« 2006年3月 | メイン | 2006年5月 »

2006年4月

2006年4月30日 (日)

数字男

三四郎はなぜ三四郎なのか。高校の制帽に三本の白線をつけていたから、とか?説はいろいろあります。漱石自身が英国留学をはさんで、熊本から東京に向かいます。それは小川三四郎より広田に重きを置かないと見えません。

その謎解きというよりギャグに近いのですが、
さんしろう→346 となります。
346→634 というのはどうでしょう。
634とは武蔵、漱石は熊本ゆかりの宮本武蔵をもじったのではないか?

根拠はあります。三四郎の相方は佐々木輿次郎です。人物像としては正岡子規をモデルにしたとされます。三四郎や美禰子、広田という動かない人物を中心に置いたので狂言回しが欲しかった。そこは理解がいきます。

佐々木輿次郎という字面から見ると、これは佐々木小次郎をもじったとしか思えません。小次郎の相方といえば武蔵しかいません。
346三四郎→426輿次郎、との語呂も合います。
あと漱石は夏目家の四男で、2人亡くなり次男になったトも読めます。

「文学に、そんな数字の語呂合わせがあるかぁ?」と云われると思うのですが、それで最初にギャグですと申し上げた由縁です。ただ、ですねえ。漱石はお金にうるさい人なのです。何円何十銭というのが、くどく出てきます。それに本名金之助は変わらなかった。

漱石は切れない縁を結びます。美禰子の美貌に三四郎が参っただけでは安心出来ず、美禰子から三四郎に金を借りさせます。二人は20円を借りる所で始まり、20円を返す所で終わる。つまり三四郎は美禰子の支配下にある。ほとんど恋愛ではありません。

いくぶん脱線を承知でいいますが、この20円という金額には意味があります。正岡子規家では月25円の実入りがあった。そのうち5円で子規のお母さんと妹が暮し、20円で子規の病気治療等の費用に当てた。この小説の大筋に取り込まれます。

少なくとも漱石は、金勘定を無意味に書き込む人ではないのです。重視したんです。346だの426だのという語呂合わせを、やらなかった。その証明がむしろ難しいのではないか?

あまり本気ではありませんが申し上げます。いい男を見つけたら金を借りなさい。いい女に会ったら金を貸しなさい(笑)縁を深くするには円が最適、お後がよろしいようで。

2006年4月29日 (土)

コンセント

コンセントという小説が売れたのは何時だったのでしょう? この小説は「三四郎」を下敷きにした気配があります。心理学から精神分析へ、またオカルト風に青春を解剖して見せる。その手つきは、いかにも今風なのですが……

人を殺すに理由があるように恋愛にも、本当は動機があります。本人が自覚するしないの問題は置いて、ショーウィンドウの商品にあこがれるだけの理由があるように……もっとも父を刺す息子、母に薬を盛る娘に理由はないのですが……

兄の死で始まる「コンセント」は、かなり経ってから主人公ユキが兄を慕っていた事が判ります。多分、読者に納得のいかない理由でワケが説明されます。大昔のこと、高校の読書会で、三四郎と美禰子の恋愛には、皆いっせいに反発しました(笑)

冒頭、ユキはセックスの後、パソコンで株価をのぞきます。三四郎の序章、女は経済破綻から発情していて三四郎を誘います。そのワケが判らない三四郎はノミよけのまじないで難を逃れる(?)つまり性欲にまで理由が必要という、言い草が同じなのです。

恋愛もそうではないか? とても高校生には理解できない恋愛論であります。田口ランディさんはベストセラーになったのかぁ! この人は伏線も何もなくて物語をひょこひょこ展開します。それを最後まで読まずに書いている私、なんて無謀でしょう?

