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2007年10月27日 (土)

書評「陽炎日記」木尾士目

木尾士目さんの恋愛マンガは最初にネットカフェで読みました。あれは4年くらい前か「5年生」の5冊です。ちょっとドロドロの話でした。木尾さんを思い出して買ったのですが「陽炎日記」がデビュー作らしく内容は素直です。

一口に恋愛とはいいますが、初めて親を離れた男女のやり取りが、ここでのテーマになります。日本の古い小説では許婚とか古馴染みとか、子供の時からの知り合い男女というパターンがあります。無論、成人後に知り合う男女パターンもありますが……

まず性のない関係があり、その延長に性が入る。関係の基盤に性はないんです。比べて後者は、人間ではなく性に魅かれるのが基本になります。まあ前でも後でもいいでは、言われる方もあるかと思いますが、私は漱石なんぞ読んでいると「この人は……」と思うのです。

谷崎潤一郎と比較するとよく判るのですが、谷崎は性が基本で人間性は後付けになります。荷風に到っては女性に人間を求めないのでは? とさえ思えます……木尾さんは精神的にも初体験の二人が何を原理に、どう主導権を取り合うか、問題にします。

美人で胸も大きい藤子は、女友達には経験者のように振舞います。が、本当は処女と、読者に告白します。木尾さんは、そういう所から物語を始めます。同性をライバルと意識すると、ステータスとしての異性が必要です。出来れば奴隷としての異性が欲しい。

訳知り風の須田という男生徒と、立候補してきたおとなしめの園川のどっちにするか、籐子は迷います。いえ、須田の方は、素直に立候補しない分が経験者のように見える。須田を男に出来れば、同性間で籐子の株は上がるはずです。

こう書くと物語のオチは見当がつくかと思います。須田と比較された園川はあせり、より積極的に動いて来ます。籐子もそれに合わせて動きます。親の目のない所では友人の目が優先される。心は自由に動くかに見え、人目によって間関係が決定されて行きます。

人間関係は相手があればいい物ではなく、自分の力で切り開かれ力として獲得される。漱石には、その認識はなかったのではないでしょうか。荷風の認識も裏返された漱石であって、荷風の相手は玄人女性に限られます。

谷崎のスゴさは人の奥さんに惚れて、女性のみならず男性とも交渉して、その奥さんを譲り受ける所にあります。何がしたたかな人間力かといえば、それは漱石より鴎外、鴎外よりは谷崎、そういう事になります。では木尾さんは漱石よりスゴいのか? そうはなりません。

キレイごとじゃすまされない、本音で語る恋愛のカタチ。
進むか戻るか心は揺れる。陽炎のごとく、ゆらゆらと――。
……これが陽炎日記のキャッチコピーです。

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