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2006年10月

2006年10月21日 (土)

前世の記憶

どうしたいか判っていれば、どうにか成ります。どうにも成らないのは、どうしたいか本人が判らないから。判っていない自分が判らない。女性タレントのAさんはマザコンであるような。女性のマザコンも変な話ですが、母娘の心が一体、分離できません。

お母さんのいう事する事に強くこだわり、自分のペースがつかめません。果たして自分があるのか、ないのか判らない。一人いるとぼんやりとして来て、30才も過ぎた事だし、この際、男を作った方がよさそうな気がして来るのです。

最近、またそういう人が多いそうです。身障者の場合、昔からそういう人はいました。昔は健常者と間に格差が付き、本人も自覚できたのですが、今はそれも普通になりましたからねえ。2次障害は立派な障害なのですが、言って治るもんではなく、ねえ……

タレントAさんの場合、占い師というか……あの前世専門のスピリチィアル・カウンセラーの方、名前忘れてしまいました。方にお伺いを立てるのです。なぜ自分は、こうなのか? ご託宣は前世からのカルマであるそうな。

最近はあまりいいませんが、身障者になったのは前世の業である。身障は本人の責任トいいました。これは納得できない事を納得するに便利な言い方です。解決はしませんが理屈は通ります。都合の悪い事や、説明のつかない事は前世のせいにします。

ただねえ、よく考えると変です。それを誰が証明するか、証明のしようがない。言われた本人には、いいがかりですよ。身障者本人も何でも百%、自分が悪い事になります。……世の中には盗む人がいます。それで物が無くなる。盗んだ人は滅多に申し出ません。

無くなると困る。盗んだ人はここにいないが盗まれた人は大抵いる。いる人の責任にします。何、盗まれた? あなたが悪い、弁償しなさい。便利な点もありますが単なる言いがかり、方便に過ぎません。不自由の理由は前世でいってはいけません。どうしても言いたければ前世で証明を取って来なさい(笑)

それでAさんもいったんは納得するのですが、やっぱり困るのです。
「私は恋愛してはいけないのでしょうか?」
(笑)Aさんも前世の記憶がなかったのでしょう。少しでもあるともっと納得したと思います。マザコンの女性でもファザコンの男性でも、男女の付き合いは出来ます。

ただ、いわゆる男女の関係とは違いますねえ。前世専門のスピリチィアル・カウンセラーは「相手に母を求める」ような事をいいます。Aさんは女性だから相手は男、男はなかなか母役を出来ません。Aさんの相手が具体的に現われないには、そういった問題があるからです。

よさそうな相手はいたのですが完全な人間ではなかった。つまり、Aさんはお母さんに完全を求められ、出来なかった。それで男性にも完全を求める。どの男も悪い人ではないが完全ではない。Aさんも相手の男も、それぞれが判ってくると破綻してくる。

つまり別れようとする、よくある話ですなあ。Aさんは前世からそうだったからでは納得できない。どんなに説明しても本人が納得できないなら、説明の値打ちはありません。TVだからそうなりませんが、値打ちのない説明で取る物取るとなるとネ……

落ちたような落ちないような話ですが、本日これまで。

2006年10月20日 (金)

逢いみての

露の新治さんの高座を蒸し反しましょう。露のさんの話は厳密には落語ではない。落語から講演に持って行きます。講演は字や数を明確にしなければならない。データや漢字から現実を提示するんですね。そこが落語ではないのです。

すると語るだけでは足りない。引用写真は紙に書いた文字を提示しています。これは和紙に近い。この他にポリプロハレンの包装紙状のものに裏表に書いて、パッとひっくり返して見せる。そういう演出もありました。

パワーポイントの方が便利です。本当は使いたいんです。落語家という職業柄、それが使えない。だって客に反発を食うでしょう。いかにも偉そうに見られたら率直に話を聞いてもらえません。そしたら万事休す、バンジキュウスって知ってます?

