2012年5月17日 (木)

結石と尊厳死

 尊厳死の言い方が最近よく使われますが、その前は安楽死と言いました。どちらにしろ死が、痛さや苦しさを伴いそうで怖い……とまあ、そういう事のようです。

 

外見のみじめな生よりは、いっそ死を願う。その法制化には「生の権利を確立させない先に死の権利を確立させるのか」と重度身障者の反発を買います。

 

私が最近やった腎臓結石は痛いので有名らしい。病名が確定するとすぐ医師は、ボルタレンサポ、痛止めを処方します。結石を抱えても外出は不可能ではなく、私は出かける事も検討します。

 

痛みが出たら薬を使えばいい。それはそうですがボルタレンには意識もうろうとする副作用があり、私もボルタレンを使うとすぐ寝てしまう。事実上、クルマの運転は出来ない。

 

バスや電車も出来なくはない理屈ですが、お出かけは現実的ではない。眠いのと尿出し用にコーヒーを入れ、観ても観なくてもいい映画を観ます。強情を張らないで、さっさと寝ちまえ。そういう意見も判らないではない。

 

観た映画は先日、論じましたザ・メキシカンです。体調がよいならガイ・リッチー監督のがもう1本あったのですが、体調が悪いので出気もよくない、という噂の方にします。

 

体調なんて悪けりゃ悪いでやり様があります。腎臓結石で死にゃあしません。どうしても行きたきゃ、バスで出かけてタクシーで帰って来る手もあります。他人に迷惑をかけなければ、そうすればいい。

 

オール・オア・ノッシング、杓子定規にしか考えられない人が時々、おられます。結石ですから薬で溶かし体外に出さなきゃ、対策になりません。早く直すには、寝てるだけでは闘病にならない。

 

生きる意義というのは意外にも、どこにでもあります。こう言っては何ですが障害者ですから障害慣れしている。健常性が高い若い頃には、中年や高齢の気持ち状況が判らない。

 

元気すぎて病んだ感じ、元気がない事も判らない。ああだろうこうだろう親切は判りますが、言われる事が正しくは当たりません。腎臓結石もこうなりゃなったで、やりようがあるんです。

 

みじめか豊か、生きてみなければ判らない。外見から内面は見えない。生きた後でしか判らない……結石は痛そうだから結石になったら自殺しますか? 法制化して死の権利を確立させたいですか? 

 私も法制化には反発します。尊厳死、安楽死どちらでもいい。痛さや苦しさという意味では結石と同じ。私も死が怖くないとは言いませんが、障害については手慣れています。あの世までの通信が出来るならリポート書いて上げたい……やっぱり怖いですか?

2012年5月16日 (水)

新・知的生産術 勝間和代 3

Yumei 勝間和代さんの新・知的生産術の224ページ目に、5つの生活習慣という項目があります。これは偶然、私は全部実行している。それは、そうだろうと思います。

 

禁煙、禁酒、禁TV、ゲーム、付き合い、気の使い……いくぶんパロディ風に書き換えましたが茶化しているのではない。これが5つ並べられ批判的に扱われたのは初めてで、もっと説明が必要でしょう。

 

たとえば酒については百薬説が残る。しかし薬としては能率が悪過ぎます。TVについても、珍しく私は今日TVを見ました。ニュージーランド・ロビンはともかく、その後の「四角い仁鶴」という番組はどんなものか?

 

ましてやゲームとなると、私にとってwiifitはともかく、wiiマリオはどんなものか? 勝間記載に反対ではないが説明不足は否めず。これで説得される人はないでしょう。さらに付き合い、気の使いもほぼ同じ。内容によりけりなので、全部悪くは私は言えない。

 

さて勝間さんは渡邊美樹さんのラジオ番組「5年後の夢を語ろう」に出られていて、放送内容は無駄な付き合いの気もする。いわば有名の害ですね。これは著作「有名人になるということ」の宣伝と思われます。

 

新・知的生産術ほどには意味ある本とは思えません。勝間さんとしてはエンターティメントなのか? 有名というのは、誰かが有名人になると別な誰かがあおりを食い、無名になる。意義を説いても仕方がない。

 

ラジオによれば勝間さんは紅白の審査員になったらしいです。それを切っ掛けに仕事がやり易くなった。そこはいいが……たとえば紅白はポップスVS演歌の攻防です。ポップスに陽があたれば演歌が陰る。勝間さんポップス派でしょう? 演歌派には悪かった?

