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2006年8月

2006年8月31日 (木)

落語の講演会

別に頼まれた訳ではありませんが、お知らせです。露の新治さんの高座があります。口演、講座ではなく高座とした所が、まあミソであります。演題が「新ちゃんのお笑い人権高座」これは熊本市の人権推進総室がやる無料セミナーです。

私は行きますので、市内にいらっしゃる方はご一緒しましょうトいう呼びかけであります。私と会いたい話したいという奇特な方があるとは思えませんが(笑)まあ、こういうのも一種の存在証明です。逃げ隠れしない所を出して置きたいト思います。

10月11日(水)1:30〜3:00
熊本市国際交流会館ホール 230名
096−328−2333 人権総室まで電話申し込みが必要
露の新治「新ちゃんのお笑い人権高座」
他にも2つほどセミナーがありますが、下記のHPで見て下さい。

連絡は以上です。あと無駄書きになりますが、同じタイトルで2年ばかり前にこの高座は、あっておりまして面白かったです。笑えるかどうかはちょっと置きますが、楽しい話を次々つなげて話術で、時間まで飽きさせない。落語に限りなく近い内容です。

評判がよかったので時間を置かず、再演という事になったと思います。当日、私もメモを執っておりませんで、内容の骨子は覚えておりません。それでよかったのか悪かったのか(笑)そういう物だと思って来てください。

別に落語と限りませんが話術がよくなると、大体、人が悪くなります。上手な落語家は人間は(笑)……ここで悪いとは書けませんねえ。性格が重層化し複雑に入り組んでいます。一面的でない。単純に笑う自分を座布団の上に置いて、客席から冷ややかに眺める。

生きながら幽霊にならないと話芸はうまくなりません。漫才は相方がいて少しの間、寄りかかれる。休めますが落語は休めない。休みが取れるとすれば、仕込んだギャグに客が追いついて来るまでの、長くて数秒の間でしょう。

もっと本格的な奴をと言われるのならNHKラジオ深夜便9月6日1:08AM くらいから「牡丹燈籠」が林家彦六師匠でございます。さて師匠はどんな幽霊になるのやら……お後がよろしいようで。

http://www.city.kumamoto.kumamoto.jp/content/web/asp/kiji_detail.asp?NW=1&ID=3622&LS=132

2006年8月30日 (水)

風にひるがえる悪意

ひとつの心の中に悪意と善意が交錯します……いえ、そうではなく悪意とも善意ともつかない思いが、不明の中で見え隠れするのです。暴力は悪だが性は悪ではない。悪とはいわない、つまり性衝動は暴力と表現しないのです。

何度も流れたジョンベネちゃんの演技は、コンテスト映像は到底5才に見えませんでした。だがジョンベネちゃんは当時5才でした。美少女コンテストと言いますが5才は幼女でしょう。当初は日本では少女でさえなかった。幼女に女を意識させ、少女に仕立てて競わせるとは!

趣味が悪いと、昔は思いました……ところがですねえ。似た事を日本でもするんです。アニメ「ゲド戦記」のCM見ましたか? CMで主人公のスカートが風にひるがえる。パンツが見える程ひるがえります。

アニメは何歳の観客を想定するか知りませんが、私は必要ない描写と思います。多分、小さな子でもアニメだから見ます。性は刷り込まれます。性は、やがて頭の中で立派な価値基準として育つでしょう。生きる指針となって将来に影響するでしょう。

なぜ、管轄外の事に気が付いたか? 言いませんが私は気が付きました。子供たちは栄養がいいから早熟なのではなく、大人から刺激され、あおられて目覚めるのです。大人を意識するという意味で、性衝動を早くから感じます。

書きませんが教師などを商売にされている方は感じ取っておられますでしょう? そう理解すると世の不可解に一部筋が通るのです。性は暴力とイコールではありませんが、性は衝動を伴います……こういうと「それは男性だからであり……」と女性から反論がきます。

事件簿を見るまでもなく暴力的なのは男に限らない。つまり女性の性も衝動を伴い、生きる力となる意味では同じなのです。衝動に理性のハンドルをつけて、プラスに動かして行く……私としては体裁のいい事をいう他はありませんなあ。