人の知らない言葉を無闇に使っては説明にもならない。いかにも物知りぶるようで反発を買います。でも露のさん、言いたい事があったんですね。策を練って、やられています。まあパソコンは得意でない事情もあるらしいのですが……

いえ、ある意味でパワーポイント以上の効果も出ています。何でもかんでもパソコンに頼ろうというのはよくない。ただ提示の紙が多くて混乱し、ホワイトボードも使うんですが字も自信がない。苦労が透けて見えます。どこも、そこらへんは大変です(笑)

私も言ったが、いいのか悪いのか。事情はいくつか抱えてます。ブログというのは日記です。私のブログは日記の部分もありますが、一言、申し上げようと魂胆も、コンタンもあるブログです。文章を3、4行で区切りましょう。

誰が、これ始めたか知ってます? 有名なのは立原道造さんです。4行4行3行3行の14行詩、ソネットといいます。立原さんが沢山かいたのです。14行を4連に分けて起承転結のストーリーにしたんです。これだとイメージが整理され頭にスッと入ります。

(笑)特許侵害だって? いえ立原さん、特許取っていなかったんです。私だけではありません。立花隆さんも道造が好きで、ここの文章の構築はご存知と思います。道造が好きだったって臆面もなく言われています。まあ私もいいましたケド。

立原道造の手法を使うというのは、いわばパワーポイントを駆使して物をいうような、ちょっと、はばかられる物があります。たとえばですね、キムタクや田村正和がパワーポイントを使うと違和感はないんです……正和さん私と同じ歳ですって。

それはドウでもいい。私や露のさんや立花さんが、叙情詩人を引用すると違和感がありましょう? しかし現実はそういう物ですね。仕方がない面と仕方がある面があります。仕方のある面、これも不当な分けへだてですよ。ネ。……はい、話が落ちました。

 のちのおもひに

夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかへつた午さがりの林道を

うららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた
――そして私は
見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた……

夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには

夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう

2006年10月19日 (木)

いじめは前から

学校で、いじめは前からありました。刺激的な言い方かも知れませんが、あって普通です。社会はなぜ学校を作り、子供を集めたか。成り立ちの中にいじめの原因はあります。優れた人間を作りたいからです。日本では小、中学校は義務になっています。

明治の頃は義務にしないと親が家で使い、子供に教育を受けさせなかったからです。それが今も残っています。義務を怠ってよい場合、免除手続きを取らなければなりません。まあ建前だけですけどね。私は身障者になった時に2年ほど取った事があります。

やはり身障児は障害のある子ばかり集めた学級の方向と思います。近所の小学校には一人の身障児も来ていないそうです。目の悪い人は点字を、耳の悪い人は手話を、そういう需要もあります。一般論はいえませんが……

ある意味で専用の学校が楽な面はあります。ただ目の悪い人も、耳の悪い人も最終的に辿り付くのは一般社会です。目の悪い人だけの町、耳の悪い人だけの町を作る事はありません……いえ例外はあります。ハンセン病の人に関しては、そういう隔離が行われた事があり現在に到ります。

人を分けると細分化します。男と女、頭のいい奴と悪い奴、背の高い奴ひくい奴……見えない垣根を作って隔て合います。分かれる必要がある時もあるかもしれませんが、ない時も分かれます。同じ同士でないと一緒にならなくなります。

卵を食べるのに茹でる人も居れば、焼く人もいる。ハムと焼く人、ベーコンと焼く人、バターで焼く人、生で食う人……たまに変えてもいいんですがね、毎日変えてもいいんです。やり方は幾つもあって人は自由が判る。違う人がいるから自由が判ります。

見分けられない物をにおいで嗅ぎ分ける。作曲家のドボルザークは汽車の音で故障を予言したりしました。目の悪い人は聞き分けられない音まで聞き分けるかも知れません。身障者がいる社会がいい社会と押し付ける気はありません。ただ、色んな人がいる社会が豊かな社会です。

あの人はダメ、この人もダメ、その人もダメ……身障者はダメ。ダメを見つけてレベルを上げようという社会は最初からダメです。社会の前は学校です。義務教育の学校で身障児をはじき出したから、身障っぽい弱い子は行きづらくなっただけです。

今日はともかく、明日はダメの烙印を押されるかもしれない。子供を不安にして駆り立てる教育が長く続くはずがない、そうでしょう? 不安を消そうと子供たちは差別を始めます。今日のイジめられっ子は誰? 明日は誰?

