2012年1月27日 (金)

日々の生活と千日行 藤波源信

Azyari 藤波源信住職は千日行を終えられた阿闍梨という。阿闍梨とは何か、生き仏さんという意味で、一山宝珠院の周辺では住職を「阿闍梨さん」という……まあ見当が付くような、付かない話です。熊本元気塾講演を聞きに行きます。

 

千日修行というのは7年がかりの行をいい、最初の3年は百日修行というのをやります。比叡山の道なき道を1年百日、普通に歩けば3時間くらいの工程を8時間かけてお参りする。春から夏にかけて300ヶ所をまいる。

 

参るというのは石仏や、水源、樹木、岩を拝むことです。比叡山にはこれらが300ヶ所あるといいます。300年以上の樹木や大きな岩を拝むと言う事は、自然崇拝です。生きるも死ぬも自然と共にいう心境を求めるのでしょうが……言葉としてはありません。

 

師の言葉では「伝統の方法には合理的な意味がある」白装束は動物を嚇さない。熊やハチにヤラレない為に必要」であるトいう考えです。確かに一理あります。書いたようなプログラムは慣れてくるとなまけたくなるそうです。

 

時期的には9月の初め、怠けたいけど怠けられない。修行の道の要所要所に接待のお茶が出してあり、それに手をつけないとバレるそうです。そういう意味の仕組みは上手く出来ている。4年目以降は200日修行とか何とか、ハードになっていく。

 

いきなりは出来ないが順を追うと行は出来るそうです。ただし戦後12人目で沢山、阿闍梨が出来た訳ではない。クライマックスは7日間のまず食わず眠らずという行で、これも詳しい人は判別が出来るそうです。寝たら首筋に出るとか……ここは判りませんでした。

 

修行とは、生と死のギリギリの所まで行く事のようです。比叡山だけでは足りなくて京都の街中まで下りてきて、とにかく歩く。歩く歩く……お分かりの方もあるかと思います。これはランニングハイになります。

 

こう言ってはいけませんが、修行プログラムというのは筋トレや水泳プログラムと、そんなには矛盾しません。修行によって神がかりの能力や、念力が出るといった事もない。師のいう行は神秘的なことではない。

 

ネットで検索すれば「自然とともに生きていれば、 自然が守ってくれる」という言葉が印象に残ります。講演では「ある意味での修行は日常でも行われている」という意味合いの言葉もありました。行が完成すれば、再びその一部も、行われることはない。

 

会場からの質問が意地悪で体重を聞いてました。師は写真よりは太っているのですが「歳なんです」とお答えでした。週に2日も3日も走る人はあり、そういう人は60代でも痩せています。行にも終わりにしてはいけない部分ありそうです。

 

修行と日常の違うところは緊張、覚悟を伴うところで、私たちの日常は緊張感のなさすぎ、不覚悟に過ぎるところでしょう。修行では歩けなくなったら自害する覚悟と、縄を持って修行に出るのだそうです。

 

 中外製薬インタビュー

 http://www.chugainippoh.co.jp/NEWWEB/n-interviews/Nint/n-d031004.htm

2012年1月26日 (木)

余命一ヶ月の花嫁 映画

Yomei 私に限らず、一般に身障者はがん患者に共感的です。屋久島の屋久杉が見たいとあらば、単純に見せて上げたいと思います。首折れサバが食べたいとあらば、食べて欲しいとも思います……ちなみに私は、屋久島に行ったことはありません。

 

がん患者や身障者が何処に行くのも勝手で、今は金さえ出せばフォロー体制は整うと聞いています。その意味では切羽つまる事もない。大きく構えていいかも知れません。

 

ただ他に誰もいない砂浜の夕暮れとか、鼻水を垂らして泣く彼では満足がいかない。ブランドジェエリーや教会の結婚式にしか幸福感はないかトと思うと抵抗がある。この辺は東日本震災後、特に抵抗が出ています。

 