 

ゲームより筋トレ、隙間の時間も物を考え、生産性を上げろ……言われている事はそうだと思う。しかし陰のない国はない。陰気に裏打ちされない陽気もない。つまらない事を書いていると大事な事を書きそびれる。

 

推測ですが5つの生活習慣は体力の温存、育成する事が大事と言いたかったトそう思われる。ストレス解消のタバコが、結局、長期的に見ると体力を殺いでいる。そういう意味なら私、賛成します。

 

惜しい。酒、TV、ゲーム、付き合い、気の使い。何が悪いか、なぜ悪いか、どう悪いかは書けていません。

 ●「5年後の夢を語ろう」519に続編ありhttp://www.1242.com/program/yume5/

 

2012年5月14日 (月)

ザ・メキシカン 映画

Mek どこで笑っていいのか判らないギャグを見ました。スナッチではあんなに笑えたのに、ブラピのギャグが笑えない。チンピラやくざを演じ、演技内容もそれほど違わないのに……

 

ただ、これは完全なコメディ。コメディの為のコメディなので男の愚かしさ……たいしたセンスもないのにヤクザをやって行きたい。一種の自惚れ感に訴えるものがあって、そこは面白い。

 

しかしジュリア・ロバーツさんが出てくるとお手上げで判らない。心理学というより占いに近いだろう、信じる女性アドバイザーに依存して生きる。よくある女性が出て来る。

 

ロバーツさんは大抵コメディで、同じ感じで出る。プリティ・ウーマンでもエリン・ブロコビッチでも似ていた。女友達に聞くとプリティはともかく、エリンには共感しないという。

 

どちらも売り込みに成功する話で、実力以上に評価される人間像が演じられる。もっと有体に言うと品のないネーチャンが評価される方向に動いて行く……で、元々は品はあるか?

 

ロバーツさんは品のない人が品を付ける演技をするのか、品のある人が品のない人を演じるのか? 映画の前半、品がない。後半がある。プリティもエリンも、どちらもそういう映画です。

 

そのコントラストを演じる。ブラピは明らかに元々の品のない人で、そういう人が品を得ようと演技をしている。エリンの元ネタはP・ニューマンの「評決」なんです。

 

ブラピはニューマンと同じ方向に演技を向ける。プリティの元ネタはマイ・フェア・レディで、ロバーツさんはプリティでオードリーを演じようとしていた。

 

オードリーさんには生来の品が備わり、あれは演技ではありません。演技以前……では、ロバーツさんに生来の品があったか、なかったか? オードリーコンプレックスはあったでしょうね。判りませんが……

 ただブラピは、ロバーツさんを自分と同族と思い、そこを追求すべくお手合わせを願った。つまり競演を受けたのでしょう。しかしザ・メキシカン、それにしては夫婦喧嘩のシーンが足りないんです。

2012年5月13日 (日)

泌尿器科

Kesseki 血尿はロゼワインの色をしていました。うっすら赤いマテウス、むろんポルトガルワインではないので喜ぶ訳にはいかない。血尿はガンの香りと洒落のめすには、私の余裕は足りません。

 

しゃがみ込み和便器をのぞき込み。ナ、何だこりゃ……太陽にほえろ! じゃないんだから、それもちょっとねえ。ブログに記録するにはもう一つですが、実際はそんなモンです。

 

泌尿器科に行くと看護士が親しげで「あら来たの」と言うような、妙な気がします。「血尿はやはりガン、可能性としては一番多いのですか?」勢い込んで聞けもせず。

 