一人づつ消していけば、誰の番もやがて来ます。上から圧をかければ横にはみ出す。はみ出した子が悪いのか。圧のかけ方が悪いのか。自分の子でなければ文句いわない体質が悪いのか……私、私は関係ないです。子供いないですから、人の子に注文はつけません。

学校にも社会にも注文つけません。

2006年10月18日 (水)

液晶モニターを買いに

TFTモニターは何にしたか? あっさり結果を書きますとナナオのFlexScan S170という品物です。決め手はたまたま5万円、持って出た予算内に現物があったトいう貧弱な理由であります。現在は後悔と満足が交差しています(笑)

これも後悔から先に書くと、モニターの接続はデジタルとアナログがあり、デジタル接続が出来ない私の安パソでは、高級化にあまり意味がなかった……そういう訳で、私はパソコンにそんな詳しい訳ではありません。

前の奴がバイオで品質はいい方がいい、当たり前ですが思っていました。去年の末に98バイオに愛想がつきまして、イーマシンズを本体だけ買いました。モニターは前のバイオの物を、そのまま使っていました。

そのモニターブラウン管が切れた、とすれば今回もやはり通販かな? 思ったのですが95ウインで通販を探すのは結構、大変であります。今回は主に95ウインのノートで検索をかける訳ですが、これは30分使うと目が痛くなって来ます。

ついでながら申し上げますと、このノート友人から買ったもののモデムが入ってない。取説がない。いじってもネットにつながった試しがない。ADSLのLANならいけるかもと、LANカードを入れたら簡単につながりました。後は上記の通りです。

モニターの見易さ、キーボードの手触り……直接、接触する所の感触は重要であります。そのポイントからいくと三菱でもアイオーデータでもいいものの、やはりナナオかな。潜在的というか感覚ではすでに決まってしまったかも知れません。

ナナオの場合、バックライト3年保障(他部分は5年)というので他社とは違う保障内容になります。私もノートパソコンで何台かTFTを使った体験がありますので、大体の印象はつかんでいます。価格COMではオフィスを主に使う人がS170にしていました。

あまり意識化していた訳でありませんが8割方、ナナオに決まり、初めて現物を見て一気に傾斜してしまった。そういう事です(笑)冷静に後の2割を詰める事は出来なかったか? 反省するとそうなんですが、あと2割を詰める作業は、難しいです。

第一、楽しくない。時間ばかりを食う。なかなか詰まらない。目に悪い95ノートでやりたくない……あながち感情的な判断ではないのです。訳知りのパソコン友達はいないか? それも考えたのですが8割が決まった段階では、もう聞かない方がいい。

一般論として自分の使う物に熱狂的ファンになる人がいて、人に聞かれるとそれしか言わない。部分に重点がいって全体がおろそかになる人もいます。仮に三菱のファンで1時間20分ばかり三菱の説明をされるとかないません。

そうすると私も三菱にしない理由はなくなる(笑)主体を殺がれ、相談が意味を成さなくなる。2割くらいならバクチで決めた方が無難、そういう無茶もまあ正論になります。野口悠紀雄さんは超勉強法で似たような事を書かれています。

品物が十品あって、その1番から十番までの情報がどこかにあるとして、ベスト3に見当がつけばいい。後は当てずっぽうでも、それ程は違わない。ベスト1に拘ろうとすると……そういった私の買物でした。

2006年10月17日 (火)

全能感と現実感

全能はともかく、全能感は古い辞書にはありません。子供の頃の全能感は、成長にはかかせないものという。全部肯定されて、あらゆる方向に枝を伸ばしていくことが大事、幼児的全能感といいます。どんなことでもできること。完全無欠な能力……ト感じる事。

いわば全知全能の神ではないかトの錯覚です。この感覚はゆるやかに消えて行くのが望ましい。これがなかなか消えない。たとえばyoutube.comというサイトで、デスノートというアニメを上映しています。高校生が悪魔が落としたノートを拾って、人を殺す事を覚えます。

高校生は、悪い奴を一人また一人と殺し「オレは神になってやる」と勢い込みます。そこへノートを落とした間抜けな悪魔が現われて……そういう話であります。たとえば映画「ロード・オブ・ザ・リング」たとえばマジックブーム……話の共通点はいっぱいありますなあ。

手品や映画を見ると全能感が気持ちよかった子供時代に帰るのです。あなた指輪が欲しくなりませんでした? (笑)マジックのタネを買いに行きましたか。いわば神様ごっこです。とりあえず元気にはなれても、全能感はよしあしで、長引くと現実を見失います。

