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2006年3月

2006年3月21日 (火)

ケーテ・コルヴィッツ展

熊本県立美術館に行きました。年1回、身障者招待日があります。今年は団体で入る様子もなく、これなら健常者と混ざった方が……とも思いました。身障者になってから特に芸術好きになりました。何か関係が? ……私の場合は関係あると思います。

芸術は死をあつかう。私は死に損なって身障者になりました。死を間近に見たので、生き返っても目先にチラついてしょうがない。いわば亡霊のように生きる訳です。人に名前をよばれても自分のような気が、どうもしない。

寝ると悪夢に目が覚める。昼の光が夢のようで実感がなく、夜になるとホッとする。それは芸術と似ています。芸術家は日常生活を問題にしません。いつも死を考えていて、その対比としての生です。明日の朝食より今夜の作品なのです。

今回、ケーテ・コルヴィッツという版画家もそうです。まず大量死である反乱がまずテーマです。次に夜、戦場を息子の死体を捜して歩く母がテーマになります……楽しくない風景です。怖い内容です。一般に楽しめません。だが、それがケーテには楽しい。

楽しいと言ってしまうと違うのですが、まあそういうに近い。私も楽しい子供ではなかった。そうでしょう。死に損なったから死神はまた連れに来るト思ってました。生き返った実感はない。ケーテの感覚がそうです。どこか死が甘美に感じられる。

定刻、早く行き過ぎたので村山学芸員の解説はまだでした。一人で見ようとすると「ボランティア解説をしましょう」と言われる。人っ気もあまりないのでお願いしました。横田さんと言われるベテランは、お上手で出口が恐くなるほどです。
(本当は有料ではないか? 私のサイフはいつも軽いという冗談)

――ケーテさんは美人と言うよりハンサムですね。
「それ、子供がいいます。これ女の人? 男の人?」
――ああ、トという事は何かヤな事があって、それを乗り越えた顔ですね。そうすると人間は立派な顔になります。

私は芸術が判るのではなく体得しています。初対面の緊張をへらず口で解消しようとも、します。しかし横田さんがケーテを尊敬されているのを感じましたので、私は黙ります。ケーテはムンクに似ています。ムンクの絵の一枚は、嫌な体験とつながっています。

ケーテはデッサン力や直感力でムンクに勝りました。しかし品がない。多分、品のなさがケーテを、もう一つ有名にしなかった……ですが、そのケーテも行き着くところは家族です。娘と孫娘を抱くテーマを出します。

芸術は大体、プラマイゼロで落ち着きます。死んだ子供から出発したケーテの主題は生きる子供、家族の日常で終わります。ひとりものの私の主題は死に始まり死に終わりそうです。ですから品がないといえば、私が一番、品がないのでしょう。

私は横田さんに個人的な質問をしようとして、あわててそれを飲み込みます。美術館の外には早い桜が咲いていました。

2006年3月20日 (月)

ネット、ブログという方法

ネットの使いこなしは難しい。パソコンの使いこなしと言ってもいい訳ですが、あまり話を広げても何ですから、ネットに限定しておきましょう。私もHPを作って、それを2度、更新した所で挫折しました。3日坊主です。

そのHPの内容はどういうモノかというと、写真と文章の組み合わせ、それに音声コメントを付けたモノでした。1分のしゃべりというのは結局、原稿を書くことになり、一枚の絵に2つのコメントを作る事になりました。もう判るでしょうが気が重かった。

敷居を高くすると跨ぐのが辛い。低くすると訳の判らない人が入って来ます。このブログに数人の人がコメントをつけてくれています。コメントとは別に数人がメールをくれました。それから数人が自分のブログで……言及されています。

それは全部たしても二桁にならない。なぜ少ないか? やっぱり敷居が高い。コメント出しづらい。もともとコメントは自分を出す事になる。露出はしたくない。あるいはブログの使用法が判らない。そういった具体的な問題があります。

ブログ参加が出来る人は、金銭的にもパソコン環境的にも、文章力からも豊かでしょう。ケータイから出来るとはいいますが、ケータイからのコミュニケーション力と、パソコンのコミュニケーション力では桁が違いましょう?

