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2007年2月22日 (木)

コンピュータ・ゲーム 終回

端的にいえばコンピュータは瞬間に結果が出ます。原稿の直しから株の売買までこれは変りません。ある意味でストレスがなく別の意味でストレスが高い事は、ちょっとパソコンをいじると判ります。ただ、それを客観的な数値には出来ません。

明日までに原稿用紙換算で15枚の原稿を推敲し清書するのは手書きは辛い。ワープロは訳なく明日どころか1時間内に出来ます。逆に5分ごと途切れるような空き時間をつなぎ合わせ、一仕事にも出来ます。この理屈は二宮金次郎です。

子供でも判る事です。ただ子供たちは読書や学習に使わずゲームに費やします。議論が好きな大学生もいれば麻雀が好きな大学生もいる。麻雀があるから議論をしないのでなく、多分議論が嫌いだから議論はしないのでしょう(笑)

DSトレーニングに凝ったお年寄りが「私はコリしょうだから……」と言い訳する。笑いました。人間は小学生から高齢者まで同じ人間ですねえ。二宮金次郎さんにもその行動の動機を、よくよく聞いたがいいかも知れません。

話が脱線しましたが、一日仕事が時間仕事になれば、こぼれ落ちる内容も出て来ます。手書きで一字ずつ確認するのと推敲、校正で部分だけを見るのとは違ってしまう。労の内容も違えばハードも変って来ます。高級プリンターと百円ボールペンでは価格も違うのです。

出来上がった原稿料の単価は変りません。そういった矛盾の中で原稿の出来だけを、部分的に問うのも出鱈目といえば出鱈目です。たとえば使われた機器やソフトの代金は誰が払ったのか、トリックの一つはそこにある気がします。

コンピュータがらみの仕事を始めた友人は数年の間に気が短くなったト評判になりました。では、パソコンに絡めば誰でもそうか、そうは言えない。まことしやかな噂はあるのですが裏が取れないのが現実です。

「ゲーム脳の恐怖」という脳波を担保に取った本が売れたのですが同実験で同じ結果が出ない。心理学の香山リカさんのゲーム擁護も個人的な体験の域を出ないのではないか? そういう中で立てばケータイ、座ればパソコン歩く姿はMP3とコンピュータ社会は進行します。

やり過ぎるなという警告も具体的な効果は上がりません。強制は出来ない中で「飽き」は状況を変えます。飽きられれば確実に廃れる。廃れた物に価値はないのです。

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