読書会では特に女生徒が反対しました。こんなのないト。田口さんの読者は女性でしょ? とすると世の中は進歩したのかなあ……死んだのはユキの兄ですが、ユキにも自殺願望がある。それは隠されたまま小説は進行する。

マドンナとはいえ、父母が破たんした後、どこかに愛を求めるとすれば恋愛しかない。ユキは恋人、教授、同級生……と愛の対象を求めて彷徨するのです。だがこりゃ、どこにも何もないでしょう。そういえば三四郎と美禰子の恋愛も最後に破たんします。

二人には父が居ない。若いのに経済的な後ろ立てがない。そこに悲恋の理由があるのですが、漱石自身がこの意味をはぐらかしたようです。三四郎にはモデルがあって草野某といいます。草野さんから話を聞いて漱石は先に書いた。草野さんは後で「煤煙」を書きます。

美禰子のモデルは平塚らいちょうでして、漱石はこちらには取材していない。なぜか? 漱石は女装したかったんじゃあないかな? だって世界で始めて猫に化けた男ですよ、漱石は。女に化けるくらい訳がないでしょう
2月10日「猫に化けた男」3月9日「食い過ぎた男」


では田口さんはどうか? 結末に期待して今から読むところです。それからイラストはコンセントではありません。田口さんも書いてますが、これはプラグです(笑)

熊本日々新聞では夕刊で最近、「三四郎」を連載した。

2006年4月28日 (金)

カトちゃんの日曜日 2

みにくいアヒルの子が白鳥になるとは限りません。それでもガチョウくらいにはなる事がある。チャンスをものに出来たら……ボランティア志願は女の子に限られる訳ではないのですが、女の子に多い。人間関係のプロは男ではなく女性なのでしょう。

「君は大丈夫かな」CDを買った後でカトちゃんがいいました。
「何がですか?」エミちゃんが言いました。
「腹減ってない?」
「いいえ……アノ、子供じゃありません。アタシ」
「あ、ソウ……じゃ、喉、乾かない?」
「上階の展望喫茶ですか?」
「そうそう! 行かない? コーヒーよりアイスかな」
「行ってもいいです……まあ、アイスですね」

喫茶店内は日曜日だというのにガラガラでした。ウェイターが3人いてウェイトレスはいません。カトちゃんは思わず引いたのですが、先にエミちゃんが入ってしまいました。もう入らない訳にはいかないのでした。

嫌な予感がしました。なぜなら注文する時にウェイターが刺すように見たのです。カトちゃんは気に入りません。それだけの事ですがどうにも気になりました。不安は緊張を誘い、緊張は吃音をひどくしました。顔が赤くなり、急に黙り込んで見えるカトちゃんに、エミちゃんも不安になります。

コーヒーもアイスクリームも出ないうちに予感は的中しました。暫くすると2人連れの男たちが来ました。一人は年配の、一人は若いの……若い方がウェイターと目配せをします。年配の方が止めようとしましたが、若い方が早かった。カトちゃんの方に歩み寄りました。

「君。君だよ君……身分証を持っていたら見せたまえ。昼間から酔って何をしている」
「君こそ何を言っている」カトちゃんはそう言ったつもりですが、言葉はそうはなりません。意味不明のロレツの回らない声がもれただけでした。

「何なのですか! この人が何かしたのですか」とエミちゃん。
すると年配の男が黙ってカトちゃんに歩み寄り、顔を覗きました。両肩に手を置き鼻先がくっつくほど近く、息を嗅いだのです。
「こりゃ、違うな。ウェイターさんの間違いだ。お客さん、失礼しました。いや最近、酔ってイタズラする輩が多いもんで……当方の間違いでした。これこの通り、すみませんでした」年配の男は頭を下げました。

「私は保安警備のこういう者です」そういって名刺をさし出し、
「お前も失礼をお詫びしろ」と若い警備員をうながしました。
男たちが去った後で、ウェイターはコーヒーとアイスクリームを持ってきました。ペコリと頭を下げてあやまりました。

カトちゃんは何も言わずに見ていました。
「飲んで……アタシも食べるね」エミちゃんがいいました。
コーヒーを一口飲んでカトちゃんがいいました。
「いい事があると悪い事がある。悪い事があっていい事がある。こんな風だったけど、今日はエミちゃんに会えてよかった」と。
するとカトちゃんの前で16才のアヒルの子がガチョウになりました。

すべての登場人物にモデルはありません。本編は小説です。

2006年4月27日 (木)

カトちゃんの日曜日

カトちゃんが26才になった日曜日のことです。デパートの入口、プレートの上でつまづきます。街で誰かが捨てたレジ袋、風に吹かれて飛んで靴先にかかった。カトちゃんはよけられません。一番目立つ所で派手に転びます。年に一度はこういう事がある。

そして月に1度くらい、もう少し地味に転びます。酔ったように歩くから、そう、カトちゃんは身障者でした。デパートの中からは小学生が出て来ます。いえ小学生に見えて小学生でなかった女生徒は高校の制服を着ていて、カトちゃんを見るのです。

