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2007年9月

2007年9月30日 (日)

TV対処作戦

多分どこでも同じように言われている事と思います。
「TVがつまらない」というんですよね。普通、これは苦情のうちには入らなくて、どちらかといえば個人的な感慨になる。そう思っていました。が、まあ、一般にもそういう事あるみたいです。

私はワープロを買ったあたりから10数年ほど、TV局やラジオ局のモニターをやりました。それがある年に全部落ちたのを機に、止めてしまいます。ふと気が付くとTV番組がどの局もつまらない。モニターの仕事で、どうしても執拗に見ます。すると飽きるのも早い。

各局応募して浮いたり落ちたりしますが、多い時は3局、月間で20本以上の評を書きました。たいていの番組はビデオで2回以上みます。元々、好きで始めましたが、これは見過ぎなのです。その結果として面白くない、つまらなくなるのです。

それは目が肥えたせいと思っていましたが、TV番組は質が低下しています。何を引き合いにト考えますが……古畑任三郎シリーズは傑作ですね。あれは最初に低予算で、実験的な内容でした。登場人物を極端に少なくして、予算を削っています。

ただ脚本が大変で量産不可能、犯人俳優を誰にするか。これも難しいと思います。演技力の水準が高い。なぜなら探偵と犯人の会話だけで45分を持たせていますから。お手本となったコロンボも、ここまで実験的ではなかった。

こういう脚本も数本は出来ますが、だんだん荒くなって行きます。レギュラーメンバーを増やしたり、衣装や小道具に金をかけて、間口も広がります。それでも第3シリーズはつらい。番組は最初、犯人役は嫌がられたそうです。

第2シリーズになると有名俳優がこぞって犯人で出て来ます。それでも内容的な水準は、回を追うごとに下がって行きます。これはすべてのTV番組がたどる宿命です。たとえば、これも傑作といわれた「木枯らし紋次郎」シリーズにも似たところがあります。

「高校教師」も続編がありましたが正編には及びませんでした。多分、今後3本の傑作を凌ぐTVドラマは出て来ない。残念ですが、これ言えますでしょう。TVは夜明けから昼を過ぎ、夕暮れとなって行きます。いくらデジタル化されても、この時間帯は変わらない。

モニターの話にもどりますと、モニター料は年々安くなって、あまり魅力がなくなって来ます。ビデオで何度も見る気持ちにもなりません。何を意味するか? つまりTV局も儲かっていないのです。CM料が下がっている。

デジタル化すればTV局はさらに増えます。1局の視聴率は下がって、製作コストも下げられます。CM放送料も、なお下がります。面白いドラマ、ドキュメンタリー、丁寧なニュース番組は消えて行く運命にあります。

アナログTVが映らなくなったら、TVは止めませんか? 残念ながら止めた方が賢い。デジタル化したTVは映りがよくても内容がつまらなく、価値は年々下がって行くでしょう。私のTV対処作戦の根拠、理屈はそうです。

2007年9月29日 (土)

死への恐れ

「真景・累ヶ淵」を聞いていると、どうも只者ではない気がします。演じている歌丸さんがそうか、作者である円朝がそうか。その辺は詳しく判りません。主人公、新吉は悪人ですが、他人を頼りにしない所があり、それが徹底して、どうも円朝の造型のようです。

円朝は子供の頃から親と別れ、他人の中で成長した。一種、大人の目で世間を見ることになったようです。細かい指摘をしますと、老人が亡くなる。今際の際の人は体調が悪い訳であり、周囲にも静かにして欲しい。

ところが長屋の人々は、この老人の縁者に連絡した物かしない物か、それを老人の枕元で相談する。むろん長屋の人からすると当然な訳です。この辺は自分が死にかけるか、死にかけた事のある人を見、確かに聞かないと判りません。

21才でその辺に精通して、神仏の救いをいっさい出さないのも見事です。脱線しますが世間が言うのは坊さん、けしからんトいいます。坊さんの奥さんが死んで直ぐに愛人を後妻に入れたとか、台風で寺が潰れた時に、寄付と保険金を両方取ったとか。まあ、その手の話です。

普通の人にはある事を、坊さんにだけにやって欲しくない。あれは檀家というか、信者の勝手です。死からの救済を求めるあまりの事と思われますが、坊さんも神父も牧師も商売、営業をするだけですから普通ではないでしょうか。

死ぬ時には何もあてにならない。欲望は生きる間は消えないが、死ぬ時に消えていくのです。この認識は正しいと思います。だが生きている間に救いが欲しい人がある。すると、それがあると言う人がある。で、売買が成立する訳です……私、それ以上は知りません(笑)

私は一度、死にかけた人です。だから他の人より死を知っています。むろん死んだ事がある訳ではないので、少し余計に知っている程度であって、本当に全部、あらいざらい知りません。厳しく言うと判りませんが、ここの指摘は正しいでしょ?