「ウチの子は違う」とはおっしゃいますな。両親の前では猫かぶってる……失礼、友だち同士だと、お子さんはすごく大きな声で話しておられます。あれは生きる力です(笑)人を見て変わるのです。それが悪いとは書き出しから一度も言っておりません。ハンドルを、といっています。

ある意味で当然な流れです。日本は実質では米国になったのです。今はどの子もジョンベネちゃんです。カー容疑者はシロだったみたいですが、カー容疑者のような人、もう日本にもいます。大人の心得を教えた方がいいと思います。

お子さんはアニメ見られませんか? ゲド戦記を見ますでしょう!
「まあだ、ウチの子はコドモ」そうは、おっしゃいますなって。アニメは、すでに性の覚せい剤なのです。

イラストも不必要にスカートが短い。イラストではパンツは見えない約束だが、現実はそうはいかない。これを撮影する人はいる。悲しげなイラストの表情。

2006年8月29日 (火)

ぎっくり腰の治療?

実は、一昨日から腰の具合がよくないのです。よくないと言うのは、悪いという程ではないが、芳しくはないのです。ぎっくり腰気味ですがはっきりした症状に到らず、直前で止め、休み休み、その状態が続いているのです。

ぎっくり腰には馴れているので予測が出来ます。予測しておいて悪くしないで加減します。たとえば水泳を一昨日は休んで、昨日はいつもの半分程度、泳ぎました。今日はもう少し行こうと思ったのですが……やはり半分で止めました。

「今日は上がりが早いな」
――ええ、ちょっとぎっくり腰でして。
「腰が悪いのに泳ぐと?!」
――ええ、寝ていればいい物でも、ありませんので。
「ひゃあ、荒療治!」
――適度に泳ぐと調子はよくなります。
「病院には?」
――行きません。
「湿布薬は?」
――使いません。無理しないで加減して泳ぐのです。湿布薬よりプールの水の方が効きますって。
「荒療治!」

前にも違う人と、同じような会話をしたので、どうも私のやり方は理解を得られないようです。いうだけで勧めはしません。ギクッと来る前の状態で、感覚をつかみ、いい方へ持って行く。言葉ではそう説明しています。医学的ではないでしょうね。

ぎっくり腰では基本的に病院へ行きません。風邪をひいても病院に行かない人がいます。あれと同じと思うのですが、そういうと妙な顔をされます。お読みの方にも、そういう人いらっしゃいますよね。いわゆる病院嫌いではありません。

だって身障者が病院嫌いだったら、勤まらんでしょう? それこそ変な話でしょう……いえ失礼、身障者で病院嫌いはいます。筋ジストロフィとか治療が確立していない病気の人は、最初に直らない事にショックを受けて、それから医師不信になって、病院嫌いになるケース、そういう人も確かにおられます。

幸いにも、病気の方は抗生物質で簡単に直ります。ただ直った後が耳に来て、それが大変ですけどね……だからそれは誤解、それは病気の場合で、ぎっくり腰ではありません。それはですねえ……あ〜あ、だめだコリャ。

そういう訳でよくはなってますが、体調は本調子ではありません。

2006年8月28日 (月)

パソコンの中のスパイ

パソコンは存在自体が怪しい道具です。メールもネットもブログもソフトも、怪しいのは今始まった事ではありません。スパイウェアも当然、怪しい。ウィルスやウィルス対策は言われますが、スパイウェアはあまり聞きません。

私もSpybotというスパイ対策ソフトを入れてみたら、どうもSpyがいたらしい。今日は、そういう話です。ソフトは沢山は買いません。ファイア・ウォールは「ゾーンアライブ」というフリーソフトを入れています。

とはいえ先週も書いたようにゴーグルデスクトップも入れました。そういう中、どこからどう入ったのか怪しいファイルを6つ。スパイ対策ソフトがリストアップして来ます。これを対策してヤレヤレであります。

そして勉強しました。下記の定義は2つほど関係HPを読んで、私がまとめたものです。パスワードを解読して悪さをする奴とは違っています。むろんTV等でいっている、そういう奴もあると思いますが、別な心得も必要と思われます。

