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2006年10月

2006年10月31日 (火)

2年目のパソコン

そろそろ2年目に入ろうとするパソコンですが、基本的な疑問があって、またメーカーに問い合わせてみます。症状については詳しく書いても仕方がないので省略します。前にも聞いたのですが、それから進歩しないのです。

不都合も馴れて来ると不都合とは感じなくなる。大した事ではないト、そういえばそうです。ハイ、ごもっとも(笑)電話とチャットとあります。どちらもウルサイのでメールにします。2日ほどかかるつもりが即刻の返答、早い! マウスが壊れた時は遅かったんです。

メモリを交換するというのです。8月に、この対処は販売店が言いかけた事がありますが、メーカーは知らん顔。それで現在に至りました。今回メールに対してやはり「メモリ交換」であります。何だあ、不良品かい!

まあパソコンはよくある事です。珍しくありません。私も一応、交渉に当たりました。「落ち度はそちら。保証期間の延長を」そういう意味のメールを折り返し、出しました。間もなく「取り替えたメモリを返さなければサポートを打ち切る」旨のメールが来ました。

外した方のメモリって、いくらで売れるんだろ……まあ、それはいいとして。パソコンの中ってこうなっているのか? フムフム、これがマザーボードで、これがハードディスク……ってなもんですなあ。こういうふうに機械を開けるのは楽しいです。

後々、何かの時には体験が役に立ちます。ただ何かの時なんて滅多に来ません。体験の記憶は半年すれば消えかかり、1年すれば、ほぼ消去され2年も立てば完全になくなる。体験なんて思うほど深い意味はないのです。

でもマザーボードとハードディスクを見たという記憶は残る。おぼろの記憶に最初の、初めてというレッテルが貼られています。さて今回の初めては、おぼろの彼方には消えません。なぜならブログにこうして書いたからです(笑)そうでしょう!

パソコンを開けたという記憶と、それを書いた記録は別物で、似ていて混同されますが別です。記録はもっと確かに残ります。これをひっくり返しますト……世界一周した記憶は消えても記録は残ります。インターネットで世界一周する調査をやる。

いや架空の、世界一周記録を書きます。中年以降の世代でまだ旅行に実際に行くそうです。実際に世界一周する方があります。同じ頃に同じ事を(同じといっていいのか疑問ですが)そして10年が過ぎた頃、ボケが同じように進んだ所で聞きます。

あの時、世界一周したでしょう? 覚えていますか? そうそう、したした。架空の方はブログを開いて記録をたどります。本物の方は書いてないので、ぼんやりと「一周なんてしたかな? しなかったかな?」

何でパソコンがこんな話になるの!

2006年10月30日 (月)

赤い羽共同募金

赤い羽根の共同募金に行って来ました。トいっても募金する側ではなく募金を集める側への参加です。身障者協会としては唯一の健常者へのアプローチになります。こういう事は、どうすれば正解満点という事はなく、出来る限りの参加になります。

参加しないよりした方がいいし、少数の人にふれ合うより多数の人にふれ合う方がいいでしょう。密度の低い接点よりは高い接点を作った方がいい……事になります。このところ私は体調がよくなく、写真だけ撮って帰って来ました。

あまりヤアヤア言える立場ではありません(笑)こういうのは男性より女性の箱に、よく入ります。軽度の人より重度とは言えないのですが、車椅子にめがけて来られる方はあります。羽をつけるのは車椅子では出来ない事もあります。それは軽度者の役になります。

私なども例年、箱にそう入りませんので、声を出すのが仕事かと思っています。声が大きい方です(笑)参加者は全体には声が小さいですねえ。でも、この通りは黙って立っていても目につく所で、去年のデパートの前よりはやりやすい。

実は大昔、自分の詩集を通りで売った事があって、色々場所を変えたのですが、結局、この場所が一番売れるト発見しました。その意味で懐かしい場所です。大した事ではないのですが、それなりの体験から言っております。