法律でよければやってもいいです。ただ娘がいる時は後妻には傷付きます。親父不信は、男不信にも人間不信にもつながります。息子はそうまでない。少しはあるかも知れませんがね……保険はどうですか? 合法なんでしょ? ただバレたら信者は離れますな。

バレたら仕方がない。そこは自業自得でしょ? ただ立派な宗教家というのか、いるんです。ミャンマーでは銃を持った兵隊、軍隊の前に素手で立つ若い坊さん、いるんです。あれは立派です……あれは檀家に向けても裏がない……頭下がります。

落語の根は死んでいく恐れです。怖いとか痛いとか嫌だとかいう感情です。実際には言われるほどは、ありません。心配するほどではないのですが、心配する人というのは、こういう落語を聞いてもダメでしょうねえ……いくら死ぬのを嫌がっても、やはり死ぬのですが、まあ……ねえ。

2007年9月28日 (金)

夜の水泳教室

お知らせです。
私が行っているプール、アクアドームの身障者水泳教室、夜の部にアキがあります。本日28日オープンの教室が10名定員で、3名程がアいています。日程や希望者の状態にもよりますが、すぐ受け付けられる場合もありえます。

今回に限らず日中の教室は詰まりますが、7時からの夜の教室は毎回アク、そういう傾向にあります。昔からそうですが、女性の受講者が多く男性が少ない。それは今もそうだそうで一つは夜がふさがり憎いと思われます。

ペタンク、ゲイトボールもいいのですが、水泳の方がリハビリ効果が高く、使用が無料と継続費用が安くなります。今回教室も8回シリーズを通して保険料500円だけ。動かない手足が、少しだけ動くように……なるかもしれません。

(笑)チャンスかもしれませんよ。行って下さい。

〒 861−4136 熊本市荒尾2丁目1番1号
TEL 096−358−2711
http://www.kc-sks.com/aquatop.htm
「教室」から「水泳」をクリックして

2007年9月27日 (木)

落語「真景・累ヶ淵」

新作で「怪談」という映画がありました。今もやっているのか? これが落語「真景・累ヶ淵」からの映画化です。真景というのは神経をもじっての命名です。「累」は何度も映画化されていて、私も昔に見た事があります。

子供の頃の記憶というのは不思議で、白黒映画の「累」がTVのCMの「怪談」に重なって行きます。怪談のほうは別に見たくないが「累」の方がみたい(笑)今や無理です。それなら落語の方の「累」のCDが聞きたい。それも無理でしょうか?

何しろCDは一枚ではありません。5枚に及びます。買うと一万円くらいはします……それほどは聞きたくはない。諦めていると図書館でDVDを聞いた、見たという人があります。もしかするとト行ってみると果たしてあったのです。いや「累」のCDが全5枚。

「累」は明治の落語家、円朝の作です。落語家になる前にあちこちで小僧、弟子の仕事をして21才の作とされます。旗本、深見新左衛門は金貸し皆川宗悦を斬りますが、その子や縁者たちは複雑な因果関係を繰り返すという。

いわゆる落語ではなく講談に近い、お話しとして物語が進行します。落語がブームとは言いますが、こういうCDは図書館の中にひっそり眠っている現実です。ブームからのファンは関心がいかないのでしょうねえ。

「累」は落語版でも複数バージョンあるらしく、桂歌丸バージョンで5時間弱。とても映画2時間に全部まとまる物ではなく、適当な部分をつまんで作品化されます。年増の豊志賀と未成年の新吉を描いた部分が、多く取り上げられ新作「怪談」でも使われます。