そういう意味で敷居が高いんです。話を少し絞りましょう。ブログをやっている身障者は、いろいろおられます。端的に申し上げて自分のような身障者と連絡を取りたがる。典型的に30代女性聴覚障害者があるとすると、肢体でも男性でもいいト文面では書かれますが……

(肢体はもともと身体の事です。公的には障害者を障がい者と表現する流れにある。穏便ですが言葉狩です。私が身障者という時は劣等感を抱えた人、知的障害をも広く含みます)

本音の本音は違う。珍しい病気の方は周囲に同じ病気の人がいない。でブログを開かれます。それこれやで端的には身障者同士の連絡を取ろうとされます。気持ちはよく判ります。別に非難はしません。だが誰とも連絡がつかずブログは閉店になる、可能性は高まります。

閉店はいいが、そういう人は困った事を抱えて解決がつかない。なかなか人には言えない。端的には死のうと思った事がある……そこまでは考えなかった?まあ似たようなものです。また、そういう人が何人か集まっても、やはり解決がない場合がある。

話を飛躍させて、仲間を募って死ぬのがネットなら、逆も出来るはずです。が、これが難しい。どうどう巡りになる。物事は少し視点をずらして見ていく必要があります。だが本人には判らない事も多いですね。

視点をずらし続け、もっとDVDの話でお気楽にやればよかったか? 私のブログはそうでもない。固い話は固いなりに受ける傾向があって、今日のこの話はこれはこれで需要があるト思います。紙のかけはしではなかった事です。

私のブログから10人弱の人はプラス方向に変化が出たと思います。しかし気になる人もいます。その後、連絡が取れない人もあります。生き方、行き方はいろいろですが死に方は、そうはない。死ぬ方はまとまり易い。

私の場合は、親がいうに11才の時に「死にたい」といったそうです。その記憶は定かではありませんが、死にたい要望については敏感です。ただ若い人は判りません。少しマイナス方向に出たかもしれません。

2006年3月19日 (日)

木蓮の雨の夜明けや花泥棒

モクレンの写真というのは厄介です。花としては大きいのでクローズアップレンズを使う訳にはいかない。背景紙もやたら大きい物を必要とする。ほとんどのモクレンは白く、ハクモクレンというそうです。その白さを表現しなければなりません。

白というのが厄介で、真っ白は色になりません。少し灰色だったり茶が入るから白色になるんです。それを表現するとなると普通、汚れになります。花はキレイでなければならない。通念がありますから大きく外れると嫌がられます。

本当のことをいえば枯れた花も美しい。ただ社会通念が許さないだけです。雨に濡れて地に落ち、乾いては腐食していく花を、これはどうです? なあーんて私はいいません(笑)いっていますがね! もう少し申し上げます。

通りに面した小さな庭にモクレンが咲いていて、仕舞いかたです。枝にある方を取って来てもよかったのですが、人の目がある。家の人はいないようでした。はっきりいえば廃家のようにも見えた。ちょっと迷って地に落ちた花びらの方を拾って来ました。

実物をスキャナーにかけて映像化する。何度もやっていますので慣れたと思いますが正しくは写真ではなくコピー。花びらはどんどん茶色くなる。もう少し茶色い方が哀れの色はこくなります。この映像はちょおと早かったのかも知れません。

映像的には黒バックがいいのですが、私は新聞紙を多用します。なぜか? サイズの表現がいります。まあ、今日の場合はどうでもいいのですが通してのお約束という事です。

白が茶色に茶色が黒に、花びらは美しく意味を失っていくが人はそうではない。最後の最後まで欲を張り、意地を通していく。あわよくば死んだ後まで自分の意味を書き残そうとする……イエイエ、私。私の話です(笑)

昔、他人から聞いた事があります。人間は最初に動物に関心がいく。次に植物、最後は石に落ち着く。もちろん、その人は石に関心のお人でした。どうもそれが最近あやしく思え……そうでしょう。養老さんとか昆虫が趣味、関心のまま人はいるんです。

私も蝶が好きでしょうがないのです。ただ体力が追いつかなくなった(笑)女性の場合、早くから植物に関心が固定されていると思ったら、あれは植物全体に関心があるのではなく、花の部分に関心がおありです。だと私と大差はありません。

紫色はシモクレン。モクレンの人気は、青空に向かって飛び立つ鳥に似ているから。いえ、飛び立とうとして飛び立つ事のない鳥……雨に濡れ地に落ちる花びら。いつか今度あなたを写真に撮りましょう! え、いらない?