「赤い羽根、共同募金、お願いしま〜す」というのが577の語呂が揃って言いやすいようです。言っている時はあたりを見ます。十数メートルの先からなぜか、この人は入れてくれる。判る時があります。「あっ来る、来る……そら来た」そういう感じです。

背の高い体育会系のニイちゃん、こっちを見た。こっちか? 私か! 何で? 何で! 来た。やっぱ、私だよ。多分、向こうも、入れてくれる人もどうしようか考えていて、黒目の焦点が合うからだと思います。でも超能力ゴッコのようで面白いですよ。

いいのかなあ、こんなフザけた事を書いてて。社協関係者は見ないでしょう?(笑)おフザけ、ちゃらけ、やったもん勝ち。声が出ないのは緊張が取れないからです。超能力ゴッコやれば馴れます。馴れると度胸がつきます。つけた度胸はかけたタスキのように返却しなくてもいいんです。

こういうボランティア仕事には賃仕事では出来ない、ないしはやらせて貰えない部分があって、それが出来る事があります。そこが面白いのです。苦労は他人のためならず。
「赤い羽根、共同募金、お願いしま〜す」でした。

2006年10月29日 (日)

ライ麦畑を探して

例の無料放送局のGYAOで今、上映中の「ライ麦畑を探して」を観ました。サリンジャーファンの19才が主人公というと「小説家を見つけたら」を連想してしまいます。孫と祖父のように年の離れた二人が、それぞれの人生を発見していく話は、今も静かに支持されています。

あの「小説家を」に対し「ライ麦畑」はちょっと設定が違います。今度の主人公は白人イケ面、ニールの家庭は崩壊してますが、父は知事という設定です。母は画面に出てきませんが、養母は姉のように若い。これが何と父の愛人です。

退院直後というのにニールは何やら愛人と仲がいい。仏映画だと実は愛人と出来てるという設定もアリです。そこまではナシと思うのですが、まあ妖しい感じはします(笑)カッコいいじゃない、米国映画はそうでなくっちゃ!

そんな声も聞こえそうですが、それが問題です。それが全能感です。参考はこのブログ内「全能感と現実感」をどうぞ。全寮制の大学に行くと、いじめっ子がいる。コイツに逆ねじを噛ませて、キャンデス・バーゲン風の(古いなあ)かわい子ちゃんT.Jに目配せ。

みんなの好きそうな映画なのです。だけど大学には主人公の兄もいたらしい。兄は今、どこか? 主人公は何の病気か? お話しには隠された部分があって、それが謎になります。副筋ですね。

主筋は先生が出す宿題で、「ライ麦畑でつかまえて」の後日談を書けトいうもの。主人公ニールは書けません。それでサリンジャーに手紙を書いて教えを乞う。むろん作家の返事は来ない。主人公は先のT.Jとサリンジャーに会いに旅行を試みます。

後半はロードムービーになります。何だ、やっぱり面白いじゃないか。それ見たい! そういう人は多いと思います。私はウソは言っていません。ただ監督は私と同じ意見であります。全能感は早い段階で解消しないと、後々問題になる。映画の結末は、それを訴えます。さあ新しい人間関係は見つかるのでしょうか。

さて「小説家を見つけたら」のショーン・コネリーについて、あの俳優には私、疑問を持っています。007以来、シブいじゃないか。いいじゃないか、そういう声にも疑問を持ちます。小説家役でも古い自転車を持ち出す等、カッコを付けすぎます。

内面からにじみだす輝きではない。形を整えるすぎて内面性を捨てている、のではないか? ところで伝説の作家、サリンジャーを読んだ事があります? ライ麦畑を読んだ事がありますか? この映画を観るに当たって、必ずしもサリンジャーを読む必要はありません。

GYAOは無料だし、そういう意味では気楽に観られていいと思います。しかし村上春樹がノーベル文学賞候補といわれる中、その師匠筋のサリンジャーも知らない……どうかと思いますねえ。