四谷怪談や牡丹灯篭と並ぶ、代表的な怪談です。(牡丹灯篭も円朝作)場面と場面の不安と恐れ、心理戦というか切迫感がバリエーションされて行きます。漱石は小さんが好きだったとされますが、こういうのも小説の原型なのでしょう。後の「猫三味線」につながって行くのだろうなあ、と思います。○猫三味線は当ブログに感想。

身障からみの描写は、女性の顔が腫れてお岩さん状態になります。流行の前世がヨーロッパ人で、人格や運命はそれで決まることは無論ありません。前世ということ事体がなく、アル中、ええカッコしいのなまけもの、神経からの悪事の連鎖として描かれます。ただ仏教の輪廻の影響は、因果としては残る気はします。

熊本市立図書館、視覚室にあります。むろん健常者でも借りられます。この他、朗読とか落語全集50巻のCDとか、MP3で聞くと楽しいですねえ。

2007年9月26日 (水)

書く側と読む側の間

木村さんの講演「再起可能」に限らず思うのですが、校正段階で専門家の必要があります。確認を取るべきと思う。木村さんが事故から直に行った病院は済生会熊本病院。ここは緊急手術が専門となります。リハビリ科はありません。

それで手術後、熊本機能病院に移ります。日数からは機能病院に長く居た訳で、気持ちが機能病院にあるようです。ある機械が機能病院にあって済生会病院になかったと言います。が、それを済生会の看護士さんに、機械はあると訂正されます。

木村さんが見た事は、見た通りではなかったのです。病院で患者は必ずしも全部を見れる訳ではない……そういう所が最近、増えています。福祉関係、身障者関係はクライアントの側からだけ見ては物が見られない。そういう事であります。

舛添要一さんの「母にムツキをあてるとき」で、Z会に行ったお母さんが何度も顔に怪我をします。これは意味慎重に聞こえます。Z会が暴力を振るった容疑がかかる。ただA子さん宅でも顔に怪我があり、お母さんは顔から倒れる癖とも……

ムツキ、おむつについては中盤から以外な事が判ります。舛添さんは一度しかお母さんのおむつを変えない。まあ嘘とは言いませんがタイトルに偽りですねえ。お母さんに対する愛情は偽りないものですが、本の主な描写はA子姉さんとの喧嘩になります。

話を校正にもどして疑問は、一般にもあります。看護士、療法士の見解の必要な部分を、多くの本は素通りしています。たとえばリハビリの描写があります。個人体験のリハビリとしては判るのですが、どの程度の一般化ができるか? 校正が入ればと思います。

私個人の場合こう、一般論ではここまで言える。そういう表現が欲しいのです。作者が自分で裏付けを取る事もありましょうし、出版社の方で裏を取る場合もあるでしょう。しかし多くは体験者の話そのまま出しています。役に立たないばかりか読んで間違ってしまう。

福祉問題が昔より一般化していて、誰にでも起こる事としてあります。それなのに私たちは専門書を敬遠して、読み易い本に手を伸ばします。舛添さんは大臣で、ある意味で専門家になったように見えます。本当は専門外、一経験者に過ぎない面も、面もあります。

悪いけど木村さんもそうです。アナウンサーが本職で身障者としては、これは浅い経験です。他の身障者を取材した訳でも医学、病院を取材した訳でもない。タレント本の延長です。これを機にそういった方面にも自分を深めて欲しいト思います。

また私たちも読解力を付けて専門書、ないしは良書を読まないと賢くなれない。ああ、面白かった。そういう本も必要でしょうが、しょうもない本はしょうもないです。読んでも何も残らないかも、かも知れませんね……これは一般論です。

2007年9月25日 (火)

プラスに考える

緊張があるのです。緊張はよくないト考える人もいるかも知れませんが緊張します。緊張を緩和しようと私は早口に話します。そうなるのです。考えてなるのではなく、ほぼ自動的に……木村和也さんがなって宮崎緑さんがなって、ついでに私もそうなります。


ステージに立ってマイクの前に行けば、意識前に心の状態が決定されます。少なくとも最初は緊張する。それを意識で操作するのは無理です。原稿を沢山用意するのを、プラス思考とは言いません。ただ、一定時間で沢山知らせる点では昨日書いたようにプラスかも知れません。