宴会が終われば魔法のハンカチは、ただのハンカチにもどる。映画が終われば指輪が欲しい気持ちも消えます。が、たまに後を引きます。スーパーマンを見た後でビルに登って……おっと危ない。でも実際、そういう例はあるんですよ。

私の世代だと「フレンチ・コネクション」見た後に車を運転し、スピード違反で捕まったのが何人もいる。免許持ってるんですから、むろん子供じゃない。なのにポパイ刑事に成りきる。子供っぽいでしょ? むろん私じゃないですよ(笑)

前にカーステレオのカセット入れ替えで幼稚園児の列に当てた人、あれ2度目です。1度でこりなかった人も、まあそういう所あったんでしょうね。それは運転中にカセット入れ替えれば事故りますよ。その位の道理は誰でも判ります。自分だけ別という感覚、全能感ですなあ。

各人で少しづつ違いますが、大体、そう感じる人がいる。これが増えている。重度身障者に取材して出たのはリモコンです。いえTVのリモコンの出はなでして、最初は新しい物に批判的です。「何だか気持ちが悪い」しかし誰かがTV買い換えると、付属で付いて来ます。おそるおそる付けてみる。便利! すぐ他の身障者に伝染して行きます。

あの頃から、TVの向こうから、世の中は飛躍的に便利になります。訳が判らなくとも用は足りる。訳は考えなくなります。現実感もなくていい。リモコンが壊れて初めて、手でTVのスイッチ入れます。ああ、世の中はこうなっているのか! ちょっとオーバーに言いましたが、そんな感じです。

自動車のフロントガラスの向こうは他人事です。通行が何人いようがいまいが、交差点で誰かがつまずいて転ぼうがひっくり返ろうが、運転者には関係がない。ぶつけて引いて見て初めて、あっと思う。運転はしなくとも交差点に面したガラス張りの喫茶店なんかもTV感覚、そうでしょ?

行く人を眺めながら一人コーヒーを飲む。トーストをかじる。口を空けても恥ずかしくない。行く人来る人は他人、関係ない現実感もないのです。食べる人にカメラ向け、写真撮ろうとするとビクッとしますよ。身障者が健常者に物を頼めない。他人と思うからです。TVの中の人のように現実感がないから頼めない。

あなたの辞書に現実感はありますか? 一歩はなれた隣、そこにいる人がソコにいると感じるには、全知全能の神様でいてはいけません。そこにいる人と同じ、ただの人間にならなくては……そして現実に苦労するしか現実感はつかめません。

2006年10月16日 (月)

都会派、田園派

街と田園ではどちらが住み易いのだろう? 一般論ではなく私にとって、少し広げて身障者にとって……答えのあるはずのない問い。これは問いと言わない。まあ妄想に近いもんです。それにある程度、解答が得られ、ちょっと書いてみようと思います。

Ohmynewsというサイトには行かれましたか? 韓国発というのと、鳥越俊太郎さんが編集長就任というので、事前に話題になりました。これが発行1ヶ月で月間市民記者、優秀記事を上げています。すでに見た公園ベンチを取材した記事があります。

ホームレスを締め出そうとデザインしたら座り憎く、赤ちゃんのオムツも代えられない……街は住み難くなったとの記事であります。似たような事は私も、デパートの置きイスで書いた事はあります。こんな徹底した取材は思いもよりません。お見事です。

もう一つ「やっと過ぎたお盆」という、帰郷者を迎える故郷の嫁の立場で綴った記事も上記事と対応していて面白い。田園派に比べれば都会人は計算高く、まあ薄情といえますなあ(笑)田園は不便で都会は薄情、どっちもどっち結論を出そうというのが乱暴です。

田園派は都会に期待し、都会では田園にあこがれる。それぞれで相違の見るだけかも知れません。ああ、身障者は都会の方が無難と思います。タンボを作ろうにも田植えも出来ません……判っていて憧れるだけ? 判っていれば、それもいいでしょう。

入院すると向かいが都会派の人、隣が田園派の人……妙にコントラストの強い毎日を送る事になります。都会派は地方紙を読みたがります。半分珍しいのでしょう。田園派はスポーツ紙を読みます。巨人の心配をするのは共通します。