2006年3月18日 (土)

本屋、何軒、知ってます?

本を読まないとダメになります。何か考える時に本が一番効きます。判らない人には言ってもムダですが、小遣いから本代をどう捻出するかで人生の価値が決まります(笑)チト大げさか? まあ、それくらいのモンです。

本は新本だと本屋で買います。当たり前すぎて書くのが恥ずかしい。ただ図書館という手もあります。人気の本は順番待ち、そうまでして読みたくない? 私の場合は図書館より、県営交流舘がデパートの9Fにあって、そこの図書室を使っています。

文学はなく、ここでも書いた「就職がこわい」や、地元の出版本などをここで調達します。熊本は牧畜も盛んで牛肉を推奨する県ですが、BSEの本もありました。デパートですから地下で食料を調達し、途中階に本屋があって、それから図書室を使います。

古本は中古センターです。今、売れているのは東野圭吾さんですね。ちょっと前には桐野夏生さんに「高価買取」の印がありましたが、今は外れました。佐藤秀峰さんの「ブラックジャックによろしく」は、4百円から50円と店によって大きく価格がバラつきます。中古センターに行くと本の売れ具合が、新本屋よりもよく見えます。

「インターネットはからっぽの洞窟」を百円で買ってきましたが、ベストセラーと売れない本は意外と早く百円、50円になります。本も百円で買うと量読めますでしょう? え、図書室は無料?(笑)往復の足手間があるでしょう?

さらにネットにはアマゾンや青空文庫があります。一般書店在庫なしの本がアマゾンにはあったり、逆だったりしますなあ。漱石の小説を青空文庫からテキストファイルでダウンロードして分析に使います。野口悠紀雄さんも超整理法で書いています。私の場合は、たとえば「坊っちゃん」の中に「赤」の活字は幾つ使われるか、何に使われたか調べるのです。

全部、新本だとまかないきれない。古本には他人が何を読み、読もうとしないか……そこを読む楽しみもあります。たとえば東野さんと桐野さんの共通点は何か? どちらも悪人が主人公として登場するんです。しかし、いわゆるピカレスク、悪漢小説ではない。何でしょうねコレ? もうひとつ判りませんが、魂萌え、白夜行のヒットは流れとしても捕らえる事が出来ます。

私は偽善に限界が見えているのではト思います。偽悪の流行かあ? 本を買う、あるいは借りる窓口を違えると、違う現実が見えてきます。それは倹約以上のモノと私は考えます。流れに従うか、あるいは逆らうか。生き方も問われます。もう一度言います。

本を読まないとダメになります。何か考える時に本が効きます。小遣いから本代をどう捻出するかで人生の価値が決まります。今度はまあまあです。今日は落語になりませんでした(笑)

2006年3月17日 (金)

TVはもう見ない!?

視覚障害者はカリスマ性がある。何か特別な能力はあるのか? その手の話が時々あります。バカバカしいのでコメントしませんが、取り上げ方では面白いかもしれません。

さて一般にニュースはTVで見ます、情報として入れます。視覚障害者もTVで音だけで入れておられる方はおられます。TVのニュースは高密度になっていて、見ていても見逃す、聞いていても聞き逃す部分があります。

10分とかTVニュースを見て、何が判ったかというと怪しい。結局、何も判っていない時もあるのでは? ラジオのニュースは高密度化をあきらめます。絵がないから詳しい事は最初からやらない。ラジオニュースを10分聞くとします。ラジオの方がよく判るんです。

TVより理解がいく……いいましたように情報が絞られる。そこは割り引いて下さいよ。TVとラジオ、あなたはどっちが理解しやすいですか? 私が何をいいたいか。つまり視覚障害者が頭よく見えるトリックを説明しているんです(笑)
トリックという事はないが。