思考回路は半分以上、意識前に決まります。嘘と思う人はステージのマイクの前で、緊張せずに話してみればいい。出来ない事、そうですね。ところが前向きとかプラス思考とかポジティブ思考をいつも出来るかに言う人がいます。

普通、考えるのは意識です。無意識でも考えられる、そういう人は別です。Webで検索して下さい。たいてい矛盾があります。たとえば海に落ちたが漁船に助けられた。落ちた事を不運と嘆くより助けられた幸運を喜べ……それがプラス思考法と書いてあります。

嘘でしょ。船に拾われゴホゴホ海水を吐き出す時に、プラス思考は出来ません。船の上で一息つくか、陸に上がってからか。それから、ああ運がよかった……トこうなるのが普通でしょ。つまりプラス思考は後で余裕が出た時に、余裕のある人が考えた事です。

その最中、一杯いっぱいの時には前向きの前も後ろもない。木村さんも事故の直後、動かない腰を腕で動かします。手術後の体位交換は15分置きに看護士に頼みます。寝るに眠れない状況で、前向きには考えません。そして医師は99%、もう歩けないと言うのです。

骨は潰れている。ただ神経は切れてはいない。つながっているから1%、歩ける可能性は残るト言う。その状態は痛く、辛いのです。木村さんは、その部分の語りが早口です。すさまじく早い。

見舞いにお父さんが来られ帰られた後、そのお父さんから電話が掛かります。
「痛い、辛いはもういい」ネガティブな言葉を「見苦しいから言うな」そういう内容だったらしい。
「無理だ」木村さんはこの時、思うのです。

病状が違い状況も違いますが、私にも大筋で似た体験があります。自分の記憶もたどりながら会場で、このメモを作っていました。その時、私は11才で木村さんは32才、ほぼ同じ反応です。この日、会場内には目立った身障者はありませんが……

体験が似ていても身障暦が長くなると見方が厳しくなります。多分、一番聞かれたくない私に聞かれた。会場は経験のない健常者です。木村さんの言う意味が判らない。事件から6年が過ぎ、半分といえども健常性を取りもどした木村さんの、早口にならざる得ない理由とは……果たして症状が好転してからの口調は普通になります。

皮肉な事に、今の木村さんはこう言います。
「あきらめからは何も生まれない。1%でも可能性に目標を持ち、継続させること」との趣旨です。私はかっての木村さんのように思います。余裕のある時には可能ですが、ない時には無理でしょう。前向きの前と後ろさえ、その時には判らないものでしょうト。

中島虎彦さん(日本脊髄基金)書評
http://www.jscf.org/jscf/SYOHYOU/kimura.htm

2007年9月24日 (月)

早口の理由

23日の午前中に県劇でトークショーがあって、それに行きました。後半が木村和也さんの講演会になります。お目当てはそこでして出版本「再起可能」を私はまだ読んでいません。出版された当時、読もうと思ったモノの、それぎりになります。

人気の局アナ、事故から奇跡のカムバックという、大きく報道があり詳細に宣伝、私としてはまず内容が判りました。関心が薄くなった理由は他にもありますが略しましょう。それで講演は何度となくあったのですが行けません、行きませんでした。

とうとう行ったというとナンですが、まあ事実それに近い。23日も講演自体は知った範囲を超えないのですが、幾つか謎がありまして気になります。それをここに書こうというコンタンであります。まず講演が異様なアップテンポの話であります。10時半オープン、前半があっての後半。

終了12時半までのタイトな時間割に合わせ内容を詰め込んだからと思われます。が、それだけだったろうか、早口にまくし立てるのは商売で不思議というほどではない。そうも思いますが気になります。速さにメモも取れておりません。

私の話は緊張が、早さの原因になります。一応、原稿を用意しますが2割くらい量多く準備します。さらに本当を言うと、質問を想定してメモも準備します。1分間の原稿は400字1枚弱で、いいはずですが私の場合は、そのメモを入れ倍量の原稿になります。

このあたりどうなのでしょう。お前のような素人と木村さんのようなプロを単純に比較するな……いわれると思います。反論には即座に答えたい。私は宮崎緑さんの講演を私、聞いております。あの方も余計に原稿を準備する、ソンだと思うが仕方がない。趣旨の発言をされました。