監督解任と清原退陣がそれぞれ主論になります。私は巨人に関心がない。地方紙で株価を見たいんですが、株をやっている事は言ってない(笑)今さら言ったものか言わないものか。私は車を持ち込んでいて時々、病室を抜け出します。

羨ましがれる、いい加減な病人です。同室の嫉妬は怖いので、帰りにおみやげを買います。お返しはいらない百円スナックですが、これを食べて都会派は、
「うん、ビールが呑みたくなった」いくら私でもビールは持ち込めません。

田園派は義理堅くコーラのお返しをされる。
――あんなの、お返しはいりませんって!
「いやー、買って来ないで欲しい」といわれる。
折衷も難しい場面であります。なかなか折り合わないのです。田園も都会もまっぴらごめん、無人島にでも行きたくなりました。その後、退院し後の事は知りません。

http://www.ohmynews.co.jp/HotIssue.aspx?news_id=000000001539

http://www.ohmynews.co.jp/omn/News.aspx?news_id=000000000752

2006年10月15日 (日)

深い森の奥で

高齢者の言われる事にも納得が行きません。そういう時がありますなあ。外出で困るから公衆電話を減らすなトいう新聞投書がそれです。たまたまなのか需要があるのか、同趣旨の文を2つ読みます。おまけにケータイは持たない主義なので、まあ似たような体験もあります。

しかしほとんど使用される事のない公衆電話を、どうやって維持するのか。無責任な発言と思うのですが、当然ながら本人に自覚はない。いつか自分が必要になる時のために、どこの公衆電話も減らさないでトいう訳であります。

もっともネットの掲示板でも似た発言は満ち、いうまでもなく若い人も同じあやまちはあります。80代前半の方がケータイをお持ちでした。
――おお、ケータイお持ちですか?
「娘に持たされました。毎朝、メールが来ます」
――いいですねえ(笑)
「それで毎日、娘に電話をかけなけばなりません」
――メールにすればいいでしょう?
「出来ません。覚えるのも嫌だ!」
話は止まります。いえ、もう少しはあるのですが頑ななのです。見識がないト思われそうですが、私の見る限り、そうではなさそうでした。単に新しい物に馴染めないのか……

公衆電話に関してなら私に名案があります。設備費も維持費もいりません……何? ここに書かずにNTTにアイデア売れって? それほどの事もありません(笑)それがどこだか知りませんが、公衆電話はなくとも人は通るワケでしょう。

誰もいない森の奥とかは公衆電話も元々ありません。そういう所でなければ人は通ります。できれば若い人の方が確実です。その人の前に千円札を一枚付き立てて一言。
「公衆電話がなくて困っています。ケータイ持っていたら掛けてくれませんか?」

500円玉でも1万円札でもいいですが十円玉は止めたがいい。目的は果たせると思います。簡単でしょ? 月に何度もない事でしょう? あまり回を重ねるようなら諦めてケータイ買ったがいいと思います。でも何で思いつかないのか、私には判りません。

ただですねえ。前例はあります。重度の身障者がそうです。通りがかりの人を捕まえ、手を頼めばいいのです。確実とはいきませんが目的は果たせます。それをやらない。なぜなのか、ここは深い森の奥ではないのですが……

2006年10月14日 (土)

残虐記

桐野夏生さんの差別問題を扱った小説、偽悪かな。偽悪でも偽善でもなくノーマルな表現は出来ないのか? 読み手はよく言われますがノーマルに表現するのは難しい。ちょっとオーバーに言うと早いのです。書く行為は舞台芝居の役者のような所があります。

残虐記は新潟少女誘拐監禁を題材に、歪んだ愛の形を表現しています。広い意味での娯楽小説ではありますが、難しい表記法を駆使しており、OUTや魂萌えのように広く読まれるとは思えません。このあとは少しネタばれになります。

漱石は恋人を友人に譲ったり取り戻したり、ややこしい話を書いていますが、そんな愛人がいた訳ではありません。あれは全部、自分のことです。生家と養子宅との間を振り子のように往来した体験を小説化して見せたのです。

桐野さんもどうやら複雑な環境にお生まれのようで、親には屈託した愛のある人です。親はどの子が可愛く、可愛くない子はいないと言います。しかし好き好きは親にもあり、なぜか可愛くない子もあります。