視覚障害者は最初からTVのない部屋に住んでおられる。便利だと思います?移りたいと思います? 私、何でこんな事を思うかといいますと、私はTVが見れない。だってブログのネタを仕込むのに忙しくて、TV見ている暇がない。今、ラジオのニュース聞きながら書いています(笑)ブログ書くようになってTV見ていないんです。

QーringにはTVを持たないという人がありまして、理由を聞いたら「引きずられて」見すぎるからトいわれる。有意義な番組に引きずられるならいいが、つまらない番組をつい見てしまう。それなら最初からTVを部屋に入れない方がいいですね。

地デジになればTV番組の質が上がるか、その保証はないです。もうTVは見ない。ラジオを聞こう。本を読もう。ブログを書こう……そういう事だってアリですよねえ。そうすると少なくとも、ある意味ではみんな頭がよくなる可能性があります。

私はTV見ないでブログに熱中して不幸になったか? そんなことはない。私の1月のブログと今月のブログ、記事と記事を比較して下さい。どっちが面白いですか? 平均すると今月の方が面白いでしょ? 私の頭の回転は最近、よくなっているんです(笑)

私の年齢だと、もう頭がよくなるという事はないんです。つまり情報の入口を狭め、入ってきた情報の消化がよくなった。物事が身につくようになって来たト思われます。まあ、一時的にしろ引きずられなくなった。

視覚障害者は視覚に引きずられないのです。ほぼ同じ事と思うのです。で、本当にそうなりたいのであれば、健常者もそのようにすればいい、そういう事になります。でもねえ……地デジ問題を挟んで、視覚障害者の福祉と、あなたの福祉が交差してます。

2月1日 TVが家族だった!
1月27日 TVはどうなる?

2006年3月16日 (木)

無宿人無情

熊本出身、60才のホームレス身障者が火炎瓶を投げられ死亡しています。18才等、高校生等による致死事件です。両者間に何らかのトラブルがあったと見て警察が調べ中です。写真は記事を載せた新聞ですね。

私はといえば、プールにある湯舟で泳ぐ小学生に注意します。
「おーい、こかぁ泳ぐとこっじゃなか。プールあ、あっちだろが」
中学、複数名は一応、静まります。しかし最近の小学生は身体、デカいです。

そして2回目です。私は彼等を忘れています。顔色を伺い、わざと音を立てる彼等。でも私は気がつきません。
「すみません」と小学生。
――どやんした?
「鳴らしました」
――音は、よかっじゃん。
そう云ってから、ああ、前に。あの時の小学生だト気が付きます。

彼らも大人を観察しているんです。健常者が大人として振るまうのは当然の事です。それも簡単でなくなってるでしょうか? 身障者が大人として振るまうにはプレッシャーがかかります。

ほぼ満員の映画館で。上映1時間半、映画は佳境に差しかかります。私の隣で30男はケータイを取り出す気配。
<ああ、付けるな>ヒカヒカと画面の光。すぐ消した。
映画の佳境が続きます。
また隣でケータイ、メールチェックらしい。ポケットに入れる時。
「おー、よかぁ加減にせぇや」私はささやくように低い声を出します。
ポケットを探る肩がビクンと動きます。

映画が終わるや否や。
「スイマセン、すいません、スイマセン」3度、頭を下げる男。
よかった、この人は恐くなかった。胸をなで下ろす、私。
「上映中はお気をつけ下さい」平然を取り繕う、私。

推測ですが60才身障者も始まりは、そんな事では?
この記事を受けて明日から、どうしよう? 今までのウルサイジジイを通せるか? もう知らん顔をきめこむか? あなた、どうして、いらしゃいます? 私、どうしたらいいんでしょう?

