« ラフカディオ・ハーン | メイン | 赤い羽共同募金 »

2006年10月29日 (日)

ライ麦畑を探して

例の無料放送局のGYAOで今、上映中の「ライ麦畑を探して」を観ました。サリンジャーファンの19才が主人公というと「小説家を見つけたら」を連想してしまいます。孫と祖父のように年の離れた二人が、それぞれの人生を発見していく話は、今も静かに支持されています。

あの「小説家を」に対し「ライ麦畑」はちょっと設定が違います。今度の主人公は白人イケ面、ニールの家庭は崩壊してますが、父は知事という設定です。母は画面に出てきませんが、養母は姉のように若い。これが何と父の愛人です。

退院直後というのにニールは何やら愛人と仲がいい。仏映画だと実は愛人と出来てるという設定もアリです。そこまではナシと思うのですが、まあ妖しい感じはします(笑)カッコいいじゃない、米国映画はそうでなくっちゃ!

そんな声も聞こえそうですが、それが問題です。それが全能感です。参考はこのブログ内「全能感と現実感」をどうぞ。全寮制の大学に行くと、いじめっ子がいる。コイツに逆ねじを噛ませて、キャンデス・バーゲン風の(古いなあ)かわい子ちゃんT.Jに目配せ。

みんなの好きそうな映画なのです。だけど大学には主人公の兄もいたらしい。兄は今、どこか? 主人公は何の病気か? お話しには隠された部分があって、それが謎になります。副筋ですね。

主筋は先生が出す宿題で、「ライ麦畑でつかまえて」の後日談を書けトいうもの。主人公ニールは書けません。それでサリンジャーに手紙を書いて教えを乞う。むろん作家の返事は来ない。主人公は先のT.Jとサリンジャーに会いに旅行を試みます。

後半はロードムービーになります。何だ、やっぱり面白いじゃないか。それ見たい! そういう人は多いと思います。私はウソは言っていません。ただ監督は私と同じ意見であります。全能感は早い段階で解消しないと、後々問題になる。映画の結末は、それを訴えます。さあ新しい人間関係は見つかるのでしょうか。

さて「小説家を見つけたら」のショーン・コネリーについて、あの俳優には私、疑問を持っています。007以来、シブいじゃないか。いいじゃないか、そういう声にも疑問を持ちます。小説家役でも古い自転車を持ち出す等、カッコを付けすぎます。

内面からにじみだす輝きではない。形を整えるすぎて内面性を捨てている、のではないか? ところで伝説の作家、サリンジャーを読んだ事があります? ライ麦畑を読んだ事がありますか? この映画を観るに当たって、必ずしもサリンジャーを読む必要はありません。

GYAOは無料だし、そういう意味では気楽に観られていいと思います。しかし村上春樹がノーベル文学賞候補といわれる中、その師匠筋のサリンジャーも知らない……どうかと思いますねえ。

このブログの必要でネット検索しましたが小説「ライ麦畑でつかまえて」は映画化されているようです。観たいなあ。写真はギャオによるT.J像。

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blog.bbiq.jp/t/trackback/394232/18076678

ライ麦畑を探してを参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