一般には美形の子は可愛いです。次に才能、頭のいい子が可愛い……漱石は天才といわれますが、私は怪しいとにらんでいます。親が実の親でない事を知って、捨てられる不安から頭のいい子を演じたのではないか……トいう推測です。

桐野さんも小説を書くに当たって苦労しています。天才ではない。どんな事情があるか知りませんが漱石と同じではないか、そう推測します。そして小説は、壊れそうな家庭から誘拐された子は、たった一年間、誘拐されるだけなのですが、元の家に帰りづらくなります。

親を無くしたも同然、子供は若い作家になるのです。私ではありませんが障害児は、長く養護学校にいる場合があります。昔の養護学校は郡部にあって、盆と正月しか家に帰れません。そして一般社会が苦手になって行きます。

養護中学や高校を出ても普通中学の学力がつく訳ではありません。社会に出ても寮のある所に就職し、家には帰らない。帰れないのです。小説に出てくる孤児院を脱走した男、そしてフィリッピンから出稼ぎに来た女性は、その意味では障害児と似ています。

豊かな国の地べたを這いずるように生きていく人の群れの中で、身障者は幸福でしょうか? それとも似たような物でしょうか? 小学生を誘拐し強姦したら死刑になる国で、誘拐されて幸福になる子があるとしたら……桐野さんのあてこすりです。

残虐記、小説の初出原題はアガルタ、チベットの地底にある桃源郷という意味です。

2006年10月13日 (金)

うさぎさんによろしく!

ピンクのうさぎさんによろしくね(笑)
これ見た人、何だか判らんだろうな!

不条理な風景

誰でも最初から大人である訳がありません。最近は「今も私は子供です。大人になり切れません」トいうような言い方をします。単なる謙遜で当然、知らなかったでは済まない。そうは言っても誰でも多少成長にムラはあり、ある種の子供は抱えます。

私が身障者になって同級より2年遅れて、学校に行く段になると、しばらく納得が行きません。ネズミ捕りでスピード違反で捕まっておいて、納得がいかない人がいますが、あれと似てない事もありません。しかし捕まったら罰金払うしかないのです。

スピード出したのは運転手本人ですが、身障になったについては私に責任はありません。文芸用語で不条理といいます。人生の辻褄は合わなくても普通です。きっちり合うと思う方がおめでたい。ネズミ捕り程度の不条理は飲み込まなければいけません。それが大人です。

この前、米国で男が学校に押し入って銃を乱射しました。なぜか女生徒だけを撃って、自分は自殺しました。犯人が死んだ訳ですから推測になりますが、学生時代に何か嫌なことがあったのでしょう。その時の原因が女生徒なのでしょうね。

別に女性が悪いとかいいません。過去に納得が行かなくて、今から取り返す事も叶わなくて乱射して死んだのでしょう。まあ、スピード違反がパトカーに追われて、それでも逃げるようなものです。納得いかない人が最近、多くなりました。それは子供っぽさかも知れません。

理不尽な責任を負わされる時は確かにありますが、それを果たす事で人は成長します。大人になるという事です。差別はある意味でそれが出来なかった人の行為です。女生徒を撃つという行為は普通、差別とかいいませんが、嫌な思い出に重ねて関係ない人を撃ったんでしょう。

スピード違反を振り切って逃げるのも普通、差別とは言いませんが、警察に迷惑をかけ、通りかかる人に迷惑かける意味で差別でしょ? 差別って意味をもう少し広げて解釈しないと正体が見えてこないト思います。

嫌な事は分け合って負担するしかない。それぞれ何かを担当するしかない。金や力で逃げるのは卑劣と思います。誰だって苦労しないで生きて行きたい。キレイにスマートにやって生きたい。特定個人に押し付けてはいけない。いけないがそうなる。

これも不条理です。自分だけこっそり不条理から逃げる……それもまあ差別と変わらないト私は思います。しかし、そういう訳で私は同級生が2年に渡ります……いえ、その後、5年遅れでまた行きました。それも加えれば同級生が3年分あります。

あれもこれもそれも、みんな同級生です(笑)何だか変なことになりましたが、これは不条理とはいいません。

○猫の頭にミカンを乗せても不条理とは言わないのですが、不条理を絵にするも難しいので……