高級車に拘り高額の自動車保険に入る男を見ても、バブルの夢から覚めないんだなあ。そういうのと重なり勘違いと思う。そのかなり成金的なイメージで、この映画は出来ています。たとえばドラマ「僕の生きる道」と比較すると、そこが違う。

 

西部邁さんの本「妻と僕」でも臨終間近な妻と2人で「月の砂漠」を歌うシーンがあります。病室は相部屋であり、あまりロマンチックではないが、現実はそういう物です。私も個室体験が全くない訳ではないが、ごく短期間です。

 

今からの日本は死ぬ時と言えど、贅沢は出来ません。この映画は差額ベッド代をいくらに設定されてるのか、聞きたくなる。柄本明さんも大富豪には見えないし、死んでいく人に生き残る人が尽せるかが、基本的に判ってない。

 

国家予算、福祉費が不足し消費税のアップが言われる中、こんな話はないでしょう? しかしない話をうまく撮ってますねえ。瑛太さんの顔に少し夕日が当たる。榮倉さんは影になる、明るすぎず暗すぎず、光の扱いで内面を映像化してます。

 

瑛太さんが鼻水垂らして泣くシーンは出色です。三船敏郎さんは7人の侍で、このように泣いたそうです。黒澤監督は汚いからとNGにしたと記録があります……記録を越えたのですねえ。

 

榮倉さんが冒頭にひとりで歌う歌が英語で、内面を反映させるに不十分です。指輪は衣装や式場は借り物で借りられるけど、歌の獲得が出来ていないのでは? その辺に希薄がある。

 

バブルが弾けても失う事のない物を得たのなら後悔はない。しかし成金趣味だけ身につけたら、悔やんでも悔やみきれない。たとえばですが死が2人を分かつ時に、2人で歌える歌はあるか? 金に変えられない事とはそういう事です。

 

僕の生きる道ではコーラスを題材にした事もあるが、全体内容では僕生きが、ひとつ上にある。私は考えます。むろん部分では、僕生き的なエピソードもあって、成金趣味が残念な感じです。 

 また日本が豊かになれればいいけれど、それは難しい。世界のどこを見渡しても、文化水準が低い、金銭でない豊かさが身に着いていない。このままだと惨めな事になりそうです。

2012年1月25日 (水)

A香港型インフル

Ahonnkon 全国でインフルエンザが本格化とあります。24日までの国立感染症研究所の分析によると、今季検出されたインフルエンザウイルスの約9割がA香港型。この典型的な型の流行は5年ぶり。

 

 

 

乳幼児には脳症の恐れがあるほか、高齢者も重症化が心配される。例年よりも70代以上の患者が多いとの指摘があり、高齢者は特に注意が必要です。潜伏期間は2日前後。

 

 

多分、インフルエンザという人の話では、いきなり発熱の高熱、鼻水、喉の痛み、咳、関節痛、頭痛など典型的な症状という。一般的な風邪も多い時期で、これはアテになりません。

 

 

 

一般風邪も39度の高熱を出し、鼻水、喉の痛み、咳、下痢など、事実上インフルエンザとの見分けはつかない。医者はインフルエンザの簡易検査、診察所見により診断をしますが。

 

 

 

検査薬もない素人判断では判別は無理。今年はこの時期、感染性胃腸炎も多くなっていて紛らわしい。そういう訳で下痢にも注意の必要あり……医師のブログなど読むと、患者も勝手という意味の記載があいます。

 

 

 

こういう人は、早く直してと症状がはっきりする前に特効薬、タミフル、リレンザ、ラピアクタなどの抗ウイルス薬の投与を請求します。また症状が治まると、すぐ子供を学校に出したがる。

 

 

 

症状がはっきりする前に、つまりただの風邪にタミフルを打っても仕方がない。それに自分の子供の症状が治まったら、もうウィルスが出なくなったとは限らない。

 

 

 

同級の子のためには、もうしばらくお休みが欲しい。しかしそれは待ちたくない……そんなに言われるなら次からワクチンをと医師が勧めると反応は今いち。

 

 

 