「大丈夫ですか」もっと言おうとして女生徒は言葉が思い浮かばずに終わります。
「大丈夫、平気だ」言語障害のある口調でカトちゃんが言います。
よくある話で二人は一言づついって、それぎりになるはずでした。カトちゃんは地下に降りパンを買い、それからCDロムを買いにエスカレータに乗ります。

こんどは滑らないように用心しながら1階で乗り継ごうとする。
そこにあの、小さな女生徒が来ます。カトちゃんを見かけて歩き寄るのです。そしてペコンとおじきをする。
「また会ったね」カトちゃんはクシャクシャの笑顔を作ります。

「本当に大丈夫ですか?」女生徒は笑顔を作るのがうまくない。笑うのがヘタなのにエミっていうんです。
「……本当は肘を打ったので痛いけどね。でも君のせいじゃないよ」
「中学の時に授業で車椅子を押したことがあります」

「そうなんだ。フーン、授業でね」
「でも、本当の身障者の人とは話した事がない……これから、どう……どこへ行くんですか」
「僕? 僕はこの上でCD買うの」
「一緒に行っていいですか」
「手伝ってくれるんだ」
「まあ、そういう事です」

エミちゃんに安堵の表情が浮かびます。すると女生徒、エミちゃんの顔は見易くなります。顔からも体からも女生徒は、家族にも友達にも十分に愛されているようには見えません。身長は伸び足りず、笑顔を作るのも下手、エミちゃんは日曜日だというのにひとり、自分が嫌になっていたのです。

カトちゃんは再登場、エミちゃんにもモデルはありません。本編は小説です。

2006年4月26日 (水)

借金つまり多重債務

多重債務の記事が出ています。(国民生活センターアンケに基づく)私は借金経験がなく判らない部分も多いのです。これによると業者は、最初から必要以上に貸そうとします。そして追加の借入を勧める。返済時には返済しない再借入を勧めます。(毎日新聞13面)

これはローン業者だけではありません。私がADSLを試した時も、出来るだけ付加サービスを沢山つけるよう話を持っていきます。電気店には電話会社や接続会社の社員が出向していて、接続込みでパソコンを売ろうとします。

ついでながら、私は店でローンを担当していました。それでローンには若干の知識があります。まずはローン、借りる事に慣れさせる。仕組みは似ている。欲しい物を我慢しない習慣を身につける、つけさせます。あと客を一泊旅行に連れて行く所もあります。

パソコンを買うならプリンタも買いなさい。一緒にソフトやスキャナーもタブレットもいっぺんに買ったらどうですか? 予算がないトいうと月1万のリボ払いでいい。そういう訳です。プリンタはともかく、いきなりスキャナーを使いこなせる訳はない。後でいいものを、まず買わせちゃう。

2級年金の身障者は月6万をもらっています。これは2ヵ月分を振り込みで受け取る。業者は、この通帳を担保に取らない決まり。ところがカガワという業者が印鑑込みで取って、これを別な銀行に変える。元の通帳を返したから違反ではない。ト主張したらしい。

理屈はともかく原理は同じですから、やっぱり違反と捕まった。業者は月々5万を貸して通帳から6万を取る。づっと月1万の身入りです。解約はさせない、出来なくなる仕組み。金のない人から絞るのはそういう方法です。

健常者の場合、業者にはもっと身入りがあって、まず若い人には親が居る。本人を破綻させて家族から取る。友達からとか持ち家があれば売らせるとか……いろいろ絞る方法はあるのです。貧乏は貧乏なりに金持ちはたっぷり絞られます。

「借りるから悪い、何で余計に借りた」とは、いちがいには言えません。それに借りるのは慣れです。ADSL便利だから使っちゃおうか、私だって思いましたモン。あれはパソコン依存が深まります。新聞いらない、辞書いらない、友達いらない。

USENにつなげばTVもいらない。パソコンさえあればいいんですモン。新聞とNHK解約して、自分の部屋に閉じこもるト……でも、それ豊かな事ですか? 私は違う気がした、それもあってADSLは止めたんです。

それはどうでもいい、話は借金です。35%が最後に自殺を考えます。22%、別居など家庭破綻。20%、蒸発も考えます。でも6万の年金の人が5万になっても人間は慣れます。ずーっと5万だったように思う。1年経たないうちの自分の年金額も忘れてしまう。こわいネ。

昔はローンもゆるい所があって、うまい利用法もありました。今はキツイらしい。最初に上げた注意点を頭において裏をかく、一回だけならまだ使えるかも知れません。

借金してませんか? いいパソコン使ってますか? あなたにとっての豊かさとは何か、自覚してますか?