このブログの必要でネット検索しましたが小説「ライ麦畑でつかまえて」は映画化されているようです。観たいなあ。写真はギャオによるT.J像。

2006年10月28日 (土)

ラフカディオ・ハーン

ラフカディオ・ハーンなら少し知識があります。先に書いた「夢の中の女」は「怪談」へのオマージュです。いえ、聞くところによると漱石の「夢十夜」がそうだというので、オマージュへのオマージュという事になる。

書いて見るとハーンの、もやもやした感じは払えた気がします。解けないから謎、解いてしまうとトリックはいつも簡単です。解けたトリックは、別な謎につながります。だが小説の謎は解けても現実は小説ではない(笑)そうですねえ。

河島弘美さんの「ラフカディオ・ハーン」を読んで思うのは、漱石との相違は何なのだろうトその事であります。熊本では今もそうですが、ハーンほどの人気は漱石にはない……そういう答えがありますが、ではそれはなぜか? 最初の質問、相違に戻る訳です。

河島さんも指摘しますが、ハーンの文章の冴えはうっすらと見えて来る。最初の光景にあります。第一印象です。ハーンはその描写が巧みなのです。しかしト私は疑問を持ちます。ハーンは目が悪かったのです。物事ははっきり見えない。見えない目で何を見ていたか?

は〜い、この問題に関してなら私は河島さんより第一任者です。このブログを読む人はご存知ですね(笑)ハーンはリアルに現実を書くのでなく、現実を目前にした期待を書いた。今までの世界は自分を受け入れてはくれなかった。だが、この新世界なら……と。

風景ではなく心の中の期待を見ていた。それはその後どうなるか。ハーンは例外なく裏切られ、憎まれ口をいう事になります。類型です。それはハーンが見えなかった事と関係があります。見えなければ不都合は起きます。障害です。体だけでなくハーンは心にも不都合を抱えた。

視覚障害者専用の世界のどこにもなく、不都合に対応するには知るから始めるしかない。知はどんな意味でも未知ではない。なぜハーンが未知に希望を持ち、知に絶望したか。身障者なら簡単に理解出来ます。見えない自分を知る事がみじめだった。

ハーンはみじめさを書きたくなかった。みじめさを闇に葬り、期待の輝きを書こうとした。河島さんの本の表紙に、ハーンが描いた絵があります。大きなトランクを提げた太っちょの男の後姿、一枚の自画像は、ハーンの文を解きほぐす手がかりでした。

ハーンは、著作に入れるイラストを何枚も描いています……漱石もそうなのです。「こころ」の装丁は自分でやりました。岩波の漱石全集はそれを再現して作られました。これは両者とも視覚からイメージを得た事を物語ります。

おそらく後年になるとハーンは視力が落ちていった。その代償にハーンのやさしさが日本人を魅了して止まなかった。みじめな国に希望があると書いたからです。漱石はなぜ嫌われたか? 対応させればこちらの謎も解けそうですが、それはまた別な話としましょう。

2006年10月27日 (金)

11本のビデオ

例によってロクでもない買物の話です。ブックオフでビデオを買いました。1本2本は売ってくれない。10本単位で売っています。たいした物はないと思ったら、色々あります。よせばいいのに物好きの虫がウゴメいて……

十本千円、ビデオも最終価格になりました。それからブックオフと近所の古本屋がケンカしています。安値競争になっています。目玉を出して物を回転させ、生き残ろうとします。今だけかもしれませんが、日本には物があふれます。では具体的なタイトル。

「クール・ランニング」は最近、贔屓にしているタートルトープ監督の初期の作品。これでこの監督は全作がそろった事になります。昔、大学の映研、イベントに誘われて見ました。パッケージを見ただけで一緒に行った人のコートの匂いが蘇ります。

「ミッドナイト・クロス」これも初見は映研でした。デ・パルマ特集の1本で、出だしから息詰まる緊張感、あのヒッチコックが色あせて感じられました。技術じゃなく若い感性に満ちた作品です。どこかに私の青春も、入っているような気がして買いました。