落ち着き払ったふりをして「今、オシッコしちゃいけませんよね」と聞くのがせいぜい。強張った尿意を押さえつけます。

 

「いいと言うまで待って下さい」それで血液、尿、CTスキャンまで撮っておいて結果は出ない。

 

「PSAの値が低くガンじゃありません。ないと思います」若い医師はそういう。「スキャン映像を専門の先生に見てもらうつもりです」それで次の診察は、なんて随分……のんびりした話です。

 

話の後半は別な朝、目を覚ますと腹が痛い。横腹の痛みに目を覚まします。寝違えたのか横腹から背中にかけて、どんどん痛みはひどくなる。

 

腹から背中にかけて、話が曖昧だからといって……土曜の朝、僕は虫になっていた。なんてオチではむろんない。これは本当のことなのです。しかし痛みの根は少し移っても感じられる。

 

朝の尿意に気が付くのが、それで遅れます。トイレに行ってオシッコの最中に痛みが、身体をぐるりと移る。背中からの感じが消えて腹の方に……そして痛みのレベルが下がります。

 

それで泌尿器科に行くと、またあの看護士が「あらまた来たの」言ってるような。「今日はどうされたのでしょうか?」と聞きます。言葉は丁寧なのに口調がため口のような気がする。

 

――コレコレと前回が前回で、尿の後、その痛みが消えました。腎臓結石でしょうと来てみました。

「結石って、誰が言ったのですか?」と看護士。

 

――私です。

 

PSAが低くて急に痛みが出たら結石。初歩的だよワトスン君……看護士にそう言ってみたい気がした。止めておいたが……最初の血尿に、なぜ痛みがなかったのか? その説明は出来ないからです。

 

ひどく長く待たされ医師の説明があった。

 

名推理ですホームズ先生……くらいの洒落は言って欲しかったが医師は予想通りの診断を下しただけ。

 

「もう少しでコレ出ると思うのですが……」スキャン画像を指した。

 

――明日、お集まりがあるんですが出ちゃ、いけませんか?

 

「いや構いませんが、これはまた痛みますよ」

 

――出られませんか。

 それで今日、お集まりには出ず今も寝転がっているが、結石はまだ出ない。

2012年5月11日 (金)

大金堂 豚野郎粒麺

Buta熊本駅から3号線にそい川尻旧道に入って右側すぐ、仏壇屋の先。若い店主がオシャレな感じにまとめた店の表、体格がよく目の大きい、迫力の店主がのっと姿を見せる。

 

ネット検索すると店もラーメンも見えるが、店主の顔は見えない。出せばいいのに……タバコも吸わなさそうに見える。本当はどうだか? 聞いていない知らないのである。

 

最近、グルーポンの宣伝を試みたばかり。混んでいない客は途切れもしない。店内にBGMはない……特別な感じもないが旧道は静かです。なお静に、客が途切れたりすると店主、困るのか? 余計なお世話ですなあ。

 

豚野郎ラーメンの大盛りを頼んだら本当に大盛りで、太モヤシは受け皿にこぼれそうに出て来る。少しキャベツも交じりチャーシュウと合わせ、ちょっと見はちゃんぽんの様相である。

 

音楽、ゴンチチのゴンザレス氏はタンメンが好きだという。タンメンは関西でいう所のちゃんぽんです。外食はタンメンばかり喰い歩いているト放送でいう。理由は言わない。

 

アイドルの何とかいうタレントはラーメンは食わないという。嫌いなのではなく美容健康上の理由による。ラーメンを食べると顔に出るのという……そうでなければ喰いたいのだかトの感があった。

 

ラーメンを食う男は全員、豚野郎かもしれない。ゴンチチのゴンザレス氏は豚野郎になりたくなくて、タンメンに逃げたのか? 逃げられるものかどうか? よく判らない。

 

豚野郎ラーメンの麺は太麺で太もやしとよくあう。ラーメンちゃんぽんの感覚なのだ。今日初めて喰ったがズーッと前から、喰っていたような気になる。いつか死んだ親父と来たような……なつかしい街。