相談員なんて冗談じゃない。私が相談したい事ばかり。30の時からです。ヤだというの無理にやらされて、歳取ったら楽になるかと思えば、これだもの。何も変りません。むしろ悪くなる。勘弁して欲しいのよ。私の術は舌先だけ、ハッタリだけ。

ねえ、そこで笑ってないで、何か教えて! 火炎瓶にどうやって対抗するのよ! おせーてー! (笑)

今日のブログはどう、まとめるか悩みました。毎日新聞は1面トップに持ってきています。いつもの落語でやろう。何もやらないよりはやる。読んで下さる方を信じます。

2006年3月15日 (水)

パニック・ルーム

言っても始まりませんが、がっかりする事が続きます。
DVDを見ましょ。何でもいいがパニック・ルームなら福祉ネタとしても使えます。主人公の女性メグには11才の娘がいます。言って置きますが、娘は主人公に圧をかける道具立てです。

娘はサラ、小児糖尿病で発作を伴う。インシュリン注射が必要です。ストレスをかけ障害児と同じ意味です。メグは事情を抱えて生きていく。生きていく上での作戦や見通しは、メグには多分ない。主演は最初、ジュディではなくNキッドマンが予定されています。

ジュニアは部屋の持ち主の息子で、ラウールはその友人、パーナムはパニックルームの設計者です。3人組みは悪役として母娘を襲う。ジュニアは襲撃計画を立て、実践するボスですが、指揮ぶりに問題があります。つまり仲間割れがある。

メグ、サラ母娘軍対3人組みの、陣取りのように映画は進行します。見通しのある人と、ない人が戦うなら見通しのある人が勝つに決まっています。社会はそういう所です。この映画のしたたかで面白い所は、それを逆手に取った所です。

バーナム役のフォレスト・ウィテカーさんは非常にうまい黒人俳優です。根は善人が、なぜ悪人になるかまで見えるように演じます。そもそも、あんな夫となぜ結婚したのか説明できないメグ、ジュディ・フォスターさんは精彩を欠きます。

この映画は女性が生きる方法を探った映画と思います。構造的には「きれいなおかあさん」やダンサー・イン・ザ・ダークと同じ作りになっています。生きる方法とは計画や作戦です。3作品とも、その方法を提案できていません。

ニューヨークの公園の美しい光景。母娘はまた、どこかに部屋を探しに出かけます。小金を持っているらしい。それで娘の人生は開けるのか? そこには暗澹とした物もある、それはそれ、ひとまずのエンド・マークです。

3作品、特に「きれいなおかあさん」の原型は「典子は今」です。元気な障害児を出して、それを見守る母の構図です。それは子供は元気です。サラだってスケートボードで元気にうるさく走り回る。だが未来は闇に包まれる。あなたは身障者の生きていける余地が社会にあると思いますか?

私は直接インタビューしました。辻典子さんは「みんな私を見てくれない」と言いました。障害者典子を、母に代わって見るのであって、それは人間典子ではない、の意味です。つまりこの映画はお母さんの福祉です。

身障者のそれはそれ、また別の話……私にはそれでも判った事があって、男たちには作戦があるが、女性にはない。あっても貧弱という意味です。どうも、その点は身障者と同じらしい。似たり寄ったりという意味ですが……書き出しに書いたように、私は社会に閉ざされたと感じる時があります。

明日、晴れていたらエンドマークの母娘のように、公園のベンチに座って、もう一度、世界を見直してみようト思います。

2006年3月14日 (火)

質問

人工股関節に関して質問を受けます。
「人工股関節ってあるでしょう、あれはどうなんですか?」
――どうなんですかトいわれても、私も意識はしてますがネ。あまり詳しいことは知りません。
「医学も進んで人工股関節も進んでいるでしょう?」

――そうですね。内視鏡を使う手術というのもあるそうです。
「胃の手術に使う、あの内視鏡ですか?」
――そうです。具体的には知りませんが……普通よりかは切らないで関節を埋め込めむそうです。カメラの先にメスを付けてするのですね……詳しくないです。

「熊本で出来ますか?」
――いや、内視鏡でやる方でしょ? 熊本では某整形が内視鏡は時期早々という意見です。切らないのはいいとして中が見えない。無理があるという意見を出しています。人工股関節手術そのものは出来ます。

「一度やればいいんでしょう?」
――それも違うと思います。今どうかは知りませんが、昔は10年くらいしか持たないトいわれていました。ケース・バイ・ケースですが大体は50才位に手術して60才位まで持たせる。それが目安となったのです。

あまり早い時期でも先が長い。あまり遅くても骨の具合が……10年後には付け替えを考えた訳ですかね……そう聞いています。2度目は難しいが、場合によってアリという事に。ただ、それも昔の話です。今はどうか私は知りません。

「でも良くなるんでしょ?」
――よくなるって、どういう意味ですか? 漫画のブラックジャックみたいには行かないですよ。

「違う?」
――あのですねえ。股関節は人間の身体の中で一番、大きな関節なのです。大きな力が入る。無理が来やすい。変えたとしても壊れ物です。

「ステンレスとかですよね」
――ま、そうです……今はセラミックが主流と聞いています。
「金属じゃない?」
――確かに昔はステンレスでした……何か誤解があるような気がするなあ。手術でよくなるとか健常者と同じになる……そういう風に考えていませんか?

