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2006年3月

2006年3月31日 (金)

折り合い

朝からヨガをしました。ヨガは水泳をやる前にやっていて多少の心得があります……といっても教育TVで見て真似ごとをした、それだけのことです。先日、パワーヨガを教育で見てやってみたくなり、やったら具合がいいのです。

では、なぜ止めたか。身障者もまったく出来ないのではないが、私は下半身は出来ない。ポーズに限界がある。やらないよりいいにしても深まりがないです。で結局つまらない。止めてしまった訳です。ここまで書いて考えています。あるポーズの名前を忘れ、名前なしで書き続けるか。それとも文章で表現するか、迷うのです。

名前やポーズの内容を書いても、まず伝わらないでしょう。本当の理解にもならない……ヨガは水泳でも準備体操に取り込まれています。後ろに歩くというのもそうで、プールでみんな、もうやっています。知識がないと出来ないモノでもない。

専売特許がないから誰が何のために使っても苦情は来ません。女性が美容に使っても、私がリハビリに使っても月末に請求がない……いいですなあ。それで泳いだのですが、ちょっと変です。600mの所で吊ってしまう。

様子をみて1400mまで泳ぎましたが最後の100mは止めました。どうも吊りそうです。それで思い当たるのはヨガのポーズです。まだ判りませんがヨガと水泳2つの事の、簡単にいいとこ取りは出来ません。それは片方をあきらめる事でもない、折り合う所を探したい。

吊った太股をさすりながら、いつもそうですが物事を深めるというのは簡単ではありませんな。

2006年3月30日 (木)

松本被告

松本被告の死刑が確定しそうです。身障者から見た松本被告を書きたいと思います。少しですが私は目も耳も悪いです。それなりの根拠があって言います。松本被告は親に盲学校に入れられます。まだ見えた時に入って、だんだん悪くなっている。

この間、学校では柔道とかしていて今とは違う。盲学校というのは視力が残っている人が強く、ない人は弱い。被告は強者として人の支配の仕方を学んだと思われます。ただ落ちていく視力と直面しました。目が悪くなっていくのは恐く心細い。

樹木希林さんが網膜剥離になった時、記者会見やっています。目が悪くなりました。自分に自信がないので手術はしません。仕事減らします、という内容です。これ本当は手術が恐かったのです。目というのは恐い。いつも強気の樹木さんが伏目になっています。これは基本的にゴメンナサイ会見です。

この後、樹木さんは、乳ガンが判り手術します。成功すると「なあーんだ恐くないや」そう思ったかどうか知りませんが、その後で目の手術もします。つまり乳ガンより網膜剥離は恐いのです。納得、頂けました? 私も網膜閃孔(剥離より軽い)をやりました。長くなるので止めます。これで樹木さんの演技は前に増して輝くと思います。

若い松本被告は親の側にいたかった。しかし親は裕福ではなく寄宿の盲学校に入れた。本人の為と思った。経済的にも安くつくのです。松本被告は捨てられたと感じます。捨てられた感覚が心細さと重なって、憎しみに育ったのです。

被告は社会に出てからもグループを作り、その長として憎しみを外に向けます。心細い思いの人を見つけて死をいいます。「お前は死ぬ。必ず死ぬ。地獄に落ちる。落ちたくなければ全財産を寄付しなさい」たちの悪い方法で脅すのです。

自分が恐かった思いを人に被いかぶせるのです。宗教や物売りに、そういう人、います。「私も恐かった入信なさい。恐くなくなるよ。買いなさい。幸せになれるよ」貧乏に付けこみ金を絞る人がニュースになります。松本被告は自分の不幸を悪用したト私は考えます。

宮崎勤被告の場合は、幼い頃に自分の手の障害に気がつきます。幼児姦は判りませんが、宮崎は呪術をやろうとした。子供の手の骨をかじっている。そうすれば今の自分の手も変わると考えた節があります。呪術にこって現実から逃れようとしたのでしょう。

不幸とは直面しなければなりません。少なくとも誰かが直面して他の人に伝えたい。幼児姦が先なのか呪術が先なのか。内容配分それ以上の事は判りません。皮肉な事に宮崎被告の家は新聞を出していました。被告には書くべき事があった。