「ハル」森田芳光監督が描いたパソコン通信の恋愛。インターネットの前の通信、95年です。私はこの頃、大学出たばかりのメルフレと文学の話をしていました。ユーガッタメールより早く出た映画です。もう一度、見たい。買わなくてはいけません(笑)

「ウルフ」一度見たと思うけどミッシェル・ハイファーの恋愛映画なら何度でも鑑賞に堪えましょう。ニコルスンの狼男ならメイクはいらなかったりして(笑)十分怖いでしょう。監督はクールなマイク・ニコルス。

「愛と青春の旅立ち」これはあるけど「ゴースト」の2本パック、「ジャカルの日」ここらへんになると、そろそろ数合わせです。駄作のSFやラブコメより往年の名作という選択。クラキマイとクリント・イーストウッドが惜しくも選外。

「ミュージック・フロム・アナザー・ルーム」ジュード・ロウの恋愛映画、見ていません。「ミート・ザ・ペアレンツ」デ・ニーロの未見作です。「古畑任三郎11」緒方拳が犯人の回、見てないと思ったら、買った後で思い出しました。「REM」睡眠ネタのサイコサスペンスらしいが未見……計11本といった選択になります。

映画もねえ、未見LDビデオが少し残ってはいますが、およそ見尽くして。買っても仕方が無いと思うのです。本もそうなんですが新本は将来会うが、古本はもう会えない。もう読めないかと思うと未練が残る。それでつい買ってしまう。

歳を取って見た映画は概ね、つまらない。これは感性がない。映画の方ではなく私の方の感性が擦り切れている。長生きは本人が思うほどの意味はないのです。若い頃に見た映画の感動した記憶をたどるしかない。ただ駄作でもなぜか、人と見た映画は記憶に残ります(笑)

2006年10月26日 (木)

身障者、現在形 終回

米国はともかく欧州の障害者の事は伝わりません。「スウェーデン 福祉」で検索すると、3〜4年前の高齢者福祉が出てきます。福祉大国とはいえ家庭が崩壊しての個人主義である事、税金が高い事、施設に疑問がある事、女性はジェンダー運動にかける事。

福祉国家は経済成長が前提であり、それがなくなれば……それは今なくなったようです。HPでのリポート市会議員は一度、行ってみたかったトいいます。アンデルセンには関心がない。でも1才の子に「みにくいアヒルの子」絵本をスーベニールに買います。

スウェーデンの老人は「自分はベンツを乗り回す」といいますが、愛用の手押し車のジョークでした。日本でも車椅子の背に、ベンツのマークを貼り付けた身障者を見た事があります。あこがれはやがて揶揄の対象になる。同じ種類のジョークですな。

身障者の友人は「台風の夜、深夜にTVを付けたら何か怖くて眠れなくなった」といいます。「あんな夜は一人、どうすればいいのか?」クラッカーかビスケット、ピーナッツでも大豆でもいい。分厚い小説か旅行記を読みながらコーヒーを飲めばいいのです。雨漏りがなければネ。

コンビニ、スーパー、ドラッグストア、百円ショップ、日曜大工の店……日本はすべての福祉を物に変え、店に揃えました。不満がないとはいいませんが、百円の杖、2万円の車椅子、そこそこ使えます。市役所で手続きするより早いです(笑)ああ、雨漏り修理はシルバー人材センターです。

数年前まで欧州に研修に行く代議士さんはいました。今、いないようです。身障者も興味が低い。日本のつくりが欧米折衷ではなく、もう米国そのものになりました。米国では退役軍人といえども、基本的に福祉はない。まず経済的に自立です。出来なければチャリティに頼ります。

そう考えると自立支援法も、ある意味で納得が行くかと思います。貯えのある人は出しなさい。国も金に困っている。そういう事だと思います。先はどうなるト言われますか? 先は判らない。今の所、景気もよくなってるから何とかなるよ。

県、市行政はおよそ、そう言いたいのでしょ。私がいうのではありません、私は思うだけ。ただ、ですねえ。私は前にこういう話を書いています。検索で出ます「カトちゃんの口座」むろん今のこの状況を書くつもりはありませんでしたが、いいたい事はありました。

魚屋のお父さんが、身障者の子供の預金から支払金を下ろす。特定郵便局の局長さんは大目に見る。それはお父さんが困っているからです。健常者の子は許されなくても障害の子なら……話の構図は似てませんか?