罹るかかからないか判らないインフルに、金を払うのはイヤという態度がみられる……それにワクチンは性質上、絶対効くものではない。かかっても軽く済むという効能なので、その辺で前向きになれない。

 

 

 

風邪かインフルか判らない新入社員が、熱冷ましを飲んで会社にやって来た。上司としては他の社員にうつされてもと考えて、その新入社員を早退させたそうです。

 

 

 

昼に母親から電話がかかかり「せっかく準備して送り出したのに何ということを……」新入社員の母親からで、それは見幕だったそうです。繰り返しますがネットでの話、私はそれ、見てた訳ではありません。

 

 

 だんだん下らなくなって来ましたので、そろそろお仕舞いにします。私は今年も風邪もインフルもない何とか……こんな警告めいた記載を書いてすぐ、インフルにでもかかったら?

2012年1月24日 (火)

出かけたら靴屋によって 2

Suni 左右足の長さが違っている。矯正したがよかろう……というのが医師の診断でした。私の場合どうも効果はないようです。厳密でなければ左右差は、別スニーカーでも矯正できます。ただし……

私の場合は矯正2センチ前後という話で、実際には1センチ強の底厚の違うスニーカーで試しにかかりました。始めるとすぐ判るのですが歩き始めと、途中500mとか歩いた状態で、矯正必要差が違ってきました。

さらに1キロ歩くと、歩ける限界に近くなる。この時には矯正必要がまた違ってくる。最初から最後まで2センチではない……そういう現実が待っていました。矯正したがいいか悪いか、感覚的には判りません。

私は3週くらいで止め、元にもどしました。平地での試しにはそれほど問題はないが、階段の昇り降りに、矯正中は気を付けなければなりません。矯正始めは身体が慣れてないので特に……

なお矯正サイズの取り方は次のとおり。物差しを2本用意、靴の踵に1本の物差しを立て、靴ともに10センチの高さ、もう1本の物差しで計ります。

当然、後の物差しでは靴の中には差し込まない。床からの高さを測ります。最初の物差し10センチ位置と、後の物差しの10センチ位置では数センチの差が出る。その差が靴の底厚になります。

ぴったり狙った寸法差は出せませんので、適当な寸法差に下敷きや靴下で、寸法を足して行きます。いい具合が見つかったら先にも書いている「あゆみ」に注文を出してみたら、どうでしょうか。

病院での注文との価格差など、取材先と折り合っていません。折り合いましたら、また記載を加えます。

●「あゆみ」 http://www.tokutake.co.jp/

●本日の記載は「出かけたら靴屋によって」の続き。正編は 2011/12/13

2012年1月23日 (月)

乗物と恋愛 2

Hikouki 切っ掛けには意味がなくとも、出来た関係にはのめり込んでしまう。それが世の常。映画ヴァィブレータでの男の事後の反応は、「自分は既婚で、ストーカーは迷惑……」と宣言します。

 

反射神経のいい男も居れば、預金通帳を愛読する女性もいる。2人して評判の占いに出かけてみても、3000円で相性のすべてが判るはずはない。むろん性関係がすべての人間関係を保障する訳ではない。

 

女性31才、独身の理由は、何となく精神的なものと判ります。未成熟とすれば、自己責任か親の責任か? 責任問題はいったん棚に上げにしても、親との関係に失敗した子は友人関係に乗り出せません。

 

親との関係を断った子が危険なんだ、指摘する人がいます。確かにニートは安全ですが……学校での友人関係はごまかせても、異性、恋愛といった人間関係に延長すると未成熟が発覚する。

 

それで恋愛をパスして一気に性的関係に持っていく……それがヴァィブレータでの主人公の方法です。ひと目惚れというと簡単になりますが、相性チェックはまだ終っていません。

 

一般には両者を知る友人が、食の好み、感性の波長を測ったりします。ジャズでないとダメいう男と、クラシックでないとダメいう女性は最初むつかしい。相互乗り入れが不可という訳ではない。しばらくすると両方、楽しめるようになります。

 

親が音楽の片方しか教えてなかっただけ……和食好きと洋食好きで間を取るのはもう少し大変です。それもまるで出来ない話ではない。親の食卓が絶対のはずはない。新たな食卓が、二人を通して始まる場合もある。

 

そういう意味では親子だから仲がよい……はず、いう前提も陳腐です。当然、相性の悪い親子もある。CP、脳性まひの子には猫舌が多く、熱い料理はたいてい苦手です。

 

それで両親が健常で、ナベが好きだったら悲劇になります……そういう例で納得が頂けるか? クラシック好きな家庭で、子供がジャズCDをかけると怒られる。問題は似てましょう?