もう判ったと思います。松本にも宮崎にも私は同情しません。無罪になって欲しいとも思いません。同じ身障者として冷ややかです。ブログには「人の嫌がることは書くな」と本に書いてあります。それは自分が不幸だった事という意味ではないと思います。

2006年3月29日 (水)

美人の鈴木さん

鈴木重子さんはジャズから出発したボーカリストです。初期のCDにはトゥーツ・シールマンさんのハーモニカが入っていて、いけてます。その内容はバサノバ。現在のCDはジャズというのか、どうか? 初期の陰りは失われ、明るさが広がっています。

インディーズ映画とはいえ主演作のある美人。なぜ歌に翳りが出来たのか、むしろ判らない。日本人女性としては背が高く、それに伴い声が低く、そこが劣等感か? お穣さま風のキャラクターとコントラストしてるのかな。いい持ち味です。

明るくも暗くもない、夕暮れに近所を散歩するようなボサノバです。ただし洋楽では? ホントのジャズは綾戸智恵さんのようなのです。むろん邦楽ででは……劣等感丸出し、うまいでしょうがヤボです。私は聞きません。

語呂あわせではありませんが鈴木彩子さん。この人も美人です。私は面食いではないのですが、女性は美人だと何とかやれる。不美人では社会が受け付けない。元モデル、次にアイドル、自分ではロックとというが……出来ているのはフォークと思います。

PTSDがあって物事に批判的です。顔に合わない強烈な詩を書きます。これでよくやれる! 美人はトクですなあ。ナニ? どこかで聞いたようなキャラだって……まあまあ、この人は事故で仕事を撤退した後、ネットにあちこち書き込みして人気を保持します。暑苦しいのは綾戸さんと似ているネ。

PTSDは何か(事故とは別件)歌詞をばらばらに解体して、ジグゾーパズルに組み合わせる。で、たどれました。クロサワでやった事は、彩子さんでも漱石でも出来ますが、鈴木さん書いても、みんな読まんでしょう? あれはある程度ですが自画像にもなりますなあ。

それで彩子さんです。顔に合わない根性してます。私が見る限りでは正論をいう。全身7箇所の傷とのリハビリに2年を費やし、めげる事なくインディーズから再度メジャーへと復帰を狙う。もう曲調は古いが、こういう人は私、好きです。

両鈴木さん、どちらもネットと仲がいい。あまり有名ではないがネットで活動が伝わる、本音っぽい日記も書ける。本音に何か持っている。ルックスよくなくては通らないが、ルックスだけではダメね。アクが強いというか、タレントも、そういう時代になりました。

身障者福祉もバリアフリーだのUDだけ言っててもダメ、そうでしょ? 身障者と健常者が共に幸福になれる方向、一枚のCDから考えましょう。あなたルックス自信ありますか? そして劣等感ありますか? 

お知らせです。私のADSLの契約が月末で切れます。ネット回線がアナログのダイアルアップになります関係で、ちょっと書き込みのペースが落ちます。新しくADSL等にするかどうかは、しばらく考えたいと思います。もちろん止める訳ではありません。

2006年3月28日 (火)

緊張の時

ヒドい緊張の後でホテルに帰ります。あなたは人前で緊張しますか。湯に漬かって首を曲げるとギクリと音がします。仕事の中間報告で、今やっている事、先の見通しを話しました。やっている最中に見通しなど立つはずもなく、まあ、それらしい話を作るのです。

嘘というとキツいのですが希望的観測、人が好意的に見たらそう見えるだろう話を作る訳です。中間報告なんてそういうモンです。慣れると意外にツルツル話せるようになります。ただ今も足の裏が3センチ浮く感じがあって、私は人前で話すのは好きでありません。

友人に俳優志願がいまして「演壇で緊張を解くにはどうしたらいい」ト相談したら「緊張は解いてはいけない」そういう意味の事をいう。俳優志願がいうには「緊張する力を生かす」そうです。俳優は自分と違う人間を演ずるので「舞台では自分であって自分でない」