2006年4月24日 (月)

天国の本屋

天国の本屋〜恋火〜を観てアッと思います。ここには現実がない、ファンタジーだから私もあなたも夢の住人というのです。「今、会いに行きます」も観ていますが同じ印象を受けました。これは、ちょっと危ないんじゃないかなあ?

ハリー・ポッター、ロードオブザリング、いわゆるファンタジーに属する物語はずいぶん前からありました。私も指輪物語は読んだ方です。ただ本で読むのと映画で見るのには基本的な違いがあります。本には敷居の高さがあって、それを跨ぐ力が必要でした。

その敷居の高さがなくなり、見ていればいいのが特撮映画の特色です。たとえばナイフで人の胸を刺して赤い血がほとばしるのが現実で、赤いバラが飛び散り部屋がバラでいっぱいになるのがファンタジーです……ですよね? 死んだはずの人が生きていたりする。

主人公には恋人がいます。でも恋人は生前、YESだったのかNOなのか、よく判らない。それで自分もまたYESなのかNOだったのか、よく判らない。こんな曖昧な話が成立するのでしょうか?(笑)多分、現実ではないから大丈夫なのでしょう。(映画のネタばらしはルール違反なので、ここまで)

そういえば寅さんはリリィと結婚の話が出ると、意見保留のまま旅に出るんですよね……そうか、竹内結子さんは寅さんの跡目を継いだのか(笑)冗談はさて置き、その曖昧さは曖昧なまま肯定されて終わります。これで映画館を出て行けるの?

知らない人に言って置きますが、寅さんにはTV版がありまして、TVでは寅さんはハブに噛まれて死ぬ。山田監督に、サクラ役の長山藍子さんが「何も殺さなくても」というと、監督は「こんな奴は殺さなくてはいけない」恐い顔でいったトされます。

つまり寅さんは否定的に描かれた時期、面がある。だが竹内さんの主人公は全面的に肯定されます。肯定されすぎの気味があります。一回きりの本番は緊張を伴います。緊張の時で、私も書いています。だからといって、うまく行ったら本番あつかい。不味かったらリハーサルというのでは、成功の意味も半分になる。

3回ルールなら意味は3分の1、4回ルールなら4分の1になる……野球やってるんじゃないんだから。ここ一番、一発で決めなくては……敷居は低くルールは甘くというのは変です。生きる意味を薄くする。この変に野球の影響というつもりはありません。

原因は私たちが甘かったから、若い人が育っていないト反省するしかないでしょう。一回しかないから人生、現実にはリセットスイッチがないから意味が深いのです。

2006年4月23日 (日)

コーヒーの効用

コーヒーはタバコや酒と同じ嗜好品と思われました。私も思っていました。ただコーヒーに関しては体にいいという説も前からチラチラとはありました。つまり、いい学説と悪い説が交互に出ていました。酒タバコと全く同列ではなかった。

糖尿病予防にコーヒー、日本茶との新聞記事が出ています。コーヒーなら日に3杯日本茶なら6杯、しかし紅茶やウーロンは効果が出なかった。どうも原因はカフェインと特定できないらしい。

コーヒー嫌いの人はいて、そういう人は日本茶か紅茶を愛好しました。私の場合はコーヒーが必要でした。コーヒーはストレス解消効果が高い。それは匂いです。一口飲めば判ります。疑う人にまで声高にいう気はありません。

私が人にコーヒーを入れ始めたのは40年くらい前で、その頃は自宅で入れてもうまく入りません。飲む方も半信半疑、怪しいと見られていました。飲んでも果たして中らないか? そこまではないか。

へぇー、というのは旨い意味ではありません。「こんなに黒く、喫茶店と同じだねえ」ト妙な関心をされます。これをブラックで飲んでいると、また関心される。「こんなに立てられるなら喫茶店も出来るだろう、やろ」と言われる。