スパイウェアとは他のソフトとセットで配布され、インストール時にそのソフトと一括して利用条件の承諾を求められる。またスパイウェアと気づかれないよう、表に出さず隠密動作するのもある。ユーザーはスパイウェアに気づかない。スパイウェアは履歴やクッキーから、どこのサイトに行きどんな趣向があるかを調査し、知らぬ間に特定場所に情報を送ります。情報は企業のマーケティングなどに利用されます。詳しい事はHPを当たって下さい。

表立たないスパイもいるのです。それには別な必要が出てきます。ネット内には、占い、心理テストの類があります。タイプの練習とか実用的なのもあります。昔はソフトを買ってた事のほとんどが今、HPから無料で出来ます。それは便利は便利ですが、書いたようにスパイウェアの心配があるのです。

合法的なスパイというと変ですが、前にも言いました便利の裏の闇、便利も程ほどにという事です。そしてファイアウォールとは別に、AD−AWAREやSPYBOT等の対スパイウェアを導入して下さい

2006年8月27日 (日)

たまり場はありますか?

たまり場というと自分の部屋、家以外の居場所です。学生は友だちの家、部活の部屋だったりします。だんだん大人になって喫茶店や、スナックになりますな。異性の部屋や、あぶない事務所となると穏やかではありません。

私がいうのは身障者のたまり場、高齢者のたまり場という意味であります……誰ですか何だ、つまらないトいうのは(笑) 高齢者や重度身障者はデイサービスが公認のたまり場になります。たまり場も公認となると途端につまらないような、気になります。

最近は「隠れ家」という言い方もされまして、そういう場所の必要は言われています。部屋から社会にむかう中間ポイントです。若い人にもそうなんですが、だんだん場所がなくなって孤立化が進む……そこまで言うと大げさになりますか?(笑)

私は都心に行くとデパートの上階、県の図書室にたまります。パソコンをのぞいて雑誌をチェックして、新書の新刊を借りたりしますね。ただ、ここは微妙に居場所を悪くしてあります。イスが固い。コーヒー自販機はあるけど食事はするなトいいます。

つまり長居は困るのです(笑) デパート自体が、最近はイスを置いたりミニコンサートをやったりします。せいぜい1時間の限定で長引いても売り上げにはつながらない。それを知っています。県の図書室も、そういった流れの中にあります。

新本屋さんやブックオフにも、そういった流れはあります。たまり場には微妙に出来ない。それで引っ込むことはない。買い物をして図書室で一息ついて、ダイエーに回って脇のレンタルDVD屋で百円本をあさる……流れを作るのです。

何だか前にも書いたような……まあ、いいでしょう。オ−ルアバウトが50代男性に提唱する生き方というので行って見たら、何のことはない。古書漁りでありました。百円本とは書いてなかったのですがね(笑)確かに50代あたりから行き場がなくなります。
オ−ルアバウト=リクルートが主催するポータルサイトで情報を網羅している。

酒も弱くなって財布も軽くなって……たまり場を無くしたオジサンの背中に夕日が当たります。オジサンは食い物がよくなったせいでオジイサンになれない。メタボリックのお腹を抱えて、居場所たまり場を探して彷徨う訳です。

 雪よ岩よ われ等が宿り 俺たちゃ 街には 住めないからに

身障者の事を書き足すつもりが……もういいかあ。

2006年8月26日 (土)

google新機能

ゴーグル、googleの探索がよくなっています。メルアドも取れまして、少し勉強しました。ゴーグルデスクトップを再び書きたいと思います。ゴーグルのトップ画面からニュースを選ぶと日本版ニュースが出てきます。「Yahooとgoogle」8月20日

すでに私へのお勧め記事が選ばれてありギクリとしますが、それはさて置き、検索に「自立支援法」と入れて見ます。自立支援法調査いう見出しを頭に5紙、関連記事の6件が出ます。これが全体で1件で、全99件出ます(笑)すでに読みきれません。

ヤフーでも似た事をすると見出しが20件ほど出てきます。内容的には、ほぼ同じです。この段階では大差ありません。たとえば沖縄タイムスでは県の調査が入っている事が、こんな風に出てます。
「四月の障害者自立支援法の施行以降、施設利用者の負担が月平均で約一万四千円増え、負担増を理由に施設を退所した人が六月末までに三十五人いることが二十三日、県障害保健福祉課のまとめで分かった」