私は発表をする。演ずるのではない。トいくら言っても俳優はそれ以上の答えをくれません。友人にはギタリストもいまして、こちらにも同じ事を聞きました。「うまくやりたいト思うから緊張する。どうでもいいと思うなら緊張なんかしない……緊張するっていい事なんだよ」

ギタリストのいう事も役に立ちません。しかし発表の日は刻一刻と迫って来ます。私は用意した原稿を暗記しながら、緊張を解く方法を考えていました。ヤケクソで早口に原稿を読みます。早くもっと早く、読みます。ア、これだ。

「世界の前に、国王たる叔父クレオンの前に立ちはだかろうとしている。若いのに私は殺されるだろう。私だって生きているのが好きだったのに」(ただの芝居のセリフです)普段の口調を変え、少し節を付けると楽になります。

俳優がいったように、普段の私ではなくなる事。口調を早くすると緊張を吐き出す気になります。うまくやりたい伝えたい。だから緊張していく。ギタリストのいうとおりです。私は2人の力を得たのです。自分を足せば3人力(笑)単純な算数です。

3人力なら少しは強い(笑)人の話によると私は話がうまいそうです。声量があって声が届く。キーワードの取り込みが早く、まとまりがいいのだ、そうです。声量は水泳で肺が大きいから、言葉はワープロで整理するから、緊張を力に変える方法も教わったからでしょうか? 聞きよう、そう言ってくれる人もいます。

湯から上がってラジオのスイッチを入れるとオール・アローンが流れます。マル・ウォルドロンというピアニストを知っていますか? ひどく気の小さな男です。でも演奏はスゴイ。私も何かスゴイことをしたような気になります。ジャズって芝居がかってますよネ。

いつの頃からか私はヒドい緊張はしなくなりました。ただステージに上がると、やはり靴の裏が3センチ浮いた気がします。劣等感は克服なんて出来ません。早口にしゃべり大きな声で話し、ゴマかすだけ……そして緊張した後はオール・アローンを聞きたくなります。

2006年3月27日 (月)

昔が聞こえるラジオ

新聞にダイエットの健康食が効かなかったトいうコラムが載っています。食べたいものを食べるだけ食べて痩せる、出来ない相談でしょうネ。私も安いオーディオ買ったら、あまり良くなかったというネタの発表であります(笑)

なぜチューナーを買ったかというと、使ってるアンプと同じメーカーで。私は高級品志向なんですよ。(誰、ウソーォなんていうのは)ただ今時、チューナーなんて、どこも作りゃしません。それが欲しいというのだから(笑)マ、ヘンなんですナ。それまで使っていたのは20年ばかり経ってて、ちょっとガタが来てる。

そういう訳で買うしかない、選択の余地はないでしょ。で、買って来てネットで検索をかける。取扱説明書ないですから……ホ、ありました……今も1万5千くらいで売ってるらしい。買う人いないでしょ。取説はざっと読んで大した事は書いてない。

あ、これはリモコンが効くんだ。アンプのリモコンが使えます。アンプの取説を引っ張っり寄せ……局合わせ、記憶。選局がデジタルですからFMからAMへ、AMからFMへとTVのように移動が出来ます。当たりです、これは新しい。

なにしろ私は古い、こんなん初めて……音は前のやつがいい。しかし低音広がり方、いい部分もあります。ビルが増え電波自体の質も悪くなり、近所のビルに立てたアンテナも古くなっています……1万5千のチューナーは、違う2千円のはこんなもんです。

ラジオもTVのように局を駆け巡る快感。これいいですね。ラジオの面倒さは、局合わせにあったのか? なんだあ、なんてね。次にラジオのプログラムをネットで取り出します。これも簡単です。むしろ新聞の方が見にくい。ただし、あまりいい番組はないです。

私の歳のせいより番組の作りが子供っぽくて付合いきれない。DJの話題の取り上げ方が当たり障りがなさすぎます。なんせ当たり障りのありすぎるブログを毎日、書いてますから(笑)渋谷陽一さんとPバラカンさんは、前のまんまですね。なつかしい。

熊本のFM局で、一時、私は有名で毎週メールが取り上げられていました。硬い番組が私は好きで、私しかメールが行かない番組があったんです(笑)TVも地域でそういう番組ありましたね。今はなくなりました。だからFMもTV投書も止めてしまいました。ああ、あの頃、20年前が聞こえるラジオはないか?