プロアマは多分、関係がない。早い話は早い脳、頭の回転を速めないといけません。これが聞き手の頭も速くするんです。聞き逃す部分も出ますが、脳への刺激はよい結果につながる……つまりボケない(笑)そういう説もあります。

そういう訳かどうか? 木村さんは前半のトークショーより別人格のように早くしゃべり、やたら水を飲んだのです。これはなぜか、仮説と推理により面白いネタになると思ったのですが、字数がそろそろです。私はこのまま続けていいのですが、あまり長くなると付いて来れない読み手が出ます。

ブログというのはどこでも、もっと短い。ここだけです、ロクでもない事をダラダラ延ばしてネタにするの!(笑)それでは明日もお付き合い下さい。

ウィキペディア=
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E5%92%8C%E4%B9%9F

2007年9月23日 (日)

ふたつの「幸せのレシピ」

「幸せのレシピ」といっても占いの話ではありません。キャサリン・ゼタ=ジョーンズさんが来日してどうのこうの言った映画の話です。ゼタさんの役がコックという。ありがちというか「聞いたような話だなあ」ト私は思っていました。

先々週だったかBSに出たドイツ映画「マーサの幸せレシピ」のリメイクと聞いて、多分、出来が悪いだろうト予測しました。やっぱり悪いと下の方のWebに評が出ています。よろしく読んで頂くなり、映画を比較して見て頂くとして……ここは理由を追求したい。

何が違うのか大問題で、それを明確にしないで基本的に違うと曖昧な了解から始めます。性差、男女の違い。個人の性格の違い。育った環境、出身国が違う男女が出会い、まとまる。早い話、恋愛です。ヨーロッパはそういう格差に長く悩んでいます。

今や一つの国になった(そこまで言うナンですか?)少なくとも映画の趣旨はそのようです。実は主人公マーサは嫌な女です。だから相手が出来ない。親戚の子を引き取ってバツイチを気取っているけど、その女の子にも愛されない……本当はね。

でも主人公だし、露骨な表現はされない。そこそこ美人の俳優を当てて観客の共感を得なければ物語が成立しない。そのあたり監督と観客の暗黙の了解によって映画は成り立ちます。大人とは成熟したしたたかさの事です。

これをリメイクするとゼタさん当てるのね。ゼタさんでないと共感しない観客が子供なのか、監督の頭が悪いのか。今回だけではない米国映画は一律にそうです。判り易く旗を立てるような、毎回、お子様ランチ食わされる不快感があります。

大雑把なイタリア人と、神経質なドイツ人という組み合わせから何かが生まれる。もう、それしかないだろう。認識は正しいと思われます。古い日本小説は兄妹のような幼馴染が、どうしてこうしてそうなる恋愛事態が、変化を嫌うから何かは生まれない。

ドイツ料理でもイタリア料理でもない、何か違う料理を作り出そう。ヨーロッパは今回、弾けています。米国、歯はいいと言うのにハンバーグ、ソーセージしか出ない。突き抜けない。一本の映画がこんなに味付けが違う。矛盾が出てしまう。珍しい。

どうやらジェンダー意識を持つだけじゃ、問題は解決しない。ドイツ版は監督脚本が女性で、サンドラ・ネットルベックさん。マーサ役のマルティナ・ゲデックさんも演技に主張を包んで、私には見えます。何かを変えるエネルギーとは、自分自身が変わる事から生まれます。

「幸せのレシピ」映画評
 http://www.j-cast.com/tv/2007/09/20011525.html

2007年9月22日 (土)

コーヒー・ブレイク

それにしても暑い毎日です。黄ばみかけたイチョウが、落ちずに枝にしがみつく……こういう表現でいいのか。今月いっぱい雨もないし、このまま真夏日じゃないですか。秋は来月でしょう。プールの水も生ぬるいし暑い毎日が続きます。

どこかのバカが今年は簡単には涼しくならない、言ったんですネエ。予報士でもない癖に言い当てやがった。それでも今月上旬はよかったんです。これなら秋は早いだろう。それがコレでしょう。ひどいですよ。参りますよネエ。

いや知り合いの夫婦が揃って熱中症にかかりました。毎年の草刈を今年もやったそうです。今年は草が多いのに予定を変えないで、毎年と同じにやったら何だか変だ。そら変でしょうよ。気が付いたら二人、起き上がれないトそういう話です。

そろそろ今日のネタ? ありません! この暑さで腐っちゃいました。何もありませんヨ〜ォ。なしでダラダラ書きます。期待しても今日はない。何にもない……コーヒーも出ない。最近はMJBレギュラーです。あだなはアーミーグリーン知りません?