 

部屋を与えられた子供が最初にする事は、壁にアイドルの写真をはり、お気に入りのCDをかける事。身障児は時期が遅れるだけで、申し合わせたように、そこは同じです。

 

相手への不信はある意味、親への不振が反映です。相性が悪ければ一旦離れ、差し障りがない程度に距離を測る。米国では成人後は連絡を取らない親子は珍しくない。そういう疎遠関係、あるいは親との関係に不安のある人は……

 

意外に身障者に親切です。私の健常者友人には、そういう人は多いし、一般論としてもいい数になる。むろん絶対という訳ではありません……何とも言えない。

 

戦後、外面的に米国化が進む一方、内面の日本性が薄れ、内と外で矛盾が生まれる。今も矛盾は矛盾のまま進行する。自立できない子も実は増える。私にはそう見えます。

 

新たな人間関係を築く必要がある……トイレにこもって男へのアタックを決意を固める。あのキャメロン・ディアスさんを笑っている場合ではない。チョコの食パンでも、聞かないCDでも試してみるしかない。

 

徐々に解決という方法はありません。今、試してみるしかない。徐々にというかゆっくりというか。あれダメこれダメ、今まで通りに行かない。身もフタもないようですが、これが現状です。試行錯誤のアタックを試みましょう。

 例えは性だけではなく、パソコンやケータイへの不安、反発も、タブー視では困る。そういう段階に移ります。乗物は閉塞空間です。乗れば降りるまでリスクを負い目的地まで降りられない。そういった所は恋愛に似ているのかもしれません。

2012年1月22日 (日)

乗物と恋愛 映画

Tora タイトルのヴァィブレータの意味はそういう意味ではない。男はフリーのトラック運転手で、タマタマ知り合った女性を拾って、夜の向こうへドライブを続ける。つまりヴァィブレータはトラックの振動の事になる。

 

私の知識では、そういう運転手は決まったドライブインや店を使う。一般客の沢山、入る店は使わない。だから車を持たない女性との接点はなくなる。従ってこの男女のカップリングは、本当は成立しない……

 

街というのは人と人がひしめき合うが、なるべく干渉も交渉もしない。それが暗黙の了解、顔を合わせた途端に学歴や未婚、既婚も問わない。だから街では誰も誰でもなく、誰かではない。探す理由も探される理由もないことになる。

 

女性は男を捜していた……店にはワインを買いに来たのだが、赤のドイツワインなんて店になかった。赤が欲しければフランス棚を探すべきで……また専門店でない店で、ないものねだりは言うべきでない。

 

女性は酒飲みとして初心者で、まあまあ習慣化し始めたアルコールと見える。その時、男の長靴が男おとこして目に入る。女性はアルコールではなく男に触りたいと感じる。長靴の男は女性に少し接触して通り過ぎる。

 

これが現実ではなく映画の中なので、男女のカップリングはそれで成立します。今時は店の中で知り合わなければ知り合う場所がないです。空港や駅や、バス亭という場所でも同じではないだろうか?