もう一度、FMを聞いてもそんな番組が帰って来る訳はなく、リモコンチューナーも空しいといえば空しい。DJ氏とスリリングにコメントを交し合った日々は、今、アッシュさんとやってる掛け合いに似ているかもしれません。

ネットでは、痩せる枕も売り出してるんですってね……ですからソレは効かないんです。誇大広告、効かない枕なんです。健康食品関係も多いですからねえ。男の私から見ると割とミエミエなんですけどね。ズバリ欲しいのは10年前の体形でしょ? 私のラジオと同じ要望ですって……

写真はモンシロチョウ。花はバーベナ。


2006年3月26日 (日)

クロサワ・ミステリー 終章

私たちは尊敬できる人について行きたい。そうであれば何処であってもいい、そう思っています。黒澤はすべてを知っていたのでしょうか? 違うのではないか。何も知らない、どうしたらいいのかさえ判らない。そんな黒澤を映画の中で見たことはありませんか?

黒澤は脚本を自分で書くのです。人にもよりますが任せる監督もいます。撮影前に演出をします。細かい動きに注文をつける。役者の演技プランはやらせない。衣装を揉むんです。くしゃくしゃになって着古した感じが出るまで揉む。セットの床板をみがき、柱に糠雑巾を掛けるのです。やり過ぎと思いません?

じゃないと撮影やらない。しょうがないから、みんな床を磨き衣装を揉むようになるのです。撮影は何日、予算は幾ら、決まってるのに守らない。それで東宝は黒澤にプロダクション作らせて契約にしちゃう。そうしないと際限なく伸びちゃうんです。

米国とうまく行く訳がない。そうでしょ(笑)あそこはビジネスの国です。芸術もビジネスです。芸術は普通の10倍、時間食うんです。10倍金がかかる。なぜかかる、命掛けるからです。黒澤映画の衣装はそよぐ一秒に命がかかっています。床柱の光具合に黒澤の命がかかっています……ちょっと大げさかな(笑)
ま、それくらいのモンです……しかし逆にいうと、どこで手を抜くか判ってないんです。

七人の侍は、入れ子になっていて竹千代が命がけで百姓から侍になる話です。勘兵衛も命をかけるが百姓にはなれない。仕事を終えると村からはじき出される。最後のセリフ「また負け戦だったな。勝ったのは百姓だ、俺達ではない」意味のことをいう。そして寂しく去っていく。

虎の尾を踏む男達もそうなっています。エノケンが一人、残される。影武者も戦いが終われば、生きたか死んだかさえ判らないまま、川を流れます。映画の隆盛期に合わせて、娯楽映画としても見られる映画にはなりました。黒澤は元々、私たちに合わせる監督ではなかった。終わりは一人消える、そういう人です。

乱は黒澤の死を描いた映画で、影武者は死の後を描いたといえば判り易くなりましょうか。もしトラトラトラがうまくいってヒットしてアカデミー賞でも取れば、世界の黒澤になれば状況は変わったでしょう。だが黒澤が大脱走やコーラスラインを撮ったとは思えない。

やがては人はどうすれば死を受け入れるか。「生きる」のような暗い映画に帰ったと思います。早かれ遅かれネ。自殺未遂を予感させるものは初期の映画からあります。むしろ映画の撮り方が判らないから衣装を揉み、柱を磨いたのではないでしょうか?

