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2007年12月21日 (金)

教えありて

買物依存には私は遠いようで、昨日以上の説明は出来ません。私は店内をフラフラ歩いても何も買わないで出てきます。たとえばカーステレオのFMトランスミッターを買う話で、それは具体的にしました。あれはトランスリミッターともいいます。

判らない分野はカルト宗教と恋愛で、あまり落ち入った事がないのです。犯罪小説の高村薫さんに何やら惹かれると思ったら、あの人、家がお寺で学校がキリスト教だそうです。お母さんが仏教に嫌気がさした人だそうで、ご自分は宗教全体に嫌気がさしておいでです。

最近は中近東付近の戦争で高村さんならずとも、カルトから普通の宗教にまで、うんざりした人もあるかと思います。身障者はカルト宗教には狙われる傾向にあります……確かに精神的に弱い部分を抱えた人も多く、採算ベースには乗せやすいらしい。

本人を乗せやすい。その家族や友人を乗せやすい……タレントじゃありませんから広告塔にはなりませんが、陳列ケース位にはなります。
「あんな人が幸福になれるなら私だって……」と健常者は思われるかどうか知りませんが、まあ陳列ケースです。

カルト宗教というのは下駄を預けてしまう事です。
「いやあ最近、靴ばっかりで下駄を履かない」と減らず口をいう人があります。そうではなく大きな不安、心配事を持つという事です。どうしていいか判らない。たとえば私は人工股関節への手術がありますが、これは何時、何処でしたものか……正解がない。

誰に何を聞いても、どれも答えになりません。占い師は北でとか南でしたらいい、言うかもしれません。医師は自分が手術すると言うかもしれません。カルトの教祖も何やらいうかもしれません……従ってもいいが、当てになるやら、ならないのやら。

FMトランスミッターは適当に買えばいいのですが、股関節は買い替えが利きません。判断つき難い。そういうのを下駄というんです……財布に小銭が入っていても余計な心配はしませんが、大きな札は無くしそうで心配です。通帳をポケットに持っていると、なお心配です。

通帳を預かってくれるのがカルト宗教かも知れません。いえ私の友達は施設から出てきて、初めて選挙に行く事になります。
「誰に投票したらいいか判らん言うたら、投票相手を教えてくれて、タクシーで投票所まで送迎してくれた」そうです。

それが何とかいうカルト宗教だったと思いますが、よくよく聞きそびれました。そういうのも下駄を預けたんです。結婚相手を教祖が決めるカルトもあったでしょう。信者同士で納得して結婚するんでしょ……そういう訳で大きな自由を持て余す人がいます。

私も持て余しているのでしょうか? 高村薫さんの犯罪小説が心を打つのは、主人公がひとり誰にも下駄を預けないで判断を下そうとする。高村さんも偉い、ある意味で反面教師になった宗教もエラいもんです。

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コメント

僕の場合ですが・・。原始宗教というのは集団的なものでしたが、基軸宗教(仏教やキリスト、イスラム)になってからは、本来は個人的なものだと思うんです。カルトは集団ですね。僕には向かないなあ。 hataさんにも向かないでしょう。自分を持ってる人は信仰は持っても集団にはならない。ところで恋愛は??  まだまだ大丈夫じゃないですか! 深入りしてください(笑)

アルコール依存症の話をしていて、そこでカルトや恋愛は一緒という展開があったので、これを思いついたんですが、恋愛編もスタンバっています。結論が出たようだし、当分、流行らないと思いますけどね。大体、思ってない方向に行きますね。おたく大変そう(笑)気がついたのは、相手方のブログアドを出してあげないと私なんかわかりません。そういう読者もあると思います。

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