)あべっちさん!
こういうの作りたい方も、居られないでしょうが、製作法を書いて置きます。hp1125cの取説、マニュアルはまだヒューレットのHPにあります。ダウンロードして下さい。

プリンタ・ドライバーはウィンXPに標準装備されています。つなげば自動インストします。ダウンロードの必要さえありません。最近A3プリンタは少なくなりました。A4とは少し違います。やり方はいろいろあるのですが、私は用紙設定を先にしました。用紙サイズ→ A3を選択。幅297長さ420、縦を選択。

これくらいで紙面はいっぱいに、なります。これにワード文字サイズ地の文で14、見出しで24くらいのサイズで書いています。ただ私のプリンターは下方の行でズレます。上はほぼこれでいいのですが、下方の行は書き出しの最初の一字が切れますね。まあ、少し余裕の設定を。

以上のワープロ文書をA3用紙に、そのまま印刷すればA3文書になります。あ、いけない。印刷のタグを開いて右下「拡大/縮小」の下の方「用紙サイズの指定」A3指定を入れて下さい。これを忘れるとプリンタはA4サイズで印刷します。

次に原稿A3文書2ページ分をパソコン内に用意して、同じく「拡大/縮小」の「1枚あたりのページ数」指定を「2枚」に入れて下さい。プリンターはA3の右左にA4サイズ、袋とじ印刷をはじめます。ただ紙の中央ではなく、右に寄っています。

この辺が今、私の頭痛い所、中央にならないんです。それでも一応写真に出したように出来ます。

(やぼ用により明日は休載します)

2008年1月24日 (木)

恋愛小論

健康のための恋か、恋のための健康か? どっちを選びますか? 選べるとしたら……とあるフリーペーパーが「恋愛と健康」のコラムを出しています。男は空腹時に、つまり危機的な状況によって性欲を高める。対応する女性は違う。

女性は満腹、つまり満たされた時に性欲を感じるトいうのです。脳内での位置と大きさには性差があり、ほぼ逆の構造になっているというのです。まあそうかも知れませんが私は気にしないでもいいと思います。

この性差論では、だから女性は失恋するとやけ食いの満腹感にすりかえる。心当たりはありますか? そういう風に現実と結びつけます。リアリティがあるのは最後だけで理屈がどうだろうと私は困らないのです。むろん性と恋愛の関係は否定はしませんが……

私の場合、直結している訳ではありません。性欲の起こる場所が脳のどこだろうと大きかろうと小さかろうと、そこで性欲を感じる他はありません……あなたは自分の感覚、自覚できませんか? 恋愛と性が直結していますか?

恋愛は時代によっても大きく変わるので、ギャオで高橋恵子さんの「遊び」という古い恋愛映画を見ると驚きます。恋愛には動機があって、本人に意識されないだけと判ります。脳の中がどうのこうの言う前に、恋愛以前の本人のしたい事が先です。(上映期間終了)

映画の中で主人公は家族のための生を止め、自分のための生を広げようとします。その別れと出会いの意味が描かれます。比較して脳の中の性はサルと一緒にしての話です。あなたセックスしたくて恋愛してますかぁ? 多分、少し違うでしょ!

たとえば家を出るための恋愛。家族と引き離して欲しくて、男に協力を求める、そんな打算的な、ト思いますか? 映画衣装のワダ・エミさんがそうだと言っています。着物屋さんの実家からの脱出は大変だったそうです。いや精神的な意味で……外側に引力を作って引いてもらった。

和田勉さんとの恋愛はそう機能したのです。そこは高橋さんの映画と同様です。家の外にいる協力者は何かにつけて有効な物です。恋愛はその別名ではないか……そこまでは言いませんが、脳の中の仕組みというより判り易いでしょう。

むしろ現代では家を出る理由が見つからない。家出だけでなく何かしようという、その動機が見つからない。子供が欲しくても犬か、猫でごまかせば、その方が手っ取り早いし、フィギャー人形で紛らわすのも安全ですよねえ。うっかり恋愛は出来ないのです。