 

言うまでもないが熊本ラーメン、ここも黒亭と比べて食べるラーメンではない。黒亭はもういいと思ったら来てほしい。いわゆる豚骨スープではないからだ。

 

写真で見たとおり味噌を隠し味にしたような色彩です。それでそう言ってみると言下に店主は否定する。否定したついでに何か言うか期待した。それ以上を何も言わない。

 だからまあ、そういうスープです。そして1000m泳いだ。もっと泳ぎたかったが5月の水は冷たく、それ以上は泳げなかった。満腹の大金堂ラーメンは、一泳ぎ泳ぐと嘘のように消える。

 

 大金堂粒麺

 http://r.tabelog.com/kumamoto/A4301/A430101/43007919/

2012年5月10日 (木)

たばこの煙

Tabako_2 とある医師のエッセイに下記のような記載があります。

 

「タバコをやめて知る真実がある。わが人生の生きがいは、タバコにあったようである。いいかえると他に何もなかったのである。」

 

 

 

「……タバコをやめたら至福のときがない。老後をどうやって過ごせばいいのだろう。この世の中、楽しいことがなければ何も楽しいことがない。禁煙がこれほどまでに重大な私の生の真実に触れるとは思わなかった。」

 

 

1970年、医学部卒というから、私とあまり年齢は違わない。タバコを吸わない人の方が多い今も、この医師のような生き方は自由、勝手ですが、正邪をいえば間違っています。

 

一番の時間や場面を選び、他の時間は全てそのための時間とする。考え方、位置付けがオカシイ。全ての時間はつながっている。朝起きるから夜寝るという対応もあれば、準備練習した研修や仕事が、最終の結果を出す。

 

だから喜ばしい。その面白みや意義をさっぱり捨て去り、つながらない一瞬だけ、切り離して人生の時と評価とするのは乱暴です……そうは言っても、その考え方は確かにあります。

 

世の中ですもの、様々な人が様々に生きます。平均寿命が長くなり、多くの人が高齢を生きるようにもなります。年を取ると体調が悪くなる人が多くなり、健常者のままで死ねなくなる。

 

身体の節々が痛い中で生きる事になります。端的にいうと自分自身に至福がないまま、他人の至福を求める。そういう生き方が必要となる訳です。本末転倒ですな。

 

必要とはそもそも、誰が必要とするか。誰か、家族か、社会か……必要とされる自分自身か。自他の意味を捉える事は、難しいようで基本的なことです。基本だが難しいとも言えます。

 

ここで医師という職業が問題になる。医師なんだから基本的なことはこの際、パスしたい。そういう主張をされるとするなら、パスできるでしょうか? むろん文の著者はそうは言われてない。

 

重大な生の真実に気が付かれます。しかし気が付かれない方もあるでしょう。現に氏も禁煙まで気づかれなかった。人は若い時だけを生きれば幸せです。健常な時だけ生きれば不幸にもならない。

 

気が付かず、めんどうな事はパスすればいい。めんどうな事とはつまり不幸であり、価値もない事です。ところであなた、あなたの生き甲斐は何ですか。

 ●たばこの煙 http://www.youtube.com/watch?v=QP3z963HfZ4

2012年5月 9日 (水)

スナッチ 映画

Sunattc ロンドン暗黒街の抗争劇、かの有名な「仁義なき戦い」と似ない事もない。映像に工夫があって新しい。ユーモラスでさえあるが……写真に趣味がないと笑えないか?