 

ナイト&デイというタイトルは「昼も夜も」と解釈していい。妹の結婚が決まると、姉の身としては焦燥として必然性が高まる? 私の歳になると駅やバスストップで他人をそういう風に見れない。

 

一概にも言えないが……中年男がバスの中で側に座った女学生の髪の匂いに発情したケースはあるようだ。ケータイのメールチェックに忙しい女生徒の髪は垂れ、顔も見えなかったのに刺されたという……で、事件に及んだ。

 

屈託した物を抱え、すんなり人間関係が作れなかったのだろう。ワインと男では違いすぎて、つながらないとか。空港と男でも飛躍がありすぎるとか。そういう意見もあるのだが……現実は単純な物らしい。

 

飛行機内のトイレで、男へのアタックを決意するキャメロン・ディアスさんには笑ってしまう……そういう事に失敗した我身としては笑って済ますべき事ではない、かもしれない。

 そこであっと思い出す。私は先週、スーパーで、もやしの種類と使い方の質問を受けた。私が、食材とっしてのもやしの使いこなしなんて出来るはずはなく、質問というか話しかけはキャメロンさん……もしかして、あれアタック? ええっウソ……ゥ~残念!

●ヴァィブレータ 寺島しのぶ 大森南朋 主演 廣木隆一監督作品

●ナイト&デイ トム・クルーズ主演 ジェームス・マンゴールド監督作品

2012年1月21日 (土)

こびりついた記憶

Sika歯科に行きます。前の歯科医は私より年上で、あまり患者の口の中をシゲシゲ見ない方でした。ここの歯科医は年下で目がいいのか、針穴のような小さな虫歯を見つけます。

 

「どうしますか?」早く処置するに越した事はありません。無論お願いします。レントゲン映像で深さを確認し、ドリルを当てる訳です。まあ誰もが好きになれないアノ感触が……

 

その前に麻酔は「どうしますか?」とも聞かれます。ドリルを使う時は、今みんな麻酔を使うようです。私は反射的に「使いません」と答える。そして答えた後てしまったと思う。

 

大抵は取り返しがつきません。

「どうしても痛かったら使うと言うことで……」慎重な言い回しでそれから、やっぱりドリルになります。まあ針穴の虫歯でもチョコっとは結局ドリルです。

 

しかし私にはドリルの感触に誘発される記憶があります。

 ――セ、先生、イタ、痛いです。

 「麻酔を追加しますか」看護士の女の声がして、

 

「イヤ、いいだろう。続ける……hata君、もうちょっとだから我慢してなあ」そう主治医の声がする。手術室に電機機器の音がする。

 

ドリル状の機器が股関節を刻んでいる。振動は私の内側から響く……これが私の20才の頃の記憶です。記憶はフラッシュバックで帰って来る。ふいに寒気がして私は震え出す。

 

高窓に揺れていた木の葉は春の緑色だった。なぜか若い看護士の二の腕が見える。記憶は急に夜になり、特看室の足の高いベッドの中になる。春の寒さに震えている私の、すぐ横に歯の治療椅子があって、そこには老いた方の私がいます。

 

……機器の音は、いつの間にか歯科ドリルになっている。私のトラウマはそういう風なものです。歯科の治療に麻酔が必要か必要でないか、そういう話ではありません。

 

忘れたと思った記憶が、いきなり帰って来る。感覚はしばらく消えない。歯科医院の窓の外は冬、モニターTVの反映に見える私は、確かに老人、こちらが現実でです。それから歯科医師はいう。

 「もう一本は、この次でいいでしょう」悪夢は次回まで続く……らしい。

2012年1月20日 (金)

親鸞激動篇 五木寛之

Sinran五木寛之さんの親鸞「激動篇」のモニターをします。未製本版を試読して短い感想を書く仕事です。出版社から「ブログでは出すな」とも言わない。感想を長くしてここにも出します。まずは社から注文のあった誉め言葉から……

 

 

 

これこそが血わき肉踊る小説です。侍たちが切り合う時代小説、坊さんの念仏が地を割き、陰陽師の祝詞が空を切る鎌倉時代の冒険譚……閉塞と束縛から開放されるなら文句は言わない……冒険小説の、読み手のマナーというもんです。

 

 

 

坊さんが主人公でも冒険小説は冒険小説、ミステリーじゃないから理屈はいらない。だって、男がみんな好きになる、きれいな女性がいる。床下に潜る忍者が、秘密情報をささやく。生贄に天気を変える陰陽師がいる……これに文句はヤボというもんです。