また埼玉新聞では街頭反対署名が行われた事その結果を書いています。
「八月二十一日現在で目標の三万筆を大きく上回る四万四千五百二十二筆が集まった。障害者だけではなく、街頭からも多くの署名が集まっている。望月武会長は「三万筆すら天文学的な数字だと思っていたので驚いている。これほど多くの障害者団体が結束して署名活動を行うのは初めて……」

赤旗や公明新聞まで本文が見れますから、どうなっているの? とも言いたくなる。ゴーグルでは琉球新報を見たついでに、同新聞の芸能欄に行けます。Coccoの初ライブの模様が出ています。ヤフーでは、こういったついで読みは出来ません。別にCoccoで検索すれば出るでしょうが……ゴーグルも先の自立援護法のように引用は出来ません。ここら辺が微妙で面白いですねえ。

自立支援法に反対意見がまとまってきている事、行政は障害者の現実をつかんでいなかった事、見通しは障害者にもつかめていない事が判りました。身障者全体はどうしたいのか、明らかに出来ないように私には見えます。多分、安心したいという事が中心になると思います。

身障者としては費用面だけでなく、もう少し主張しなければなりません。安い高いをいう前に、設備を利用したいが出来ない。知らない人がかなりありそうなのです。今の反対には、それが反映されていない……私はそこも大事と思うのです。

反対に反対しているのではないです……そういった風に沢山のニュースを見ると意見が出ます。自分がはっきりします。まとまっても来ます。こういった需要が一般的か判りませんが、ざっと見ても違いは出ます。少し身障者問題に寄り過ぎました。

ゴーグルはチャットや、メールのケータイへの無料転送を目玉にしているらしいのです。私はケータイ持っていないので、その辺の意味は判りません。メルアドは取れました。これを取らないと全機能は使えません。また初期トラブルもあるようです。今後どう定着するかは判りません。

○お勧め記事の選出は、どうも過去の検索から志向を推測するらしい。怪しいサイトに行くと、そういう案内が来るのかい?(笑)具体的に、どう機能して来るかは判りません。

2006年8月25日 (金)

時代で曲順が変わる

同じCDなのに曲順を変えたらガゼン面白くなりました。今日の取り上げはモーツァルトワークス2というベストCDです。主体はアイネ・クライネ・ナハトムジークです。これ以外は部分収録になります。

ヴァイオリン協奏曲の5と3番から、ホルン協奏曲の1と3番からそれぞれ部分、それにプラハ交響曲から2楽章、魔笛から序曲という順に変えました。ロイヤル・フィルというのは、あまり現代的な演奏はしません。

ちょっと古いタイプのオーケストラです。アイネでの演奏もそういう感じですが、これは曲自体が柔らか目です。拾い物はヴァイオリンですね。これは楽器が恐ろしくいい、ストラディヴァリウスですな(笑)

しかし甘さがなくていい。ホルンは4番がいいんですが残念という……何の話かというと、このCDは曲順がコンサートでやる曲順になっていました。家で聞くときは、緊張しないで聞くので書いたような曲順がいいのです。

コンサートでは「金、払ったぞ。さあ聞くぞう」というので構える。演奏家も正装して出てきますしね。ある緊張があって、それはそれで楽しいのです。緊張したらイカンと言ったのはサテイさんでありまして、家具のように無視されたい音楽をトいいました。

次にグールドというピアニストが「コンサートは緊張するから嫌い」とレコード録音だけにする。緊張しないで聞けと提唱しました。これも変な人でしてね。動物園で象の前で歌を歌う。すると不思議、歌に合わせて象が体を揺すり、声を上げ出した(笑)

音楽はもっと自然な形で聞けばいい、今思うとそう主張したのです。音楽を聴くのにかしこまる事はない。たかが百円CDですから(笑)今日、取り上げたのは百円じゃありませんが、モーツァルトも売れないようで、もう値引きが出てますなあ。

気楽になって楽しくなって、それから豪華な気分になって最後にシャキッとする。私たちの日常に合わせて行くと曲順の変更が必要ですね。序曲とか交響曲はどちらかというと脅かす曲でして、今はアイネ・クライネのような心浮き立つ、軽い曲から入っていいのです。

次に……という風に曲順の組み立ては変わって来ています。それを判っている演奏家と、そうではない演奏家がいます。残念ながらロイヤル・フィルは古いです。最後に序曲で締める。ボレロなど曲自体そうですね。聞き方を変えると音楽はよくなるのです。