「健常者にならないの?」
――やっぱり、そうですか? なりません。障害が重度化するのを止める程度と考えた方がいいです。手術して2年とか3年後に手術前とどちらがいいですかト聞くと、たいてい手術前がよかったと言われる。悪くなるのを見越してされる。少しはいいと考えた方が。

ロボットに生まれ変るのではない。自分の骨が一番いいんです……断言は出来ませんが、入歯がそうですよね。自分のが一番でしょ、そういうでしょ。腰に入歯を入れるトいえばどうでしょう。
「うん、そうなあ、アタも手術せんでガンバんなっせ」
――あ、今の話は私の話だったんですか(笑)どうも変だと思った。

2006年3月13日 (月)

ウチの黒犬は2

犬の好きな人が増えています。Q-ringのマイ・ページを見てもペットは犬と書いている人が多いおおい! 何にでも疑問を持つのが私の癖ですが、それって変ではないでしょうか? 犬はなぜ、こんなに私たちの心をつかむ事になったのか?

ウチに来る黒犬を私はクロスケと呼んでいるのですが、実家、つまり本当の飼い主は違う名前で呼びます。黒犬は最初、戸惑いを見せますが、やがて呼び名を受け入れます。野良猫とも付き合いがある私ですが、猫はそんな事はありません。

クロスケは私を第2のご主人と思っているらしく、コーヒーに興味を持ち、ヨーグルトに関心を寄せます。主人のすることを観察します。やがて落としたコーヒー豆を食べるようになります。ヨーグルトを作った牛乳の箱をなめまわす。実家で禁止されていることも次々やるんです。

無論わざわざは与えないのですが、私がこぼした豆はすかさず拾う。チリ箱のヨーグルトを狙う。私のパンツや靴下をくわえる。油断もスキもあったもんじゃありません。おおっぴらにはやらないでおいて留守中を狙う節もある。

猫はどちらかというと「オレ様の家来になれ」と近づいてきます。たまたま目が合った時に、私のほうから目を反らしたり、顔を合わさないように隠れるふりをすると興味を示します。自分より弱いヤツと思うらしい。

駐車場にいる猫とカクレンボをしてやると、次に見かけた時、野良は私のそばでゴロンと横になり「おう、どうだ」という顔をする。そうなると好きなように写真が撮れます。野良猫の写真ですから別にありがたくも何ともない。その写真がブログに間に合いません。

みんな家来が欲しいんです。少なくとも対面で、犬は家来の顔をします。それがかわいいトいう訳です。そう、私はコーヒー豆を食べたがるクロスケに「ダメ」といえばいい。ヨーグルトを欲しがると「ダメ」といえばいい。それは簡単で安心なこと……

それでいいんでしょうか? 差しさわりが出る時があります。あなたとワンちゃんの、1人と1匹の世界が堅固になると、他人が必要でなくなります。それは見えない密室になり閉ざされて自覚も無くなっていく。あなたとワンちゃんは窒息するかも知れません。

その筋の患者に、医師は動物を、犬猫を飼う事を禁じています。それはパソコンだって同じことですよ。ネットに入り浸り、現実との接点がなくなったら……少し前に流行った「インターネットはからっぽの洞窟」お読みになりましたか?