誰だったか評論家の誰かも好きだと言っていた……ドンキに行ったらタマタマ製造が新しくて特売だったので、缶じゃなく袋のキロ詰め。ちょっと量はありますがブレンドしなくともイケてます。ただ、トラジャは一粒入れないとダメですね。

それだけ、後は荒く挽き直す。これはうまいです。元がコロンビアとブラジル、ブレンドでは基本です。今はインドネシアに変わっています。酸味と苦味で相殺というか相乗というか……あ、植草甚一さんですね。

言ってた評論家、思い出しました。そうMJBのファンだったようです。酸味のコロンビアが6割ですね。ブラジルが4割、人によっては逆にされます。苦いの好きな人はそうです。いわゆるアメリカンのコーヒーは浅煎り酸味でMJBが元と思います。

豆を節約したコーヒーではないです。ヨーロピアンが濃く苦いカップの底も見えないから、比べれば色が薄く底も見える訳ですが、同じ豆をちょっぴり使って薄いのではない。ブレンドや煎り方から別物で、カップの底は見えても豆を沢山使って味は濃いのです。

これだけ暑いとホットコーヒーは誰も飲まないでしょうが……私? 私はホットです。もちろん……それにしても暑いですなあ。

2007年9月21日 (金)

角を曲がって

人生の曲がり角を曲がった時のことを覚えていますか? 何の話かというと、太った女性と腰を痛めた男は似ているトいう話です。どこが似ているか? 生まれつき太ることも、生まれつき腰を痛めることもない。彼らはいつから、そうなったか……

TVを運ぶ必要があって、そばの男性にお願いしました。
――すいません、TVを運んで下さい。
「私? ダメ、私は腰が……」話は長いのですが、以前に重い物を抱えてギックリ腰になって、それがトラウマになって重い荷物を見ると怖い……まあ簡単に言うとそうです。

火事場の何とか、本当に切羽詰ると怖さも何とかなる気もしますが、むろん無理は言えません。とりあえず他の人にお願いします。長い目で見るとですが、ギックリ男にも言った方がいい気もします。でも親しくないので、私は言えません。

話かわって、とある料理教室です。私は、その太った彼女の料理法を全部見ていました。それで気が付きます。彼女は油を極力使わない。大匙3杯指定で1杯しか入れないし、大匙1に対し小匙に持ち替えるのも見ました。私は言いそうになって言葉を飲み込みます。

多分、彼女は太るのが怖い。それで方法として油を控える事にします。ところが油を3分の1にすると料理はうまく行きません。何となくパサパサしたり焼け焦げたり、微妙な滑らかさが出ないのです。それでうまく行きません。

一人の時はともかく……いえ、不味い料理を沢山食べる事で誤魔化すとすれば、一人の食卓さえ危ない。これも類型的なパターンですからネ。絶対ではありません。多分そう。おそらくそう……彼女はドンドン太っていくのです。

それを私が言い出せるかトこれも難しい。飲み込んだ言葉はこうして、ブログで吐き出しています。人生の曲がり損ねた曲がり角は、次の角にも影響することが、ことがある。必ずではありません。思い当たる事はありませんか。

身障者が電気製品を買うとヤマダにも行かずジャパネットにもよらず、近所の電気店で買う事があります。だって車がなければヤマダに行けなくて、故障を考えればジャパネットも不安です。パソコンは流行り初めの頃に買い損なって、今も持ってない。慢性の情報不足です。

だから家電は今だに近所を使っています。それが一番いい方法だと信じます。ギックリ腰の男の話をしても、太った女性の話をしても、
「なるほどネエ」で済んでしまう。
「だから何なんです」とは言われませんが目で言われます。

そうすると私は、やっぱり何も言えなくなってしまう。これでいいのか悪いのか難しい問題だと、思われませんか。ところであなた、人生の曲がり角を曲がった時のことを覚えていますか? あなたはいつから、そうなったか……健常のあなたと、身障の私と似ていると思いませんか?