台風の夜で少し書きましたが、残るのは孤独という問題です。それはいづれ、また。

2006年10月25日 (水)

身障者、現在形 3

支援法での問題は最重度の身障者です。一般身障者はあまり関係がないのです。いえ、支援法だけでなく法的な事は今回に限りません。概ね軽度は関係ない。重度者は全、身障者の1割に満たないかも知れません。そこらへんの正確なデータはありません。

私が知らないだけで身障者協会は実態を知っているだろう。いえ、知りませんでした。協会は軽度中心だから、重度中心の会なら……残念ながらそれもNOです。重度の会からラジオでの発言です。http://www.fmk.fm/index.html  FMKの What`s newの中、イブニングジャーナル記事から最下、バックナンバーの中から10・3放送分をご参照下さい。

身障者が知らなくとも行政は知っているだろう! 熊本市の場合、この8月上旬に調査をやっています。支援法施行前はありません。そろそろ分析も済んだ頃と思いますが、それまでかなり古い情報で物事を進めました……じゃあ誰が一番知っているか?

施設で介護ないしは業務に当たっている施設職員らしい。ソースと執筆は同一か、市民記者の手によるニュースがあります。Ohmynewsからその記事を紹介します。
http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000002156

個々の身障者なら少し知っています。お金に困るだろう。だろうとは無論、思います。問題はどの位、困るかです。正確ではない私の理解はこうです。重度身障者は介護を必要とします。プールに行きたいけど運転できない。バスにも乗れない。そうですね?

それでも行くとすると大変でしょ! バス代より介護の手が2人いるかも知れません。屈強の家族があればいいが、ない人の方が多いでしょう。2人の介護で2時間、熊本は最低賃金は時間600円で1200円、むろん自宅までの車代等は別です。

実際には一回5千円、もっとかな。実際にはそういう人はプールではなく、もっと実用的なリハビリがされるト思います。私が集めた署名では「支援費の自己負担を半額に」という趣旨でした。私は最初に憤慨しました。そうでしょう。5千円は高いが2千5百なら払うのか、オイ!

署名の趣旨は本当にそういう内容でした(笑)重ねて言いますが重度が考えた事、最重度は考慮してません。この署名集めに軽度は従いました。が、逆もいえます。たとえば、そうですね。市では7回連続の身障水泳教室が年2回されます。好評で毎回いっぱいだそうです。

それなら回数を増やすべきと私は思いますが、まあ予算がないのでしょう。増えたとは聞きません。重度身障者一人分の予算があれば、軽度身障者十人分の福祉費になります。市の福祉費という意味で財布は同じ、パイは1つです。

軽度身障者が署名を集める事は回りまわって、いえあまり回らずに自分の福祉費を削る事になります。自分にわざわざ小さなパイを切り分けるに等しい……いま書いた事はあくまで図式化です。これを知ってか知らずか、軽度身障者は人がいいなあ、そう思います。

2006年10月24日 (火)

身障者、現在形 2

昨日のブログに無理があったようです。だんだんなの会長さんは片手で手話を習得だそうで、そこに会発足の潜在理由があるようです。一般にそういう方は少ない。別にだんだんなを否定的に書きたかった訳ではありません。

具体的な例が新聞には載りませんので、何か出したい。ついプールの例になりますが、聴覚者はおみえです。全盲は来られない、弱視は判りません。リハ目的とダイエット目的は大差がありません。お互い話、されたりしてますねえ。