どうしていいか判らないから人について行きたいんです。悩まなくとも済む。黒澤もそうで、映画では監督以上に偉い人はいない。とりあえず衣装をもんだト私は思います。黒澤組は監督が過剰に指導する体制です。その結果として、ついてこい体制になると思う。何かが予め判っているんじゃありません。

いい映画は他にもある。しかし小学生でもよさが判る映画は黒澤以外にあまりないです。何が美しいか、何が正しいか、どうすればいいか、手を取って足を取って教えようとします。天国と地獄で、その親切心を失くしますがね。

日本は敗戦、この体制はうまくいった。裕次郎も似ている。優作も似ている。本人はからっぽ、元々は、誰でもそうです。宗教的基盤がなくて愛国心の基盤が薄い、そういう意味では特に人間がからっぽなんです。そこがしっかりしている米国が何をしているか……

黒澤には大きな劣等感があったと思います。それが何かは知りませんが、映画で感じます。それが過剰な表現を生み、いい方向にもつながった。そして悪い方向にも……黒澤は基本的に漱石やダ・ビンチと同じ匂いがします。

私は人と違う生き方をしています。それは毎日の日常をあまり重視しない生き方です。映画は現実より美しい。美術品は純金より重い。車は走る物でなく、止めて桜を愛でるもの。七城米よりモカマタリが好き。女性の声より楽器の音色が気になる……ホントかい?

それは身障者という生き方です。健常者の生き方は参考になりませんでした。あなたの生き方が間違っているなんて言いません。私は何も教えられない。あなたの生き方は自分で作るしかない。でも迷ったら私を見て下さい。目安になるでしょう。声をかけて下さい。返事で方向くらい判るでしょう。

私は社会の中で、そういう役割を果たしたいと思っています。お疲れさまでした。

米映画で「海辺の家」という地味な作品があります。私はこれ「生きる」のリメイクだと思います。
七城米は熊本で高級米といわれている米のこと

2006年3月25日 (土)

車の出番

私の車は、屋根のない車ではなく、正しくは屋根の開く車です。そんなにガバッと開けて何をするのか。ほとんど使い道はありません(笑)

使わないのに開けるから粋なんですよ。誰か言ってましたが、寒い時にオープンカーに乗って風邪ひくのはバカだって……近いものがあります。ただ風邪ひかない何とかとも言います(笑)私は今年も風邪ひいてない。

この車以外にもジムニーとか全くないではありませんが、マないですなあ。幌だと夏場はあまり焼けません。駐車時に少し開けとくと換気が効いて熱がこもらない、それはあります。しかし15年も乗ってるとそれも普通ですから……

試乗会に行って他の車に試乗しても今一、セールストークが始まると、
――いいねえ。
「でしょ! もう乗り換えましょうよ。もういいですよ」
――んん、ん。屋根あいたの、ないかなあ?
これでセールスがピタッと止まります。で、後は記念品もらってコーヒー飲むか、うどん食って帰って来るのがパターンでした。ごめんなさいね、ト○タさん。

嫌な性格だと思います。多分、死に損なった体験が影を落としている。公園の脇の道路に車を止めると、桜の下という所があります。そこでキャンバストップの屋根を開けます。シートを倒して空を見るのです。この性格は私の責任ではありません。誤診で見損なった医師の責任です。

春は上空を吹いて行く。真昼の一瞬、空は晴れ渡ります。花びらは舞い降り落ちかかります。車の上に私の上に、一瞬は終わり、また春は吹いていく。ここからそこへ、そこから遠くへ、もっと遠くへ……春は上空を吹いて行く。

そういう場所を探しておいて桜の散る頃、車を止めます。熊本城内も数ヵ所ありましたが、近年つかいづらくなりましたねえ。山道、参道、いなか道、ペットボトルのお茶を買って、屋根を開けて桜見物なんて行きません?

同様な趣旨で秋はイチョウがあります。県庁でライトアップするんです。夜空に金のモニュメント、ヒラヒラとヒラヒラとイチョウが散りますなあ。これも同じく車の屋根を開けてシートを倒して見物します。

本当は天体望遠鏡を買って来て、星を見に行くのが洒落た使い方と思ったのですが、あれはあれで大変だそうです。ハードオフに1万円の古い望遠鏡が出た時には誘惑されましたねえ。ふらふらする設置はダメで、望遠鏡は角度合わせがシビアですって(笑)

イチョウの方はあまり長居は出来ません。だって季節が11月末から12月ですから、いくら熊本でも凍ります。寒いです。え、酒! 酔っ払い運転はいけません。私は飲みません。飲めないじゃなく飲まない。足悪くて足元あぶないから……