 

 

 

浄土真宗の教えは法然から親鸞、親鸞から蓮如と移った、開祖や次祖の流れがあって評伝や小説での説明がない。判り易く事跡や系列を追う必要がありました。この度は五木浄土真宗が白眉の展開……癒しは何か、救済は何か、念仏は何か、読まなければなりません。

 

 

 

いったん手にすれば置くにあたわず、食は休み夜を越え……なみあみだぶつの念仏ひとつを頼りに、私たちは鎌倉時代を旅する。お茶でもコーラでも、バタピ、ポップコーン、フライドチキンでも、必要とあらば、事前にご用意を……いざ日本国、激動の彼方へ。

 

 

 

五木さんのは、ある時期までほぼ全作、読んでいました。氏は戦争で事件に巻き込まれトラウマを負われた。それでそういう登場人物がよく出て来る。私もトラウマ持ちで、ここに共感し、手当たり次第に読んでいたら、そうなりました。

 

 

 

トラウマがあるので屈託し、他人とは違える癖がある。あるいはもっと違う行動を取る。いわゆるへそ曲がりとも違う。その感じが氏の小説を読んでいると解消しました。しかし氏の小説からは、そういう感覚が次第に消えて行きます。

 

 

 

親鸞「激動篇」ではそうだったのか、なかったのか? サトという娘が出てきます。サトは事件に会い、今でいう人格の多重化、神がかる。トラウマ娘は少しの酒を呑むだけで食事をしなくなる。サトの性格多重化には納得しますが、食事をしないで生活には……

 

 

 

ここだけでなく五木さんの中期以降の小説は、そういう描写が多くなって行く。私はだんだん付いて行けなくなって、最後に氏に見切りをつけます。モニター募集を見て、もう一度読もうかと思って応募したのですが……

 

 

 

厳密に辻褄が合わなくとも小説は面白ければ、それでいい……私もそれはそうとも思うが、あまりいい加減な話には付いていけない。私に関してそうですし自分のような人間に関して、いい加減な記載があると付いて行けない。

 

 

 たとえば原発を信じる。これからも信じたいという人はあるかと思います。だが被害実態が広がる現実、あまりに早い意思表示は如何か。乱暴に被害者の被害を否定しては、私が納得できないという意味は、そういう事にもかかって行きます。

2012年1月19日 (木)

3時10分、決断のとき 映画

310jpeg_2 西部劇としては珍しくヒットとなった作品、ジェームス・マンゴールド監督の野心作……「グラディエター」でアカデミースターとなったラッセル・クロウさんに加え、往年の人気者ピーター・フォンダさんも出てます。

 

だが実質的な主役は、クリスチャン・ベールという、やや単価の安い俳優さんです。(バットマン、ターミネーター)南北戦争でも活躍できなかった風采の上がらない牧場主……この戦争で義足身障者という設定。

 

その息子は自立を目前に、父より、ならず者に憧れる。いかにも教養のありそうな美人妻は、実は女郎屋の出……この牧場主は金に困り果てる。経営は火の車、それで犯罪者輸送の仕事を請けるという話です。

 

ここで問題は米国の社会構造です。キレイに言えば誰にでもチャンスがある。実態は金が物いう世界。資本に物を言わせ、鉄道を引こうとする会社は、牧場の川水を断ち、牛小屋には火をつける。さっさと立ち退けという訳です。

 

米国では、これも合法的な警告らしい。ならず者ラッセルはそう言う論理を認めない。だからならず者な訳で、その会社の駅馬車を襲うシーンから始まります。駅馬車運送のもう一方のリーダーがピーターさん。

 

先にも書いたクリスチャンの息子15才は、この襲撃シーンを恍惚と見ます。この段階で、道理と正義とはラッセルの方にある……ようにも見えます。当面20ドルが返せない。抵当に入った牧場なんて、見ようによっては守るに値しませんワナ。

 

今の不景気の原因はです。貧乏な収入の低い人に高利で家を買わせ、サブプライムローンを組む。それで金融商品を作って合法的に売り抜けた。それがリーマンショックの元となった。