このコラムの作者は出典を上げてはいますが、サルでの実験をしたようにも見えず、体験があるようにも見えない。第一、健康のための恋愛か。恋愛のための健康か、優先順位も怪しい。尻尾を追っかける犬のようにドウドウ巡り。

「遊び」の監督はこの後、TVで山口百恵さんの赤いシリーズを作る事になります。命を懸けて惜しくない恋って、昔々あったみたいです……つまりその、その監督って男だったんです。コラムの作者も正しいか? 本日もお後がよろしいようで。

○増村 保造(ますむら やすぞう、1924― 1986年)
○ワダ発言は講演会でのもの。

2008年1月23日 (水)

カワセミを見る

カワセミを見ます。東京では滅多に見ないというので、見たら人に言ってはいけない不文律があるそうです。熊本市では、そこまではありません。水の名所のどこそこで見かけた話がWebサイトに出ています。ただ私が見かけたカワセミは、もっと普通の川です。

カワセミはホバーリングして空中の一点に止まり、それから川面をなでるように飛んで、やがて見えなくなりました。後には青も黄もない黒い水面が残っただけ……カメラを取り出す間もない短い時間です。後には何も残らなかった……

そうではなく、見る前より風景と一体化した自分に気がつきます。カワセミを見かけると、誰でも自然愛好家になりますね。
「川にゴミを捨てたらイカン」
「岸辺で掃除焼きをするのは、もっとけしからん」なんてね。

「友達の友達はアルカイダだ」と言った政治家がありました。蝶の愛好家で、蝶つながりでの友達の友達でした。
「これからは自然保護が……」トッチャン坊やの政治家が言う事に違いはなく、それはマアそうなんです。言うタイミングがよくないだけでしてね。

そうかと思うとアルピニストが富士に登山をして、
「富士山をもっとキレイにしよう」と言い出します。それもそうなんです。
「戦争しているお金と時間とエネルギーを……」環境保護にというのです。確かにそうなんですが、環境の優先順位は高くはない。

子供がまた朝飯を食わない。会社の業務内容は怪しく、取引先は気になる事をいう。満員バスに揺られて帰る我が家に、川の見える隙すらない訳でしょう。私もわざわざカワセミを見に車を走らせた訳ではなく、政治家も蝶を主張するために記者会見した訳ではなく、アルピニストは戦争反対に山に登る訳ではありません。

むろんカワセミに罪がある訳ではないのですが、どうだってイイじゃあないかと思ってしまう。名所のカワセミはもう少し持つでしょうが、この川のカワセミは先行き怪しい。いえそう思ったのです。10年後はないような5年後もないような……どこか自分の鏡のような。

センチメント。あなた最近、空を見上げた事はありますか? 川でもいい海でもいい水面を見た事がありますか? アルピニストは戦争なんてやってられないトいい。で、政治家が真顔で環境を言います……そう私もカワセミを見たと言いましょう

2008年1月22日 (火)

藤岡式コーヒー

藤岡弘、さんのコーヒーがYoutubeに出ていて、私のブログ記事にも閲覧があります。藤岡式を、もう一度見て気がついた事があります。それ書きたいと思います。藤岡さんは抹茶を点てるようにコーヒーを茶せんで混ぜてしまうのです。

茶せんがありませんので買おうかとも思いましたが、推論で間違いないと(笑)実験はしていません。あれで酸化が進む。酸化というと悪いようですが、コーヒーは入れたてが美味しいとは限りません。何杯分か作って30分後に同じ物を飲んだら、そちらが旨い。

そういう事もあるのです。入れ立て最初の頃も飲んでるので、比較も簡単です。これは置いてる間に同じコーヒーが酸化、空気に馴染んで劣化したのです。茶せんが同じ事を起している、そう推測されます。