2006年3月24日 (金)

クロサワ・ミステリー2

黒澤が死んだ後に、主にミュージシャンが米国進出を試みます。うまくいったかというと歯切れは悪くなります。つまり日本人は日本人であり、白人にも黒人にもなれない。その一方で日本映画は台湾や韓国、中国でかなり正確に理解されていきます。

でもそれは、なぐさめにならないのでしょ? 多分そうですよね(笑)私たちはアメリカ人になりたかった。だから野球をし、カントリーを聞き、ジャズをやりたがった。だから黒澤や三船に「世界の」という肩書きをつけたがった。

さて、黒澤映画のベスト1は日本も米国も同じ、いうまでもなく七人の侍……ユル・ブリンナーが翻訳権を買い取り「荒野の7人」を作りました。そして侍の、あらゆるバリエーションが行われました。そして侍はどこに行ったか? 

荒野の7人の監督はジョン・スタージェス。彼はブリンナーの「荒野」に満足しなかった。3年後「大脱走」の制作に当たります。設定と狙いがそっくりでしょう。内容的に侍でしょう? 大脱走が封切られた翌月曜日、少年だった私たちは集まって、どよめきました。

まだ話は続きます。大脱走で勘平衛役をやったRアッテンボローが22年後に監督をしました。「コーラスライン」とは主役の後ろのバックダンサーです。それを足がかりに出世しようとする若者たち、いえ若くない者もいる。敗者復活戦ですなあ。ずばり私たちは黒澤にこんな作品を望んでいたト思います。

侍の骨子は敗者復活戦、そういう解釈には一理あります。人間はどこからでも何時でも参加できる。ちょっと西部劇タッチでありました。そういう要素がありました。ただ最大の要素というには違う。そうではありませんか?

国内でも侍は引き継がれ、いろいろな映画が生まれます。13人の刺客、3匹の侍、木枯らし紋次郎……実は紙のかけはしでも黒澤論は1度やっています。それで国内分は、はしょります。ただ指摘したいのは、侍は復讐劇ではない。忠臣蔵と一線をひいています。

侍について黒澤自身がTVで「あれはねえ」と若者たちに話しかけた事があります。原型では侍の一日を撮りたかったト聞いています。そして「どですかでん」ですが「どん底」をリメイクした、ト私は思っています。侍はリメイクじゃない! そうでしょうか?

侍の原型は「虎の尾を踏む男達」でしょう。そして侍はもう1度、作り直される……トここまで来て、いい長さになりましたので、黒澤ミステリーはもう一回、続きます(笑)復習しておいて下さい。……だって検索して納得しないと、進めるだけ進めても仕方がないでしょう。

「荒野の7人」「大脱走」「コーラスライン」「13人の刺客」「3匹の侍」「木枯らし紋次郎」「どですかでん」「どん底」「虎の尾を踏む男達」9本の検索をお願いします。それからリメイクされた侍は何か考えて下さい。本日、ここまで(笑)エラそう。

2006年3月23日 (木)

PSE、電気用品安全法

何でもかんでも福祉につなげていく私のブログ、今日のテーマはPSEです。中古家電を物色に行きました。PSEとは電気用品安全法のこと、4月からこの法が施行され、中古家電が売買できなくなる……トもっぱらの噂です。これはハードオフに行かなければなりませ〜ん(笑)さあ、福祉はお休みかなあ?

ハードオフの入口には断り書きが出ていて「当店はPSEと関係なく中古家電を売買します」旨の表示があります。
「なんだあ、関係ないのかあ」あまり急いで帰るのも……一応は見なければいきませ〜ん。普通の家電棚は、マ、普通ですねえ。奥にジャンクの棚があります。ジャンクというのは内容不詳、未確認という意味で「買った後は不良品でも知らないよ」という代物です。