売り場でCDを眺めていると、聞かせ所だけを集めたCDがありまして、そっちの方が高いのね。それ売れてるみたいです(笑)まあ、好きな方を買えばいいのですが、私は買わないなあ……私が古いのかも知れません。

モーツァルトワークス2 入門用の5枚組だったらしい。最初に序曲、交響曲……アイネ・クライネ・ナハトムジークは最後に収録されています。300円CDで録音はソニー、データはなくCD初期の物と思われます。

2006年8月24日 (木)

支援なし

障害者問題は難しいです。たとえば大分県で障害者授産施設では、支援法に沿って個人負担がかさんでいた。毎日新聞22日によると、通所施設らしいが勤勉にいけば行くほど負担がかさむ……当たり前だが一日置きにすれば負担も半分になる。

全部止めてしまえば負担ゼロ、経済的には通所には行かないのが一番プラスになる。つまり定年後の窓際族であります。来るなと言われても会社に行きたい(笑)笑ってはいけませんが、そう考えてもらうと判ります。重度障害者は簡単に採算が取れないのです。

それは定年も過ぎ、頭が固く現実に合わなくなった老人のような物ですなあ。会社も情けかどうか知りませんが「1年限り、給料半額で机を置いてやろう」そういう会社もあるそうです。話はそういう老人のことではありません。もっとも老人は私も老人ですがネ(笑)

「大分県は21日、1日あたり350円の奨励金を個人給付する」ト決め10月から始めるそうです。国が削った予算を県や、市が再び付け直すニュースが、ちょっと並びます。そら、よかったじゃないか! そういう声もあるでしょうが、私の思いはそうも行かないのです。

私はこう考えます……こういう通所授産施設に行きたい人は多いのでしょうか? 行かない人の代わりはまず行きたい人で埋めるべきです。少なくともその方法も検討されたい。意欲の評価はそうあるべきです。
一種のワークシェアリングです。

通所する人に補助されるので通所しない人にはされない。個人給付とは言われますが……ないとは思いますが施設に向けての補助ではいけない。施設を補助すると色々あるようですから、もうコリた方がいいでしょう。

重度障害者は簡単にペイしません。その事自体は本人にも自覚してもらう他はない。本人も周囲も社会にも理解してもらう他はない。常識やキレイ事では済まないのです。それさえ判っていない人がいますから……それから行政に責任のある見解を迫る事でしょう。

毎日新聞は23日に、身障者施設費の削減を1面トップに出しています。国はどういう考えかト疑問も書いていますが、キレイことでしょうね、これは……今段階では国は赤字減らししか考えていない、ト私は思います。市や県には将来を描くデータはないです。とりあえず削減策を続け、赤字対策の芽花のついた所で、それから福祉対策を打つつもりです。

そうでなければとは思いますが残念ながらそうです。むろん私にも対策はありません。勉強して訓練して腕を上げておいて下さい。

写真は本文とは関係なく、いえ、ちょおと皮肉を込めて貸金看板です

2006年8月23日 (水)

友情か、いじめか?3

何かを期待して関係を求めるので、それが出来ないんなら関係なんかいらない。この何かが何なのか? それも問題ですが、まあ暫く置くとしましょう。障害者が一人いて周囲に期待するのは介護力です。これは間違いないでしょう。

介護がいらなければ障害が軽く健常者と同じ、ほとんど同じという意味です。では健常者には介護はいらないか? 初めての場所や未体験の状況、あるいは不利な交渉が始まった時……それを介護というかどうかは別として必要でしょう?