 

たとえばカメラ中央にボスが低く坐って、左右から子分が立位置から覗く。お寺のお釈迦さんを左右から観音さんが挟む。あれです。ただ観音さんを高い位置にする。

 

居丈高な親分を低位置に置くので可笑しい、笑えます。ユーモアが生まれます。それをユーモアとして感じるか感じないか、その辺が感性になります。もう少し言います。

 

大きいセルの黒縁メガネは流行った。いや今も流行っていますが、どんなメガネにしたらいいか判らない人はあれがいい。ありふれているが、無難な選択とはそういう物です。

 

この映画に出て来るギャングのボスは、黒縁メガネをかける。インテリで自己顕示欲が強く、何かと言うとウンチクを言いたがる。

 

「……を知っているか?」怖いボスが予想外のウンチクを言うが、そのウンチクがストーリーの次の展開になる。要するに展開がおしゃれで凝っている……悪くいうと面倒くさい。

 

手持ちカメラが売りの「仁義なき戦い」とは雰囲気は、かなり違う。監督はガイ・リッチーさん、最新作はシャーロック・ホームズ~シャドーゲームの人です。

 

ロンドン暗黒街というのは、迫力なのかユーモアなのか、戦後広島の、ジャケンノー、ノーノー弁とは違います。素手ボクシングはスナッチ、シャドー両作とも出てきます。筋肉美はホームズより、こちらスナッチが上か?

 

パイキーといわれる流浪民の兄ちゃん、ミッキー役(ブラッド・ピット)が儲け役です。きれいな筋肉と汚い刺青、殴られる時の顔で、すっ呆けた演技を見せます。

 

ブラピは何をやっても様になる。パイキーのボクサーを出してみたり、ホームズまでボクサーにしてみたり。あの監督だから、これでも演出されたのか? さっぱり判りませんが面白いですよ。

 

ただ納得がいくまでには、3回は見なければ(笑)字幕で見て日本語で聞いて監督音声も聞かないと、本当の意味は判りません。たとえばですが、「オマエ豚に食わせる」意味判らないでしょ?

 昔、牙の出ている豚の絵がありましたが、この映画を見ると本当意味の説明があります。実写はない。映画「ハンニバル」では画像での説明もあります。

2012年5月 8日 (火)

海を飛ぶ夢 本

Umitobihon 「海を飛ぶ夢」の原作本を読んでいます。原作者ラモン・サンペドロさんは1965年、22才で商船の整備工になり、世界を旅する。しかし68年夏に事故で頚椎損傷になります。

 

この68年とは「俺たちに明日はない」が封切られた年です。以降アメリカン・ニューシネマの傑作が次々とかかり、世界中の映画館を席巻します。イージー・ライダー、いちご白書、暴力脱獄……

 

これらの映画には共通点があって、命がけで体制に反抗する若者に共感し賛美する物です。ニューシネマの底を流れる物はサルトル、カミユのフランス実存主義とされます。

 

「嘔吐」「異邦人」の思想文学の流れは、この映画を通してユーミンの歌詞にも流れ込みます。「いちご白書をもう一度」で「素直な横顔が今も恋しい」と歌われる。

 

そしてラモンさんにはラモンさんの若い日がある。事故がなければフィアンセがいたとか、ブラジルの港には別な恋人がいたとか、どこかに書いてある。

 

つまりラモンさんにも、今も恋しい、素直な横顔がある。この本の何ページ目と確認しませんが、青春なんてそんな物です。だからラモンさんを30年後の(尊厳死を遂げた年)異邦人としたのでは、いけませんかね?

 

11才で障害者になった私には、ラモンさんのように強烈な健常者体験はない。それでも映画館の闇の中、健常者に帰る抜け道を探したと言えないでしょうか? そう考えると筋道は通ります。

 

68年にラモンさんの積極的な意味での人生は止まってしまった。本には誰かにそう指摘されるシーンがあります。車椅子に乗っていたら違っていたのではないか?