 

ここを意識し、当てこするシーンです。義足の捕償と比較しながら、クリスチャンは代価を会社と交渉します。この映画では正義は理想とかけ離れ、条件交渉として描かれる。

 

映画はハイヌーンや、許されざる者を下敷きにしています。ハイヌーンは当時リベラル・ニュアンスがあるとしてアカデミーを逃します。さあ今回は……いや今回も評判にはなるが、主要賞は逃します。

 

アカデミーって今もそういう傾向にある。見せたのかもしれません。西部劇ですから保守、リベラルを打ち合わせた? YES OR NO、あなたのアカデミー賞への判定は如何か?

 

映画に出なくなったピーターさんが、なぜ映画には出ることになったか? あるいはラッセルさんも反骨の人なのネ。ただカッコつける人かも知れませんが……巻き込んで出演交渉したんでしょう。

 

優れた映画は参加した人を裁き、見る人をも裁きます。この映画を見たらハイヌーンや許されざる者を、もう一度、見直さなければなりません。リーマンショックと社会構造も勉強しなければなりません。

 見ないのは恥、知らないのも恥、だって知らなければ交渉もできないでしょう? いやあ、西部劇の正義って本当に疲れます。では、さよならさよなら、さよなら……

2012年1月13日 (金)

ソーシャルメディア

Siyakusyo 佐賀の武雄では、市役所ホームページをFacebookに全面移行し、特産品の販売といった試みにも反響を得ます。ああ、それで熊本市もフェイスブックに注目した?……思うのですがそうは言わずに…… 

熊本市役所で担当に聞いてみます。各部署から一名づつという感じで、現段階で職員全参加では全員ではない。それぞれフェイスブックを作ってもらって熊本市も試行中……トいう事は対外的に軸足がある。

 

目的は何か? それは聞けなかったが市民に背番号を打つ目的では……遠大にすぎる。やはり特産品の方でしょ? パソコンというとホームページを連想した時代があって、プロにお願いして作ってもらう。

 

と、お金がかかります。むろん毎日更新なんて出来ません。半年1か精々年1の更新で……やがて1日教習で出来る、ブログの方に人気が移ります。それにブログは基本的に無料でした。

 

昨日も書きましたが、ブログで話題にしてもらって何ボのモンで、ああして使って、画像の無断使用で著作権は請求されません。大目に見て頂ける。それにブログは今日の記載から始まります。

 

私の場合は少しは掘り下げますが、大差はなく基本はヒマネタです。パソコンに慣れたはいいが、ヒマつぶしのゲーム、お菓子の世間話では時間のムダではないか? そうですよねえ。

 

本当は読書、DVDで問題作を見るとか。もっと資格を取るといった生産性の高い方向に向かないのか? もっともですなあ……しかし書いたようにタダです。

 

タダでストレス解消、特産品が売れたり名前が売れたりします。私は本名は書いてませんが、hataさんの名前は売れました。完全なブログ時代よりツイッターやグーグルプラスを併用してからが売れました。

 

そういう意味では使わない方がオカシイ。便利というかありがたいというか……その意味では、いい時代になったもんです。売りたいものがある人にとってはネ。買わされる人にとっては、その分、いい迷惑の部分もある。

 

そういう訳で基本方針を決めました。フェイスブックはやらない。少なくとも、ここ当分はやらない。ソーシャルメディア……ブログ、その他は今まで通りだけど、もう毎日にこだわらない。

 

パソコンを使ったからと言って、つまらない事はつまらない。どうでもいい事はどうでもいい……当たり前ですが、そういう結論になります。

 

市役所の担当氏は若く無愛想、つまらないジイさんがつまらない事をシツコク聞いているト、そんな顔を露骨にされます(笑)判りました、すぐ退散致します。

 全国の皆々さま、そういう訳で焼酎、馬刺し、辛しレンコン、ご要望の節には、熊本市関係、フェイスブックが役に立つかもしれません。是非にも登録くださいませ。