学生など大会に向ける練習があって、これは同居が難しい。コースを分けるのですが練習に何コースも取られると、リハ組は肩身が狭い。学生さんが一人で練習に来られ、私と同じコースを2人で泳ぐ場合もあります。最初は私も驚きました。リハ組が嫌がるのはこのケースでしょうね。

先方も気を使っておられ、お互いの慣れでしょう。ただプールは元々記録目的に設計され、バリアフリー時代前のリハ組から、ダイエット組の参加にもなります。今では記録組が少数派です。プール設計は今後、ここの対応を考える必要が出て来ています。

昨日のアッシュさんのコメントはどういう意味か? 男女共用も確かに問題はあります。共用は嫌という意見はあります。ダイエット女性を中心に聞こえます。男のダイエットは、メタボ対策など今年からです。

どちらにしても既成事実が押し切る形で進行、現在に至ります。ここ20余年の社会変化は大きく、なお激しく変化して行く事でしょう。健常者と身障者の関係もそうなります。昨日を基準の対応ではなく、変化の方向を見ていく必要があります。

バスや電車のようにプールに痴漢は何ですが、プールは大きな予算を伴うのでバスのように貸切増発は難しい。皮肉というか社会全体を縮図で見ようとすると、あながち外れた所でない。そういう感じはありますなあ。

なお脱線しますと(笑)裸を見たいというのは男に限らず、どうも女性にもあります。昨日上げた女性は、私を見に来てキレイと言った人です。他にもいう人があります。私の上半身はそのようです。しかしリクエストされても写真は出しません。

下半身に関しては手術の跡が迫力のようです。学生さんが騒いでいる脱衣室で私が脱ぐと、やがて黙ります。はっきりしない微妙な沈黙です。通路も微妙に空きます。私は刺青していませんので多分、手術跡の関係と思います。

とぼけて書きましたが5才児はもっと正直に反応します。
「どうしたの、ココ。穴のあいとる」
「こら何ば言いよるか。どうも済みません」とは父親。
――穴あいとるかあ。水が入らんかなあ、困ったなあ(笑)

そういう訳でプールに来ると様々、色々な事があります。私にすれば事柄の、事象の辞書みたいな所があります。なかなか話は進みませんが、また明日。

2006年10月23日 (月)

身障者、現在形 1

いくつか記事が集まりました。身障者の現在形が見えてきたので書いておきたいと思います。22日の毎日新聞、熊本版が「会いたい聞きたい」で免田駅前のコミュニティ「だんだんな」を取り上げています。メンバーは聴覚、視覚、車椅子が合わせて13名。(今の所、ネット検索は不可)

障害は多分、全体には軽いと思われます。会長は66才男性。月1の会合、ハイキングや見学会をします。「大きな問題だけじゃなく、ささやかな悩みを話せる場所に」という。「健常者だとどうしても一歩下がってしまうので、障害者同士なら遠慮がない」と考えられる。

ここの考え方は私の所属している会もそうと思われます。遠慮の無い話をどれほど重ねれば、健常者とも話せるようになるか? ウチの会はまだなれてません。ええぇ、これ以上は言えません。重大機密をもらすのはいけない事です(笑)

お前はどうなんだ? 聞かれると思うのですがブログの、こんな感じですねえ。昨夜、プールでお話した方は40代下肢障害ですが、美人です。シャキシャキと気後れはないと見受けたのですが、やはり大勢の中で泳ぐのは嫌と、意味の発言でした。

健常者や上手い人を圧力と感じる事は消えないでしょうが、あまり感じないで泳ぎたい。というのが私の感想というか、プールでの目標になります。食事時間を変えても空いてる時間に行こうとは、しません。混んでるプールに、わざわざは行きませんよ(笑)

熊本のプールは健常者、身障者混用です。博多には身障者専用プールがあります。身障者はそこを中心に使っているようです。私も専用があったら、最初は専用プール使ったかも知れません。そうすると混用に行くのには一大決心がいったでしょうね。