相互に介護しあうというとキレイですが、介護される人はいつも介護されます。する人はいつも要求されます。相手からというのでなく状況がそうなるのです。代りに介護体験は介護力を広げて行くようです。

なぜ私はそんな事をいうか? クラス内で私は劣等生の宿題等を介護していました。どうしていいか判らなくなると優等生に援護を頼む。つまり私中心に、クラスは機能しました。調子よく説明すると、そういう事になります。

その体験から言うと人はあてになりません。障害の現実と向き合う時、友情に意味はないのです。メディア、設備、行政……今の文化はそういう風に発展しています。逆説ですが今、私があてにしているのは障害を知らない健常者です。

「銀河鉄道の夜」でジョバンニがあてにしたのはカンパネルラであって、ザネリではなかった。ザネリがジュバンニをいじめるかに見え、裏返せばジョバンニはザネリをいじめているのでは……ここに深い意味があるのかも知れません。

元々お話には教訓がついていました。イソップ童話がそうですねえ。グリムにもアンデルセンにも多少なり説教臭さはあります。宮沢賢治も「貝の火」や「夜鷹の星」はそうです。ところが鉄道に関しては、法華教に基づく教訓はない。

賢治は何か教訓を準備していて、後半でそれを放棄したように思います。未完成といわれる理由でもありましょう。教訓なんてどうだっていいじゃないか。俺だって誰かと終わりのない旅に出たい。星と星の間を列車でかけ巡りたい……ですか?(笑)

その後、999は出たし、銀河鉄道の旅というゲームソフトもありましたなあ。判ります(笑)それで賢治も教訓を放棄したのでしょう。ある意味で文学は宗教や道徳から開放され、科学の裏打ちを持って発展しました。当然なことでしょうね。

友だちのいらない現代で、なぜ人は友情を求めるか? 求める物の形がない為に友情はいじめに変形してしまう。求める友情の形を明確に、変形してきたら折角ですが別れましょう……これが無理やり出した私の答えです。

鹿川君は盛岡駅の地下街のトイレで首をくくってしまう。プラットホームには汽車が来ても、いつもとは違う別な現実に向かう汽車は見つからず、鹿川君はたった一つの答を出します。

2006年8月22日 (火)

友情か、いじめか?2

乙武さんが使った手なら説明できます。乙武洋匡さんはスポーツライターです。選手に会って取材の初めに自分もそのスポーツをやってみせます。あの身体障害でサッカーとか、野球とか、出来そうもない事をして見せます。

それは一応をなぞるだけで、インタビュー相手と同じスポーツをした事にはならないと思うのですが、相手は驚き……ないしは驚いたフリをします。そこから話を切り出してインタビューが始まるのです。健常者インタビュアーは使えない手です(笑)

長くなりますので省略しますが、似たような事を私もやっておりました。簡単にいうと、それでクラスの数人と仲良くなりました。となると自動的にクラス内での市民権が取れていきます……これは一応の基本ですが、今、どれほど利くのか?

優劣といいます。劣等感は劣等生が優等生に対して抱く感情のように言われますが、必ずしもそうではない。鹿川君事件の鹿川君は体が小さかった。クラスの首謀者は大きかったか、体力に勝っていたのだと思います。ここに今の傷の深さがあるのでは?

だが絶対ではなかった。首謀者もまた弱者である事を感じ、執拗に鹿川君を追い詰めたのです。明日はわが身という危機感が、いじめに結びついたようです……でないトすると少しは楽観できます。理解への期待、嫉妬に近い何かが渦巻いたのでは?

私の専門でいいますと「坊ちゃん」の書き出し、坊ちゃんが二階から飛び降りるシーンがあります。ここでの同級生との会話は面白い。坊ちゃんはいじめられているとは言えませんが、同級生とギャップがあります。だからこういう会話が成り立つのです。

坊ちゃんは父との会話でもギャップを見せる。父とも同級生とも馴れずギャップを抱えた漱石の素顔がのぞきます。これが宮沢賢治「銀河鉄道の夜」になるとギャップは大きくなる。そして死出の旅になって行きます。

身も蓋もなく言ってしまえば「鉄道」は心中話です。ジョバンニとカンパネルラは旅行に出るのですが、本当はザネリとジョバンニが行くはずだった。よーく読めば、それ判ります。理由はお父さんです。ジョバンニのお父さん、今、どこにいます?

それはジョバンニが、ザネリにからかわれる理由です。ジョバンニには、どうしても認めたくない事がある。それが周囲とジョバンニを隔てています。いじめの正体は、この段階で他愛ないものでした。それでも心中の様相を帯びていきます。

カンパネルラはザネリと死にます。ジョバンニが生き残る。銀河鉄道の夜は未完成稿と言われていますが、完成していますね。物語はここで終わる。後はありません。私はそう思います……しかし、私の話はここで終われない。また、明日!