この本はすっかり値を下げ、古本屋では今100円になっています。この最初の方に指摘がありますね。「本当は現実の方がはるかに面白い」ト……それはパソコンの中でペットを飼うより、現実にペットを飼った方が健全です。だが犬に病巣がないかというと……

現実にペットを飼うより女性を飼った……いえ失礼、間違いました。女性にお付き合いをお願いした方が健全です。不健全きわまりない独身がもっともそうな犬猫論をやっても、説得力がない。この話はどうやって終わるかというと、にゃあわん、にゃあわん……似合わん、お後がよろしいようで。

2月19日「ウチの黒犬は」

2006年3月12日 (日)

身障者自立支援法

お父さんが車を買ったのでローンを支払わなければならない。子供も節約をいわれ、ゲームが買えない、おやつが食べられない。お母さんがデパ地下には行けない。障害者自立支援法を大雑把に説明すると、そんな感じになります。

障害者自立支援法だけでなく、水俣病の基準見直しがなぜ出来ないか。裁判所の見解と環境庁の方針がなぜ食い違うか、それも似たような問題と思います。しょうもないブログを書いた後で、おまえは何だといわれそうですが、難しい話にお付き合い下さい。

大まかな数字で国の借金は今800兆円弱、ここ1年に50兆円ほど増えました。借金には利子がつき年々多くなるので、来年は50では効かないと思います。
これに対し熊本のタレント、ばってん荒川さんは、
「参議院ば、のう無して節約せにゃあ。何んきちんならん」と言われる。確かにそれもそうですが、代議士さんのかかりより大きく財政を圧迫するのは、道路や新幹線の予算です。

私は国の借金赤字を、お父さんが買った車にたとえます。亡くなった橋本信介さんはサダム政権に対する、日本の拠出金は1兆円以上のムダという。これをたとえれば、お父さんの飲み代のつけでしょうナ。じゃあ車は幾らだったのか? 猪瀬直樹さんが調べたけどよく判らない。どちらにしろ節約をしなければならない。それに、お父さんにも自覚を持って頂かないといけないんですが……ねえ。ご覧の通りです。

それで節約のあおりを受けたのが自立支援法です。身障者を重度と、軽度に分けます。中でも自立支援が欲しいのは重度の人です。たとえば「進行性筋ジストロフィーで両手足が動かず、24時間体勢でヘルパーを利用する人(54)は『重度障害者は社会参加できなくなる』と訴えます。

この人は会社の役員やっていて、障害基礎年金100万弱と合わせ、年350万円の収入がある。現行ではヘルパーは無料ですが、支援法でヘルパーを24時間使った場合、月負担は上限の4万200円、年間で約50万になります。自立支援法下では家族3人は養えないと言われる。ごもっともです。

むろん軽度身障者は年間50万の支援費は頂けない。だが年収100万くらいでチマチマやっている身障者はいます。また重度でも障害基礎年金だけという人もむろんいる。そういう人が作業所に行くと月1万程度の給料が出ることがある。昼食の支給もあります。

無論、そういう人ばかりでは仕事が出来ませんから、作業所としては他と折り合いを付けて、行政から支援を受けるんです。それやこれやで作業所に行きたくない人より、行きたい人が多い。しかし全部は雇ってくれません。作業所はそういう意味で役割を果たしています。だが自立支援法で作業所は今、頭を抱えます。

行政支援が支援法の名の下に減るんです。作業所に行く重度者は今から給料なし、昼飯は自腹、そういう所も出てきます。ある意味で平等なんですが……障害者自立支援法じゃなく自立制限法、制約法ではないか、そういう人もいます。

では自立支援法の全体予算はいくらなのか。国の在宅サービスの当初予算は措置法時代の02年の493億円から、04年度には602億円に増えました。今後も増える見込みです。国はそこに目くじら、問題にしている。そんなに大きくないでしょう? 私がおやつ代ゲーム代という理由に納得がいきましたか?

ちなみに私自身は支援法とは縁がないです。今のところ審査を頂いていない。ただ私は書いたように公立プールに通っています。このところ体調がいいので毎日、この代金400〜500円に30日を掛け月14000円くらい、公費かっ食らっていますね。プールの水ですからひん飲んでる、ですか? しかし私が行かないと年17万円がお札になって市の金庫に入る訳の物では、ないです。

引き合いとして妥当かどうか判りませんが、支援法の私の解説をしました。

資料として05年7月10日の毎日新聞を使いました。他にRKKラジオ、橋田信介「イラクの中心でバカとさけぶ」アスコム刊も使いました。