免田だんだんなの会長さんは、ここら辺をどう思うのでしょうか。興味深いです。私の所属する会は元々は、だんだんなのような会が幾つか集まって出来ています。今でも会の力は弱く、行政にプールを要求する力はない……率直に言ってそう思います。

それはいい事か悪いことか。それから、だんだんなの会長は66才、お年です。高齢が若年を率いるには疑問があります。年でも重度障害でも、たとえば小泉首相のような方なら将来に向けて会を運営できます。身障者が後ろ向きにだけ生きるなら、高齢でもいいのですが……まだまだ社会は変化して早い対応を必要とします。

あれ、ひとつの記事だけで枚数が終わってしまいました。別な題材もありますので、こんな感じで明日もまた。

2006年10月22日 (日)

ブラックコーヒーの逆襲

コーヒーの話です。コーヒーが体にいいって聞いた事ありますか? タバコは体に悪いんです。それは前からそうでした。30年前はコーヒーも体に悪かったのです……いえ、悪いと言う説といいと言う説と、およそ交互に出ました。

気の小さい私など、新聞に悪い説が出ると控えめに出したり、いい説が出ると多めに入れたり(笑)気兼ねしいしいコーヒーを飲むと言う状況にありました。これが米国の禁煙ブーム後、ぱったり悪玉説が消えます。それで現在に至る訳です。

直近のコーヒー善玉説は、血圧に効く、高血圧を低くするという物です。全日本コーヒー協会は「コーヒーブレイク」というCM雑誌に出し記事化しています。見ると下記HPでも要約は出ています。これはですね、ちょっと問題があります(笑)半分、ウソ!

さあ、どこがウソか判りますか? 多分、常識だけで専門知識なしでも証明可能と思います。昔の有力なコーヒー悪玉説は、この血圧に悪いという物でした。コーヒー飲むと少しですが脈拍は増えます。誰でも判ると思います。すると連想で、血圧の高い人には悪いのではないか、そう思う訳です。

一般に思いはあまり宛になりません。思いには根拠がないです。百年思っても千人が思っても実質がない。悪く言うと気休めです。宗教は悪くないのですが、時々、気休めをいいます。気休めは時々、違う人に当たります。少数に当たる時、多数の人は当たりを押し切ろうとする。それは罪になり、罪は悪です。そうですね!

コーヒー協会が血圧への善玉説を立証しますと、世間の悪玉説はつぶされる事になります。さあ世間が勝つかコーヒー協会が勝つか、面白いバトルでしょう? ここまで読んで、どっちが勝つと思います? 私、私の結論、最初の方に書いています。

書いといて、ここまで引っ張っります。本音をいいますと、コーヒーどうでもいいんです。なぜ多数派は少数を踏みつけるか、なぜ押しつぶすか、なぜ悪は起こるか? そこに迫りたいんですね。引っ張って申し訳ありませんでした。

コーヒー協会が書いてる事にウソはありません。ないと思います。ただ、ここには砂糖とミルク等が書かれていません。伏せてある。もしかすると砂糖ミルクを使っても、こういう結果が出るかもしれません。砂糖ミルクなしの方が効くだろうと、もしかすると多分ですが、数字は砂糖ミルクなしでの、これはデータかと思われます。なぜか? 書き損ないは考え憎い、そうでしょ。HPに載って宣伝雑誌に載っている。最近、データの出し方に常識が行き渡り、そういう失敗は少ないです。

故意に書いてないト私は読みます。しかしコーヒー飲みの半分以上が砂糖ミルクを使います。正確に書いたのではインパクトがない。砂糖ミルク使わないで、では記事を作らないに等しい。でも宣伝はしなければコーヒー需要は伸びない……結果こういう表現、つまり半分ウソになったと思います。

いじめによる自殺はゼロと、教育委員会はいいます。いくら胸を張っても片身は狭いですね。半端な情報には気をつけなければなりません。でも、気休めの空論も困ります。当たり障りはなさそうに見えて、誤解や間違い、いじめや自殺の原因を作るかもしれません。

http://coffee.ajca.or.jp/health/power01.html