先代の林家正蔵さんがコーヒーが好きだったそうです。喫茶店に行くとあらかたを飲んだコーヒーカップに一口残す。別に追い立てをけん制している訳ではない。帰り品にすっかり冷えた一口を飲み干して席を立った。それが粋という説明ですが……

その一口は空気と馴染んで、最初と違う味がしたんです。一口にはコクが出ます。冷たくなっているのは難ですが……それで藤岡式にもどりますが、なぜコクを狙うか? ペーパー式でしかも湯をチョビチョビ入れてます。ネル式もですが湯には適量があります。

湯の表面にアクを浮かせ、アクを中に落とさない。チョビチョビではアクが落ちてしまう。それで最初の方を捨ててます。いっしょに一番濃い所を捨てるんですから、出来上がり全体がどうしても薄くなるんでしょう。

相対的には物足りない。それで茶せんで混ぜて補う。全体ではバランス取れます。面白いですねえ。茶せんを持ってる人が誰か実験しませんか? でも匂いがついて後は使えなくなりそうです。人の茶せんでやると怒られますよ。

コーヒーを強引に茶道に結びつけたあたり、個性的な解釈と思います。でも逆に不安の強い人なのか? お母さんが茶道やられていて影響なのでしょうが……私の場合、いい加減というか出たトコ勝負というか。一度、水切り網とキッチンタオルで入れました(笑)

○先代林家正蔵さんは林家彦六の方が通りがいいようです。

2008年1月21日 (月)

オーラルケア

オーラルケア、歯の健康は確保できています。水流噴射式の歯ブラシと電動歯ブラシの共用がうまく行ったかト思われます。他にはクラレッツ等のキシリトールチューインガムなども必須アイテムでしょう。左が最近の治療票です。

水流式はまずナショナルDoltz、パナソニックに変わるのか? EW1211は使い方が悪くて水が飛び散る時期もありましたが、要領を飲み込んでからは水を入れる時にゆっくり入れて、ゆっくり縦にして問題はなくなりました。

慣れない間は水が歯に染みてました。続けて行くうちに指導票も「歯ぐきがひきしまって」となり、染みなくなりましたね。一万円弱(今も7000円か)、地味ではありますが使えば効く水流ブラシです。電動ハブラシは同じくEW1013、5年前の初期の型で、もうありません。

音波振動型スピード調整のついた高価な方を買ったのですが、このモデルは充電部に不良を出したそうですが、私のは何ともないです。通常は充電しないで電池が上がってから、週1程度に半日程度、充電するようにしています。危ないと聞いて意識的に。

今は1万円くらいのEW1045が人気ですって。口内に微弱電流を流してイオンで歯垢を取るヤツ? 調べ始めると、だんだん買い換えたくなります。しかしまだ変えません(笑)5千円以下の安いのも回転式のもあるようです。

忘れてました。歯間ヨウジは歯科が指導しているようですが、このヨウジは指導されなくても使える所もあります。ところが私の行く歯科でもフロスの話題が上らず、あまり使う人は見かけません。私は、いつフロスの使い方を覚えたか?

多分、映画ではなかったか? はっきりしないのですがフロスのメーカーはクリニカがよいと思います。25センチくらいに切って、両端を結んで輪にします。終わったら洗って使い回します。左手の人指し指で1回転させ、数珠のようにかける。そのまま右手の人指し指にも1回転させる。

人指し指と人指し指が数センチ間隔がフロスでつながりました。この間隔部分を歯と歯の間に押し込んで掃除します。右手の指を口内に押し込み、左手の指は外側で、人指し指と人指し指を操作する訳ですね……判らない? じゃあダメです!(笑)伝わらない。

言葉にも限界があります……こういうのの使い方には個人差があって、あまり効果が判らない。口臭のある人、ない人。それを気にする人、しない人。注目する人しない人と、差があるんです。電動歯ブラシは売れない店はさっぱり売れない、見切り特売だと安くはなるようです。