「ちょっと今度、ウチで祭りをします。コーヒー入れて下さい」6時から9時まで2百杯と言います。祭りの振る舞い、無料とはいっても7月中旬、暑い時に飲む人が来るかどうか……しかしタダだと来ましたなあ。2時間ちょっとで底をつきます。

コーヒーは2百杯入れると匂いで嫌になります。もう自分では飲みたくない。翌年の祭りは2時間で終わります。初めて休みなくパッパかパッパか入れて、それでも間に合わない。3年目は前の日にアイスを作って、半分の百杯でごまかします。結果は記録更新、1時間半で終わります。

4年目は……5年だったか足悪くして、私は欠席。祭りはインスタントを作るのですが出なかったそうです。6年目はコーヒーなしになります。まあ、その頃からコーヒーは珍しくなくなります。

おばあちゃんが砂糖をウンと入れて飲むようになり、おじいちゃんが「オレも飲む」と言うようになります。そうまでされると糖尿を誘発しそうで恐い。新聞にはありませんが、これはやっぱりブラックで飲むのが効果があります。

私の行きつけの店、コーヒー売場には先のニュースが去年から提示してあります。

2006年4月22日 (土)

からっぽの洞窟

読んでいる本は「インターネットはからっぽの洞窟」に半ば共感し、もう半分が共感できません。それはそうだけど今さらどうしろトいうのか?
読んでない人に言って置きますと、これはパソコン論であり現代論です。話を縮めて短絡させて言えば、パソコンも善し悪しだよ。
あるいは最近の時代傾向も善し悪しでね、結論が昔はよかったね。そういう事になりかねません。

少し論点をしぼれば、ネットも中身は文章で成り立ちます。
文章というのは書き手がいくら推敲するより、編集が入るに越した事はありません。(一応、編集がどういう物か知っています)その推敲も編集もないブログで、名文たって高がしれています。

HPにも限界があり、ましてパソコン・マニュアルの判り憎さには定評が立ちます。つまり本にはかなわない。同じ本でもベストセラーと古典では違いがあります。
97年のベストセラーの本書は今でこそ誰にでも理解がいくと思われますが、ベストセラー当時は内容が新し過ぎた、でしょうね。
何しろ私は当時、パソコン通信をやっていました。(笑、遅すぎ?)読んでも意味が判らなかったでしょう。

これは当時、パソコンをやるか迷う人が、やりたくなくて安心を求める免罪符にした本ですな。ちなみに私が買った古本は綴じに読まれた形跡がない。しおり紐が傷んでいるだけ。時間を経て残る本には意外な意味がありますなあ(笑)でもパソコンを止めるのは間違った判断でした。

パソコンは極端なテクノロジーですが、自動車にも似たような所がありました。自動車免許は必要ないと言われた時代がありまして、免許に消極的な人はいました。コンビニがこれだけ増えた中で郊外のスーパーやドラッグストアに、軽車で行く習慣が消えません。パソコンも自動車も、似たようなモンでしょう。

身障者にも車は高くつくと考え、免許取らない人がいました。最初の頃に不自由を我慢し、最後まで我慢を続けることになります。今や身障者も車に乗れてパソコン出来て、外国語のひとつもマスターすれば、障害は問題にされない。まあ間違った判断でした。

厄介で高くついても、ないとどんなに困るか。知らないのもバッカ、どこかにはケータイも持ってないバッカがいますなあ(私!)
私は今の所ケータイを使いませんがケータイが嫌いで、ケータイのない国に引っ越そうというのではない。もう、そんな国はありゃしませんがネ。

つまり読み違いです。ネットの情報は表層的ですが表層のない深みはない。我慢に慣れて最後まで通すのも意固地ですネエ。ただ本もネットと同じような所はあって、ベストセラーは常識ですが、あわてて読む必要はないかもしれない。

ベストセラーというのはすぐ要点が解説されます。だから「ベストセラーはからっぽの洞窟」数年たたない内に粗筋が見える。そんな中で本当の意味も現れる。それから読んでも遅くないかもしれません。でもねえ、(笑)最後まで読まないのは?