 

車椅子であっても人生は人生、それなりの積極的な展開は出来た。世界を旅した時のようには行かないにしても……私も自分を重ねてみて、そう思う。映画館の映画と実人生では違います。

 

映画には匂いがない。どんなに美しい花も匂わない。映画「海を飛ぶ夢」では女性の匂いが言われてました。抱きしめる事は出来ないがト……匂いのない世界に閉ざされてしまった。

 

車椅子に乗らないいう事は自ら閉ざした事になる。それが尊厳なのか何なのかの……窒息死の有力な理由になります。だが、どの人生も20代より強くは香らない。誰にだって20代は一度きりの時間です。

 

文面引用しました「いちご白書をもう一度」が、youtubeにありました。発表時のオリジナルも、後でユーミン自身で歌い直したバージョンもあります。しかし私の選曲はコレ、これでお聞き下さい。

 ●「いちご白書をもう一度」http://www.youtube.com/watch?v=aR0KzJjDejw

2012年5月 7日 (月)

花王ディープクリーン

Deep みがいた直後に、また直ぐ磨きたくなる。不思議なハミガキです。美味しい気持ちがいい、味をしめてまた磨きたくなる。そういう事と思います。

 

 

 

ディープクリーンとは花王が展開する、新しいハミガキ路線です。今まで通りのペーストもあるが、液体ハミガキの方が斬新だろう。ちょっぴり口に含むとネットリ感がある。

 

容器を振ってもサラサラなのに、どこから来るネットリか判らない。花王では緑茶ミントといっている。よくあるミントではなく香料はお茶になっていて、年寄り臭さと隣合わせの新しさがある。

 

新しい、朝夕にする行為に新しいという言葉は合わない。判っているがそう言ってみたくなる。香料が奥まで浸透する。すみずみまで行き渡る。おいしい気持ちよさは、そうとでも言わないと……

 

前提は確かに歯周問題のある人が前提になるが、90%、丸っきり問題のない人はないだろう。緑茶ミントはその、問題部分にしみて来て、ひとつ味になる。

 

 

 

合わせるブラシも花王は新しくしている。歯周ケアハブラシという。良く当たる極細毛束を、歯周ポケットに束ごと入ると花王はコピーを書いている。

 液体ハミガキが850円、歯ブラシ350円。安くはないが歯科医に駆け込むよりは、いいでしょう。

2012年5月 6日 (日)

ハーブ&ドロシー 映画

Have「ハーブ&ドロシー」おとぎ話のようなノンフィクションです。郵便局員と司書が絵描きになろうとするが才能が伴わない。二人は夫婦になり、美術品のコレクターになる。

 

気に入った、しかし売れてない芸術家の部屋を訪れ、手持ちの作品を見せてもらう。それから自分たちの月給に見合う、小さなアパートにも合いそうな作品を買うのだ。

 

画商は通さない、それがコツなんだそうな。芸術作品を愛するという事は、よく判らない事かも知れない。先だってジミー大西さんの絵について「客観的に価値のあるものかどうか?」の質問がネットに出ていた。

 

大笑いした。笑った後で考えた。自分の子の描いた絵でカレンダー製作して、親戚友人に配る人はいるが、大西さんの絵を玄関に飾る人は少ないのかも知れない。

 

ベランダに鉢を置き、花や木を植えて親しむ。ベランダーの寄植えの感覚は絵を買う思いに似ている……かもしれない。人は縁日に行ってよく植木を買う。

 

しかし絵を買う話は聞かない。映画ではハーブ氏の方がカメや魚を飼っている。生き物を飼う感覚と絵を買う、飾る感覚の共通について話す場面がある。

 

この映画の主催は近所のロフト街である。街に絵描きの卵が何人かいて、この映画と込みでロビー展をやったのだ。そこでシャガールとゴーギャンを合わせたような絵が見えた。青柳彩さん?

 

映画にヒントがある。もっと小さくすれば売れるかもしれない。小さくしないと売れない。見本の絵葉書ではなく、絵葉書サイズの絵にすると間違いなく売れる。

 

それでは絵描きとして満足出来ないのか? 絵描きのセンスが古いように、絵買いのセンスも古いかもしれない。折り合う事がない二人の間で絵は売れなかった。

 

安い給料と小さなアパート暮らし、二人に何が出来、何が出来なかったか? そして我々には……これは小さな奇跡と言ってもいい。映画を見れば人生が悪い物ではないと思える。

 ●「ハーブ&ドロシー」予告編 http://www.youtube.com/watch?v=sf40Ol0fG6c