100円のLDビデオは、ここで買い集めました。
――この100円LDは何か問題があるの?
「いえ、問題はないです。同じタイトルで、2枚はいらないのでジャンク扱いになります」
――中が割れてるとか、ないね?
「調べていいですよ。帰ってから気がつかれたら、言って下されば……ん、善処する、かも、しれません」
――(笑)かも、ですか?
「ええ、いってみて下さい」
店内、店員によって少し姿勢が違う。ヒマな時にしゃべらせると面白いことを言い出します。どこかにも書きましたが、これも交渉の余地です。

今日は、それはどうでもいいんです。ジャンク棚にチューナーがあります。チューナーというのはコンポステレオのラジオの事です。このところウチではFMがうまく録音できません。犯人はカセットデッキと思うのですが、チューナーかも知れません。そのチューナーは4000円のところを半額2000円です。

ブログをやるとTVは見ない。ラジオに逆もどりトなるとチューナーは買って置いたがいいでしょう。家に帰り、コンポにつなぐと鳴りました。録音不良はチューナーが犯人でした……PSEのご利益があったようです。

中古家電、来年からどうなるか? 張紙にもありましたように、よく判らない。たとえばですが学生さんの下宿の暮らしは中古の使い回しで成り立ちました。それは電子レンジや冷蔵庫のない暮らしになって行くのか? 生活保護の身障者も基本的にそうなんです……今日も話にオチがつきました(笑)

2006年3月22日 (水)

クロサワ・ミステリー

TV,スマップステーションで黒澤特集を見ます。黒澤は何をしたのか。私たちに一体、何を言いたかったのかは今もミステリーです。スマステでは解明にならなかったト思います。……さあ出番です(笑)ホントかい。

番組中で「どですかでん」の評価が問題になります。外国では影武者が評価されていますが、日本では乱も含めて評価とまで行きません。比較してですが「どですかでん」以後の黒澤が評価されない……端的に言うとですが、そうなります。

日本評価の特色は「隠し砦」あたりから「赤ひげ」に至る娯楽映画としても見られる作品に集中します。黒澤は天皇といわれました。ですから作品全部が評価される訳ですが、一般には娯楽監督として評価されている……のではないか?

団塊の世代で「赤ひげ」を見て医師を志した人は多い。あの映画の根底は混乱していますが、一応のまとまりがあり、表面的には気持ちがいいのです。あの養生所は経済的には楽ではない。運営は苦労してるが、あそこで働きたいと思ったのです。

赤ひげの人物像にも矛盾があって、師と仰ぎ見る存在ではない。無理をしてツジツマを合わせます。それは姿三四郎の加納と比較すれば判ると思います。それどころか日本には「師」にあたる事柄じたいが、なくなっていきます。

私のブログの講師はオリーブさんでした。フォトショップは土屋さんで、全体パソコンインストラクターは若い女性が多いのです。料理はむろん水泳もそうでした。黒澤を限界にして、師は年長男性ではない時代になったのです。

用心棒の原案は米国の小説です。しかし椿三十郎の原作は山本周五郎です。天国と地獄は米国の小説で、赤ひげは周五郎です。この時期、黒澤映画の半分は米国製で、もう半分は山本時代劇です。では黒澤世界での人の生き方はどこを向いていたのでしょう?

米国小説のヒューマニズムと周五郎の人情をねじり合わせ、黒沢は映画の柱を作って行きます。それに破綻が来ます。黒澤映画は人情に傾き、ヒロイズムを止めようとする。ヒューマニズムでは日本人を支え切れない。天国と地獄を模した犯罪が起きます。

米国に近づき経済的に発展しながら、人情で日本人を続ける。日本はそういう夢を見ていました。しかし米国から「トラトラトラ」の注文を受けた時、黒澤はそれを捌き切れません。黒澤の限界が「赤ひげ」「どですかでん」の間に、はっきり見えたのです。

それは日本映画の限界であり日本人の限界でした。ヒーロー三船が去ると、それに代わるヒーローを黒澤は作らない。私たちは黒澤に芸術ではなく、人々を率いる師を求めていた。それは間違っても影武者ではならなかったのです。

自殺未遂から立ち直った黒澤が、何を考え何をしようとしたか。まだ私たちは十分に理解していない。私が番組を見て考えたのは……ごめんなさい、これは1回では無理です。このブログは必ず解決編を書きます。