身障者が、なぜ最初の我慢を最後まで持ち越したか? 最初の判断に固着したからです。人間はそういう所があります。今さらやれるか!
この本はネットをする事を前提に書かれます。批判ではなく注意、ノムさんのボヤきですなあ。ネットだけでは足りないとは書かれても、やらない言い訳はないです。

2006年4月21日 (金)

朝の薔薇

バラが咲いた。バラの咲く頃、紅く咲いた。
バラはバラ色、夢は夢色、バラ一本は朝の色。
今日の希望、私の胸の中身、脈打つ心臓、いや心が脈打っている。
ぬくもりに心が熱くなる。春のせい季節のせい陽気のせい、熱くなる。
もうひとつ薄いシャツはないか?

水はポットの中で熱くなる。ガスのせい電気のせいランプのせい、熱くなる。
湯になる。熱い湯は紅茶のためコーヒーのためウーロンか緑茶のための朝の習慣。
食事はオムレツ、トースト、バゲット、クロワッサン……イースト菌の匂い。
バター、牛乳、ヨーグルト、チーズ……お前の匂い。

お前の笑顔、お前の目、お前の口、唇。額のしわ。朝の話題。
食卓の中央に一輪挿しでただ一輪、飾るバラ。真紅のバラ。
バラの上を時は過ぎ行き、バラは開きバラは開き過ぎ、

赤はねじれ赤は渇く、黒く渇く。渇いた花びら。
バラは散る。バラはしおれ、テーブルクロスに花粉を散らす。
新聞の会談、国際対話、昨日の事件……一人の食卓に渡辺宣詞。
お前はいない、今日、帰らない。

渡辺宣詞=TV番組「スーパーモーニング」のキャスター

2006年4月20日 (木)

目標と危機感

これは相談としたものか? 違うものか?
プールに行くと呼ぶ声がします。「アタ、アタ……」
顔見知りではありますが名前は知らない方です。50才、先日プールで話した事があります。で、その続きです。

「50mは泳げるが息が苦しくて」水泳は止めたいと言って止めた人です。
――9割まで行ってますよ。もう1、2割がイケてないのです。もう一息です。
「そこまでしてもナンなかっだろ? もうヨカ!」

――それは山登りでも頂上には何もありません(笑)でも、せっかくですから。もう少しやりませんか(笑)
「アタ、何でしよっと?」
――私は、足悪いですから。泳がないと益々わるくなる。

「休まずに延々と泳ぐもんなあ」
――あなたもすぐ、そうなりますって。やりましょう!(笑)
「いや、もうよか。修行じゃなかっだけん」
――それはそうです(笑)何があるとやれますか?

「その胸が三角になるとエエなぁ」
私の胸は三角らしい。水泳もあるが両ステッキで歩くためです。プロテインはたべていません。健常者にうらやましがられても仕方がない。
――これはちょっと泳ぎでは無理です。

NHK教育TV、木曜の12:30と22:00に水泳教室をやっています。
教室はどこのプールでもやっていますが、教室で教えないことがあります。レベルに達するまでは苦しい事です。金メダル世界一の誰かも「練習は苦しい」と言っていました。

50才というのは昔の水準でいうと寿命を生き切っています。お寺に行って古い墓の裏を読むと、享年42とか47とか昔の寿命は短かった。今は竹中直人が「これからは出世より長生きだ」といってヨーグルトを飲みます。
あの人も50くらいでは?

ただ先の人のように長生きしても目的がない人には、生きがいはないでしょう。私も別に長生きしたくて泳ぐ訳ではないのですが、まあ、暫くは、くたばりません。車椅子いりません。私と同年輩で、若い頃同じような障害だった人は、たいてい車椅子を使っています。

「どうも体力が落ちて、風邪がヒドイ」という人もいます。風邪はひかない。ブログを始めて、このところ頭の回転が良くなった(笑)バカをいうのは私だけです。長生きにも目標がいります。危機感がないと困ります。

質問氏のように楽ばかり求めても……ねえ。かと言ってまさかロビーで、
「あなた、いっぺん死に損なってみますか?」ともいえません。
泳ぐのが苦しいのではなく、生きることが苦しいのです、多分。
10代より20代、30代より40代、年を追うごとに生きるのが難しくなる。

それはそうでしょう、ヨーグルトだけ飲めばいい物ではない。ローリング・ストーンズの健在ぶりが話題になりましたがミック・ジャガーはプロテインを食べれば、それで出来るものでもない。

遠い目標は健常者のモノで、身近な危機感は身障者のモノでしょう。
ずいぶん違うもののように見え、ほとんど同じ役割を果たします。